自己について(何かのyoutubeで仏教の中村元先生が話していた) (original) (raw)

<西洋と東洋の違い>

西洋では自己より自我をテーマにすることが多かった。エゴ(ラテン語)については頻繁に議論された。他者と対立する自覚としての表面的なイメージが自我。※近代思想はデカルトが言う自我の自覚から始まると言われる。我思う、考える、ゆえに我あり。(いかなる権威も疑うことができ、しかし疑う主体としての我は疑いようがない)

東洋、特にインドでは自我よりも自己が大いに問題とされた。はっきり出てきたのは仏教より前のウパニシャッド哲学。※アートマン…語源は諸説ある。呼吸とか肉体とか。常に主体としてある自己、自分自身。ブラフマン…宇宙の本質。別々に見えている個人は仮の姿で、その奥でみんな繋がっている。

→ざっくり西洋的結論「私のこの意識を認める、だから神は疑えない、我と神には絶対的な差がある、断絶している」東洋的結論「私の意識も肉体もすべて移ろいゆく。表面的な存在の奥ですべては繋がる。死んだらみんなホトケさん。根源へ還る」※西洋にも自我を離れよと主張した人はいるが、エゴの奥を重視する議論は東洋が多い

★日常で悩み、傷つく自分をどうするか?それぞれの事情をもった他人と生きる具体的な自分、現実の経験に対処していくための方便のひとつが仏教

「一色一香も中道にあらざることなし」智顗『魔訶止観』より→どんなものも真実の一端。理の具現である。

<仏教における人間>

人間は苦(ドゥッカ)。ド…否定を表す カ…空、通 人間は「ゆきがたし」つまり思い通りにならない。この無常をすぐに忘れるから欲に振り回される。無知、無明が迷いを生む。本当の知恵は実践してこそ。頭で学んだら次は身体で表現していく。