Letter from Kyoto (original) (raw)

最近Kindleのマンガがセールだったので、ブラッディーマンデイというのをまとめて読んでいた。少年マガジンで連載されていたらしい。マンガはシーズン3まであって、ドラマ化もされて有名だったらしいのに、なぜか全く知らなかった。連載が2007年からということで、ちょうど自分が一番忙しかった時期と被っている。当時のマンガは読んでいなかったのだろう。

主人公がハッカーで、おそらくネット上では散々こすられたであろうハッキング描写がばんばん出てくる。僕はその方面に疎いから普通に読んでいるけど、それでも知っている言葉がいくつか出てきて、有識者が読むと違和感ありまくりじゃないかなーと変な不安がある。

BLOODY MONDAY【極!単行本シリーズ】

全然別の話題です。自分はちょっと島恐怖症なところがあると思った。島というか、もともと僕に限らず人間には社会から取り残されることに対する不安みたいなのがあると思う。流行を追いかける心理などは、自分が社会と一体になっていることによる安心感が得られるのではないか。

島にいると、その世の中から隔絶されている感じがして、なんか不安がある。人と繋がっていない不安。同期できていない不安みたいなもの。例えば日本は島国だけど大陸が近く、あまり隔絶されている感じがしない。しかし、例えばオーストラリアは他の大陸からかなり離れていて、独自の世界が成り立っており、オーストラリアに住んでいると世間から取り残されている感じがする。

ハワイとかも同じ。だからあまりハワイに住みたいと思わない。観光で行く程度ならいい。もしくは社会と隔絶されて孤独に暮らしたいときはいいと思う。規模が小さかったり、距離が離れていればいるほど不安は大きい。この世界情勢から取り残される浦島太郎のような不安は、単に孤独と言い換えられるのか。

縁があって、SUUMOタウンに書きました。内容は京都の聖護院(地名)に住んでいたときのことで、結婚した2019年から去年の2023年までの4年間の結婚生活と重ねて、聖護院を紹介しています。

以下はSUUMOタウンからこぼれた内容を書き残した。ボツになったというより、テーマや長さの関係であらかじめ省いていた。

続きを読む

まず、この二人をセットにしてしまう程度に興味はないです。よく知りもしない興味ない人間が野次馬根性でいっちょ噛み。というのも、インターネット上はどこもかしこも松本人志の話題で、この話題こんなに盛り上がるんだと驚いている。それもだいたいがアンチ松本で、松本人志が負けとか文春が勝ちとかネット的なヘイト炎上騒ぎとなっている。

「一瞬で嫌いになった」三村マサカズ、オズワルド伊藤ら芸人の“松本人志擁護ポスト”が物議…背景に“テレビ局私物化”への嫌悪感 | Smart FLASH/スマフラ[光文社週刊誌]

R.I.P.松本人志

一方トランプ再選はそこまで盛り上がらなかった印象。カマラ・ハリスが結果的には対抗馬として弱すぎて、トランプ再選の期待高めでそんなに驚きがなかったからだろう。話題としては、アメリカにいる日本人が現地で感じた空気みたいなのをレポートしている内容が人気なのかな。

超保守の白人しかいない田舎、アメリカ北西部のアイダホで暮らした記憶を辿る|あいの

アメリカのキャンパスで見た大統領選の風景|雨のち晴れ晴れ - ハーバード留学記 -

SNSはみんな自分の立場から言いたいことを語るためのダシに使っているだけで、話題そのものには興味ないんだと思います。

ノイジーなトピックなので、以下は有料版で忌憚のない意見を。テレビ全然見ないし政治にも興味がない人間の戯れ言。

住所が変わってからGoogleの情報を更新してなくて、更新したらGoogleアドセンスに「要ご対応: AdSense お支払いアカウントをご確認ください」という表示が出た。

たどっていくと「税務情報を確認するために追加書類が必要です」とのことだった。なにやら「税法上の居住地の証明書」が必要だとか。これ前に出したことあるんだっけ、覚えていない。マイナンバーカードの画像をアップロードしたら却下された。ネットで調べてみたら、同じ手続きをやってる人の例がたくさん出てきた。税務署に行って出してもらう証明書が必要らしい。米国用とシンガポール用の2枚いるとか。

とりあえず手続きしようと思って国税庁のページから雛形を探す。居住者証明書交付請求書・居住者証明書というやつだった。

No.9210 居住者証明書の請求|国税庁

入力用PDFというのがあるが、日本語がろくに入力できない。一部の漢字がなかったりする。印刷してみても文字化けする。しかたなく英字部分のみ入力して印刷して、日本語部分は手書きすることにした。

これが、実は2部ずつ必要だった。米国用とシンガポール用で計4枚もいる。本当にそうなのか?まだわからないままやっている。でもそれと知らずに1部だけ印刷して記入して税務署へ持っていった。

税務署の窓口で、「2部いります」と言われた。コピーしてもらえないですか?と聞いたがここではできなかった。近くのローソンへ行ったら、閉店していた。移転するらしい。仕方なく遠い方のコンビニであるファミリーマートへ。まさか、こんな日に限ってコピー機でおじいちゃんが一枚一枚ゆっくりコピーしており、行列ができている。しばらく待つ。自分の番が来て、コピーして税務署まで歩いた。

税務署で提出すると、「発行は明日以降になります」と言われた。まさかの当日中にできなかった。同じ区内とはいえ税務署はけっこう遠いのに、また来ないといけない。Googleの更新手続きはまだ終わっていない。Googleアドセンスなんてもう全然お金入ってこないから、このタイミングでやめてよかったな。

PayPayフリマってアプリがかつてあり、今はYahoo!フリマと名前を変えているけれど、今まで数回利用したことがある。主にSwitchのゲームを買うとき。

Yahoo!フリマは頻繁にクーポンがもらえるから、買いたい物があれば安く買えるんだけど、メルカリほどユーザーが多くないからなかなか出品されていない。今日たまたま開いたら2,000円引きのクーポンがあって、期限は明日までなので使おうと思っても、とにかく買いたいものが出品されていない。何かないのか、もったいない、全然ない、欲しいものリストを片っ端から検索しても、何も出てこない。もうちょい利用者が多ければなー

Yahoo!フリマ(旧PayPayフリマ)

積読に対しては、どっちつかずな思いがあり賛成意見と反対意見と両方ある。

賛成意見

反対意見

本は「読んでなんぼ」だと思っているから、インテリアにはしたくない。置いて見せびらかせるために本を積むのは、それは演奏されない楽器を飾っているようで、あまりにもったいない。

読んでない本を積むことで「経済を回してる」とかそういう言い訳もしたくない。本当は読みたいけど追いついてないだけ、もしくは買って満足して手をつけていないだけで、経済なんか自分個人には関係ない。それでもまた買うこと正当化するために、経済とかを言い訳にはしたくない。自分は本がほしい欲望に負けている。経済を回すために本を買うなんて詭弁だ。

新しく買うにしても、手元にある一冊を読み終えてから買えばいいのに、つい本屋に立ち寄っては購入してしまう。読むより買うほうが簡単で早いから、本棚の本はどんどん増えていく。

ただその反面、僕の性格上開き直るのはありだと思っている。積んで何が悪いんだ、と。悪くはない。それでは、何が問題なんだ?と自らに問いかけてみる。すると何か問題があるわけではないことに気づく。ただ「読まねば」と思っているだけ、読み終える前に次々買うことに後ろめたさを感じているだけ。まるで料理を注文だけして、食べずに次を注文するかのように。幸い本は腐らないし、その場で食べきらないといけない制約もない。

本は読むためのものだけど、本を買って読むかどうかは買った人が選べる。読まずに積むことについて、自分の中でどう気持ちの落とし所をつけるか。つけてしまえば、あれこれ思いを巡らせることはない。つかないままでいると、僕みたいに読み終えてもいない状態でまた本を買い足すことに後ろめたさを感じることを繰り返す。

最近は村上春樹の「若い読者のための短編小説案内」を読んでいて、村上春樹の読書量に圧倒されている。日本の小説はあまり読んでいないと思っていたのに、めちゃくちゃ読んでるなー。自分もせめて買った本ぐらい読まないとなーという気持ちが高まる。でも最近は本を読み出すと眠くなって全然進まない。

今週のお題「秋服」

体型が変わったこともあり、着る服が変わってきた。5年ぐらい前までは、春秋はだいたいシャツを来ていた。白い無地のボタンダウンのシャツ。少し寒くなるとその上にカーディガンを着るとか、ベストを着るとか、セーターを着るとか、そういうなんていうか、オーソドックスな格好をしていたと思う。下はチノパンで、とか。昔はガリガリだったんで、体型通りの服が合っていたんだと思う。今もシャツは一応あるけど、もう長らく追加で買っていない。

今はゆったりした、雑な格好をするようになった。秋の今だと日常的にパーカとか着ている。40を越えてパーカを普段着にするなんて、15年前の自分は思ってなかった。パーカとかデニムとか、そういう服装は大学とともに卒業するもんだと思っていたから。20代の頃は、普段着でも社会人らしい、大人らしい格好を試行していた。背広にスラックスに革靴とか?今はぜんぜんそういうのは着なくなった。必要に応じて季節ごとに一着持っているぐらい。スーツさえ今は一着しかない。

パーカもフードがいらないときがあって、去年にスウェットを買い足して着るようになった。サイズは大きく、生地は柔らかく、軽い。楽な方へ楽な方へと流れている。服屋のおじさんもそういう傾向があるって言っていた。自分の世代の客層か、それとも年齢に関係なくそういう傾向があるのかはわからない。とにかくどの季節においても、着ているだけで疲れる服は着れなくなった。

自分はもうあまり履かなくなったけど、革靴を履くのとかつらい。今はローテクスニーカーさえつらいと思うようになった。夏はサンダル、それ以外の季節はハイテクスニーカーで足を甘やかしている。

やっと地面師を見始めている。すごい雑な、ジャンクフード的なドラマだった。コブラ会みたいなコメディ色はあまりなく、どちらかというと真面目な乗りでやっている。普段見ないタイプのドラマだけど、なんとなくで最後まで見られそう。

映画シビル・ウォーを見て、アトロクの映画評で名前が出ていた同じ監督の「デヴス」が気になった。1話見てみて、なんなんだろうこれ。シビル・ウォーとは全然違う。SFなんだろうけど同時に神秘的というか宗教色というかスピリチュアルな感じ。こっちはちょっと見ないかな。

「少年インザフッド」というマンガの1巻を読んだ。30年前のHIPHOP文化と今を行ったり来たりするマンガ?なのかな。雑誌SPAで連載している。表紙のカセットプレーヤーが気になって手に取った。表紙になっているPanasonicのShockwave というカセットウォークマンは、当時HIPHOPヘッズの間で人気だったそうな。HIPHOPが当初カセットのミックステープで広まったこともあってか。僕はHIPHOPあまり聞かないから知らない。マンガはうんちくがたくさんあっておもしろいと思う。

少年イン・ザ・フッド(1) (SPA!コミックス)

表向きの意見としては「思ってても言うな」かなー。言わなくていいことを言わなくていい相手に言うのはなんだろう。衝動を抑えられないのか、そこまで考えてないか。面と向かって相手にキモいって言うのはけっこうなリスクだと思うんだけど、それを認識してないだけかもしれない。守られてきたのか。

以下は自分の個人的な意見で、不快な人もいると思うから有料にします。言葉は選ぶつもりだけど、ポジティブな意見ではないから。表で言わずに陰口言うなんて、よりたちが悪いですね。

少し前のこれを読んで。

自分の場合バックパッカーとかワーホリとか海外ボランティアとかがこれに該当して、20代でもよかったけど40以降は厳しいかなと思う。

ここに書かれているような習慣とかコミュニティとかは全然ない。40を越えた今、これらがあると良かったとも必要ともあまり感じない。多分人間のタイプで必要としていることも欲していることも違うのだろう。それ以外は仕事に関する内容っぽくて、エンジニアではない自分にはあまり関係なかった。

ここに書かれていないことで、他に何があるかなーと思ったけど、投資だった。投資の失敗と成功を30代のうちに経験しておいてよかった。これも30代と言わず早ければ早いほどいい。

自分の場合、35歳頃に最初に買ったのが大失敗して、その後買ったのがまあまあいい結果になって、でも売り時を失敗して損はしなかったけどまあまあ止まりで、他にも失敗したり順調だったりで、自分はあんまり向いていないというか、うまくやれないというか、そういう情熱も持てないなーと思った。結局は今年新NISAのタイミングでインデックス中心に切り替えた。このへんを一通り経験した上での帰結は、まあ自分的にはよかったんじゃないか。時期的な運もあった。

30代のうちにやったことってそれぐらいかな。他に何かあっても、40代以降でもよかっただろうってことばかり。むしろ40以降になって健康に気をつけだしたりとかはある。

アメリカの内戦を描いた映画、ぐらいの前知識で見に行った。でもこれは架空のアメリカ内戦を舞台にしているだけで、描かれている内容はほぼ報道写真家、記者の仕事だった。戦場でどんなふうに取材しているのか、どういう心持ちで現場にいるのか、初めはどうだったか、この仕事を続けるうちにどうなるのか。だから架空のアメリカ内戦が舞台であっても、その心情だったり仕事ぶりはかなり真に迫るものがあった。映画だからドラマチックな展開もあるけど、ジャーナリストを褒め称えるような作りにはしていない。そのまま描いている感じ。

この映画が、今現実に起こっているパレスチナやウクライナを舞台にしていたら、おそらく見ていない人が大勢いたと思う。関係ないところで日々を生きる我々には、現実は重すぎて受け止められない。他人のふりをしておきたい。フィクションだから見れる、受け止められることがあった。このアメリカ本土が戦場になっている映画を見て、やはり日本が戦場になったらということを考える。隣人が敵になり、市政の人がバンバン人を殺すようになり、兵士も民間人もただの数になり、崩壊した日常は遠い昔になる。僕らが経験した緊急事態としてはコロナ禍があったけど、あれも医療現場にいない僕たちにとっては実態の見えない緩やかな不安だった。

今現実に起こっている戦場にいる人は、この映画よりもっと悲惨だろう。ジャーナリストにとっては仕事の現場であり、常に身近にある出来事だろう。舞台が他国であろうと自国であろうと、やる仕事も同じ。一時期僕は、報道写真をたくさん見ていた。ジャーナリストの書いた本を読んだり、ジャーナリストについて書かれた記事を読んだりもしたことがある。僕にはこの仕事はできないなーとつくづく思った。すぐにメンタルが壊れる。この映画でもけっこうそういうところが描かれている。今まさに死にゆく人を見すぎて、それを淡々と撮ることに浸かりすぎてノイローゼになる人、躁鬱、気を紛らわすための酒タバコマリファナ。この映画を見た感想として「この仕事できないなー」が真っ先に思い浮かんだ。こういうのが日常だったら、やっていける気がしない。平穏に暮らしたい。

同時に、報道写真的な画作りが美しくて見やすかった。報道写真が好きな人は、この映画全体が報道写真っぽいから好きになるんじゃないか。

主演はキルスティン・ダンストで、主人公の報道写真家を演じている。若い頃にスパイダーマンのヒロインしか見てなかったから、こんな役やるんだ。常に疲れ切った顔をしている。夫婦で出演しており、夫のジェシー・プレモンスはまたすごい役で出ている。マジで怖い。

同行する男性ジャーナリスト役をやっているヴァグネル・モウラ、どっかで見た顔だと思ったら、ナルコスのパブロ・エスコバルだった。こちらも役柄は全然違う。当然だけどこの映画ではマフィアのボスの怖さは全くなく、いわゆるステレオタイプなイカれた戦場ジャーナリストを演じている。

有料記事ったら普通、金銭的価値があると見込める情報に値段をつけるもんだろう。お金を払わないとたどり着けないお得情報とか裏情報的なやつとか、読む人が何かプラスになる内容を書くのが相場だと思う。ノウハウとか情報商材とかゴシップとか?僕にはそういう持ち合わせはないし、ここがそういう話をする場でもない。

ただ最近は新聞社だったり雑誌のWebサイトで、過去記事が有料になっていることも多い。序盤が少し読めて記事全体がどんな内容か大まかにわかったあたりから半分透明になり「ここから先は有料」となる。あれってみんなお金払って読んでるの?僕は「ここから先」が来たらだいたいそっ閉じする。でもその「ここから先」が気になる人はお金を払って読み、そうでない人は閉じる。それだけのことだった。

つまり「ここから先」に書かれている情報に価値があるとかないとかは、あまり関係なかった。それは読む人が自ら判断することで、例えほとんどの人がそっ閉じする内容でも、誰か一人が読むならそれが有料コンテンツであったって構わない。もっと言えば、誰も読まなくたっていい。人に見せたい内容ではなく、隠したいことを有料化してしまえばいい。

何でそんなものをわざわざ書いたんだ、書くんだってことになる。人に読ませたくないものを、わざわざ有料にして公開する意味は?うーんそれはまず第一に、大多数に読まれたくないっていうことがあるだろう。全く誰にも読まれたくないわけではなく、人目につきたくない。僕はこれまで特に炎上を心配することはなかったけど、過去に通報されて広告が止まったことはあった。それでいくつかの日記は削除している。

当時は何も気にせず自由に書いていた。でも通報とか広告の停止とか記事の削除とかそういうのがあると、正直めんどくさい。かといって規約違反になるような内容は有料記事でもアウトだから、そんなことを有料で書こうと思っているわけではない。ただ人目につかないところで書くことは、それなりに意味があるということを知った。

第二に、一応表向きの顔みたいなものを繕いたくなってきた。現実の知り合いにも、たまにここを教えることがある。ここでは恥ずかしい内容を大っぴらに公開していて、そういうのが対外的に許されない時代になった気がする。それこそ10年前は全く気にしてなかったけど、今は「そういうのは裏でやってますよ」という体に一応しておきたい。ここを訪れる大多数の人は、お金払ってまで裏の顔なんて見たいと思わないだろう。一部の人に興味持って読んでもらったら、それはそれで「これは裏話か」という暗黙の了解ができる気がする。

第三に、今の世の中は建前上とにかくポジティブなことしか求められていない気がする。だからネガティブな話はとにかく全部隠れてやるのが正解なんじゃないの?と思った。ネガティブな話はどんどん裏へ裏へと追いやられているのが現実ではないですか?今僕はてきとうなこと言ってます。

まあでも別にそんなことは、どうだっていいか。というわけで僕は有料記事に有料のコンテンツを提供しているっていう自覚はない。そこに特別なサービスとか価値ある情報はないと思う。結局有料記事に何を書こうか。これまで試しに4つぐらい書いた。

有料 カテゴリーの記事一覧 - Letter from Kyoto

今んところ全部愚痴ですね。愚痴とかも確かに大っぴらに書くことが憚られる内容だから、今のところそれでいいのかもしれない。まだ使い始めなので、メタ有料記事なことをまた書くかもしれないです。

以下は短いけど、僕が有料で何書くかヒントになったきっかけを有料で残しておきます。サブスク入ってもらってる方は都度課金とか気にせず読めます。サブスクは年間500円なので、1記事ずつ買うよりトータル安あがりです。

今はてな匿名ダイアリーで頑張って書かれてるシリーズ。

ざっと見た感想では、雑誌知ってなくても読んでるマンガ、読んでないけどさすがに知ってるマンガが多かった。美味しんぼがスピリッツとか意識したことなかった。ここで挙がっている作品については、作品の個性が強すぎて雑誌のカラーがあってないような気がする。でもアフタヌーンはアフタヌーンで、コロコロはコロコロか。他誌では載らない。

この中ではヤンマガが一番馴染みが深い。アキラ稲中攻殻カイジ、全部読んでる。そう思うとヤンマガ世代なのかな。ヤンマガ的猥雑さが性に合っている気がする。

アガサ・クリスティーが別の名義で書いた純文学「春にして君を離れ」を読み始めた。ただ既にネタバレというか奥さんが先にAudibleで聞いており、内容知ったうえで読んでいる。前回の有料回に書いたような暴走母親問題というのは、古今東西であるあるらしい。奥さんいわく、これは作者の近くにこういう人がいて、作者の願望を書いているんじゃないかという読みだった。

春にして君を離れ (クリスティー文庫)

韓国の人にサヌリム(Sanulrim, 산울림)という70年代のロックバンドを教えてもらった。検索してみたけど日本語の情報が全然なかった。なんかちょっと珍しい感じというか、まあでも強いて言えばビートルズっぽい。ジャンルの広さとか。

昨日から母と大揉めして、はらわたが煮えくり返り、ストレスで食欲がなくなりお腹もくだしている。家庭のつまらない愚痴です。荷下ろしをしたくて書きました。あまりにもどうでもいいことなので有料です。それでも読んでくれる方、ありがとうございます。

前置き

今話題になっている話の発端は、2024年のノーベル文学賞を韓国の作家ハン・ガンが受賞したことだったかな。僕はハン・ガンは読んだことないけど、名前は知っていた。Wikipediaを読んでみたら長いこと小説書かれているみたいだ。親も作家だとか。

韓江 (小説家) - Wikipedia)

で、なんで話題が村上春樹に飛び火したかというと、ノーベル文学賞の発表のたびに村上春樹が受賞するかどうか話題になるから。確か「海辺のカフカ」でフランツ・カフカ賞とかエルサレム賞とか獲って、1Q84でもカタルーニャ賞を獲ってノーベル賞候補と噂されるようになり、それから10年以上続いている。大手メディアまでもが毎年「受賞ならず!」とか記事を書いているこの空気のほうが、僕はよほど気持ち悪いと思うんですけど。

とにかく村上春樹が10年以上候補に挙がりつつ、なんで獲れないのかみたいな流れから?か知らないけど、今年受賞したのは韓国人女性だし、女性が描けていない村上春樹にはもうこの先受賞は無理な世相に変わってきたんじゃないか、みたいな話になってるのかな。なんとなくそうじゃないかな。全部を追っかけてるわけじゃなんで、違ったら教えてください。

本題

村上春樹の小説キモい論争について、僕は自分のタイムラインに流れてきたリツイートと、Togetter でまとめられたものしか見ていない。今んところここがまとまっているのだろう。今まで村上春樹ネタで散々いじってきたんで、多少触れておこうと思った。

読んでみて、うーん好みでしかないやろ!同じくキモい作家として森鴎外、川端康成、大江健三郎が挙がっていてそのうち二人がノーベル賞作家なあたり、今回のノーベル賞の文脈とは関係なかったのか?時代が変わったって言いたかったのか?

好みなんで、好き嫌いはあると思う。嫌いなもんを嫌いって言うのも全然構わないと思う。巨人の文句言ってる他球団ファンと同じかな。それ以上のものではなかった。

あと村上春樹はいつもずっと批判され続けてきたイメージで、褒めてんのは外国人とファンぐらいで「キモいって言えない空気」は微塵も感じなかった。まあ、強いて言えば大の大人が嫌いな作品見つけて「キモい」とか公言してるのは人としてどうなの…という空気は今もずっと変わらずあると思う。モラルに欠けている。それを「村上小説キモいと言えない空気」と読み違えたのかな?!

このTogetter まとめもどちらかと言うと「村上春樹キモい論調」に乗っかる形ではなく、キモいと言ってる人を批判する方向でまとめられていた。

いまさら過ぎる村上春樹批判を「これまで言い出せなかった」とする感覚がまず意味不明だし、その根拠が「キモい」という生理的嫌悪感って文筆を生業にする者としてのプライドがないのかね。その"キモさ"の正体を詳らかにして伝えるのが仕事だろうがよ。

— 八月 (@8th_month) 2024年10月11日

村上春樹のキモさよりも、「自分がキモいと感じるものすら一人でキモがれない人」の精神性のほうがキモくて、村上春樹のキモさが薄まってるな

— プロ奢ラレヤー🍣 (@taichinakaj) 2024年10月11日

この辺の指摘が的確だと思った。内容として正直、あまり触れるほどのことではなかったです。もうちょっと中身のある話かと思った。こんな程度の低い釣りネタに引っかかった俺がクマ。