『物理学者たちの20世紀』by アブラハム・ パイス (original) (raw)

物理学者たちの20世紀
ボーア、アインシュタインオッペンハイマーの思い出
アブラハム・ パイス
杉山滋郎・伊藤伸子 訳

朝日新聞社
2004年1月30日 第一刷発行
A Tale of Two Continents (1997)

映画『オッペンハイマー』を観た後、図書館でオッペンハイマーについての本を検索していたら出てきた本。

megureca.hatenablog.com

すごい分厚い・・・。一瞬、どうしようか迷ったけれど、パラパラ読みしてみるか、と借りてみた。

751ページプラス索引の単行本。厚さ4㎝。表紙には、さまざまな物理学者たちの写真が並ぶ。裏にも。

著者の**アブラハム ・パイスは、1918年、アムステルダム 生まれのユダヤ人** 。ユトレヒト大学で物理学の学位を得る。 ゲシュタポ に逮捕されるが、九死に一生を得る 。戦後、コペンハーゲンニールス・ボーアのもとで研究したあとアメリカのプリンストン高等研究所に移り、アインシュタインとも親交を持つ。その後、ロックフェラー大学教授を経て、 1970年代から科学史家として活躍。2000年没。

物理学者というのは、こういう自伝記をかきたくなるものなのだろうか、、、、。本書は、日本語のタイトルは『物理学者たちの20世紀』となっているけれど、元タイトルの通り、パイスの2大陸での経験自伝物語である。最初は自伝のようなモノは書く気が無かったけれど、奥さんに薦められたこと、物語を自分中心ではなく自分が経験した出来事に主軸をおいて書くというアイディアが浮かび、取り掛かることにしたのだと、プロローグで説明している。

本書は、借りてはみたものの、全部は読むつもりがなかった。オッペンハイマーのところだけ読もうと思った。でも、読みだしたら意外と面白かった。。。1918年生まれのユダヤ人、つまり、ナチスの迫害を受けた経験をもつ物理学者の自伝。ちょっと、歴史の勉強をしているような感じだった。ただ、戦争の前後は読むに堪えないくらい、、、。

オランダにいるユダヤ人の由来は16世紀にまでさかのぼる。さらには、スペイン在住のユダヤ人やアラブ人の黄金時代であった13~14世紀にまで言及がある。ユダヤの歴史は深すぎて、、、まだまだ、理解が追い付かない。

戦争の話では、仲間のユダヤ人にはガス室行きになった人も。家族も・・・・。Two Continentsというのは、生まれ育ったヨーロッパと、戦後に移動したアメリカ、ということ。アインシュタインオッペンハイマーとの話は、アメリカでのこと。そういう、ざっくりとした時代の流れを掴める程度に、さーーっと読み飛ばした。話は、実に多岐にわたる。パイス自身についても興味があれば、ちゃんと読んだかもしれないけど、、、今回は、パス。さらさらっと。。。。

目次
第一部 ヨーローッパ
1 家系
2 幼少時代
アムステルダムで学士に
4 音楽、映画、その他の娯楽
シオニズムと最初の接触
ユトレヒト 科学修士と博士
7 戦争
8 占領下のオランダ
9 ショア
10 家族と私の戦時下の経験
11 戦争の余波 オランダ史の最終章
12 オランダでの最後の数ヶ月
13 ニールス・ボーアと知り合いに

第二部 アメリ
14 アメリカについて語るとき
15 アメリカ、1946年
16 アインシュタイン や 新しい友人たちが登場
17 オペンハイマーが研究所長に、私は長期研究員に
18 オッペンハイマー 複雑な人となりを垣間見る
19 私の仕事がはっきりとしてくる
20 予想外の新しい物理学、旧友達、大旅行
21 理論素粒子物理学の始まり、 野球の歴史を少し、二度の長い夏旅行について
22 対称性と生涯最長の旅について
23 グリニチヴィレッジ、アメリカ市民権、そしてオペンハイマー 事件
24 最良の仕事と一年におよぶ休暇 アインシュタインの死
25 ロシアへの初旅行、 そして最初の結婚
26 ジョシュア登場 1950年代の結末
27 大変化の時期 1960年代初め
28 仕事場所を プリンストンからニューヨークへ移す
29 1960年代後半に 私の身に起きたこと
30 1970年代
31 転業
32 最後の日々 きょうまでのところ
33 近づく新世紀

感想。
っていうほど、、、読み込んではいない。が、長い・・・・。これは、どんな人が通読するのかなぁ、、、なんておもいつつ。

ただ、ボーア、アインシュタインオッペンハイマーと同じ時代を生きた人であり、科学史家に転身したというのだから、歴史をまとめてくれている感はある。
時に、詩的な表現もあるけれど、人に対する表現は結構、辛辣。

オッペンハイマーについても、扱いにくい人だったように読み取れる。それでいって、まっすぐでもあった、と。

オッペンハイマーと幾度となくはなしをしてただただ関心したのは、英語を巧みにつかいこなして言葉でうまく表現する才能にあふれていたことだ、と。新しい言い回しは、オッペンハイマーから学んだのだそうだ。例えば、

「inspiriting」と「inspiring」の使い分けについては、オッペンハイマーが巧みに使い分けるので、自分もそれに習うようになった、と。

私には、違いがよくわからなかったので、辞書で引いてみた。

inspiringは、形容詞で、鼓舞する、奮起させる、活気づける、霊感を与える。もとの inspire(他動詞)は、創作上の着想やインスピレーションを与える、触発する、という意味になる。

それに対して、inspiritingは、inspirit=他動詞=活気づける、人の気をひきたたせる。鼓舞する。

似ているけど、ちょっと違う。インスパイア―とインスピリット。実際にどう使い分けていたのか?どう使い分けるのだろうか?

こんど、Englishネイティブの人に訊いてみよう。。。

奥さんのキティについては、あんなひどい女はいないし、オッペンハイマーの結婚生活は悲惨だったに違いない、、、と。。そういう一面もあったのかもしれない。実際、キティはアルコール中毒だったというのも事実のようだ。映画の中でもキッチンドランカーになっているシーンがある。

”私のような部外者から見ると、オッペンハイマーの家庭生活はこの世の地獄の様だった。”って、書いている。余計なお世話じゃ!と、、、ちょっと思う。でも事実として、息子のピーターは10代後半に家を出て、キティとの連絡を一切たってしまった。娘のトニは、自ら命をたって人生をおえた・・・。そうか、、そんな悲しい話は、これまでのオッペンハイマーの資料では、気が付かなかった。。。

核分裂が実験で確認された時のあっけなさは、なんとも、、、科学者だ。アメリカとヨーロッパとでの研究。物理学者たちに国境はなかったけれど、戦争によって高い壁が立ちはだかる。

物理科学の歴史を学びたいなら、おすすめの一冊。
でも、だいぶ、修飾が多いので、、、これが新書サイズだったらいいのに、なぁんて思ってしまった。

前半の方で、自身の学位論文を書く際に、

いかに君が賢いかは示さなくていい。簡潔な言葉で説明せよ!”と言われたことを生涯の学びとした、とあるけれど、結構、、、、簡潔な言葉ではないものも、、、。まぁ、賢さをひけらかす感じはない。ただ、あの人も知ってる、この人も知っている、、、なので、なんというか騒々しい文章に感じる。。。あるいは、戦争に焦点をあてた章だけを切り取ったら、なかなかの大作になると思う。オランダでのユダヤ人の立場は、戦争によって大きく変わっていったこと、、、普通に世界史の勉強をしてもなかなか触れることのない歴史だと思う。

本人も、物理や数学の数式の話を一般の人にしてもわかってもらえないとしても、物理学者たちはそこに感動しているから、伝えるのだ、、って。
中国語のわからない人に、中国語の詩の美しさを語ってもわかってもらえないようなものであり、それでも、伝えるべきものがある、って。

オッペンハイマーのパートだけでもしっかり読んでみようと思ったのだけれど、全体のトーンがちょっととげとげしく、、、結局、さらっと読み。

ま。世の中には色々な本がある。

物理を専攻する学生なら、一読しておくと諸先輩方の交流関係が垣間見えて面白いかも、ね。