大阪/羽曳野 白鳥舞い降りた地 (original) (raw)
(2017年8月当時)
▼古市駅すぐ傍の踏切前道路を隔ててすぐにこの「近鉄プラザ」がありますが、この前の広場にパスターミナルがあります。古市駅は出て程なく踏切に差し掛かるため、駅前広場の用地も取れず、ここが代わって駅前バスターミナルの役割を果たしています。
▼古市駅前にあった城山病院行きのバスのりばで、城山病院はここから2kmほど西にある病院で、ここがコアラ薬局前バス停という事ですが、ホントにコアラ薬局が前にありました(笑)
▼この古市には2008年6月に一度来ていますが、駅前をほんの少し見ただけで引き返していることもあり、「羽曳野市で何を見よう?」と思って、9年ぶりにここへ来ました。
で、見つけたのは竹内街道と古墳でした。
という事で、竹内街道を少し進んでみようと、こんな独特の道路を進む事としました。次第に左手にお濠が見えてきて、これは古墳にも訪ねる事ができるな、という感じで進んでいきました。
▼古市駅から約500m進んだ地点で、竹内街道の歩道からの様子です。
この辺りは古墳が沢山あり、それらを見に行くだけで立派に旅行として成立するかなと思い歩いていました。
水が全体的に緑なのは、水面が山影を映しているからでしょうか。とにかく全体的に濃い緑の水でした。
竹内街道は「TAKEUCHI KAIDO ROAD」と英訳されていました。
▼**竹内街道のウォーキング・トレイル**
として説明板がありました。
現在地は白鳥陵(はくちょうりょう)古墳(前の山古墳)です。日本武尊(やまとたけるのみこと)の陵墓といわれ、死後に白鳥に姿を変えて舞い降りたという伝説があるといい、そこからこの名前になったとか。そしてその後、白鳥は羽を曳くがごとく飛び去ったといい、これが「羽曳野」の地名の語源になったともいいます。いやしかしよくできたお話ですね。
下2枚の写真は別々であり、決してこの説明板と古墳がこのような位置関係で見える訳ではありません。
説明板のように古墳を上から見ることができないので、このように横から見て古墳を感じるしかないのですが、昔の人はよくこんなきれいに前方後円墳など造ったものだなと感心しきりです。
▼軽里(かるさと) 地車庫
というお蔵がありました。
軽里というのは地名ですが、先の白鳥陵古墳の正式名称も「軽里大塚古墳」というそうです。
軽里地区のだんじり倉庫で、この辺りでは「古市だんじり祭り」というのが行われるそうです。
▼白鳥陵の「拝所」と呼ばれる部分で、古墳の西側にありました。
古墳の墳丘の所には入れないので、ここから礼拝する格好なのでしょうか。つまりここでは日本武尊の墓参りはここでするんだよ、という事でしょうか。
日本武尊は景行天皇の皇子という事になっています。景行天皇は第12代天皇とされ、その在位期間は西暦でいうと71年~130年という事になるとされています。
羽曳野で観光するなら、だんじり祭りを見に行くか、平常時ならこのような陵墓を見ながらウォーキングするのもいいかなと思いました。