「仙台四郎の物語 福の神になった少年」(丘修三・村上豊) (original) (raw)

福の神になった少年―仙台四郎の物語

二十年くらい前に、仙台に行った際に、いろいろなお店に飾ってある一枚の写真。それが仙台四郎との出会いだった。なんとも不思議な写真。福の神だという。

最近ではメジャーになって駅にも像があるよね。(^o^)

「明治の時代に、仙台の町で、無邪気に自由に生き抜いた実在の人物、四郎さん。笑いと涙に包まれた四郎さんの人生が、やさしく語りかけてくれるものは…」そのエッセンスを紹介しよう。

ね。ちょっとおもしろそうな人でしょう?小太りで、ぼうず頭。人のよさそうな顔……。でも、大人なのか子どもなのか……。たてじまの着物を着て、うで組みをしています。着物のすそをだらしなくはだけじょうぶそうなひざこぞうをムックリ出したまあ、ニタニタわらっています。なんだか、自分のもっているものをぜーんぶ見せているようで、じっと見ていると、つられてわらい出しそうな、そんなふしぎなふんいきです。

「しろばかさん?なに、それ?」仙台四郎といって、むかしこの町に住んでいた人だ」「その人の写真が、どうして店にかざってあるの?」「四郎さんは、みんなに幸せを運んでくれる福の神と思われてるんだ。だから、こうしてかざられているんだよ」

・このぼうず頭の、図体の大きな少年の名は、「芳賀四郎」といった。が、このあたりでは「しろばか」といった方が通りがよかった。

・「このしろばかがよく行く店はよ、みんな繁盛してるでねえの、岡田屋だっぺ、えびす屋だべ。それに、ときわ屋……な。しろばかさは、福の神かもしんねぇぞ

・近江屋の繁盛を見た人々は「四郎はやっぱり福の神だ」と、うわさし合った。そして、太郎のもとには、またまたあっちこっちから、四郎を貸してくれという依頼がまいこんだ。

・古ぼけた写真は、四郎が三十歳のころ撮影されたものらしい。四十数年の生涯で、たった一枚の写真である。

・世間の人はこの男を「しろばか」とよんで、ばかにして優越感をいだいている。しかし、心のどこかで、この人のように自由になれたらなあとも思っているのだ。この人の前では、天皇も平民もない。金持ちもびんぼう人もない。みんなおんなじ人間だ。この人は、身分や財産や地位で人間を見ない。だから、そうできないみんなは、この人のようになれたら、どれほど気分がいいだろうと思っているのだ。

いいなあ。バリアフリーというか、障害者、弱者もひっくるめて認め合える社会になれるといいなあ。オススメです。(^o^)

福の神になった少年―仙台四郎の物語