神奈川/小田原① 壮観、小田原城址をゆく! (original) (raw)
(2018年10月当時)
▼小田原には1999年1月に初めて行ってから、2004年に再訪したり、何度か行っていますが、今回は現時点最新訪問の2018(平成30)年訪問分からお届けします。
これは、当時の小田原駅構内のパスタ店?で頂いた小エビの入ったパスタです。
▼小田原駅から歩いて5分くらいの所にある「万葉の湯」。
温泉の多い街でもありますが、小田原で温泉入ろうと思ったら、どことも「高い」という印象が非常にありまして…。ここも値段見ただけで入るのやめよ、となりました。
▼小田原かまぼこ通り、というのがありました。
小田原駅東口から徒歩約15分の所で、本当にかまぼこ店がいくつも軒を並べている通りで、実際ここは通っていませんが、関連サイトを観るとなかなかの壮観でした。
▼この旅の本題ともいうべき、小田原城へ向かいます。
まずはお堀の角へ。
小田原といえば、ここの城が落ちて秀吉の天下統一がなった訳ですね。
以前にも行きましたが、あまり写真を撮っておらず、この時はいろんなところで撮りました。
▼大きなお堀に架かる朱塗りの橋がひときわ目を惹きました。
▼小田原城案内図
がありました。
お堀と城郭の位置関係がある程度分かると思います。
▼ここから入っていきます、小田原城。
お城の開館が延長となっていましたこの時。通常は午後5時までのようです。
▼お堀はよく見てみると、鯉が沢山いました。
▼水鳥も結構泳いでいました。
ここでは多く泳いでいるところは撮っていませんが。
▼お堀と城郭のカットです。
▼お堀に架かる朱塗りの橋を渡ったところ、大手筋登場順路とありました。
▼城郭内を進んでいきます。
橋の入り口にもありましたが、当時「歴史見聞館」は耐震補強工事の為、来春(2019年春)リニューアルオープン、とあり、この時は改修工事中でした。
その後2019(平成)年4月に予定通りリニューアルオープンし「歴史見聞館 Ninja館」として、小田原北条氏に仕えた忍者「風魔」にスポットを当てた施設になっているといいます。
▼二の丸跡の説明板がありました。
本来、お城は「本丸」に藩主の住まいがありましたが、小田原城は本丸に将軍家の御殿があったため、この二の丸に藩主の住まいがあった、と記されていました。
▼銅門(あかがねもん)・土塀模型
とありました。
銅門を造るにあたって、事前に製作したもので、白壁の材料となる土の乾き具合や収縮具合を見るためにまず模型として造られ、これが実際の制作にあたり重要な役目を果たしたといいます。
▼実際の銅門です。
さっきのは模型でしたが、こちらは本物、大変立派な建物でした。
▼段々畑?と思うような空間がありました。
▼本丸東堀跡
とありました。
小田原城の本丸は、藩主ではなく将軍家の御殿があった事は、先の説明板にありましたが、江戸時代の本丸は堀に囲まれていた、とありました。
植木と盛り土によって堀の形を表現した、とあり、上の写真の段々畑みたいなのは、かつての堀を表現したものだったのですね。
▼城郭への階段を上りゆくところです。
▼崖っぷちに立っているような城郭がみえましたが、小田原城の建物はいろんな角度からいろんな顔が見える事を感じました。
手前の植木と盛り土が、かつての堀だったと考えると、イメージが湧きやすいなと感じました。断崖の下は堀だったという感じで。
▼常盤木門(ときわぎもん)
と刻まれた標柱がありました。
本丸の正面にある、重要な防御拠点として位置し、他の門に比べても大きく堅固に造られたといいます。
▼その常盤木門の復元した姿です。
明治初期の写真をもとに1971(昭和46)年に復元されたといいます。
複数の門が立派な姿で存在しているのも、この城址の大きな特徴といえます。
写真の量を含め、一度では書き切れないので、次記事にて続編をお送りします。
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