政治不信の原因 (original) (raw)

政治不信をテーマにしたイラスト。Microsoft Copilot で作成。

いろんなことを書くブログですので、こんなことも書いちゃうのです。

衆議院選挙が近々あるようなので、政治不信の原因について取り上げます。

政治不信の原因

それは、簡単言えば、政治が複雑になり過ぎて、普通の有権者でついていけなくなっているのに、それを自覚していないので、「今の政治は期待外れ」と認識していることによります。

ちなみに「普通の有権者」は、研究者、報道機関勤務、国会中継に張り付いているようなプロ有権者以外の有権者のことで、国民の推定99%は「普通の有権者」です。

「ついていけなくなっている」とは、情報量が多くて整理しきれなくなって、「〇〇党が良さそうだ」のように当てずっぽうで決め打ちしちゃっている状態のことです。

「期待外れ」とは、何らかの変化を期待しているのに、実現しなかったり、実現しても以前と変わり映えしないので退屈に感じる現象のことです。

政治不信などという感情は、プロ以外の普通の国民にとっては、湧くべくして湧くもので、当たり前のことです。

政治不信という言葉が使われるのは、どんな場面か思い出してみましょう。

たいてい、政治のプロが、政治のプロに対して投げかけているではないでしょうか。

では、何のために。

政治不信が政党や政治家のせいにされるのは、一種のプロレス。

そもそも、政治不信という言葉は、

国民が政治に対して無関心になることを予防する機能を持っています。

政治不信とは、「国民という金づる」が「政治というコンテンツ」に興味をなくさないようにして商売を続けるための魔法の言葉です。

政治に対する期待外れの責任転嫁をすることで、

その責任転嫁のやり取りを見聞きした国民に、

政治に対する期待に応え、責任を果たすというユートピアを連想させます。

そんな幻想を思い浮かべている間は、政治に無関心になることはありません。

国民が政治に対する関心を持っていれば、雑誌を買い雑誌に載っている広告に載っている商品を買い、政治番組を視聴し、番組の合間に流れるCMで促す消費を行うことで、プロの連中を食わせられます。

政治不信は、プロの連中が、我々アマチュアに政治への関心を維持して、消費を続けてくれよという願いをこめて、プロ間でぶつけ合うプロレスなのです。

しかし、政治に対する期待に応え、責任を果たすというユートピアはあるのでしょうか。

あるかどうかは、おいといて、

なくても問題ありません。

政治不信は大した毒にはならない

政治が国民の期待を裏切り続けたところで、

客観的にやるべきことをやって、

経済や国民生活が維持できる水準を保っていれば問題ありません。

では、そのために最低限何が必要でしょうか。

法令に対して意見を発する

選挙で投票する等

小さなものから大きなものまで、ある程度の国民の政治参加が必要です。

政治に対して期待外れでも、選挙に行くくらいの政治参加は必要です。

衆議院選挙のような国政選挙で、まったく誰も投票しないようなことがあったら、おかしいですよね。

プロの連中は、職業柄政治参加するでしょうけど、

我々アマチュアは、政治不参加の異常事態で問題が生じない程度に政治参加しないといけません。期待していなくても。

面倒くさいですね。

何か政治に期待していると、政治参加する面倒くささが紛れてラッキーかもしれません。

そういう意味では、「政治不信」をプロ間でぶつけ合うプロレスは、国民が政治参加するのに伴う面倒くささを軽減させるのに役立っており、無駄ではないと言えるかもしれません。

まとめ

「政治不信」はプロレス

プロレスを見て選挙に行きましょう。