luckytoshiの日記 (original) (raw)

ツタヤの古本コーナーで購入。サリンジャーの映画が面白かったので代表作を読んでみようと思い挑戦。映画では”これは俺のことを書いた本だ”とおかしな人間に迫られるのが印象的だった。

読み終わってみると現代でいう”ファイトクラブ”ぽい小説なのかな?とも感じた。

孤独で不安定な青年期のお話で似たような体験は誰しも通り抜けてきたのではないだろうか?

性的な体験に興味はあるが純血の狭間で揺れうごき、売春婦と元締めに騙されて殴られて、かつての友達には年上の彼女のことをしつこく訊き、嫌われる様。一晩の助けを求めに訪ねた信頼できる人の裏切り。

混沌と混乱の中で彷徨うニューヨークの街。遠くに行こうとしてもその気希望は叶わない。

土砂降りの中、まわるメリーゴーランドに乗る妹の姿をそのままに見つめる主人公の姿は確かに切なくて美しい。

一読してわけの分からない小説だが、もう一度読み直そうと思う。

ライ麦畑でつかまえて (白水Uブックス 51)

これも近所のツタヤのアウトレットで購入。アウトレットの方が本が充実している気がする。

内容はイスラム教の教義の中に非常に好戦的な教えがあることを基軸に、各地で起こるイスラム原理主義によるテロリズムを読み解いていく。

まともな頭があれば当時の中東の世界情勢(今とあまり変わらない?)を考慮した記述と考えるのだが、狂信的な信者は今も”異教徒は殺してしまえ”といった教えを守っているようだ。

いつも思うのだが、この本のように宗教の教義といった表面的な内容のみでこれら過激な行動を起こす集団を理解しようとしてみても片手落ちになると思う。どこかで思想改造の手段が使われているはずで、どちらかというとそちらの方がより興味がある。

正直イスラムは恐ろしくてあまりコメントしたくないですな。

殺戮の宗教史

ツタヤのアウトレット商品棚で購入。タイトルが面白い。

中立進化というキーワードで話が進む。

中立進化は退化も含んだランダムな生態の変化?と理解した。生命をよく観察してみると進化は環境に適応して生き残るといった内容だけではなく、その逆の変化もあり、果たしてより良い生命に発展していくことだけが進化という事柄ではないようだ。

例えば人間の毛髪が限られた場所にのみ生えている理由は、現時点でも良くわかっていない。

ランダムな変化が偶然環境に適応して、いわゆる進化と捉えられているのかもしれない。

あと、変化(進化?)した個体がつまはじきにされて、主な集団から外れ弱者として生き延びた結果、進化に繋がったという考えも一理あるなと思った。

その裏には膨大な失敗進化があるのだろうけど…。その悲惨な状況は想像しないでおこう。

人類はできそこないである 失敗の進化史 (SB新書)

TMS (緊張性筋炎症症候群)の原因が心にあ流とのことで少しフロイトのことでも読もうと思っていたところ、ツタヤの古本コーナーで1973年度版の”フロイト入門”があったので購入。しばらく放置していたが、断捨離活動のため1ヶ月ほどかけて読了。

エスとかなんとか色々と説明があったがほとんど記憶に残らず。ただ、神経症の原因が心理的な要因にあることがはっきりしているので、TMSの症状もある種の神経症の一種なのであろう。これに関しては身体に合理的な説明を求めてもなかなか良くならないので、やはり心の問題としての対処が必要になる。TMS=神経症 と認識しておこう。

神経症(TMS)の原因はやはり幼児期の体験にあるとのことなので、インナーチャイルドとの和解も必要になる。

肩こりや頚椎の痛みなどの大部分は身体的な問題ではなく、心理的(脳の認知機能)の不具合と見て、対処が必要である。

古典的な神経症はヒステリーや強迫神経症などの事例が多いが、現代で広がっているのは上記の肉体的な痛みがを伴う神経症といったところだろうか。ほとんどの人が気がついてないとすると恐ろしい問題だ。

フロイト入門

先日町内会のお祭りで侍の格好をして街を練り歩く機会があった。

初めて和装?ができたので大変よい経験になった。

お囃子を奏でる人たちの乗るトラックについていったのだが、ずっと聞いているとトランス状態に落ち入りそうになる。

そもそも祭りなので酒を飲みながら永遠とこのお囃子のリズムを聞くのはまさにトランス状態への誘いなのだななどと考えながら練り歩いた。

独特のリズムと自由に吹き鳴らされる笛の音はきっときちんと決まった音楽理論や決まりに基づいて演奏されているのだろう。

太鼓のリズムはテクノのビートに、笛の音はジャズのトランペットの音に変換可能かも知れない。

あの笛を一度演奏してみたいものだ。

今日は休暇を取ったので何かしようとしても何も思いつかないのでつらつらと頭に思い浮かぶことを手帳に書き連ねていたら何かするということはつまりは暇つぶしをどうするかという問題ではないかと気がついた。

暇つぶしというのは何か?と言われると何か必要に迫られないことをすることかなと思ったりもするが仕事も暇つぶしの対象になる場合もあるがそれは特にしなくても良い仕事なのかも知れない。

ということで他人や何らかの枠組みから抜け出して物事をなす行為が最も生産的かなと思ったりもする。

つまり創造的な何かだ。創造的な何かとは何か?ということを考えてみると2つほど私にはあることが分かった。一つ目は、書くこと。二つ目は料理をすることだ。

書くことは白紙の状態から何でも良いのでつらつらと書き殴る事や小説などの本を書くことまで幅広いが創造的な行為であろう。料理をすることは素材をまた違う形に変換する行為と言える。ただ料理はレシピに従う場合は果たして創造的なのか?と今思った。

まあ良い。今日は暇だ。コーヒーを淹れて、ヨーグルトも作った。ブログに書きなぐって終わりにしよう。

金曜の夕方に商店街でプロレスを見る。サークルの知り合いに教えてもらって息子と一緒に見る。ちょうど知り合いもいたので三人で入場口付近のステージに腰掛けて観戦。

昔は全部嘘くさくて興味なかったが、最近生で見る機会が増えるとプロレスは映画みたいに感動するな〜と印象が一変した。総合格闘技とは違った魅力がある。商店街と子供達の歓声が昭和の風景を思い出させてくれる。メインイベントは惜しくも主人公が負けてしまったけど、とても良い試合でした。

帰りに商店街の居酒屋で焼き鳥とビール。日中の仕事はトラブルが多く嫌だったが、一日の終わりがよければ全て良しという感じでしょう。