こおりやま 緑の街角 Ⅱ (original) (raw)

開成山公園 (2024年6月撮影)

石破内閣が発足し解散選挙を目前にして裏金議員の公認問題が注目を集めているようです。

政治評論家を招いて意見を聞くニュース番組を時々視聴しますが、政治の裏側に詳しくなるメリットもあり、それなりに面白いのですが、一方で、いささか不毛さも感じています。

テーマの対象はあくまでも政治家であって、政治をよくするためにどうすれば良いかでないことは承知しているのですが・・・

ある政党の公認を受けるためには1200万円ほど必要だという話ですが、そうして集められたカネが最終的にどう使われるのかキャスターが踏み込む前にテレビのスイッチを切ってしまいましたので、その後の展開についてはまったく知りませんし、あまり興味がないと言った方が正直なところです。

話題は変わりますが、歳を重ねるとそれなりに葬儀に出席する機会も増えて来ます。

ぼくも、出席した回数は数えられないくらいになっています。

仏式だと告別式の流れはどこでも似たようなものですが、必ず組み入れられるものに弔電の紹介があります。

親族と関係のある会社の名前や、国会議員、県会議員、市会議員、首長など政治家の名前も必ず読みあげられます(ひょっとしたら次の選挙が近いかどうかで政治家の数が変わってくるのかもしれません)。

ぼくの場合20回以上は出席していると思いますが、弔電紹介がなかった葬式はたった1件だけでした。

その1件というのは、僕が喪主をつとめた葬式です。笑

以前から弔電を出席者に紹介する意味があるのだろうかと疑問に思っておりましたので、考慮の末、多くの方々から弔電を頂戴したことと、それに対する謝意を伝えていただき、弔電をくださった方々のお名前紹介は割愛しました。

弔電の文面からも遺族に対してのものであることは明らかですから、出席者に紹介しなかったことにより誰かを傷つけたり軽んじたりしたとは今でも全く思っておりません。

それにしても、面識のない政治家から弔電をもらうことに対して皆さんは違和感を覚えないのでしょうか?

ある確かな意図が感じられるのに、それを承知でアナウンスすることにはぼくは抵抗があります。

1通の電報にいくらかかるのか調べていませんが、葬式で名前を読み上げてもらえないとしたら、いくら政治家でもいつまでもそんな無駄な努力を続けるでしょうか?

コスパに難ありと言えそうです。

マスコミが政治家を標的にすることは大事な仕事だとは思いますが、ぼくら有権者も政治家との(間接的な)関わり方を少しだけ考えてみる必要があるのでは?という思いを強くする今日この頃です。

【2000年の主な出来事】

1月 郡山市の人口 333,649人 福島県の人口 2,135.907人

2月 こおりやま文学の森資料館 オープン

3月 国道288号郡山東バイパス 開通

9月 大安場古墳 国の史跡に指定される

10月 国勢調査 市の人口 334,824 県の人口 2,126,935人

10月 郡山西武 閉店

10月 西部プラザ(西の内) オープン

11月 ザ・モール郡山 オープン

(県内)

郡山市史によると、2000年の郡山市の製造品出荷額等は1990年比30.6パーセント増で、大きな成長を遂げたように見えます(全国では7.1パーセント減、福島県は18.5%増)。

開発した西部第二工業団地に大規模工場が張り付いた影響と思われます。

その一方で、工業統計の事業所数は22.6パーセント減、従業者数は15.6パーセント減となっています。

麓山の杜公園 2000年1月撮影

中町緑地 2000年11月撮影

ザ・モール郡山 2000年8月撮影

2000年11月撮影

西部プラザ 2000年5月撮影

2000年8月撮影

ショッピングモールフェスタとフェスタパワー 2000年5月撮影

郡山南拠点土地区画整理事業 2000年6月撮影

この年は、郊外に総合地方卸売市場や流通業務団地(喜久田)の整備も行われました。

流通業務団地 2000年12月撮影

開成山公園 (2024年7月撮影)

夏の終わりの街の風景写真をアップして皆さんにご覧いただきたいと思っていたのですが、ここ最近台風の影響でスッキリしない日が続いていますので、撮影は諦めて今夏の郡山がどれほど暑かったのかをすこし検証してみたいと思いました(まだ夏が終わったわけではありませんが)。

検証といっても緻密な考察を加えることができるわけでもありませんから、極々簡単にサーチできる真夏日の日数でこの夏を振り返りってみることにします。

今夏、福岡県太宰府市では8月27日まで連続40日間猛暑日が続き記録を更新したそうです。

ちょっと想像できない世界ですが、記録更新ということは、日本列島全体が昨年よりも暑くなっているということでしょうか?

郡山の場合、幸いにも猛暑日は毎年数える程度ですから、年毎の比較には適しませんのでかわりに真夏日の日数を気象庁の気象データから拾い上げてみました。

下図が、直近10年間(6月から9月の間)に記録した真夏日の数字です。

今年は、8月31日の時点ですでに48日に達していますが、昨年の同期間の51日よりも若干劣るものの、なかなかいい勝負のようです。

こういう暑い夏が今後常態化していくのか、たまたま暑い夏が2年続いただけなのか、非常に気になるところです。

実は、直近の10年間(2014−2023年)とその前の10年間(2004-2013年)の平均値を比較してみましたが、思ったほど激変しているわけではないのです。

ただ、昨年と今年の数字が突出しているので、ひょっとしたら今までと違うステージに突入した可能性は否定できないのかもしれません。

そこで、暇つぶしついでにデータを公表している1976からの10年間も調べてみました。

なるほど、今とはまったく違う世界だったようです。

最多が1985年で44日、最小が1980年でなんと3日、そして1982年の8日と続きます。

昔は今ほど暑くなかったという印象を持っていましたが、単なる記憶違いではなかったようです。

10年間の平均値が20.6日で直近10年よりも約14日(2週分)も少ないのですが、これはたまたま冷夏が多かっただけと簡単に片付けられるとも思えないのですが。

ちなみに、1993年も冷夏でしたが、真夏日は2日だけと信じられないくらい涼しい夏でした。

専門家ではないのでわかりませんが、偏西風の蛇行やオホーツク海高気圧の影響を受けやすい地方なので、今後も不定期に冷夏が訪れる可能性はあるのかもしれません。

今日見た週間天気予報では、9月になってもまだ真夏日の予報が何日も出ていますが、来週火曜あたりからは涼しい朝を迎えられそうです。

日中はしばらくは暑い夏が続いて、朝晩はひと足先に秋を感じられるようになるのかもしれません。

心地よい季節はあっという間に過ぎ去ってしまいますが、窓を開けたままいつまでも虫の音を満喫していたいと思える日が来るのも遠くないようです。

カメラを携えて、日曜午前の開成山公園と麓山の杜を歩いて見ました。

先ず、開成山公園の駐車場に向かいましたが、すでに満車で2台のクルマがゲートが開くのを待っていました。

ここは、リニューアル事業で130台まで駐車できるようになりましたが、リニューアルオープンした4月以降の日曜日は満車の表示が出ていることが多い様に感じます(実のところ数えるほどしか行っていませんが)。

この日は10時を過ぎた頃には気温が30度に達していて、梅雨明けを思わせる様な暑い一日でした。

親子向けのマラソンイベントが実施さていましたが、泣きながら親に手を引かれて走っているこどもも何人か見かけました。

ランニングコースが整備されましたが、長年樹木の管理が行き届いていないせいか、緑陰が少ないので、この炎天下では小さな子供には過酷すぎる気がしました。

これに懲りて、ランニング嫌いにならないことを祈りたいと正直思いました。

園路をゆっくり歩きながら一周した後に麓山の杜に向かいました。

ここは、イベントもなく利用者は数える程しかいませんでした。

2003年に日東紡績郡山第一工場跡地に開園してすでに21年になりますが、貧相な樹木も目立ちます。

この公園も気持ちの良い木陰を得られる場所は限られていて、夏の強い日差しは、市民の足を遠ざけてしまっている様です。

市中心部にある郡山市を代表する二つの大きな公園ですが、主役とも言える樹木があまり大事にされていないのでは、と改めて感じた次第です。

明確な解決策が求められる限定的な問題があるときこそ有識者の意見は生きてくると思うのですが、こういうときには頼らないのでしょうか?

郡山市庁舎 (2024年3月撮影)

NHK福島が夕方6時台のニュース番組で非常に興味深い特集を組んでいました。

視聴者から寄せられたという「福島県の県庁所在地は、なぜ郡山市ではなく福島市になったのか?」という疑問に答えた形での企画でした。

前編(6月13日)と後編(6月20日)の2回に分けて放送されました。

それで前編・後編を見ての感想というか、寄せられた疑問に対するNHK福島とは少し違う僕なりの答えを用意してみたいと思いました。

今のところネットでも番組を見れますので、未だ見ていないという方は

福島県の県庁所在地 なぜ福島市になった?」(6月13日)

福島県の県庁所在地「移転をめぐる攻防」(6月20日

で検索して是非ご覧になってください。

では、そもそもの「福島県の県庁所在地は、なぜ郡山市ではなく福島市になったのか?」という疑問に対して、どのようにに答えるのが最も適切と言えるかを考えて見たいと思います。

疑問の核心にあるものは、「なぜ郡山市ではなく福島市が県庁所在地なんだろう?」という現状に対する違和感や不自然さではないかと思われます。

そうであるならば、その抱いている違和感が解消できる様に答えを用意しなければなりません。

その答えは、後編で紹介された内容をお借りすると

明治18年に県議会で賛成37票、反対16票の圧倒的多数で県庁移転が一度決議されたが、福島を中心とした反対派が妨害工作をして県庁移転を阻止したので、今も福島市福島県の県庁所在地になっているのです」

ということになるのではないでしょうか。

後編のメインテーマ「県庁の移転は可能なのか?」という問い対して、NHK福島は

「県庁移転は可能だが、現代においては移転メリットが小さい」

「何より膨大なコストがかかるため簡単ではない」

と結論づけていますが、僕には、いささかメリットを過小評価し過ぎていて、コストを過大に見積もり過ぎているように思われます。

移転のメリットとコストは長期スパンで評価する必要があると考えます。

福島市に県庁を残した場合と郡山周辺に県庁を移転した場合のこれからの100年間をシミュレーションでもしてみなければメリットの大きさは簡単には量れるものではないでしょう。

また、「膨大なコストがかかる」という理由を挙げていますが、現在使用している県庁舎の建て替え時期が遅かれ早かれいずれ訪れることは確実ですから、福島市に県庁を残す場合でも庁舎の維持管理費や建て替え費用という膨大なコストがかかるのも確かです。

その辺が今回NHK福島と若干違う点かなと思いました。

最後に僕の結論ですが、多くが抱いている「福島県の県庁所在地は、なぜ郡山市ではなく福島市になったのか?」という素朴な疑問に答える形でNHK福島が真摯に取り組んだ非常によい企画だった、としたいと思います。

郡山市立美術館(2010年7月撮影)

郡山市立美術館で、ただいま印象派展(印象派 モネからアメリカへ ウスター美術館所蔵)が開かれています。

作品の多くが初来日ということで、これまでにないくらい多くのファンで賑わっています。

2024年6月撮影

5月と6月にここを訪れてみましたが、開館時間を過ぎるとすぐに駐車場が満杯になってしまいます。

今回は、奥の駐車場からクルマのナンバーを注意しながら歩いてみましたが、隣県に加えて平泉や複数の多摩ナンバーも見かけました。

中には「滋賀」というのもあり、思わず二度見してしまいました。この展覧会が主目的で郡山に来られたのかどうかはわかりませんが、とにかく美術ファンの行動力には驚かされます。

新幹線などを利用して遠方から来られた方も少なくないはずです。

2024年5月撮影

郡山市立美術館は、僕のお気に入りの場所の一つで、カメラを携えて出かけることも少なくありませんが、多くの県外の方にも注目していただけるのはとてもうれしいことであります。

ここの建築については、郡山市立美術館のウェブサイトでも紹介していますので、今回は開館までの経緯を簡単におさらいしてみたいと思います。

福島市に建設された福島県立美術館は今年が開館40周年ということですが、当時、この県立美術館の誘致に失敗したことが郡山市独自の美術館建設へと舵を切らせるきっかけとなりました。こちらは開館32周年を迎えています。

2023年11月撮影

建設場所についても議論を呼び、商工会議所は「市街地再開発と商業活性化のためにも市街地に建設すべきだ」として①開成山公園の一角②現在の水道局庁舎と豊田浄水場(水上美術館)③買収か借用による日東紡第一工場敷地④麓山の現市民会館を解体した跡地⑤荒池(水上美術館)の5カ所の具体名を挙げていました。

2016年7月撮影

建設場所決定に関する新聞記事が手元に見当たらないので定かではないのですが、最終的には風土記の丘を整備するということで落ち着いたように記憶しています(しかし、肝心の風土記の丘公園はいったいいつになったら整備されるのでしょうねえ)。

2010年11月撮影

当時、市民の多くも風土記の丘案には賛成ではなかったと記憶していますが、今回のような混み具合を見てしまうと、市民の声に耳を貸さず公共交通の便がよくない風土記の丘に建設したことはやはり失策としか言えないのではないでしょうか(困ったものです)。

2003年11月撮影

ちなみに、今回の展覧会は、郡山市制施行100周年事業、福島中央テレビ開局55周年プレ記念事業、福島民友新聞130周年プレ記念事業として企画されています。

1998年11月撮影

浄水場跡地(2014年10月撮影)

前回、デンソーエアリービーズが宝来屋郡山総合体育館をホームアリーナとするという明るいニュースをお伝えしましたが、続報として、旧豊田浄水場跡地に練習用体育館、選手のロッカールーム・宿泊施設、事務所などを整備したいとして郡山市に1ヘクタールほどの市有地の借用を申し入れたと数日前の福島民報が報道しています。

確かに浄水場跡地ならホームアリーナに近いというだけでなく公共交通の便もよく、U15やU18など下部組織の育成でもデンソーにとってこれ以上ない立地となることは間違いないでしょう。

ですが、こうした嬉しいはずのエアリービーズ本拠地移転のニュースも、今回の市有地借用申し入れの記事を読んだあとで、なんともスッキリしない気持ちにさせられてしまったのですが、それって僕だけのことでしょうか?

12ヘクタールに及ぶ旧貯水池を含む豊田浄水場跡地の利用計画の全体像は未だに市から示されていませんが、需要が発生した時点でなし崩しにその都度建設を認めていくということなのでしょうか?

これまで市は、「旧貯水池」と表現していましたが、今回の報道では「旧浄水場跡地」となっているので、有識者懇談会で話し合った件とは全く別物だと言いたいのでしょうか?

浄水場跡地(2024年5月撮影)

歴史情報博物館の建設場所は十分な敷地をとれる浄水場跡地にという市民の意見も少なくなかったのですが、そういう声を無視したのには、浄水場跡地の利用計画を何も決めずに建設するわけにはいかないという理由があったからだろうと勝手に想像していたのですが、今回の報道は、市民の声を活かしながら主体的、自律的に未来の郡山の姿を描こうとしない現郡山市政が、外部の力を利用してこれまでと同様のやり方で浄水場跡地も場当たりで開発して利用していくという市の方針表明だとしたら、どう思いますか?

我々も、浮かれ気分でよく検討もせずに借地を認めてしまって良いとは思えません。

郡山市民としては、「市街地のど真ん中にある12ヘクタールもの広大な市有地利活用策の全体像を示すことが先決だ!」とハッキリと意思表示することが重要ではないでしょうか?