不遜な気持ち。 (original) (raw)
週末、スーパーマーケットへ行くと、のりまきが入口すぐのコーナーにこれでもかというほど積んであって、今日が節分と思い出した。
入ってきたお客が、当たり前みたいにのりまきをカゴに入れていく。店員はわんこそばみたいにどんどん積んでいく。ほんとに全部売れるんかなと、勝手に心配になる。
季節の行事にのっかりたい気持ちは、なくはない。けど、なんでだろう、もやもやする。めんどくさい、というより、善きことであるはずの行事をめんどくさがる自分の性質がいやになるのかもしれない。
それにクリスマスケーキとかおせちとか、なじみのある行事の食べ物ならまだしも、恵方巻きってなんなん。どこかの地方の縁起ものかもしれないけど、わたしの子ども時代にそんなものは存在しなかった。なじみもないから、よけいにもやもやする。
という話を以前、妹(男子×2のワンオペ)にしたら無表情にこう言われた。
「行事なんかどうでもええ。晩ごはんが自動的に決まる&買うてすむんやから乗るよそんなん」
晩ごはんが自動的に決まるという着眼点に、なるほどと膝を打った。行事と思うから、ややこしくなるのだ。
じゃあせっかくやし買うて帰ろか、と選びはじめると、まあ高い。のりまきには生魚が入っていてほしいし、そしたら松竹梅の梅で1280円。
みんながんがんカゴに、迷わず入れてる。まじでと思う。高ない? とか躊躇する自分が、何か情けなく思えてくる。けど高いもんは高いし、貧乏性なのはどうしようもない。
そういうわけで、作ってみることにした。
買い物をすませて家に帰り、さっそく作り方を調べると「すし飯を作れ」とある。のりまきがすし飯だったって、ご存じでした? わたしは知りませんでした。
生まれてはじめてのすし飯を作り、卵を焼き、きゅうりと刺身を切り、のりにすし飯を広げて全部のせて巻いた。へにょへにょの、両手の力をゆるめたらばらばらになりそうな棒状のもの、これで本当にいいのかわからないけど食べたらふつうにおいしかったです。
「恵方巻き」なんて大層な名前がついてるから大変そうなだけで、棒状のおにぎりと思えば大したこと、なかった。なあんだ、という不遜な気持ち。
不遜な気持ちのまま、後日、白ごはんでおなじようなものを作ってみた。すし飯との違いが、ぜんぜんわからなかったです。