小市民シリーズ:第9話『スイート・メモリー(前編)』感想ツイートまとめ (original) (raw)

かくして狐は、狼の夏を暴く。
前後編でお送りする”夏期限定トロピカルパフェ事件”解決編、小市民シリーズ第9話である。

いやー…長かった。
原作を完結まで見終わってる身としては、過剰な可愛さで演出される小佐内さんは羊のキグルミに己を隠した怪物以外の何物でもなかった。
その性根が白日のもとに晒され、罪のない謎に満ちた平和な青春という嘘をぶっ壊してくれる瞬間を、僕はずっと待ち望んできた。

スイーツに夢中でオドオド気弱なあの可愛さが、全部が全部ウソってわけではなく、また今回溢れ出す冷徹な計算と鋭い牙だけが、小佐内ゆきの全部でもないんだけども。
しかしその根源が小鳩くんの踏み込みで暴かれていくことで、バラバラだったピースがあるべき場所にハマっていく気持ちよさと、意地悪くそこに視聴者をハメたアニメ制作者の手腕を、ようやく噛みしめることが出来る。
嬉しい限りだ。

アニメ版”小市民シリーズ”は相当計画的に、今回明かされる小鳩くんと小佐内さんの距離を示唆し、暗示し、この決着が全ての要素をつなぎ合わせた二人の必然なのだと、納得させる演出を積み上げてきた。
小鳩くんから観える小佐内さん(この物語が一人称に閉じ込められた作品である以上、つまりは僕らが知る小佐内さんの全て)は常に遠く、彼女が愛する甘味を小鳩くんは常に完食できなかった。

それは今回描かれる、あんまりにもデカい夏期限定トロピカルパフェを、小山内さんへの指弾にかまけて食べきれない探偵と、微笑みながら飲み干す犯人の2ショットを、深く刺すためのリフレインだ。
結局そういう場所に二人は収まるしかなく、約束された破局へと突き進んでいくまでの、”小市民”を目指す無駄なあがき。
お互いがお互いの本性を抑え込む楔たり得ず、馴染めない世界から守ってくれる防波堤になり得ず、恋でも友情でも繋がらず、利用し合うほど価値を見いだせなかった、追いつくことのないすれ違い。
はたから見れば甘酸っぱい青春の奥にある、醜悪で冷たい我欲と怜悧のせめぎ合い。
狐と狼の、結局人間が真心と向き合う距離で交わることはない、青春の形を擬したダンス。

それは今回急に炸裂したわけではなく、ありふれた日常の謎を解いて物語が始まった時から…というか、自分たちの中の獣をそういう檻に閉じ込めなきゃダメだと、思い知らされた物語前夜から、彼らの魂にこびりついた定めだ。
拉致って刺す程の恨みを買う、狼の牙を捨てて”小市民”になることは結局小佐内さんは叶わなかったし、そんな真実を見て見ぬふり、食べ歩きツアーと甘酸っぱい恋の予感に呆けていられる夏で青春を包むことを、小鳩くんは認められなかった。
自分が沈むと解っていても、蠍は蛙に毒針を刺す。
己の中に秘められた真実に抗えない彼らは、極めて探偵的なキャラクターのまま、物語の幕を一旦下ろそうとしている。

アニメが見事にそうパッケージしたように、厄介な業を抱えつつもごくごく普通の幸せにたどり着き、絆を舫い綱にしてお互いを結びつけ、人生の荒波を乗り越えていくような青春物語であったのなら、獣達はお互いを噛まない。
しかしこのお話が睨んでいる、小佐内ゆきと小鳩常悟郎の真実は、そういうヌルい決着を二人に許さない。
どんだけちっぽけで罪のない”日常の謎”を望み、それで満足しようと思っても、事件のほうが二人を放っては置かないし、運命に殴りつけられて黙り込むなんて”小市民”的な仕草を、二人は選べない。
春季限定の事件の終わりが、新たなトラブルへの入口を示したように、終わりゃしないし逃げられないのだ。

画像は”小市民シリーズ”第9話より引用

今回は喫茶店に腰を落ち着けての解決編ということで、物語の殆どは二人の会話で展開し、物理的な距離は動かない。
つまり頭の回転が早く性格が悪い、お互い以外にハマれる相手を見つけられない二人が共有していた、言語と論理と心理の時空が分厚く描かれる、ということだ。
現実を超越し、推理上重要な過去へと自在に飛びながら、けして手が触れ視線が絡む距離へと近づき得なかった二人の、青春の舞台。
それは終わりを前に、ひどく息苦しいシャッター街に画面を染める。
川のせせらぎの清らかさも、抜けるような岐阜の風の爽やかさもない、錆びて暗く…でも美しい場所。

この加速しぶっ飛んだ領域を共有できるのが、結局二人きりなのだと、第6話と犯人役と探偵役を入れ替えて展開する今回は良く語る。
小佐内さんが夏に張り巡らせた罠を見抜けなかったから、皆がキレイにハメられて脅威が排除されるし、唯一そこに気付いた小鳩くんだけが、夏期限定トロピカルパフェを一緒に食べる特権を有する。
それは復讐計画の極めて重要なピースとして、冴えた知恵働きも含めて選び取られた、便利な道具の冷たさと背中合わせだ。
いろんな衣装へのお着替えも、山盛り可愛い甘味ぐるいも、軒並み遠大な計画の一部であったと、宿題の答え合わせをしていく今回は、ここまでの演出の意味も描き直していく。

小鳩くんの推理を笑顔でトボけ涙で交わし、そういう煙幕を全部くぐり抜けて真実に邁進する狐の在り方にこそ、真実微笑む小佐内さんは、ずっと遠く隔たれた存在として描かれてきた。
穏やかで微笑ましい、友達以上恋人未満…に見えるよう、精妙に調整された距離の奥でずっと、二人が繋がってなどいない事実を、画面は語り続けてきた。
それは一年と少し、友情でも愛情でもなく互恵関係で繋がって、この街で唯一お互いの獣を自由に遊ばせられる相手として、青春に戯れてきた二人の、真実の間合いだ。
白々しくも華やかな、小さな幸せと穏やかな絆。
それが既に死んでいるという事実を、隠蔽する春と夏の描線。

小佐内さんが健気に紡ぐカバーストーリーを、容赦なく踏み込み暴くほどに、二人の関係にはヒビが入り、推理空間は暗く陰る。
しかし幸せで穏やかだった小市民的夏休みの奥、みっしりと埋め込まれた奸計を指摘するほどに、小佐内さんと小鳩くんの距離は近づき、お互いの顔が見える。
恋人でも友達でもない、名前がつけられない特別な嘘を演じている時よりも、仮面を外し犯人と探偵として向き合っているときのほうが、よほど二人は親しい。
シャルロット殺人事件への後ろめたさが、小鳩くんを狼が用意した夏へ後押ししたことを思うと、なかなかに皮肉な再演と決着だろう。

小鳩くんが小佐内さんの犯行を暴き立てていく中、狼は狐の顔をよく見ている。
真実へ踏み込むほどに、お互いを曖昧な夢の中に保っていた微妙な関係が軋み、壊れていく手応えを、可愛らしい悲哀を突きつけて教えても、狐の歩みは止まらない。
ベルリンあげぱん事件を前にして、延々ドヤ顔で真実開陳に溺れていた時とはまた違う、確かな悲壮と悲痛を滲ませながら、小鳩くんは自分の中の獣に枷を付けれない。
付けないことを選んで、長々喋っているからパフェも食いきれず、小佐内さんとのズレは更に加速していく。
犯人と探偵に引き裂かれた今こそ、ようやく顕になったそんな真実の距離感を前に、小佐内さんは微笑み続ける。

小佐内ゆきという謎が、その本性…の一部を顕にした今回、作品全体が視聴者に「ちゃんと読めていた?」と問いかけてくる。
可愛さの煙幕の奥、確かに匂っていた獣臭を嗅ぎつけて、「怖いところもあるけど可愛い女の子」ではなく、「その可愛げすらも利用し尽くして、望みを果たすタフな怪物」であった事実を、裏切りととるか、暴露の快楽に射抜かれるか。
人次第であるし、僕は既に原作で全身無くなるくらいに撃ち抜かれ済みである。
だから今回、そういう風に作品が己を暴く瞬間を、極めて精妙にアニメ化してくれたことに、深い感激と感謝を抱いている。
計画的で意地が悪くて、ホントに素晴らしいアニメ化だ。

画像は”小市民シリーズ”第9話より引用

自身認める書斎派で、迫る危機を前に知恵の牙で状況を打破していった行動派の道具に甘んじず、推理の刃を突き立てる小鳩くん。
その生っちょろいひ弱さが、デカすぎるパフェを食うの食わないので可視化されるのは、面白い仕掛けだった。
それは他のテーブルでも数多のカップルだの友達だのが、罪もない日常の一幕として堂々平らげ、その経験をベースに絆を深めていく、ありふれた小市民的アイテムだ。
そこで小鳩くんは、歩調を合わせることが(今回も)出来ない。
兎にも角にも理論に溺れ、食べる実在より喋る理念を選考させて、ハードボイルドな行動派に置いていかれる。

甘味が血を焼く毒になるサイズの特大パフェは、小佐内さんという存在それ自体の毒だ。
遠く暗く、小佐内さんにとって不都合な真実にたどり着いたときだけ世界が眩しく開けるような関係で繋がっていた小鳩くんは、その毒を飲み干しきれない。
堂島家で出されたケーキも、春の日々を彩ったスイーツも、完食しきれなかった彼は結局、小佐内さんという彼方の人に追いついて、歩調を合わせて生きていくことが出来ない。
思考を異次元にぶっ飛ばす異形の思考速度に、唯一横並びして同じ幻想を共有できるのは、結局彼女しかいないのに。

真実を暴くほどに距離は開き、狼と狐が並び立てない事実を際立たせていく。
本来ずっとそうだった断絶と孤立に幾度目か己を投げ込みつつ、あくまで幸せな戯れの色合いを、知恵比べの朗らかな空気を損なうこともないままに、二人は夏の終わりに対峙する。
小鳩くんの一人称で綴られ、小佐内ゆきの内面をブラックボックスとする原作を、見事に亜に目の文法に落とし込んだこのお話、小佐内ゆきというミステリは残り一話を残して、まだまだ底が見えない。
果たしてこれまで見せてきた(公式アカウントがオーバーキルな勢いで補強もしてきた)可愛い顔と、今回見せた計算高い狼の貌、どちらが本物なのか。

それとも表も裏も、光も影もない統一された真実が、狼と狐の本性が混じり合う夏の終わりに、削り出されていくのか。
春の物語の終わり、堂島くんは狡賢く虚栄に満ちた、イヤなヤツとしての小鳩くんを認めてくれた。
その光に導かれてなんとか、一つの事件に幕を閉じて動き出した二年目の夏、目の前に立つ少女に彼ほどの優しさも、真実”小市民”的なバランス感覚もない。
あの時光の中に隠れた、小鳩常悟郎の影。
狼の鋭い視線は、自分を駆り立てる狐の業を、けして見逃さない。
なぜならばその傲慢も怜悧も、自分の中の獣と鏡合わせで、似たもの同士の二人だからこそここまでなんとか進んでこれて、こんな風に対峙するしかない

春に落着した、トホホと苦笑いしてスイートなご褒美に微笑む、小市民的生活。
小佐内さんの超行動主義の一部に取り込まれつつも、小鳩くんはあの時と違って、復讐の愉悦に突き動かされる狼へと知恵働きを追いつかせた。
普通のジュブナイルなら見事な”成長”だと称える変化だけど、小佐内さんが現実を駆け抜けるスピードに狐の知恵が追いついてしまったことが、生み出す破滅だってもちろんあるだろう。

その早足が、一体どんな終わりを連れてくるのか。
その決着を、二人の必然と飲み込める決着になるのか。
ぶっちゃけどう足掻いても賛否両論、爽やかな青春の一幕とは終わらない物語を、未決のタイミングで終わらせるこのアニメが、小佐内ゆきという謎、小鳩常悟郎という盲点をどう描ききるのか。
次回、アニメ小市民シリーズ最終回。
とっても楽しみです。