taiseinimanの日記 (original) (raw)

何かしらの誤動作で扉が勝手にしまったり、扉が閉まる前にエレベーターが動き出したりして、エレベーターとフロアの天井あるいは床に挟まれて切断する事故が起きている。

シンドラー、エレベータ事故

このような切断事故を動画でみたことがあるが、あまりにも痛ましいものである。

例えば、アメリカの病院で医学部研修生がエレベーターと床に挟まれて切断する事故がおきた。そのとき、同乗していた女性の看護師が切断される様子を目の当たりにして、PTSDを発症して苦しんでいるという。

このような事故が起きることは決してあってはならない。技術者は、これについて安全性を検討しなければならない。

そこで考えられるのは、多重安全という概念であるが、

電子制御が誤動作を起こさなければ安全では多重安全という概念からすれば不十分である。

それで大事になってくるのは、物理的に安全である。

この言葉は適切かはわからないがここでは、そういう表現にする。

例えば、車で考えると電子制御がおかしくなり車が制御不能になったとしても、

何か壁にぶつかって車の持つ運動エネルギーが全て壁や車体に吸収されて停止され、

エアバック等で人体が吸収するエネルギーが十分小さければ、無事生存できるというようなことである。

もちろん、エンジンをニュートラルにするための機械(あるいは電子制御)が正常に作動することや、エアバックが正常に作動するという前提条件がなければ上記は物理的に安全とは言えないから、本来の意味からすれば不十分である。

したがって、物理的に安全というのはとても厳しい基準である。

エレベーターの例で言えば、エレベーターを吊るしているロープが切れて、落下しても安全でなければ物理的に安全とは言えない。

それを実現することは、コストの問題で難しいのはもちろん、

あらゆる力や変形、変位に対して考えなければならないから、事実上不可能である。

それで、確率と損失を考え、起こる可能性の高い事象に対して物理的に安全であれば、十分である。

話を戻して、エレベーターの切断事故について考えてみると、

その件数及び被害はエレベーターの利用者数からみたとき少ないかどうか、

つまり起こる確率とそのリスクがどれほど大きいのかは定量的に調べていないので、

わからないが、ここではそれについて考えずに具体的に物理的に安全を実現するための方法について考えてみる。

簡単な場合として、エレベーターがゆっくりした速度で動く場合を考える。

速度が十分ゆっくりであれば人体を弾性係数Eが一定の弾塑性体と仮定してもよいから、

衝突直前のエレベーターの運動エネルギーが全て人体の歪エネルギーになったと考え、それが実際に人体が吸収できるエネルギーを超えていなければ安全である。

問題なのはエレベーターが速い速度で人体に衝突した場合である。

例えば、非ニュートン流体の液体に物体がぶつかると、

衝突直前の速度が遅ければ柔らかい物体にぶつかったように振る舞い、

早ければコンクリートの地面に叩きつけられたように振る舞う。

つまり、衝突する物体の速度によって剛性が変化する。

だから、変位と応力と速度の3つのパラメータのうち2つが決まらなければ、

3つ目のパラメータは定まらない。

それを理論的に導出する方法があるのかもしれないが、知らない。

しかし、バネの変位速度vに比例すると考えれば,

人体かかる力はFは,

F = k・(dx/dt)+K・x

となる.

ここでxは人体に作用する力方向の人体の弾性変位,kとKは比例定数.

今,人体に衝突するエレベーターの剛性を無限大としエネルギーを吸収しないとすると,

作用反作用の法則から、

エレベーターの質量Mを持った質点にFが作用するとして運動方程式を立て,

初速を衝突直前のエレベーターの速度v_0,初期位置x=0とすればよい.

衝突は瞬間的に起こるから,重力の影響は無視して良い.

よって,

mx'' = kx'+Kx, x(0) = 0, x'(0) = v_0.

これを解いて,mx'' = Fの最大値を求めて、

このFが人体の載荷(小さい接触面で)されたときに、人が生存できるかどうかを考えることで、衝突の衝撃に耐えられるかを判断できる.

しかしながら,人が高いところから剛性が大きい硬いコンクリート床のようなところにぶつかって、助かる見込みはない。

一般的に、自由落下やエレベーターの運動エネルギーを人体が全て受け持つとすると、

人体は破壊されるので、人体以外にエネルギーを吸収させなければならない.

ここでは、速度が遅い場合つまり衝突前後で事実上釣り合いを保っていると考え、さらに人体をバネに置き換えて考える。

 \displaystyle  切断事故はエレベーターとフロアの床に人体が挟まれることでおきるから,

 \displaystyle  フロアあるいはエレベーターにバネのような弾性変形しやすい物体(以後バネに置き換える)を置いて,

 \displaystyle  ちょうど人間とバネがエレベーターとフロアの床に挟まれる状態を考えれば良い.

 \displaystyle  人間をバネに置き換えたときのバネ係数をk_1,バネの係数をk_2とすると,

[tex: \displaystyle

人間バネとバネをあわせたバネ係数は、1/(1/k_1+1/k_2) = (k_1k_2)/(k_1+k_2).

エネルギー保存則から,

]

 \displaystyle  \frac{M}{2} v_0^2 = \frac{k_1k_2}{2(k_1+k_2)} x^2.

 \displaystyle  より, x = v_0\sqrt{M\frac{k_1+k_2}{k_1k_2}}.

 \displaystyle  人間バネに作用する力Fの最大値は,変形が最大になったときだから,

 \displaystyle  F = k_1x_1 = \frac{k_1k_2}{k_1+k_2} xを利用して,

 \displaystyle  F = v_0\sqrt{M \frac{k_1k_2}{k_1+k_2}}

 \displaystyle となる.

 \displaystyle  上記から求められたFを重力加速度gで割れば,力Fに相当する質量がわかる.

 \displaystyle この質量の物体が人にゆっくり乗ったときに、人が耐えられるかどうかを考えればよい.

 \displaystyle  ただし,接触面はなるべく小さく取る.

 \displaystyle 例えば,上記で求められたFに相当する質量が1トンの場合,

 \displaystyle  明らかに人間は死ぬ.

 \displaystyle  より実践的な求め方としては,

 \displaystyle  人間が吸収するエネルギーをゼロと考えて,Fを求め,

 \displaystyle  Fに相当する質量が十分小さ(例えば20kg)ければ,

 \displaystyle  安全である.なぜならもし,現実には人体もエネルギーを吸収するが,

 \displaystyle  吸収した分だけ緩衝材となるバネの変位は小さくなる.

バネの変位が小さいと復元する力つまり人体に作用する力は小さくなるから、

人体がエネルギーを吸収しないという仮定によって求められたFは実際よりも大きくなるからである。

よって,k_1 →∞として,Fを求めると,

 \displaystyle  F = v_0\sqrt{M・k_2}

 \displaystyle \frac{F}{g} = \frac{v_0\sqrt{M・k_2}}{g}.

 \displaystyle 例えば,速度v = 5km/h = 5・1000/3600 m/s, M = 500kgで人体に載荷される質量が20kgまで耐えられるとすると,

 \displaystyle k_2 = \frac{g^2}{(v_0)^2・M}・F^2/g^2 =

 \displaystyle  \frac{9.8^2}{(5000/3600)^2・500}・20^2 = 39.8 N/m.

 \displaystyle つまり,4kgの物体を載せただけで1メートル変形するような物質を,

 \displaystyle 緩衝材として利用しなければならないことがわかる.

 \displaystyle 現実にはあまりこのような物質はないし、あったとしても弾性的に振る舞わない,

 \displaystyle 降伏強度が小さい等現実的ではないかもしれないが,

 \displaystyle ばね定数kのバネを直列つなぎにすれば,

 \displaystyle (k・k)/(k+k) = k/2となり,ばね定数は小さくなることを利用して,

 \displaystyle 複数のバネを直列でつなぎ長くすることで実現できうる.

 \displaystyle これを一般の弾性体で考えれば,単に力が作用する方向の長さを大きく

 \displaystyle することに等価である。

 \displaystyle ただし,バネを並列につなぐとあるいは緩衝材の断面積を大きくすると,

 \displaystyle 変形しにくくなるからバネ定数あるいは剛性は大きくなることに注意しなければならない.

研究室の教授がそう言っていたので、ほぼ間違いないです。

国家総合職合格、東海地方2番手の名工大院に合格で、ほぼ今年の目標は達成できました。

強いて言うなら、toeic800点以上取れなかったのは悔しい。

来年は院の勉強しながら、就職活動頑張ります。

入社5年で700万ぐらいもらえる会社を目指します。

どこだろう。

6月8日の試験の結果が今日正午に発表されました。

この試験の結果で大学院第二志望、第三志望の外部英語試験の得点が確定するので、

結果を確認するまでとても緊張しました。

まあ、ほとんど寝ずに受けて、中◯大学の試験教室がクソすぎたから全然期待はしなかったのですが。

いや本当にひどかった、結果を発表する前に言い訳をさせてください。

まず、100人以上いたんじゃないかという広い教室で、

スピーカーの音声調節をするのですが、この広さで前と後ろのどちらも聞き取れるように調節できるわけないだろと(欠席者は見たところほぼいなかった)。

音量調節後、後ろの人からすればどうみても小さかったのに誰も手を挙げなかった。

私は一番うしろから2番目の席だったので、

自分が手を挙げたら良かったのですが、その前に黒板の文字が見えないと抗議していたのでこれ以上その他のことで文句をつけると要注意人物扱いされるかもしれないと思ってできませんでした。

結果、part1とかpart2は本当に聞こえにくかった。

一応家で勉強するときは、スマホを離れたところにおいて音声を聞き取る練習をしてたのですが、それでも聞き取りにくかった。

試験係員も態度悪い人多かったし、今後中◯大学で受けたくない。

結果は、以下の通りです。

6/23のToeic公開テストは、受験会場がこれまでで最高といえるぐらい良かった、

前日十分睡眠が取れたのでそちらに期待します。

予想では、800点いかないぐらいかと思う。

大学院進学に向けて、英語の勉強を頑張っております。

それで志望大学院に落ちたときの保険として、国家公務員総合職試験と一般職試験を受験しました。

一応席次(260人中180位ぐらい)は低いながら総合職試験に合格しましたので、勉強法等について少し述べようと思います。参考になれば幸いです。

成績は以下の通りです。

基礎能力試験 21/30満点

専門択一試験 13/40満点

専門記述試験 150/240満点

政策論文試験 5/10満点

面接 C (上からA,B,C,D,Eの5段階評価)

最終合格点 526点

実は、専門択一試験足切り点は12点でギリギリでした。

この試験を受けるまでに数学を一切しなかったとか、物理の勉強ばかりして専門の勉強をほとんどしなかったとか、いろいろな理由を考えられるのですが、

平均点が例年と比べて結構下がっていることを考慮すると単純に難しかったからではないかと考えています。

物理の勉強は名問の森を使ったのですが、普通に試験のほうが難しいと思えるような問題がちらほらでました。

数学では、媒介変数表示によって表された閉曲線が囲む領域の面積を求めよみたいな問題が出たのですが、まったくわからなかった。

最後にこなした勉強のスケジュールを説明します。

一次試験まで

名門の森シリーズの2/3ほどと国家公務員総合職の過去問2~3年分を2週間から3週間ぐらいかけて勉強しました。

一次試験から二次試験まで

専門記述は構造力学水理学を選ぶと決めていたので、それらの教科書と講義で配布されたプリントの問題をひたすら解いてました。2週間ほどで、構造力学の教科書はほぼすべての問題(梁、トラス、座屈、地震動、有限要素法、たわみ、不静定、仮想仕事の原理など)、水理学は出てきそうなところ(ポテンシャル流理論、開水路、非定常流)をこなしました。

あくまで、大学できちんと専門科目を勉強してきたということに留意してください。

専門記述は最後の大問を除いて大学の定期試験に毛が生えた程度なので、

きちんと勉強してきた人であれば2週間ぐらいの勉強で6割はもらえると思います。

二次試験から面接まで

特に何もしていません。ただ、面接カードは2日ぐらいかけてきちんと書きました。

普通の態度で接して、なぜ官僚になりたいのかという理由をきちんと持っていればCはもらえると思います。

以上、参考になれば幸いです。

共同体の存在自体が、同調圧力の存在を肯定するものだし、そしてその同調圧力によって個人を尊重する気持ちや意識が社会の中から消え去っていくというのも理解できる。 しかし、個人は自由であり、個人の行動や言動を最大限尊重しなければならないという考えを社会を構成する人々に強制しようとすること自体が、社会の中に共同体を作っていることにほかならない。 自己言及すれば矛盾するという根本的な問題を我々は抱えている以上、共同体の存在を否定することはできない。 あなたはおそらく、個人の自由を最大限尊重しそしてそれを否定する人をなるべく排斥しようとするだろう。 それは私もそういう考えに近いのだが、それはなぜかと言えば、理由は簡単で、それが人々にとって幸せなことだと思うからである。 個人の自由をある意味で制限するような共同体を掲げる人たちも、日本人を苦しめるためにそれをしているわけではないはずである。 そして、彼らの言い分も非常に理解できることがある。 その当時いや現在でさえも日本は、資源が乏しく人的資源によってしか経済を回すことが出来ない国だから、個人に対してより多くの能力を必要とする。 それは、数学や国語の読解力などに留まらず勤勉さやルール・マナーを守る姿勢など、あらゆる能力を必要とし、そして日本人がそういった能力を持ち合わせていたからこそ、 これだけ豊かな国が築かれたのではないか。 批判されることの多い受験競争などは、そういう点では有益に作用しただろう。 つまり、結果的には日本に住んでいる個人にとって、少なくとも後世の人たちにとっては、逆説的に彼らを尊重したとも言えるのではないか? どちらも、個人を尊重していないということはできない。だからこそ、私はバランスを取ることが大事だと考える。 そして、個人の自由を履き違える人がいるということも問題である。個人の自由とは、他者を最大限尊重するべきだということであって、 自分さえ良ければ良いなどという考えではない。そして、そうやって自分やその周りだけの利益を追求し、社会や他者への尊重のない社会が、 最も人々を不幸にするものである。それこそが、共同体のない社会なのである。 残念なことに、個人の自由を唱えれば唱えるほど、その意味を履き違えて上記のような独善的な考えの人が多くなっていくというのまた事実である。