「日本の教育を変える」今井真央のブログ (original) (raw)

人のご縁って面白いもので

あるカフェでのんびりお茶してたらいきなり怪しげなオジサンに話しかけられて

「あなたの守護霊が伝えたいことがあるって言ってます」

とか言うの。

“あ、ハイハイ新手の守護霊詐欺ね”

なんて思ってたら何か聞けば聞くほど心当たりしかない。

自分の事なんて一言も話してないのに、僕の長所や短所を的確についてくる。もはやグサグサ刺さり過ぎて途中で聞きたくなくなったくらい🖐️笑

んで、どうやらその守護霊おじさん達とGreat Luck Fes(通称グレフェス)に行くことになるらしい。

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「何グレフェスって?」

という僕の同じ何も知らない方はこちらを参考にしてください↓

GreatLuckFES2024

一見陽キャに見えて実は隠キャな私にとって、“フェス”はその名前を聞くだけでアレルギー出ちゃう存在。大勢のパリピ達が昼夜問わずガンガンに音楽かけてお酒飲んで騒ぐ場所に何が楽しくて行かなきゃいけないのか‥

早起きして熱いお茶飲んで独りで静かに畑仕事で汗を流すのが好きなのに‥

「あなた達はチームを作ってお金の浄化をする」

という謎過ぎるお題を頂き、ワケがわからないまま色んな人達と会うことになった。開催まであと数日しか無いのに、集まった急造メンバー。皆が「初めまして」という状態で本当にブースなんて出せるんだろうか。

•ある人はコインをアクセサリーに変えるお仕事をしていて

•ある人は動画作成のプロフェッショナルで

•ある人はエネルギーワークや浄化のスペシャリストで

お金の浄化にはうってつけの本当に素晴らしい人達ばかり。この人達とならフェスだって絶対楽しめそう!

でもその中にいる「あ、僕ですか?フリースクールやってます」っていう1番謎な立ち位置の僕ちゃん。

なのに「プロジェクトリーダー」という大役を任せられちゃった。

その名も【12→13へ】プロジェクト。

youtu.be

どう?何するか全然わからないでしょ?笑

何をするかは、次回詳しくお伝えします!!

もしご都合合う方は12日京都で会いましょう♪

お楽しみに!!

「社会という怪物」と格闘する人々への希望

シンコミュニティ論

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✔︎エコヴィレッジやシェアハウスなど、なんでもいいけどコミュニティが作りたい!!

✔︎以前作ったけど上手くいかなかった‥

✔︎今いるコミュニティが変になってきてる‥

などなど、僕を含め多くの人が悩んでいると思います。

「コミュニティは水のようだよ、そこにいるメンバーや時期で大きく変わる」

サイハテコミュニティマネージャー

坂井勇貴

銀ちゃんの絵本の村や熊本のサイハテなど、遠くまで足を運んで実際に運営するコミュニティを見てきた自分でもそれを言語化するにはとても難しいものがありました。

“自分達は特別な存在で、意識レベルが高い集団だ”

よくありがちなのはそんな意識高い系コミュニティ。前世では有名な革命家だったとか、見えないものが見える能力があるとか、龍が感じれるとか言い出して意識レベルの高さをひけらかす。そこまでいかなくても“私達はいい人だ”という人達が集まるとコミュニティは崩壊していくらしいです。

何故なら自分達が特別な人(もしくは良い人)だと思い込んでいると、そうでない人を排除しようとするからです。

無理にいい人を演じなくてはいけない雰囲気になる。皆んな本音を我慢してるからサボったり、見えないところで手を抜こうとする人間のもつダメさを許せない。するとトラブルが出た時に正論で叩こうとしたり、排除しようとするんです。

本当に持続可能なコミュニティはむしろ人間が持つダメさを認め合っていることが多いんです。

•遠慮なくダメっぷりを出せる。

•思ったことを我慢せず本音で伝え合える。

•トラブルとちゃんと向き合うことができる。

能力や仕事ぶりを評価するのではなく、その人の存在に価値があると認め合う。

ここに居ていいんだ、安全なんだ。と思えることがベースにある。コミュニティ作りの前提としてここが守られていないと成り立たないんです。

この本にはもっともっと大切なことが沢山書かれています。是非ご一読してみてくださいね^_^

我々大人は日々ジャッジして生きています。法律や倫理観を元に正解不正解を決めて、そのルールの中で生活しています。

混沌とした実力主義を収めるためには法律が必要で、それはある程度の秩序を守るためにはちゃんと機能していました。

でも、ジャッジには明確な欠点があります。

それはフリースクールを運営していて気付かされました。

✔︎主体的になって欲しいけど、ゲームは1時間までにして欲しい。

✔︎生活は自立して欲しいけど、ジャンクフードは食べないで欲しい。

✔︎居場所は欲しいけど、いつまでもそこに居座って欲しく無い。

大人達は自分達の人生から常に正解不正解を見出し、矛盾した感情が渦巻いていました。簡単に言えば「こっちが正解なんだから道を踏み外すなよ」と、よかれと思って子ども達を見えない力で拘束してしまうんです。

子ども達はわかっています。

もう今までのやり方じゃ楽しく生きられないことに。正解不正解というジャッジの外側に、それぞれの自分らしい生き方があるという本質に。

そろそろ新しい時代の生き方を選びませんか?

“あなたのその考えや生き方もいいよね”

全て自己責任で切り捨てるのではなく、互いの違いを分かり合ったうえで認め合う。白黒ハッキリつけるのではなく、色の移り変わりやグラデーションも楽しむ。それこそが新しい生き方じゃないでしょうか?

「いやいや、理想論でしょ。倫理観わかってない奴はどうすんのよ?だから法律があるんじゃん」というご指摘もあると思います。事実子ども達だけに任せていると排他的になったり、度を超えてしまうことも多々あります。

僕はこの問題を根本から解決できるとしたら“志”を育てることだと考えています。

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何のために生きるのか?

誰のために生きるのか?

どんな社会にしたいのか?

答えの無い問いを自分の内側から探し、心と魂と一致した生き方をする。

法律や常識といった外側からの押さえつけではなく、内側から出てくる志に従って生きる。僕ら日本人はそうやって昔から生きてきたはずです。

個として生きる西洋文化とは違い、和をもって集団の中で生きることを選んできました。島国だからこそ出来る争いの無い世界を、僕ら1人1人が本気になれば創れるはずなんです。

大切なのはリーダーじゃない。

1人1人の当事者意識なんです。

さぁやろうぜ

行政との連携問題

親の費用負担問題

運営側の予算的問題

フリースクールを5年やってきて沢山の課題が見えてきました。まだ全部が解決した訳ではありませんが、出来ることから取り組んできました。僕個人の力なんて本当にちっぽけで、皆様のご協力を頂きながら何とか一つずつクリアしてきました。

そしてやっぱり、この壁が一番大きいのではないかと行き着いたことがあります。

それは“卒業後どうするか?”という課題です。

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フリースクールの実践者達に聞いても僕を含めハッキリと提示できるものが無い。

「本人に任せている」

「何かあったらいつでも相談してね、と伝えている」

みんな頭を悩ませています。

僕も今までは入口をどう広めていくか?ということに頭が一杯で出口にまで考えが及びませんでした。

ただロータスも来年以降続々と卒業する子達が出てきます。現段階では「高卒資格」という装備しかないまま、社会という大海原にいきなり送り出してしまうようなものです。

自分の強みや弱みも知らず

社会とはどういうものかも知らず

働くとかどういうものかも知らない

何も地図や航海する術を身につけないまま海に放り出される。その気持ちはどれだけ不安だろうか。

僕等大人は一部のギフテッド達を見て希望を見出し、「うちの子にも何か特別な才能があるはず‥」と淡い期待を胸に、現状から目を背け続けてきてしまった。

もちろんどんな子にも才能はあります。

でもその才能を探すこともせず、磨くことも怠っていてはどんな素晴らしい才能も埋もれてしまいます。

運良く居場所に出逢えても、途中で通うことが出来なくなった子も含め

実際には沢山の子ども達が行き場所もなく、一日の大半を家で探しています。

本当にこのままでいいのでしょうか?

子どもに罪はありません。

あるとすれば問題の本質に気付きながら有効な対策を打てずにいる我々大人達の方です。

そろそろ本気出しませんか?

“自己責任”で片付ける世の中を終わりにしませんか?

もう個人で頑張る時代は終わりました。みんなが集まって知恵を絞り行動にうつせば何かが変わります。「こうしたらいいじゃん」みたいなアイデアだけは要らない、口先だけなら誰でも好き勝手言えるから。本気で一緒に動いてくれる仲間を探しています。

今自分にできることを精一杯考えて、子ども達の未来のために動く。

これが我々のやるべきことです。

5年前、僕は大地の学校ロータスというフリースクールを立ち上げました。不登校児の受け皿としてではなく、新しい選択肢を作りたかったからです。家にしか居場所のなかった子ども達がロータスに通うようになり、自分らしさを取り戻す。親御さんも大変喜んでくれました

エネルギーが足りなかった子にはエネルギーを充電する場所が必要だし。

エネルギーが有り余っている子には発散できる環境が必要でした。

その点では今のロータスは自分の決めたことを自分達で実行できる自由がある。正に子ども達にとって理想の環境になりました。

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でもフリースクール側は本当にここままでいいのでしょうか?

自由と責任はセット。

勉強しなくても困るのは本人、仮に仕事に就職出来なかったとしても「本人が人生を決めていくものだから」と自己責任として割り切っていいものでしょうか?

もちろん僕は子ども達が自分の足でちゃんと自分の道を歩いていける力があることを信じています。

でも子ども達の自力を信じることと、なんの道も用意せずただ予測不可能な社会に放り出すこととは別問題な気がします。

入り口を作るだけで本当にいいのでしょうか?

“子ども達の力を信じる”という便利な言葉に甘えて、ただ我々大人が環境を整備することを放棄してないか?

本気で日本の教育を変えるというなら、その先の社会まで変える必要があるんじゃないのだろうか。

果たして今まで我々が作り上げてきた社会は

こんなにも純粋で

何にも染まっておらず

優し過ぎる子ども達を

手放しで送り出せるような環境なのだろうか?

ロータス(蓮の花)は汚い水でも綺麗な花を咲かせるようにと想いを込めました。

強くなくてもいい、小さくてもいい。

どうか自分らしく生きれるようになってくれ。

そのために、俺が死ぬまで出来ることをやり続けるから。