総集編)少子化の原因は何か (original) (raw)
11/8 一部追記)雇用の流動化、就職氷河期世代を痛めつけた政府、経済界の御用聞きをする政府
出生数が初の70万人割れとなる公算となっている。当然と言えば当然だが、ここで改めて少子化の原因について可能な限り簡潔に、かつ多くの視点から書いておきたい。過去記事はあまりにダラダラ書き過ぎたので。
先進国が少子化に陥る理由
養育コストの増大
「先進国は少子化に陥るもの」という認識があるが、この原因として養育コストの増大は大きい。発展途上国と先進国で子どもに求められる能力や水準は大きく異なる。特に学歴社会化し、競争の激しい社会では教育にかかるコストが大きくなる。
競争が激化すると脱落者もそれなりに出るため、それを見て最初から競争を諦める中国の寝そべり族のような者も出現する。社会的な需要に対して高度な人材が過剰に量産された結果、行き場を無くした人材が社会に不満を抱いて不安定化を招く可能性もある。
個人主義の拡大
先進国においては社会保障、インフラが充実し、村や地域の共同体に依存しなくても生活することが容易になる。「子どもを多く作って子どもに自分の家を支えてもらう」という必要性が薄れ、生活共同体の利益よりも個人の意思が尊重される。「生き方の多様化」はこの範囲である。
この中には「結婚しない自由」「子どもを作らない自由」も含まれ、養育コストの増大や社会情勢がこの選択肢を補強する。
女性の社会進出
「結婚して家庭に入る」か「結婚子育てを諦めてキャリアを優先する」かの二択、あるいはそれに近い社会の場合、後者を取る人が増えれば少子化傾向は強まる。キャリア形成と結婚子育てどちらも不自由なく取れるような社会で無い限り影響は避けられない。
格差の拡大
格差が拡大して一握りの富裕層と大多数の貧困層に社会が分断されると、「このくらいなら結婚や子育てをしても良いかな」 と考える中間層が減る。先進国に生きる良心ある人間は社会全体を見渡した時、自分がそれに値すると思える立ち位置でなければ結婚や子育てをしたい/して良いと思わない。
一握りの富裕層は結婚して子どもも3人以上作れるが、それ以外の多数は結婚すらしなくなるので少子化になる。たとえ一夫多妻制を認めても養育にかかるコストが高いので、このパワーバランスは覆らない。
SNSの普及
インターネットの普及、特にスマホの普及と同時に利用が広まったSNSは社会における格差を残酷なまでに知らしめるツールとなってしまった。マウント合戦に勝てる人間は少数派だが、恵まれた人間の暮らしが目に入ってくる頻度は高い。
ネットで格差を見せつけられることで自分自身の社会的立ち位置の低さを悲観し、精神を病む若者が増えてしまった。自己肯定感が下がり、自分は誰かを幸せにはできない、結婚して子育てしていい立場ではない、という見方がSNSによって補強される。
至極個人的な見方だが、中高生の自殺者数が高止まりしているのもこれが一因ではないか。
日本の事情
税と社会保険の負担
安易な増税と社会保険料の引き上げを繰り返し、賃上げ効果を減殺し続け、現役世代に負担増を強い続けている現状が日本における最大の間違い。賃金の額面が上がっても手取りが上がらない、更にはスタグフレーションと生きづらさが増している。
この点、社会保障制度改革を怠り続けて来たことも遠因だろう。人口の逆ピラミッド、将来的にあまりに少ない人数で大勢を支えなければならない事実、将来的な破綻が見えているのに政治を変えられない大人は若者に絶望感を与え、老人への憎悪、優生思想さえ形成されつつある。
社会保障負担の大きさに対する目は思っている以上に厳しい。豊かな日本を作ったのが老人なら今の社会の歪みを作り、放置し続けて来たのも老人である。
間違いしかない少子化対策
婚姻数が減っている中でも、政府は結婚して子どもが出来た後を前提とした少子化対策を拡大させ続けている。現実として成果の上がっていない政策を拡大し続け、その財源のために社会保険料を引き上げて現役世代からさらに余裕を奪うことは少子化加速政策にほかならない。
また、こうした政策は日本国民よりも外国人労働者の子育て支援になっている。国内で働いて社会保険料を収めている限り外国人労働者であってもある程度は制度の恩恵を受ける権利があるのだが、それでも少子化対策として誰が受益者となるかは考えなければならない。
不景気に育つ価値観
不景気に育った人間は自分が支払うコストやリスクに非常に敏感になる。子育てにかかるコスト、リスクを取って結婚・子育てをするだけの価値はあるのか、という事を若い世代は上の世代には想像もできないほどシビアに考えている。
加えて自分の事で精一杯の人間が増え、自己責任論が蔓延し、助け合うどころか嫉妬と足の引っ張り合いが増加して子育て環境は悪化する。
妥協できない価値観
コストに厳しいことと表裏一体だが、不景気に育つと妥協することが非常に苦手になる。 下手に妥協するくらいならコストを支払わない方が賢いという価値観が主流となり、これが恋愛面に適用されると妥協して恋愛・結婚するくらいなら最初からしない方が良い、という思考になる。「草食化」と呼ばれる現象の根底はここにある。
最近では「絶食系」という言葉もあるが、要は最初から選択肢に入れてすらいないのである。また、アニメキャラと結婚したいという人間がいる理由もここにある。現実で妥協できずに理想を追うことしか出来ないのだ。
子どもの頃の大人像に追いつけない
景気低迷が続き、子どもの頃=自分の中で日本が一番豊かだった頃、自分が大人になる頃には子どもの頃に描かれていた「大人としての将来像」に自分自身が追いつけないという事態が発生している。
よく引き合いに出されるのは野原ひろし。彼はクレヨンしんちゃんが描かれた頃はうだつの上がらないサラリーマンだったかも知れないが、今の基準で見ればエリートである。
子どもの頃に思っていた大人としての最低ラインに到達出来ず、今の価値基準から見ても配偶者や子どもに満足いく生活をさせてやれる自信が無い、という現実に絶望して結婚願望は無くなっていく。
これは私の世代の話であり、ひょっとするとZ世代やそれより若い世代は「理想の大人像」すら持っていないかも知れない。
悪化する社会情勢
いじめ問題、パパ活という売春、トー横の非行少年たち、闇バイトという強盗、高止まりする中高生の自殺率、虐待あるいは子どもによる親の殺害事件etc.。今の社会は単純に子育てしたいと思える状況になっていない。大人の生きづらさが子どもの在り方に残酷なまでに映っている。
生きづらい社会で頑張って結婚・子育てしたところで、子どもがいじめられて引きこもりになったら?自殺したら?売春婦になったら?非行少年になって強盗で他人を殺したら?
満足いく円満な家庭を築けない可能性もあいまって、これらは現実的で身近なリスクになっている。ここまで行かずとも、頑張って育てた子が結婚や子育て出来ない人間にしか育たなかったら、リスクが大きい中で背伸びして結婚・子育てした意味は薄くなる。損得勘定として「どうせ先が無いなら自分の人生を楽に生きた方が得」という意識がある。
雇用の流動化という名の不安定化
「雇用の流動化」というお題目の下、非正規雇用の増加で生活基盤が不安定化した。雇用形態としての安定性はもちろん、賃金の面でも正規雇用と非正規雇用の平均年収には200万円以上の差がある*1。
労働者の生活そのものが不安定になれば結婚・子育てにかかるコストを支払うことはより困難になる。
就職氷河期世代を痛めつけた政府
日本政府はよりによって就職氷河期世代に派遣法改正、非正規雇用の増加の流れをぶつけた。また、彼らに対する救済策もなく少子化傾向を多少なりとも好転させる機会を逃した。自己責任論に走るのは容易だが日本政府の政策に非がないとは言えまい。
夫婦共働きを当たり前にしてしまったこと
こういう事を書くと叩かれそうだが、日本人女性の労働意欲はそこまで高くない。キャリア重視の人もいるが専業主婦になりたい、働きたく無いという人は男が想像する以上に居る。
しかし今や共働きが当たり前になってしまった。専業主婦を許容できるだけの稼ぎのある男性が少ない、結婚するにしても働くことを多少なりとも求められる。しかしキャリア形成と結婚・子育てを両立しやすい社会とはまだまだ言えない。実質的に二者択一に近く、結婚へのハードルは上がっている。
経済界の御用聞きをする政府
ここまでの内容を総合的に見れば、主権者たる国民ではなく経済界の御用聞きをする日本政府(=自公政権)が少子化の原因である。「雇用の流動化」も「女性活躍推進社会」も企業の利潤追求のための政策であり、少子化においてはマイナスにしか作用しない。
影響がありそうで無い?もの
娯楽の多様化
娯楽に溢れた社会では性的欲求を発散する手段も多い。発展途上国のように性暴力に走らなくとも、安全かつ手軽に欲求を処理できる。これは一見、少子化に影響しそうにも思えるが、正常な社会であれば他に娯楽があろうとも結婚・子育てはするだろう。改善すべきは他の面である。
たとえば極端な話、性的コンテンツを全て禁止したとて増えるのは恋愛・結婚・子育てする人間ではなく性犯罪者だろう。
発展途上国が少子化にならない理由
「貧しい国が少子化になっていないのに、日本ほど恵まれた国で少子化が進んでいるのは若者が不甲斐ないからだ」、という意見があるがこれは全くの見当違いである。
確かに発展途上国は貧しいかも知れない。しかしそれは我々の目から見たらの話であって、その国に住んでいる人々にとってはそれが普通。その中で一定の社会的地位があれば結婚・子育て出来るのは自然なこと。
ベトナムなどから日本に来ている労働者が日本国内で結婚・子育てに励んでいる点からもそれはうかがえる。日本人にとって生きづらい社会であっても、彼らの目から見ればそうではない。根本的な価値観、結婚や子育てに求める/求められる水準が違う。
また、こうした意見は発展途上国の負の側面にあえて触れていない。インドやアフリカにおけるカースト制、性暴力、封建的な価値観などは今の日本には相容れないものだろう。
特にインドは格差が酷いながらも少子化に陥っていないが、それは子どもの多さが社会保障代わりであって、一定の年齢に達したら結婚・子育てしなければ社会の中で一人前として認められないという「伝統的な」価値観が根強いからである。
よそはよそ、うちはうち
*1:それぞれに含まれる労働者の特性、年齢層の違いも影響しているが