2024/09/28(土)「山梨」 (original) (raw)

昨晩は出かけようと思って寝てしまった。3時半、起床。この時間なら渋滞は大丈夫だ。体重は遂に66.7kgとなった。もう止まらない、悪い意味で右肩上がりだ。家で大人しくしておいて確実に泳ぐという選択肢が出てきた。しかし、家にいると余計なことばかり考えてしまい精神衛生上よくなかった。ホントにアレは最近問題になってきている。旅先で泳げばいいと考えた。
4時半、出発。給油後、445、再出発。目的地は相変わらず行きたいところがなくて悩んだけど、とりあえず山梨かなと。山梨方面は2022/10/30に一度探索したきりで、いつも中央道が混んでいたから敬遠していた。それに冬になると行けなくなるというのもあった。
出発したにも関わらず、しばらくは旅行に行ってよかったのか、泳ぐ方が価値が高いのではないか、という思いに囚われていた。泳ぐイコール痩せるというふうに思い込んでいたが、よく考えれば泳ぐ時には夕食を軽くしていた。つまり、泳がないと同時に食べていることが原因だった。それがわかると心が軽くなった。
走ってる途中で、どんどんエネルギーレベルの低い方に落ちているような気がした。仕事ではいかに手を抜き、いかに責任を背負わずに人に押し付けることを考え、身体のことではいかに泳がなくてもたくさん食べることができ、ぐっすり眠るかを考えている。たくさん知れば知るほど、どんどん知る喜びは失われ、人生が豊かになっていくと同時にただ単に考えることが多くなることで苦しくなっていく。いくら知ったところで行動が伴わないからちっとも前には進んでいる気がしない。エネルギーレベルを上げることをやらなければどんどん楽な方に流されて堕落していく。中央道の大月IC下車。
6時半、猿橋。日本三大奇橋の一つ。30mの深い谷に橋脚を作ることができなかったので、刎橋という方式を用いていた。刎橋とは崖に数本の木を打ち込み、その上に橋を架ける。猿橋は何度も架け替えられていたが、いつできたのかはわからなかった。一説には西暦600年頃にはあったらしいとも考えられていた。大化の改新より古いとしたらこれは驚きだった。
650、出発。いきなり次のネタに困った。大月ICから河口湖ICまで。
740、ローソン河口湖駅前店。ちょっと前にコンビニの上に富士山があるような写真が撮れることで外国人の間で人気となり話題となった。コンビニの前の道路を横断する人が多いため、向かいの歩道のところに黒い網を張って写真を撮れなくした。すると、穴を開けて写真を撮る人が出てきた。台風の際に黒い網は倒れないように取り外されたが、その後また取り付けられたという話は聞かなかった。どうなったんだろうかと気になった。完全に野次馬である。
現場に行くと、意外にもローソンの建物は周りを建物で囲まれてちょっと窮屈で、どこにでもありそうな感じだった。よくこんなんで建物のバックに富士山があることに気づいたもんだ。肝心の富士山は天気が悪くて厚い雲に覆われていた。よく見ると頂上らしきものがわずかにあった。向かいの歩道には黄緑色のポールのみが数本立っているだけで黒い網はどこにもなかった。すぐ近くには横断歩道が2つもあるし、黒い網を立てるなんて明らかにやり過ぎではないかと思えた。そして、誰も写真を撮ってる人はいなかった。時間が早いからか、単に曇ってるか、ブームが去ったのか、いずれにせよ現場は平穏を取り戻していた。厚い雲に覆われた富士山の写真を撮った。夏休みからこんなんばっかりだ。
8時、出発。施設が開く9時まで時間を潰す必要があった。別に富士山に興味はなかったのにローソンに惹かれてやってきてしまった。その富士山すら隠れてしまっていて、あまりこの辺りを探索するつもりはなかった。
820、忍野八海忍野八海とは富士山の伏流水が湧いてる8つの池のことである。池の水がとても澄んでいることが特徴であるとのこと。また、忍野八海富士講と関係があり、池を神と見立てたらしい。そのため世界遺産の構成要素となっていた。
最初の鏡池は水は透明だが、小さくてショボかった。えっ、これ?みたいな感じだった。先が思いやられた。
するとすぐのところに大きな池があり、茅葺きの家に水車、大きな土産物屋があった。池の中央にはぐるっと一周回れる場所があり、そこからたくさんの人が池の中を覗いていた。ここが忍野八海のメインらしく濁池と言った。ネットには濁池のバックに富士山が写っている写真があった。同じアングルからは撮ってみたが、富士山は神隠しにあっていた。夏休みからこ(ry。みんなが覗いていた中央の円いところは、そこだけやたら深くなっていて水が湧いているようだった。透明な水の中には鯉が泳ぎ、ちらほらコインが沈んでいた。
濁池の隣には湧池があった。中国語をうるさく喋る団体が来た。うるさいので中国人だとすぐわかる。こんなマイナーなところにもいるのか。さすが富士山だ。他に銚子池。お釜池。正直、つまんなかった。これ以上見ても同じことの繰り返しのように思えた。撤収。二度と来ないだろう。
9時、出発。充分に時間を潰せたので、施設を回ることにした。子供の頃から富士山の周りに空いてる穴が気になっていた。鳴沢氷穴富岳風穴があった。どちらも同じように思えたが、氷の方が凄そうなので行ってみることにした。
9時半、鳴沢氷穴。施設の前ではやたらと、氷穴には百段くらいの階段があり、背の低い人や体調の優れない人、ヒールの人は入場できないとアナウンスしていた。階段があるだけなのになぜ?大げさだなあと思った。富岳風穴とのセット券があり600円だった。富岳風穴には行くつもりはなかったが、飾られた写真には立派な氷柱が写っていた。こっちの方が凄いのでは?当然セット券にした。
氷穴は溶岩が固まる前に地中に溜まったガスが抜けることでできるらしかった。鳴沢氷穴は地下に21m下るらしく、中ではかつて氷を貯蔵していたとのこと。入口は鍾乳洞と同じような感じだった。足場が組まれていて、中に入ることができた。ひんやりとして気持ちよかった。中は狭くて、身体をくの字に屈まないと進めないくらいだった。これは現代の施設で珍しいことだった。後で知ったが、通路の高さは一番低いところで90cmだとか。だから施設の入口でアナウンスしてたのか。一番下は小さなホールになっていた。それだけ。あっけなく終わった。
写真がうまく撮れなかったのでもう一度回ることにした。まだ新しいスマホの操作が不慣れだった。なんか暗いところでは露光時間が長くなり、像がボケるんだよな。何かありそうな一番下のホールに到着。よく観察すると、氷の池になっていた。あやうく見逃すところだった。
10時、富岳風穴。風穴に至るまでは青木ヶ原樹海となっていた。青木ヶ原樹海は溶岩の上にできた僅かな土盛りに木が生えていた。そのため根っこがダイナミックに地面を這っていた。地面は苔に覆われていて、一面は鬱蒼としたジャングルだった。ここでしか見られない独特の風景だった。
中は鳴沢氷穴と同じ感じで、こちらの方が広かった。いつ氷柱が出てくるかと期待しながら先を急いだ。一番奥にはかつてカイコを飼っていた際の棚が再現されていた。また最奥にはヒカリゴケがあった。思いがけず夏休みに見れなかった羅臼のリベンジとなった。光ってるかどうかはわからなかった。真っ暗にしないとわからないんだろうな。
氷柱はなかった。夏だからないんだろうか?氷柱がなければ、鳴沢氷穴劣化コピーもいいところだった。セット券がなければ、あの写真がなければ、来なかったのに。完全に詐欺だった。
1040、クニマス展示館。西湖コウモリ穴とセットだったが、もはや穴に興味はなかった。それでもコウモリに惹かれたが、口コミではコウモリは見えないと書かれていたので余裕でスルーした。
クニマス田沢湖に生息していたが、1940年田沢湖に酸性の川の水を引き込んだことから絶滅したと考えられていた。それが2010年に西湖で再発見されて当時大きな話題となった。ヒメマスを普及させるために全国の湖に卵を送っていた中にたまたま田沢湖クニマスも含まれていたようだった。クニマスはヒメマスよりも深いところに住んでいて、西湖には産卵に適した4℃の水温ときれいな礫岩の露出した場所があった。西湖では10匹に1匹の割合で黒いマスが採れたが、ずっとヒメマスの変種だと考えられていた。
この話は発見までがとてもドラマチックだった。でも、クニマスにとっては、災難意外の何物でもないよなあ。住んでるところが住めなくなって、他に移住させられるのだから。まるでSFの世界だと思った。
最後に水槽で泳ぐクニマスが出てきた。一度絶滅したとされるクニマスが目の前て泳いでるのは、ジーンとさせられるものがあった。田沢湖ではクニマスを再び田沢湖に住めるようにするための試みが行われているとのこと。けれど、うまくいってないらしい。一度失われた自然はもう二度と取り戻せないのかもしれないが、もう一度クニマスの泳ぐ未来を見てみたいものである。
1145、出発。ネタがなくなった。昨年諦めていたオウム真理教サティアンの跡地を探すことにした。噂ではもう現存しなくてどこだかわからなくなってるとのこと。ネットでは簡単に当時の地図を見つけることができた。
富士豊茂小を目印とした。小学校まではよかったのだが、そこから先がさっぱりわからなかった。地図のような道がなかった。一部の道は合ってるから間違いではないはずなのだが?もしかすると、道ごとなくなっていたのかもしれない。あと草原のような怪しい空き地はあるが、近くには牧場もあり見間違えているような気もした。とにかく跡地は徹底的にわからなくされてるように思えた。
1245、怪しげな空き地をサティアンだと決めつけて写真を撮った。かつて世間を震撼させた事件の跡地は、麻原が潜伏していた施設も、サリンを作っていた施設も、それがすべてなかったかのように痕跡を消されて、昔の平穏を取り戻しているように思えた。
13時、麺工房本陣つかさ。本栖湖の畔にあった。ほうとう、鳥もつ煮。山梨に来てからはほうとうの店ばっかり見かけていた。さぬきうどん並みのしつこさ。あんな美味しくもないのになんてそんなにほうとうばかり推すのか?
注文の時に思った。前ほうとうはスルーしたんだよな。すっかり忘れてた。ほうとうを食べると、いつも同じことを思う。やっぱり味がしないんだよなあ。出汁を入れたらもっと美味しくなるんだけど。それでは普通のうどんか?いや、かぼちゃが入ってるから許されるのではないか?そして鳥もつ煮の方が圧倒的においしかった。
1350、出発。ネタに困った。もう富士山の近くはいいだろう。身延に抜けることにした。
1435、久遠寺日蓮宗の総本山。期待はしてなかったけど、一応。やはり新しくて大きな寺だった。どこからかお教が聞こえてきた。建物の中に人が歩いていたが、どこから入るのかがわからなかった。報恩閣という建物から中に入れるようだった。祈祷の値段などが書かれていた。その中に日蓮像のご開帳は2000円となっていた。なんだこれは?お金を払えばご開帳というのは初めて見た。受付のお坊さんにどこまで入っていいか聞くと、断りがなければどこまでも、と言われた。とても親切なお坊さんだった。
中を探検した。仏殿の椅子には多くの人が座っていた。仏壇には日蓮の像があった。もしかしたら、運良くご開帳されてたのかもしれない。あちこちでお坊さんとすれ違った。大学生みたいな若い人が多かった。このは隣に身延山大学があり、本当に学生なのかもしれない。きっと家が寺なんだろうな?皆さん、大きな声で「こんにちは」と挨拶してくれた。
お寺はなんかホッとする。ここではなんの気も使わないで済む。利害関係もまったくない。人を疑うこともない。すべてがきれいだ。ただ純粋な思いしかない。いつの間にか心がいろんなものにがんじがらめになってたのかもなあ。寺が江戸時代はテーマパークみたいな存在だったのは、こういうところなのかもしれない。たまにはお寺に行かなきゃだな。
1515、宝物館。300円。国宝があるとのことだったが、まあ予想通りあんまりだった。
斜行エレベーターがあった。まるでケーブルカーの外観だった。下の方には駐車場があった。何でも乗る私だけど、意味なく乗るのもどうかと思った。これは鉄道ではなく、エレベーターなんだと言い聞かせた。
1540、身延山ロープウェイ身延山に登ることができた。1600円は高いと思った。頂上は霧の中だったので登るのは止めた。有珠山と同じパターン。
参道の階段を降りようとしたが、あまりに急だったので止めた。太田山神社を思い出した。それか新宮の神倉神社。
1610、出発。プールに行くことにした。甲府南ICから一宮御坂IC。
1750、山梨市屋内温水プール。プールは中3日。410円。受付の女性が親切だった。泳げるレーンは3つあり、1人ずついた。気まずいパターンだと思ったら、一人が移動してくれた。すると、プールの底に鏡面のシートが置かれていて、自分の泳いでる姿を見ることができた。これは初めてであり、正直気持ち悪かった。泳いでるうちにだんだん気にならなくなった。身体は重かった。鈍りまくっていた。すべてイチからやり直しだなあ。クロール40往復。休憩。クロール15往復。2750m。
2025、出発。ほったらかし温泉に行くことにした。山を上って行くと、甲府盆地の夜景が見えた。とても美しくて素晴らしかった。ちょっとこの眺望はヤバいかもしれない。
2050、ほったらかし温泉。2004年くらいに立て続けに誘われたことがあった。その後大人気となったが、行くことはなかった。20年越しの念願が叶った。
あっちの湯とこっちの湯があり、夜景がきれいなのはあっちの湯だった。900円。ロッカーは100円。いつも眼鏡は外すのだが、今日は眼鏡をかけた。露天風呂にはとんでもない眺望が広がっていた。闇夜の中には甲府盆地カルデラのように光っていた。夜景を見ながらの温泉はとても斬新だったが、だからといってどこでもこの眺望に勝つのは難しいと思った。「優勝」という言葉が浮かんだ。温泉の質なんてどうでもよかった。ただ温泉に浸かりながら、美しい景色を眺めていた。今日一日頑張ってなんだかんだまとめられたかなと思っていたが、そんなことが大したことなかったんだと思えるくらい最高だった。
2150、出発。道の駅を目指した。途中コンビニで朝食のパンを買った。
2220、道の駅花かげの郷まきおか。たくさんの車がいた。トイレは駐車場から階段を上ったところにあった。イヤなパターンだった。ブログを書き始めたがすぐに眠くなった。朝早かったからなあ。寝落ちした。