万葉集遊楽 (original) (raw)
2024年 10月 05日
万葉集その千二十一(茅 浅茅)
茅
茅
茅の黄葉
メガルカヤ
同上
大神神社 茅の輪くぐり 奈良
万葉集その千二十一 ( 茅:チガヤ、浅茅 )
茅(ちがや)はイネ科の多年草で全国各地の日当たりの良い原野に群生します。
地下茎を横に細長く這わせながら葉や花穂を出しますが、極めて生命力が強いので
古くから悪霊を追い払う霊力があると信じられてきました。
草丈は約80㎝、萱(かや)や菅より短いので浅茅(あさぢ)ともよばれます。(浅は短いの意)
開花前の若い花穂を「ツバナ」といい昔は食用にされていましたが、
甘味があるので近年まで子供のおしゃぶり代わりにもなっていたようです。
花後、綿に包まれたのような穂になりますが、一斉に風に靡く様は
芒とは一味違った風情を醸し出し「雲動くごと」という表現がぴったりです。
また、秋には葉や茎が鮮紅色に紅葉するなど変化自在。
根茎は利尿、止血などに用いられるなど、古代の人達にとって身近な植物であり、
万葉集に27首も登場します。
多くは「浅茅」と詠われ(23首)、残る4首は「つばな、ちばな」です。
「 浅茅原 つばらつばらに 物思 ( ものも ) へば
古りにし里し 思ほゆるかも 」 巻 3 - 333 大伴旅人
( 心ゆくまま物思いに耽っていると、昔住んでいた明日香、あの浅茅が
一面に広がっていた我が故郷が懐かしく思われることよ )
都から遠く離れた九州大宰府に長官として赴任している旅人。
生まれ育った香具山に近い故郷を懐かしく思い出しながら、
「もう二度と奈良の都に戻れないのではなかろうか」
といささか感傷的になっています。
浅茅原は『あさぢ「はら」』、『つ「ばら」』と「はら」の同音を
繰り返す枕詞として用いられていますが、作者の脳裏には白い穂が一面に
靡いている光景が浮かんでいるのでしょう。
「つばらつばら」は「つまびらかに」の意ですがここでは「心ゆくままに」
「しみじみと」と解した方がよいと思われます。
「古りにし里」は新都「奈良」に対する古き里、すなわち「明日香」。
「 君に似る 草と見しより 我が標めし
野山の浅茅 人な刈りそね 」
巻 7 - 1347 作者未詳
( あの方に似る草と知った時から私が標縄を張った野山の浅茅です。
だからどなたも刈らないで下さい )
村の若い女が若者に好意を抱いた。
「あの人は私が目に付けたのだから手を出さないで」と他の女に訴えたもの。
浅茅を男に例え、標縄は「あの人は自分のものよ」と目印を付けましたという意。
共同の草刈りでの労働歌とも思われます。
「 しら雲や 茅の輪くぐりし 人の上 」
乙二
大祓(おほはらえ)という神事があります。
古くは701年大宝律令によって定められ、6月と12月の晦日(みそか)に行われる
正式な宮中の行事です。
現在は6月は夏越(なごし)の祓、12月は年越の祓とよばれ、半年に1度罪や穢れ厄災を
茅で作った大きな輪をくぐり抜けることによって祓うという行事です。
各地の神社で行われていますが、地方によっては紙や藁(わら)で作った人形を
厄災を背負ってくれる身代わりとして川に流したりしているところもあるようです。
茅の輪を潜る時は
「 水無月 ( みなづき ) の 夏越し ( なこし ) の祓 ( はらへ ) する人は
千歳の命 延ぶというなり 」 (出処は 紀貫之 古今和歌六帳とされる)
という古歌を唱えながら左回り、右回り、左回りと8の字を書くように茅の輪を
3度くぐりぬけるのが作法とされています。
この神事は神話上の人物である蘇民将来(そみんしょうらい)がスサオノミコトから
「もし疫病が流行したら茅の輪を腰につけよ」といわれ、その通りにしたら
疫病から免れることが出来たという故事に由来すると伝えられておりますが、
茅の霊力恐るべしです。
「 禰宜 ( ねぎ ) くぐり ゆきし茅の輪へ 人なだれ 」 太田文
禰宜:神官
# by uqrx74fd | 2024-10-05 09:28 | 植物
2024年 09月 28日
万葉集その千二十(藤袴)
藤袴
藤袴と鯉
藤袴と彼岸花
藤袴と蝶
同上
万葉集その千二十 ( 藤袴 )
巻 8 - 1537 山上憶良
おみなえし また 藤袴 ( ふじばかま ) 朝顔の花 」
万葉集の藤袴はこの1首のみ。
藤袴はその形が袴に似ているのでその名があるとされ、
秋、茎の先に藤色の筒状の花を多数つけます。
もともとは中国原産とされ、山上憶良が遣唐使に派遣されていた時に
目にしたものと思われます。
生渇きの葉は芳しい香りがするので、身に付けたり、
入浴や洗髪に用いられていました。
現在は自生はほとんど見られず、栽培種が主体となっています。
地味な花ですが、よく見ると趣があり、その匂いに魅かれて
蝶々が群れているのを、よく見かけます。
「秋風にほころびぬらし藤袴
つづりさせてふ きりぎりす鳴く」
在原棟梁 古今和歌集
(秋風に吹かれて藤袴がほころびたらしい。
「つづりさせ つづりさせ(繕わせろ、繕わせろ)
# by uqrx74fd | 2024-09-28 08:12 | 植物
2024年 09月 14日
万葉集その千十八(美しき花々 萩 尾花)
萩 奈良万葉植物園
同上
同上
明日香 奈良
明日香 石舞台古墳 奈良
戦場ヶ原)日光
万葉集その千十八(美しき花々 萩、 尾花)
萩
「ハギ」という名は「生芽(はえぎ)」が転じたもので
初夏のころ古株から勢いよく
新芽を出すことに由来するそうです。
「萩」の文献での初見は
「播磨国風土記」(713年頃)での「萩原里」で、その昔
神功皇后がこの地に滞在したとき
、一夜のうちに萩が一本生え出て3mばかりになり、
その後そこに多くの萩が咲き乱れたことによる地名とされています。
万葉集では「萩」という字はまだ見えず「芽子」「芽」が当てられています。
「草冠に秋」すなわち秋を代表する花として「萩」という国字が定着したのは
平安時代からです。
「 この夕 ( ゆうへ) 秋風吹きぬ白露に
争ふ萩の明日咲かむ見む 」
巻10 -2102 作者未詳
( 秋風が吹き始めてきました。
萩の上の白露が早く咲け、早く咲けと
促しているようです。
明日には花が咲くかな。見るのが楽しみだね )
しなやかに弓なりになった萩の枝葉に置かれた白露は夕日を受けて
宝石のようにきらめいています。
そこへ一陣の秋風。ハラハラと散り落ちる白玉。
「争う」とは「萩がまだ開花には早い」と
抵抗するさまをいいます。
まるで可憐な乙女が恥じらいを見せているようです。
「 雨の庭 萩起し行く女かな 」 尾崎紅葉
次は尾花です
尾花はススキ、カヤともよばれ、
全国各地至るところの山野に自生する
イネ科の植物です。
「薄」と書くことが多いようですが、
この字は草が群生することを意味し
特定の植物を指すものではないので
「芒」書くのが正しいとされています。
また、「尾花」は穂が獣の尾に似ている、
「カヤ」は屋根などに葺くことから
その名があるそうです。
「 人皆は 萩を秋と言ふ よし我れは
尾花が末 ( すえ ) を 秋とは言はむ 」
巻 10 - 2100 作者未詳
( 世の人々は 萩の花こそ秋を代表するものだという。
なになに、我々は尾花の穂先こそ
秋の風情だと言おうではないか )
ススキの茎葉は屋根葺きの材料にされたほか、
燃料、壁代、炭俵、草履、縄
箒、スダレ、箸、串、牛馬の飼料など
多岐にわたり利用されましたが、
時の流れと共に用途が少なくなり、
今では生花や飼料くらいでしょうか。
色彩に乏しく地味なススキの花穂。
しかしながら、山野に群生して風に揺れ動く風情は古くから好まれ、
万葉集ではススキ16首、尾花19首、かや11首も登場しているのです。
「 山は暮れて 野は黄昏の芒かな 」 蕪村
万葉集1018美しき花々 萩 尾花)完
# by uqrx74fd | 2024-09-14 07:20 | 植物
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