丸山古墳 茨城県石岡市柿岡 (original) (raw)
前回の佐自塚古墳からは南に500mほどの丸山古墳へ。
googe先生には真南の最短距離を誘導されましたが、途中からは無理そうだったので、総合運動公園側から回り込みました。
すれ違いの厳しい道路を進むと駐車場もありました。
一帯の古墳などを巡る古代散策ロードの看板がありました。歩くと2時間半のルート。
「景観がすばらしい」場所がいくつも。
丸山古墳の解説も。4世紀後半の前方後円墳です。
県指定史跡「丸山古墳」
丸山古墳は、全長60m、高さ7mの前方後方墳で、第十代崇神天皇の第一皇子、 豊城入彦命の奥津城と伝承され、聖地として崇敬されてきた。
昭和27年に明治大学教授後藤守一博士の指導の下に発掘調査が行われ、後方部の墳頂下約2mの地点から粘土槨が発見された。その中からは、内行花文鏡をはじめ銅鏃・勾玉・管玉・小玉・鉄刀・刀子などの副葬品が出土した。前方後方という珍しい墳形に加え、副葬品の内容などから、4世紀後半の頃に築造された有力支配者の墳墓と考えられるとともに、県下における代表的な古式古墳であること が明らかになった。
指定日:昭和27年12月18日
所在地:八郷町大字柿岡字丸山4123番地
やってきた方向を振り返って。左が古墳への入り口です。
古墳への道。途中でおおきなスズメバチがホバリングしていましたが、じっとしていたらいなくなったので、速足で進みました。
途中で左手に見えた中世山城の堀跡。マップには高友館跡のピンが立っていました。
まっすぐ上っていくと、金網に囲まれた墳丘と説明板が。
全長55mの前方後円墳です。
県指定史跡 丸山古墳
所在地:石岡市桂岡字丸山4123
指定年月日:昭和27年12月18日
丸山古墳は、八郷盆地の中央を流れる恋瀬川の流域に展開する広大な沖積地に南面して、柿岡の高友丘陵の景勝の地に占める全長55m・高さ7mの前方後方墳で、古くから崇神天皇の第一皇子豊城入彦命の奥津城として伝承され、古墳の近くに鎮座する佐志能神社とともに顕彰されてきた。
昭和27年12月明治大学後藤守一教授の指導の下に学術調査が行われ、その結果、後方部の墳頂下約2mの地点から粘土床が発見され、内行花文鏡をはじめ、銅銭・匂玉・鉄刀・刀子などの副葬品が出土した。
これらのことから、丸山古墳は前方後方という珍らしい墳形であるとともに、副葬品の内容などから、5世紀の初頭の頃に築造された県下でも代表的な古式古墳となっており、東国の古墳時代の研究には欠かせない存在である。
昭和55年11月 石岡市教育委員会
その実測図。
いざ墳頂へ。
途中右手に前方部。
後方部墳長の様子。
裾の金網は直角に曲がっていましたが、現地墳丘では「後方形」は判りづらかったように思います。
後方部墳頂にて前方部方向。
金網は動物除けでしょうか。
後方部から前方部を。
鞍部から後方部を。
前方部から後方部を。
前方部左裾から。
前方部右裾から。
スズメバチが気になっていたのと、蜘蛛の巣まみれになったこと(以外に広けた場所にも蜘蛛の巣が)とで早々に退散しました。
石岡市のサイトで、石岡市中央公民館にて出土品が展示されていることを今知りました。
見学には事前の連絡が必要なようです。
2024年9月下旬訪問