教室における大切な価値③ (original) (raw)

今さらながら一学期を振り返って、教室で授業で何を大切にしたのかをまとめてみる。

前回までのものは過去記事を是非とも参照してください。

⑤仲間の言葉や教師の言葉を聞く

授業の中で子どもたちはさまざまな活動を行う。話すや聞く、書く、読む、見る、考える等々。

ここに挙げたものはどれも大切な活動である。この中であえて順番づけをするならば、僕は聞くということを一番にする。なぜなら、聞くということは学ぶことの基本のキである、と思っているからだ。

学ぶということは今まで知らなかったことや気づいていなかったことを認識するということである。つまり、今まで自身になかった新しいことを知ることや気づくということである。よって、必然的に聞くということを行わなければならない。

もちろん話すことや書くこと、読むこと等で今まで知らなかったことや気づいていなかったことを認識することもある。

しかし、聞くということは一人ではできない。聞くことを行おうと思えば他者が必要になる。

コロナ禍を経てオンライン上でやり取りするということも当たり前になった。しかし現在でもなお、学校という場には同一年齢の子どもを大人数集めている。

一つの場に同一年齢の子どもを大人数集める価値や意味はさまざまあるだろう。

その内の一つに「他者との相互的なやり取り」ということを挙げられる、と考える。

オンライン上でも相互的なやり取りはもちろん可能であるが、大人数となるとなかなか簡単に相互的なやり取りを行うのは難しい。

だからこそ、「他者との相互的なやり取り」を大切にする。それが未だに学校へ集う意味なのだ、と思う。

コロナ禍は学校という一つの場に大人数の子どもを集める意味を考える機会にもなった。

以上のように考え、仲間の言葉や教師の言葉を「聞く」ということを大切にしている。

⑥注意ではなく支える

子どもたちは教室で関わり合いながら日々の学校生活を過ごしている。この関わり合いは、一つの教室に同地域の同年齢の子どもを集めていることの大きな意義であろう。

その関わり合いを見ていると、おしゃべり、励まし、慰めや注意することが見られる。それらが行き過ぎて指導しなければ、と思うこともある。しかし、それは関わり合っているからこそだと思うし、そう思いたい。

それでも注意して見ているのが、子どもたちが誰かを注意していないか、ということ。

例えば、教室で誰かがルールを守らない、ルールから逸脱をする。そうすると「○○してはダメだよ」と咎める言葉が起こる。それで終わればいいのだが、時にはヒートアップして揉め事につながってしまうこともある。

トラブルはチャンスでもあるので、大きく傷つく者が出ないのならそれなりに揉めればいいだろう、と個人的には思っている。

とは言え、子どもたちが注意し合うという関係は早いうちに終わらせたい。

注意することは教師の仕事であり、子どもたちがすることではない。よって、注意する姿を見ると「それは先生の仕事だよ、先生はそれで給料をもらってるから」と話す。そして、「そうではなく大丈夫と心配してあげて。○○してないけど大丈夫? ○○してないと先生に叱られるよ・・・、みたいに伝えてみてよ。」と話す。

子どもたちが注意し合う関係ではなく、子どもたちが支え合う関係へということだろうか。そんなことを意識している。

全員を聞く子どもにする教室の作り方