magasanの日記 (original) (raw)

第75回燕遊会のゴルフコンペ、年に2回開催されてきたので38年の歴史がある。今回は国木原GCで27名が参加して開催された。平均年齢は77歳だった。

曇天であったが幸い雨には見舞われず、無事に全員ホールアウトした。ただ、私の眼にしたのは、決して健康体の人ばかりではなかった。「なんとか最後まで倒れずに辿り着いた人」も少なからずいた。

そんな中、74歳間近の一番元気な私が、優勝させてもらった。グロス86,ハンディ12、ネット74で同ネット3人のうちで年長の私に軍配が上がった。

悔やまれるのは、17番のボギーと18番のOBだ。これがなければスッキリの優勝でベスグロもあったのに・・・。

我が家の宗教では、家族が亡くなると家の御霊(みたま)にお祀りするが、同時にお世話になっている教会の御霊様に入れていただくことになっている。

今日は、和歌山市の直川にある教会に出向いて、その儀式を行った。

そもそも、この地は仏教の地区だったが、私の祖父の時代に(大正か昭和初期)布教者がこの地を訪れたようで、落合区で何軒かが改宗して、今日に至っている。

人が亡くなった時には、何らかの神仏のお世話にならないといけない。今日はありがたく教会長のお世話になって、無事、合祀された。

二日間で730キロを走ったら、若干腰に来た。シートはゲルザブを敷いたので、以前よりは尻が痛くなるのは治まった。

今日は骨休みだ。カメラを二台とスマホで撮った写真をパソコンに取り込んだ。文化祭に出せる作品は1枚ぐらいはあったかな?

四国カルスト

瀬戸内海で出会ったMSCベリッシマ 全長315m 客室19階2217室 乗客定員5500人

同級生の西岡君(広川町長を現職で死去73歳)の葬儀に参列した。昨夜は、私はバイクツーリングの帰りで、南海フェリーの船中だったので母ちゃんに参拝してもらったが、今朝、とんでもない人数で受付に時間がかかったと聞いた。

11時からの式だったが、早めに出て10時10分に着いたら、セレモ広川の駐車場にはまだ空きがあって難なく車を置けた。

役場の職員たちはすでに立ち回っていた。式場に入り着席したら、周りには町議や区長らが座っていた。そのうち、県内各町の町長らが顔を見せ始め、10時半にはほとんど出揃ったようだった。

10時55分に導師の読経が始まって、県議や町長らのお偉いさん方から焼香が行われ、次いで一般の焼香になったので速やかに進んで「お疲れ様、ご冥福を」と祈りつつお別れをした。

人の最後なんてあっけないなあ。平安時代に貴族らが「遊びをせんとや生まれけむ」とすでに達観していたことに、またしても、大いにうなづく私であった。

【11日(金)】

7時40分に徳島港に着いて、徳島自動車道を西に進む。美馬市脇町の「愛ランドうだつ」に立ち寄る。

美馬市はかつて藍の生産で栄えた町だが、江戸時代に火災で町が全焼に近い被害を被ったことがある。そこで、隣家への延焼を防ぐための「うだつ」を考案して、以後に備えた。

ただし、費用がかかったので、事業に成功した家には「うだつが上がった」が、貧乏人にはそれが叶わなかった。

【うだつの町並み】

再び高速に戻って愛媛県西条市には10時半に着く。ここで昼食。「ええっ早くない?」だが、ゴルフで9時半に昼飯を食う身には違和感なし。ラーメンをすする。

さて、そこからが大変で面白かった。まずは「にこ淵」で仁淀ブルーの滝を見る。

さらに四国カルスト、浅尾沈下橋を経由して、高知市の「ホテルNO1高知」に駆け込んだ。

朝の2時半に目が覚めて、ええいっ!と起きて、3時25分に初島のファミマに向かった。

年一のバイクツーリングに8名が参加して、和歌山港5時30分発の南海フェリーの客となった。

今日の走行463キロ。

年に一度の一泊ツーリング。明日(6時間後)は3時に起きてアフリカツインに跨り早朝の南海フェリーで、パスポートの要らない海外に渡る。

明日の今頃はRYOMAの里で酔っ払って「なめたらいかんぜよ!」と粋がっているかもしれない。

「なめたらいかんぜよ」は、英訳すると

Don't think you can make a fool out of me!(なめるなよ!)

あるいは

Don't make fun of me.(馬鹿にするなよ。)

が、yahoo知恵袋のベストアンサーらしいが、夏目雅子が演じた鬼龍院花子の姿を見る限り、ちょっと違うような気がする。

もっと鬼気迫るおどろおどろしい雰囲気は英語ではむずかしいかな?知らんけど。