linliu’s diary (original) (raw)

今、わたしの家の中は、子育て真っ盛りの風情。
リビングには、ジャングルジム、こどもキッチン(流し付き)、立ち入り禁止用・柵、動物クッション、、、
和室には、紙で出来た大きなお家、どっさりオモチャ、絵本、ぬいぐるみ、、、
インナーテラスには、野球盤ゲーム、、、

初めて孫ができてから、もう10年になるのに、まだこんなかんじ。
下はまだ2歳。さらに次女のところに1歳。
いつになったら、大人っぽい落ち着いた暮らしが出来るのやら。
とは言いつつ、賑やかな家になって、楽しんでいるのだが。
これが毎日だと、髪の毛を振り乱して疲れた顔をしていそうだが、週に2回だから、楽しみを味わえる頻度、距離感となっている。
ではあるものの、親抜きで、子供だけ4人同時に食事やその他の世話をすると、優しい声も維持できなくなる。
子供だけも疲れるが、やがて親が帰ってきて夕食となると、これまた、結構大人用夕食はめんどくさい。
8人分、用意するが、自分の分は食べる気がせず、翌日に回したり、孫が食べてしまったり。
世の中の、孫の世話をしているおばあちゃん、おじいちゃん、頭が下がります。
ご苦労様です。

娘婿(長女の夫)のご両親は、日頃、ひっそりシニア2人暮らしのところを、一度に6人が帰省して泊まられると、さすがに疲労困憊のようす。
お互いに疲れるため、一泊だけ、ということにしているようだ。
その前後に、娘一家は旅館に宿泊して旅気分を満喫。
お互いの精神衛生上、良い。

と、皆さまには他人の家庭など、どうでもよいとは思うものの、わたしのおしゃべりは続く。

ある人気ブログ。ブロガーさんは団塊世代シニア。
夫婦円満の極意を紹介されている。
生まれも育ちも違う二人が夫婦になったのだから、意見や感覚の相違はある。
お互いにそれを踏まえて理解して接し合おうとのこと。
シニアになってから卒婚を言い渡された妻や夫もいて、家庭内別居を余儀なくされているとか。
昔は夫の言うままに、白でも黒と言わされた妻。
「はい」を強制された。
今もそんな国がある。
21世紀の時代に、なんと恐ろしいことか。

しかし、今も自分の考えに同調させたがる男性は確実に存在する。
同じような女性もいる?(あまり知らないが)
わたしの知っている男性のほぼほぼ100%は、自分の意見を押し通そうとする。
たまたまなのか?
それとも、わたしがなんでもハイハイと頷くタイプだったからなのか?
従わせやすい?

男性を立てる女性など、今時シーラカンスかも知れない。
自分に力がないから、奥の手を使っているのかも知れない。
わたしは、超超超、時代遅れの女性である。
たまたま生まれつきの性質なのか、環境のせいなのか、はたまた生きる知恵なのか。
いずれにしても、時代錯誤感があるのは否めない。
男性というものは立ててこそ力を発揮する。
が、踏みつけられても力を発揮する。
どっちみち、力を発揮する。

夫はわたしのことを「おかあさん」と呼ぶ。
は?
わたしには、こんな歳上の息子はいませんが。
子供にとって、おかあさんは母親である。
夫にとって、おかあさんはわたしではなく、姑(故人)である。
いったい、いつまでわたしは、おかあさんなのだ?

娘たちには、わたしは、おかあさんと呼ばれる。
わたしは娘たちの母親なので、ツジツマが合う。
死ぬまで、いや、死んでからも、わたしは、生物的な遺伝子関係は、子供たちのおかあさんである。
にもかかわらず、、、
なんでわたしが、夫に「おかあさん」と呼ばれなければならない?

よく街で、そこのおにいさん、おねえさん、という声を聞く。
当然、姉妹でも、兄弟でもないのはわかった上での、若い人に対する呼びかけ総称のようなもの醫學美容
おとうさん、ご主人、おかあさん、奥さん、と、お店などではお客さんに対して呼ばれているのを聞く。
ある程度の年齢になると、そう呼ばれる。
おじいちゃん、おばあちゃん、という声もあるが、おじいさん、おばあさん、とは街ではあまり呼ばれないように感じる。

小さい子供に呼びかける時は、ぼく、わたし、なんていう声もある。
名前がわからないので、年齢、性別から見た呼びかけの一般的名称だ。

ちなみに、わたしは、大手チェーンのダ◯コク薬局の老薬剤師さんに、「奥さん」と呼ばれる。
難はないが、独身の可能性もあるのに水光针

話を戻す。
一般的な場合は置いておいて、
自分の家庭で自分の夫に、おかあさんと呼ばれるのに違和感がある。
「違和感」という、意識的にトゲがない表現にしている。
本音としては「不快感」である。
もうとっくに、おかあさんの役割は終わっている。
どうしても家庭のポジションを表現したいなら、おばあさん、である。
だが、夫に、おばあさん、と言われるとその瞬間、わたしのアタマから湯気が出る。
誰が、おばあさんやねん!!
あきらかに因縁、イチャモン、筋の通らないクレームである。
じゃあ、なんと呼べばよい?

最近、おかあさん、と呼ばれた後の、わたしの不機嫌ぶりに恐れをなして、夫はその場だけ別の呼び方にするが、時間が経つとまた、おかあさんになっている。
まったく学習能力がない。
その度に不機嫌、不愉快、嫌な気持ちになる。

おかあさん、が、なぜ、そんなに嫌なのか。
時代が変わり、役割も変わり、状況も気持ちも変わっているのに、全く厭わず、考え方を更新しない姿勢にムカつく。
変わらないのは貴方だけ超聲波掃描
普遍のものには、不動だと信じて疑わないのだろうけれど。
貴方だけがそう思っている。
貴方以外は、どんどん変わっている。

良いものが変わらないのはウェルカムだし、試行錯誤を重ねて改善されるのは結構なことである。
だが、時代や周りに対応出来ないカチンコチン石アタマだったりすると、柔軟性の無さにヘキヘキする。
家族は、石アタマを石として扱う。

暑い最中(さなか)、お出かけ。
なんと、アポは太陽が頭の上からジリジリと威圧してくる、真昼間の12:00。
終わるのが13:00。
最も暑い時間帯、、、は良いにしても(良くないが)1日の、ど真ん中に予定が入ると、あとが空白の場合、ものすごいタイムロス。
あちこち、銀行回りを入れたり、時間を少しでも有効に使おう頑張ったが、14:20過ぎには用事が終わってしまった。
都会のアスファルト・ジャングルは、太陽の照り返しが強く、むわぁ〜んとしていた。
仲間と涼しいカフェで、かき氷でも食べて、さらにお茶も追加して、エキサイトすれば一石二鳥なのだろうけれどCEF 課程、、、。
いつものごとく、お一人様。
わたしは1人で、カフェには入らないタイプ。
それなら、いち早く家に帰って、ホームウエアで、のんびりしたい。
ただし、ごろ寝は、しない。
(眠くなることもあるが)

ごろ寝をしない、その大きな理由の一つは、ダニ。
最近、ダニが出現している。
ついにやってきた、宿敵。
毎年、夏になると、悩まされる。
どこにも安易に寝転べない。
巷にはダニ退治薬品やグッズ製品、色んな種類が、売られている。
ダニに悩まされるのはウチだけではないようだ。
ダニが出ない季節は、いたって平和だ。
全然、噛まれない。
夏になると、蚊の被害など、ほんのカワイイもので、ダニは強烈。
痒さが強烈。
しかも、いつまでも、強い痒みが続く。

ちなみに、涼しくて気持ちいい電車、命の洗濯タイムが、終わる。
次の駅で降りなければならない。
まだ、外は灼熱地獄。
図書館に行こうにも、行き帰りが暑いので、足が鈍る。
地元エリアの銀行、第二弾で、お茶を濁して、帰ろう。
おそらく、商業施設には、エアコン涼み客(お金にならない)が、結構いるだろう。
店に入ってお客はお金を落とさなければ、お店もエアコン代はバカにならない入伙前清潔

自宅最寄り駅で、気持ちいいクールエアコンとサヨナラして電車を降りた。
地元商業施設で時計の電池を入れ換えてもらう間に、本屋さんでブラブラして待ち時間を潰した。
池上彰氏の色々な本がたくさん発刊されていた。
彼はTVでも引っ張りだこ、超人的に時の人、売れっ子のようだ。
他の著者の本も、良いことがいっぱい書かれていて、読めば賢くなりそうだが、タイトルと紹介文だけ読んだら全巻読んだ気になった。
というより、多分、集中力がなくて教養本は読めない。
他の作家?の「文章はカタチから入れ」みたいな本もあり、パラパラと目次を見て、もうやめた。
良い文章の書き方、指南書だが、ビジネスの企画書ならいざ知らず、、、、、
文章ぐらい、優秀なお手本に囚われず、好きに書きたい。
「頭の良い人の説明は、なぜわかりやすいか?」のような本もあり、ざざざざーっと粗っぽく要所のみ読んだが、どうやら、わたしの真逆をすればよいようだ。
わたしは、悪い見本。反面教師。
わかってはいたが、、、いつも同じ結論に辿り着く。
わたしは、アタマが良くない。
血の巡りが悪い。
ところどころ、詰まっていると思われる。
一気に流れることもあるので、それはそれでよいのか悪いのか、振り回される。

とウロウロタイムを経過し、時計の電池交換は無事済んだ。
性格の良さげな好感度の高いスタッフさんではあるが、時計(電池交換)技術には若干の不安が残るものの。

・・・小学生蝶日記は書き出すと全部書かないと止まらない。
で、バスに揺られて自宅に到着したが、それからが、一仕事。
ダニ退治!
今夜、噛まれないように必死である。
直近に(たぶん昨夜)噛まれた噛み跡が、あまりにも痒くて、何が何でもダニを阻止しなければ。
全力で頑張った。
(「全力」をイージーに多用、使い過ぎか澳洲買樓?)

「忖度」抜きで書く。
元々少ないブログ閲覧数なので、あまり気にしない。
というか、それがかえって好きなことが書けてよい。(→「負け惜しみ」を美化、昇華)

益々、人は遠ざかることを承知で書く。
(何度も念押し、しつこい、うるさい)

さて。
自分へのお清めの塩を撒いたところで、スタート皮秒祛斑

長く知っている、ある人Aさん。
知的好奇心は、ほぼゼロ。
(動物本能的好奇心は旺盛)
深い思考力は、皆無。
単純、単細胞。
決して悪い人ではない。
世の中には、ズル賢い悪人は山のようにいる。
かくいうAさんも、時にはズル賢く立ち回り、損を最小限に食い止めることもある。
ある意味、防衛本能である。
が、根は正直な人物。

知的好奇心が無いのは、決して悪いことではない。
知的な面での話題を出さなければよいだけ。
小学生の孫と接しているかんじか。
ただ、小学生はまだ未完成で伸び代があり、将来、未来がある。
人によってはそのまま、あまり変わらず成人するかも知れないが。

知性や思考力があるからといって、なんの役にも立たないことがある事後避孕藥
科学者や研究者、政治家、などなど世の中の役に立ったり、実践に活かすなら効果があるが、ただ、頭の中だけで思っているだけでは、思っていないのと同じ。
逆に、リーダーが流れを悪い方向に導く場合もある。

知性や思考力はないが、その代わりに情熱がある、という人もいる。
優しくて、人情家で、力持ちである。
人が良い。
悪知恵などを働かせるかも知れないような知識や思考力は、いっそ無い方が潔癖でいられる。

ちなみに、この度の静岡県知事の職業差別発言で、知事は自らの職を辞することになった。
職業に高度や低度なんて、ねえ、、、。
シンクタンク、県庁職員がプライドを持って職務に取り組むのは結構なことである、、、にしても。
人材が全員シンクタンク系ばかりでは、作業をする人をどう動かすのか。
誰も作業しなくなったら、どうするのか。
リスペクトし合う協働の精神がなければ、うまくいかない。

先日、公民館のトイレ掃除の男性が、トイレ掃除現場で仕事仲間に、思いっきり仕事の愚痴、不満を言っていた。
わかるけれど前列腺超聲波、、、あんなに不満を募らせて仕事をしていたら、やる気はもちろん、充実感、達成感もないだろう。
好きでやっているのではないのは、わかるが。
愚痴の矛先は、行政のお偉方に向けられていた。
市役所や県庁の方々、、、間に挟まれて大変だろうけれど。

話は戻る。
この、わたしの嫁ぎ先のご先祖さまは、全員実家の墓に入れるわけではない。
直系血族のみ。
傍系は入れない加拿大救生艇計劃
これ、すごくない?
(そういう宗派の考え方、ルールらしい)
傍系が結婚すると、独立して墓リザーブ席からも出て行く。
跡継ぎ以外は、墓に入っている人々は、成人する前や若い頃、亡くなった人ばかり。
未婚のまま独身の成人の人は見当たらなかったが、なんらかの流れで出て行ったのだろう。
あるいは、傍系は全員結婚して出て行った?
血が繋がっていなくても、跡継ぎ養子や嫁は墓に入っている。
不思議。

まあそういう「この世」と「あの世」を繋ぐものが墓なのか?
過去と現在を繋ぐもの葡萄牙黃金簽證
宗派によっては形式は全く違うだろうけれど、世界中を見ると、亡くなった人には冥福を祈り、祈りを捧げる。
細かい形は、それぞれだろう。

しかし人を生かすも殺すも宗教。
扱いを間違えると悲劇が起こる。

嫁、墓、宗教。
昔は一直線に切っても切れなかったが、今は隔世の感。
結婚しない。
結婚の意味を問われる。

新興宗教もあるし、いつの世も、人のこころは浮遊し彷徨うようだuche lihkg

ある企業が恋愛マッチングアプリを福利厚生の一つとして社員が利用できるように整備している。
お付き合いが始まり、いい線に行くと、デートの誘い方や告白タイミングをAIがサポートしてくれる。
今、出生率や結婚する人はどんどん落ち込んでいる。
時代の流れか。

それにしても、マッチングアプリ、面白い。
一昔前は、世話焼き人のような人が親戚や職場にいて、お見合いを薦めてきた香港移民
今は、マッチングアプリに変わっただけ。
広い人材から忖度なしに選べるのかも知れないが、リアル社会での評判などが人づてに聞こえてこないから、ちょっと怖い。
だが、周りから太鼓判を押されたオススメの人だとしても結婚してみたら、あらまあ、なに?これ?
と落胆するケースも多々ある。

(ちなみに、一昨日、映画「マッチング」を観た。
予想外の展開で、居眠りするヒマがなかった)

昨夜、夫と、企業マッチングアプリのニュースをTVで一緒に見ていた。
わたしは、「面白いね」と、ニュースの最初と最後に言った。
夫は終始、無言。
全く目にも耳に入っていないと思う抖音代理商
仮に認識していたとしても、変な感想を言って妻の逆鱗に触れるのは避けたいため、知らん顔を演じる、、、なんていうような高等テクニックは絶対に駆使しない。
めんどくさいタイプ。
正真正銘、アタマと目と耳を素通りしている。

今の人は、結婚したいと思わなくなったようだ。
片親で子供を育てるのは大変なので、結婚せずに子供を産む人も少なくなり出生率は低下する。
正確には結婚したいとは思うものの、結婚したいと思えるような相手がいない。
経済的に自立していたり、家事が出来たり、社会制度が整ったりサポートしてくれたりすると、何が何でも結婚に生活を託さなければならない状態は脱しているMedilase 脫毛

すでに結婚してしまっている人(既婚)は、あえて現状をほじくらない。
火に油を注ぐような事態を招く可能性があるなら、そっとしておく。
今更、波風を立てても誰も喜ばない。
どうしても改善しなければ崩壊、破綻する場合は別として。

いつも一緒に運動をしている、体育会系仲間が一過性の病気になった。流行病。
で、運動の場に引っ張り出されなくなり、あまりにも退屈。
この酷暑の中、不要不急の外出は避けてください、とニュースの声機械臂微創前列腺癌根治手術
ウォーキングなど、とんでもない。
自宅でもエアコンをつけてください、と、キャスターの声。
今月の電気代に戦々恐々としている人は少なくないだろう。

さて、トップ画像。
退屈すぎて、戸棚から引っ張り出してきた。
姑の本。百人一首、漫画版。
すごく面白い。
でも、読むのは1日3首にしておこう。
著者は2人いて、1人はわたしより一歳、上。
子供向けに書いたところ、好評だったそうだ。
もう1人は、手塚治虫氏に指導を受けたという漫画担当で、わたしと同じ歳。
同級生が書いているようなノリ。
かなり優秀な同級生ではあるが磁力共振 價錢

もう一冊は、舅の本。橋のない川
昭和44年26刷、定価350円のハードカバー装本。
夫の実家で発見して以来、読もう読もうと思いながら手付かずになっていた。
持ち帰って来ていたのも、20年ぐらい前かも知れない。
紙の色はもはやキナリ、ベージュになっている。
まだ3ページしか読んでいない。
読む本を2冊、机の上に用意すると、なんだか安心する。

舅は文学全集をズラリ揃えていて、次女が学生時代、興味を抱いて何冊か、うちまで持ち帰ってきた。
それは、立派な装丁ではなく、紙が劣化してパラパラめくると粉粉になって散ってしまうのではないかと思うほどのもの。
紙は、耐久性が低い。
驚くべきことは、文学全集と舅が結びつかないこと。
舅は文学青年の片鱗もない。カケラもない。
見事、昇華したのだろう(と思いたい)。
晩年、NHK趣味の園芸」のテキストを見ると、それらしい好みが窺い知れる。
人間って、変わるものだ。

わたしの父は割合、書くことが好きだ。
文学より自作。
晩年は、時間の隙間を見つけて1人で映画を見に行っていた。
(生涯現役のため、オフタイムがとても少なかった)
わたしは父に似ているかも知れない。(文章を書く意味では)
兄も寄稿を頼まれると嫌いではなさそうだ。

父のこころに残る言葉。
「自分から自慢アナウンスしなくても、周りが自然に知る」
背伸びしたり見栄を張っても、いずれバレる。
逆に、何も言わなくても見ている人は見ている。
自慢したくて、言いたくてウズウズしていても、言わないほうがスマートということか紮肚修身