見るだけの人 (original) (raw)

先週末、お隣 平塚市にある馬入のお花畑まで散歩しました。

コスモスは咲いているかな?

ようやく涼しくなってきて、風が心地よい

相模川下流に向かってトコトコ歩き

工場地帯を通り

サッカー場の美しいピッチを眺め

その先の花畑へ

百日草が賑やかに咲いておりました

コスモスは、

とても広い敷地に植えられているのだけれど

花はちらほら。

まだ、これから咲くのかな?

少ない花たちは

気持ちよさげに歌っていたり

なんだか楽しそうな表情だったり

そんな花々を眺めながら、のんびり歩いた

私は、ただ見ているだけ

ふいにそう思った。

走ってもいない、ヨガもお休みしてる

飲み会もキャンセルしてしまった。

何もしない

ただただ、花たちに慰められている。

花とか山とか空とか、きれいなものだけ見て

気持ちを平らかにしていたい、と心から思う。

今月5日に鎖骨を骨折してから、一歩も走っていない。

それ以前の、走っていたときですら日々体力が落ちていくような感覚があったのに

このままでは、どんどん老いさらばえていくのではないかという心配が、日に日に強くなっている。

走ることでもっているメンタルが

走れなくなったらどうなるんだろう?

ますます観念的になって、自分が嫌になって、、、

なんて、まだ起きていない未来を考えて恐怖している。

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帰ってから、角田光代の「タラント」という小説を読んだ。

表紙は、義足で高跳びをしている選手の絵で

パラスポーツの話かと思ったのだが、

まぁ、パラスポーツの話でもあるのだけど

それだけではなく、

それぞれの登場人物の闇と絶望と熱意と、、

いろいろな思いが443ページの中に込められていて

とても面白かった。

角田光代の小説は、等身大の登場人物と

ストーリーの根底に流れている切実さが魅力だよな、と思う。

本の中で、傷ついた主人公がかけられる言葉

立っていられなくなるくらいの恐怖につかまりそうになったら、そこから逃げていい。きれなものだだけ見たかったら、きれいな世界だけに目を向けていればいい。それがきれいごとでもまやかしでも、とりあえずはそれでいい。だいじょうぶだと思えるまでそうしていればいい。

読みながら、じわじわ沁みた。

私は、ちょっと怪我をしただけで(しかも自業自得)

たぶんすぐに治るのだろうから、

恐怖なんて大げさなんだよ、と自分でも呆れつつ。

怖がりだし、いらんことを考える性格だからしょうがない。

とりあえず、当分は「見たいものだけ見ている人」でいよう

と考えたら、少し気持ちが軽くなったのだった。