徒然素心ひとりごと (original) (raw)
自然と歴史とビールをこよなく愛するおじさん達。
今回の舞台は**秩父**。紅葉はどうだろう? 曇り空、雨にあたりませんように。
■三峯神社
最初は屈指のパワースポットといわれている**三峯神社へ。伊弉諾尊と伊弉册尊がご本尊ということで、9月に行った淡路島の伊弉諾神宮**とのご縁を感じます。
鳥居の両脇にも小さな鳥居が、そしてその前には狛犬ならぬ狛狼。この不思議な光景のせいもあり、鳥居をくぐった途端、ピンと張った霊場感に包まれたよう。標高約1100mに鎮座しているからか、冷たい空気が緊張感に拍車を…。
境内の参道では、どこまでも天に向かって伸びる杉並木が力強い空間を演出。一同、神妙な面持ちで張り詰めた空気の中を進むと立派な随神門、さらに進み青銅鳥居をくぐるといよいよ拝殿。
拝殿の近くのご神木はなかなかの迫力、〝ご神木から発する「気」は活力そのもの〟との説明書きもあるので両手をかざしてご神木とエネルギーを交換させていただきました。ありがとうございました。
境内には、伊弉諾尊と伊弉册尊をここにお祀りしたとされる**日本武尊**(やまとたけるのみこと)の像が、大きな手をあげて私たちを見下ろしていました。
さて、テレビや雑誌では三峯神社までの道のりはあまり触れられていません。
しかしここにたどり着くまでが結構大変。西武秩父駅からバスで約80分。三峰口(峯じゃない❓)からはひたすら登り、特に秩父湖を過ぎてからは細いくねくね道の連続。道幅も狭く対向車とのすれ違いも難儀ですが、バスを操る運転手のテクニックはさすが。私たちは乗っているだけなんだけど、それでも「こんなところによく建てたなぁ」「その昔は山道を人力だろうし…」を実感。この行程を含めて三峯神社のパワーだと感じた一行。
■秩父神社
秩父市の中央にドンと鎮座。ご祭神の一柱は、政治・学問・工業・開運の祖神である**八意思兼命**(やごころおもいかねのみこと)。〝いつもありがとうございます、いっそう成就できますように〟。
本殿は左甚五郎だらけ。「お元気三猿、つなぎの龍、北辰の梟、子育ての虎」が見事に本殿を囲んでいて、これは圧巻、必見!
■パリー食堂
秩父神社から駅に向かって、石畳が美しい番場通りを歩いていると…、だれかが「パリー食堂やん、ここ有名なとこ」と。今回の夜会はここに決定。店内へ足を踏み入れると、建物、テーブル、壁、天井、メニューなど、すべてが昭和の優しい空間。そして懐かしのオムライス、しゅうまい、ぎょうざ、ニラレバ炒め…、どこを切り取っても優しい昭和の味。
ふたりのお姉さんの温かい接客や会話が嬉しい、そしてテーブルに置かれている店主からのメッセージが泣ける。
おかげさまで雨にもあたらず、紅葉とともに楽しく穏やかな時間を過ごすことができました。
みんな、ありがとう。
新たな出会いと発見と、その先の自分を探して、つぎはどこ行く?
(ま)
すこ~し不思議な知人の紹介で六甲比命大善神社へ。そこはうわさ通りの神秘的な異空間だった。
六甲山上バスで最寄りの「アスレチックパークGREENIA」停留所に降り立ったのが午前10時。この日はGREENIAが休場日だったこともあり周りには誰もいない。聞こえるのは風が奏でる木立の葉音だけ。SNSに多くの人が投稿してくれていたおかげで行き方・目印がとても役に立ったが、それでもひとりで不気味な人気のない山の中に分け入るのは不安!
人間って不安と期待と寂寥感が交錯すると、つい独り言を発してしまう(私だけ)? 「風が気持ちいい…」「紅葉はまだなんかね…」、そのうち「本当にこの道であってる?」とか「人の気配が全くないけど!」とか…。だから「心経岩・六甲比命神社はこの上です お気をつけてお上がりください」と妙に親切な案内が見えたときには、ひとまずホッとした。
しかしここから先は空気が違う! 大丈夫だよな…と何度も振り返りつつ、階段坂を上ってほどなくすると「心経岩」に。大きな岩に般若心教がびっしり彫られている。圧倒的な重厚感がすごい! 誰がどうやって??
さらに急斜面を上っていくと、荘厳な磐座のご神体が…不気味。一礼して手を合わせてから、拝殿はまだこの上かぁ、足元こわ!
拝殿の奥、岩に囲まれた薄暗い隙間に小さな祠が…ここが本殿。なぜこんなところこに?いやこんな場所こそ相応しい?複雑な思いが交錯。心の中で何度も〝祓え給い、清め給え。祓え給い、清め給え〟…。
拝殿には守り人がいて、
「初めてですか?どちらから?」
「神戸です、東灘区。生まれは大阪の千里なんですけどね」。
「千里?吹田市? じゃぁ垂水神社はご存じですか?」って言われて、こんな地図を見せてくれた。
「知ってるも何も、幼稚園が近くだったので、遊び場所でしたよ。えっなに?真東-真西の位置関係じゃないですか?」
聞けば、六甲比命大善神社の主祭神は「瀬織津姫」。垂水神社のご祭神は「豊城入彦命」だそうだが、境内にある祓戸社には、**祓戸大神である四神がお祀りされていて、四神の一柱が瀬織津比売命なんだそう。さらに瀬織津姫はすべての罪や穢れを洗い流すことができる、神様の中でも重要な力を持つ水の神様。垂水神社の「垂水」とは「崖から流れ落ちる水」を意味し、古くから水の神として信仰**されてきた…のだと。
そして「あなたは、きっと、そのときからここに導かれていたんですね」って。
驚いたのなんの…、60年の年月を経て今自分はここにいる⁉️ なんて神秘的でスピリチュアルで、底知れぬパワーを感じる話し…ここはそんな場所なのか‼️
御朱印をいただき、拝殿を辞して、さらに急勾配を上へ目指すと、見事に真ん中から割れている「雲ヶ岩(紫雲賀岩)」。雲…というより、きれいにヒップアップされたお尻みたいなんだけど…。
さらにその上には、きっとここで神事の祈祷が行われたことを思わせるような真っ平らな「仰臥岩」、その奥に「花山法皇、仏眼上人、熊野権現連名の碑」。
なんにしても不思議な場所。
異世界から俗世に戻ってきて、なんかホッとして…。紅葉はまだまだでしたが、余韻に浸りながら六甲ケーブル山上駅までぶらぶら散歩。 身近な六甲山に、 いつもと違うこんな神秘な異空間があったとは🫨😳
そして夕方、見上げた空に彩雲が…、なんて神々しい‼️
PS.
その後、六甲山を見上げるたびに、六甲比命大善神から後光が降り注いでいるような…、そんな気持ちで過ごす毎日。
(おまけ)
同じ日に生田神社へも参拝。立派な本殿もさることながら、本殿裏の生田の森にある樹齢500年を超えるご神木のパワーがすごい!
続けて北野異人館街に同居している**北野天満神社**へ。神戸北野町にあるから北野天満神社かと思っていたら真逆! 社務所で聞くと、北野町という町名は北野天満神社に由来しているとの事(そりゃそうだ!)。北野天満神社の歴史は古く、京都北野天満宮とも縁がある由緒ある神社だそう。境内からは三宮の街並みが一望、絶景!
(ま)
前作、前々作に続き、もう少し企業経営について考えてみたいと思います。
というのも、「船井電機が倒産」のニュースを目にしたからです。10月24日、東京地方裁判所から破産手続きの開始決定を受けたとの事。民事再生でも会社更生法でもなく「精算」であり、またひとつ純国産ブランドFUNAIが消えることになりました。
ショック!!
しかし残念ながら、前々作で取り上げた書籍が語っていることが、いくつも当てはまります。
結局は〝負の連鎖(製品の国際競争力の低下→異業種への進出→さらなる経営の混乱)〟のアリ地獄から抜け出せなかったという事でしょうか? 残念でなりません。
やはり企業組織というのは、最後の〝拠り所〟=「ビジョン=目指すべき姿、ありたい姿」や「パーパス=存在意義、志」が必要不可欠であり、この**羅針盤**を見失ってしまうと、所詮目の前の対処療法だけでは迷走=負の連鎖に陥るということをあらためて目の当たりにした気がしました。
〝拠り所〟と言えば…、
思い浮かぶ会社の一つがパタゴニア(パタゴニア アウトドアウェア)
会社の意思決定はすべて「環境危機」というひとつの文脈で行われているそうで、その根底には〝故郷である地球を守る〟という強い意志を感じます。
パタゴニアの商品はアウトドアを中心としたウェアやグッズなどです。ともすると環境保護活動のためにビジネスを行っているのか…、ビジネスを通して環境保護を訴えようとしているのか…、鶏と卵のような話ですが、そうではありません! 最近出版された書籍「レスポンシブル・カンパニーの未来」には、(どちらが始まりであったとしても)責任ある企業はどのように行動すべきか…、50年にわたって試行錯誤の末に築き上げた考え方と行動指針、環境保護とビジネスの両立を実践し、そのためのビジョンと真理と信念が描かれています。まさに!これこそ**CSV経営**ではないか‼️
そもそもパタゴニアという会社は、2017年に発行された書籍「社員をサーフィンに行かせよう」が示唆している通り、社員の自主性を尊重し、仕事も遊びや趣味においても豊かで満ち足りた生活=まさに**ウェルビーイングそのものに根差した〝人的資本経営〟**を実践してきているのです。
つまり、揺るぎのないビジョン(目指すべき姿)とパーパス(存在価値、羅針盤)を貫いていく経営陣の強い意志と苦労の先には、おのずとCSV経営やウェルビーイング経営が実現できていく→目指すビジョンに近づける…ということを身をもって伝えてくれているように思います。
〝人的資本〟と言えば…、
アマゾンの都市型熱帯雨林**「The Spheres**」。シアトルにあるアマゾン本社の一部というからオドロキ!
Amazonのオフィスツアー vol.1:シアトルにあるAmazonの都市型熱帯雨林「The Spheres(スフィアーズ)」の16のおすすめポイント - About Amazon | Japan
3つの球体(sphere)を合体させたような形状のガラスドーム。内部は温室で、世界中から集められた数万本もの植林、流れる川や滝、泳ぐ魚…。アマゾンの従業員はここで散歩したり、コーヒーを飲みながらミーティングをしたりするそうです。
もうスケールが違い過ぎる❗️
その真意は…「アマゾンの企業価値を高めるために何よりも重要な資産は、従業員が生み出すイノベーションだ」と考えているからだそう。CEO自らのこの発言は、なんと心強いことか!
根拠なき悲観論や思考停止した日本企業の中には、コーポレートガバナンスの仮面のもとに、カネを守るためにヒトを犠牲=人件費はコスト=にする〝名ばかり管理〟が横行し、社員のエンゲージメント低下を招き、さらなる業績低迷に陥る悪循環。
人材⇒人財はコストではなく資本である…これだけは決して忘れないでほしい! すべての源泉はここにしかないのだから!
(ま)
「〇〇経営」という言葉が氾濫しています。「ESG経営」「CSV経営」「タイムマシン経営」 「ウェルビーイング経営」「人的資源経営」などなど…。そして呼応するかのように、経営戦略や経営改革、企業価値の創出などと銘打ったセミナの多いこと! しかも「〇〇流…」やら「〇〇から学ぶ」から果ては「間違いだらけの…」まで、興味をくすぐるタイトルの数々。
どれも素晴らしいのですが、こんな広告を目にするにつけ思いだすのは、本田宗一郎さんの言葉。京セラを創業して2・3年目の若かりし稲盛和夫さんが、初めて本田宗一郎さんと出会った有馬温泉での二泊三日の経営セミナで、講師に招かれた本田宗一郎さんが開口一番言い放ったこと…、
「みなさんは、いったいここへ何しにきたのか。経営の勉強をしにきたらしいが、大体、温泉に入って、浴衣を着て、経営が学べるわけがない。さらに、他人の話が経営のプラスにならない証拠に、私はだれからも経営について教わっていない。そんな男でも会社が経営できるのだから、こんなことにお金と時間を使っている暇があるなら、早く会社に戻って仕事をしなさい」
この言葉だけでも経営者たる真理をついた、強烈だけど温かいメッセージのように感じます。
しかし現実は経営セミナが大はやり。大はやりということは、その分聴講者も多いという事。でもその割に、実際に経営力が向上した企業はどれだけあるのだろう???
まさに前作、「日本企業の挫折と復活ついて考えた…モヤモヤする日本ブランドの現状 - 徒然素心ひとりごと」のような、似非世界標準経営(似非アメリカ式経営)に飛びつき、中途半端な導入に走らなければいいけど…❗️
たとえばパーパスとVMV(ビジョン、ミッション、バリュー)。
パーパス経営が叫ばれるようになった途端、昨日まで「ビジョンだ/バリューだ」と言っていたのに、とってつけたようにVMVの上にパーパスを乗せただけのピラミッドを描いて、急に「これからはパーパス経営だ」なんていう経営者がいます。
しかも各社のミッションは、どれも立派な言葉が並んでいるけど現実感を欠いたもの、当たり障りのないものが多いように感じます。だから、
「創造によって産業に貢献する」とか、「確かな技術で豊かな未来を創る」とか、「自社の強みを生かし事業を拡大する」って言われもなぁ…すべての会社がそうでしょう。
そんな折、味の素・執行役の講演を聴く機会がありました。流行り言葉に飛びつくものの長続きしない経営者が少なくない中、信念と自信に満ちた、非常に響くお話でした。特に印象的だったのは、〝個人のパーパスの実践で企業価値を向上させる「Our philosophy」〟について。
一見、先のピラミッドと同じように見えますが、味の素では、
位置付け、パーパスを実現するためには、「多様な自律した個人」と「価値創出する組織」が共に成長しあうことが不可欠だとして、時間をかけて創業の志を全社に浸透し続けているとの事でした。そしてこれこそが人的資本経営推進のためのウェルビーイング経営そのものだとも。
つまり、はやりのキーワードを単にくっつけているのではなく、それぞれを自分なりに解釈して論理を組み立て、理論立てて意思表明していると感じたのが、なぜか嬉しかったのです。
(Our philosophy | グループ企業情報 | 味の素グループ もご参照)
ほかにも、
- 中期経営計画をやめて、FY30(なりたい姿)に向かって今何をすべきかを考えるバックキャスト指向の経営
- 企業価値の源泉となる人財のエンゲージメントを高めるための〝ASVエンゲージメント強化サイクル〟の取り組み
- 目標に向かって「Try & Run」の姿勢(※Challengeは〝失敗は許されない〟とのニュアンスがあり高尚とのことで…)
このような実践例に触れると、あらためて私たち日本人は、本質的な弱点や弊害を認識し、意識を変えることによって、もう一度自信をもって、独自のアプローチで取り組んで行けるのでは…と考えます。なによりワクワクします。
味の素以外にも素晴らしい「Our philosophy」を掲げている企業はあります。
これら企業に共通しているのは、企業として日常的に何を意識し、どのような行動をとるべきか…行動への落とし込みまで明確に提示されていること。さらに従業員の自主性・自立性を尊重していることのように思います。
しかし一生懸命探さないと、このような素晴らしい 「Our philosophy」に出逢うことができません。もっともっと国内外に向け、声高にPRしてほしいと願います。
そして私たちも企業の「Our philosophy 」にもっと関心をもってもいいのではないでしょうか❗️❢
(おまけ①)
パーパスに触れるにつけ、近江商人の「三方よし(売り手よし、買い手よし、世間よし)」や、高田郁さんの小説「あきない世傳 金と銀」の五鈴屋の店是「買うての幸い、売っての幸せ」が思い浮かびます。
ほらここにも…。あわてて〝パーパスという言葉〟に飛びつかなくても、昔から日本人の心の根底には、このような精神が宿っているのですよ!!
(おまけ②)
しかし「パーパス=存在意義…何のために存在しているのか」という経営の根本にある理念・価値観だとすると、
- ビジョン=目指すべき姿…〝実現することで私たちの存在意義を示す〟
- ミッション=果たすべき使命…〝ビジョンに向かいパーパスを示すために私たちがするべきこと〟
- バリュー=行動指針…〝行動することで私たちの存在意義を示す〟
と解釈できるので、
単純なピラミッドより、私はこの方がしっくりきますがいかがでしょうか?
(ま)
きっかけは家電量販店へ行った時の衝撃からでした。
テレビ売り場では、Hisense(中国資本)、REGZA(東芝かと思いきや中国資本、その東芝も上場廃止)、シャープ(台湾資本)の中国系ブランドが幅をきかせていて、日本ブランドのPanasonicやSONY、船井電機は隅に追いやられているありさま。薄々とは感じていましたが、実際に今の勢力構成を目の当たりにすると、素朴に「何故だ⁉」…やはりショックです。
それもそのはず、財務省財務総合政策研究所などのレポートによると、
2008年 日本ビクターはケンウッドと経営統合(2011年 JVCケンウッドに吸収合併)
2011年 レノボ(中国)がNECの個人パソコンの事業を買収
2012年 パナソニックが三洋電機の洗濯機・冷蔵庫事業をハイアールに売却
2012年 日立が薄型テレビの国内生産を終了
2014年 シャープが欧州での家電生産・販売から撤退
2015年 パイオニアがオーディオ事業から撤退
2016年 鴻海精密工業(台湾)がシャープを買収
2016年 ハイアールがゼネラル・エレクトリック(GE)の家電事業を買収
2018年 東芝がテレビ等の映像事業をハイセンス(中国)に売却
なるほど**選択と集中という一見立派な戦略にも思えますが、トカゲのしっぽ切りの如く赤字の事業を簡単に売却して損失を最小限にしようという、いかにも安直な行動**にも見えます。売却事業がなくなってもほかにも事業があるから、まぁいいか…ということでしょうか? せっかく築いてきたノウハウをもう一度活かそうとは考えなかったのでしょうか?
大手食品製造販売業の執行役員・子会社社長を歴任された方に、「日本企業はなぜ世界と戦えなくなったのでしょうね?それどころか海外資本に押され気味だし?」と投げかけてみたら、
「テクニックややり方の問題ではなく、そもそも〝自信と誇りをもって世界で戦う〟という気概が薄れてきているのかなぁと感じる」と。
かつて日本には一代で世界と渡り合える会社をつくり、経営の神様と呼ばれる伝説の経営者やリーダ…いわば〝厳しくも人間味あふれる親父のようなリーダ〟がたくさんいました。一方で今は…、人と組織を動かす強いリーダシップをもつ後継者が現れなかった(育たなかった、育てることができなかった)と言えるのではないかとも思います。
しかしもっと…なにか論理的な真実があるのではないかとモヤモヤしていたら…、2つの本に出合いました。
ひとつめ、
この本では5つの大罪として、
- 誤認の罪(高品質・高性能・高付加価値を極めれば競合に勝てると思い込み、差別化が困難になるデジタル化の本質を見誤った)
- 慢心の罪(他国は日本に追い付けないと思い込んだ結果、自信が慢心にまで肥大化した)
- 困窮の罪(バブル崩壊など苦境の中で目先の課題に気をとられるあまり、「選択と集中」に邁進する中でイノベーションを起こす力を自ら削いでいった)
- 半端の罪(アメリカ流経営の中途半端な採用、経営層やエリートを守って現場をリストラする中途半端な日本型雇用改革が、最終的には組織全体のエンゲージメントの低下につながった)
- 欠落の罪(明確なビジョンを示せなかった日本の組織、経営者の消極的な姿勢)
を挙げています。
なんといっても実体験に基づく考察なので、それは説得力があります。しかも「④半端の罪」と「⑤欠落の罪」は今なお続いているように思いますしね。でも考えてみたらどれもこれも〝経営判断の誤り〟じゃぁないですか⁉
では、なぜ錚々たる経営者たちがこぞってミスリードしてしまったのか?
ふたつめ、
この本が訴えるメッセージを私なりに整理すると、概ね以下のふたつと考えました。
① 「ヒトよりカネ」の似非世界標準経営(似非アメリカ式経営)の中途半端な導入が、エンゲージメントの低下を招いた
- これ私は激しく同意です。私がハナタレだった昭和の経営は、価値創造の主役はヒトであり、「企業は人なり」が競争優位や差別化にもつながった時代でした。
- しかしバブル崩壊などを経て、なぜか誰も彼もがアメリカ流経営に飛びつきカネ優位(必然的にヒト軽視)の経営へと舵をきります。アメリカ流経営が**競争原理と成果主義**という、日本流経営の対極にあるにもかかわらず。
- この本は、「日本の経営は遅れていると根拠なき悲観論や自虐による思考停止に陥り、コーポレートガバナンスの仮面のもとに、カネを守るためにヒトに無駄な時間を強いる経営とは言えない〝名ばかり管理〟が横行」と言います。
- いずれにしてもヒト軽視は、先の「半端の罪」の如く、社員のエンゲージメント低下を招いたことは間違いがなく、これでは世界と戦えるはずがありません。
② 日本は経営技術のモデル化、コンセプト化してまとめる力に弱点がある。その結果、経営技術の逆輸入が日本企業の経営に実害を生んだ
- これは非常に納得感がある論理だと感じます。キーワードは〝コンセプト化〟。
- 従来の日本の経営技術は、特定企業内や産業内でのみ通用する文脈(濃密な人間関係に基づく阿吽の呼吸や根回し)に依存したものが多く、それが差別化=強みでもあった。一方、アメリカの産官学は世界中から有望なものを見つけ、論理モデルに変換して、誰にでも理解できるコンセプトを創出。
- すると何が起きるか? 誰にでも理解できる経営コンセプトは世界中に広がり、新たな事業機会を生んだ…⇒当然、日本にも逆輸入され…⇒知らずうちに〝強み(すでに自社が蓄積していた経営技術)を自ら捨てて、弱み(美味しそうな表面だけ)を取り入れる愚行〟に走っていた…ということ。ビジネス界で「流行り言葉」「バズワード」となっている経営コンセプトの中には、日本企業の経営技術が源流のものがあるにも関わらず。
- この本は、「日本企業は、文脈に依存した緊密なコミュニケーションを強みとしてきたが、このことが抽象化・論理モデル化の組織能力を低下させた可能性がある」と言っています。皮肉な相関関係です。
冒頭の元社長の「世界で戦うという気概が薄れてきた」という感覚は、まさに「5つの大罪(経営ミスリード)」や、「似非世界標準経営(似非アメリカ式経営)の逆輸入」を感じとられたからこそかもしれません。
おかげさまで私のモヤモヤは少し晴れましたが、あらためて私たち日本人は、本質的な弱点や弊害、愚行を認識し、意識を変えることによって、もう一度自信をもって、独自のアプローチで取り組んで行けるのでは…と考えます。
先の元社長は、「高齢社会化・労働力不足に直面する日本には余り残された時間も無いのに、どうして皆さんジタバタしないのか不思議だよ」とも。
手遅れにならないうちに‼️
(ま)
最近よく耳にする〝ウェルビーイング(Wel-being)って何だ? 直訳すると「良い状態」ですが、調べたらWHO世界保健機構の憲章がわかりやすく、「健康とは、病気でないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが満たされた状態(Wel-being)にあること」と定義されています。
単に「幸せ/満足」ということではなく、〝心身ともに良い状態であること/その状態を持続すること〟だと理解しました。そうだとすると、どうやら私たちや社会にとってとても重要なキーワードじゃないですか。
さらに**ウェルビーイングをより知ろうとすると、「ポジティブ心理学」**という言葉に行き当たりました。「ウェルビーイングこそが、ポジティブ心理学のテーマである」と。
これら著書の先生方に教えを乞うと、ウェルビーイングを決定する尺度は、
- P :ポジティブ感情
- E :エンゲージメント、没入、没頭
- R :豊かな人間関係
- M :意味、意義
- A :達成感
であり、さらに持続的な幸福を実現するためには、
健康/強み/自尊心/自律性/やりぬく力=グリット/レジリエンス
が重要な要素であると。
私が好きなグリットや**レジリエンスをはじめ、ストレスとストレスコーピング**など、とかく単体で議論されることが多い言葉達が一堂に会し、相互に関係しあっていることがとても興味深いですね。あらためてウェルビーイングには、幸福論とは異なる奥深さがあることを実感しました。
「人は「強み」を活かすことで物事に「E:没入」し、大きな「A:達成感」を手にする。また達成した成果から「M:意味、意義」を見出し、これがさらに強みを生かす原動力になる。こうして人間は他人から差別化された確固たる人物として、他者とより良い「R:関係」を結べるようになる」
と解説されていますが、単純な話し、
- 人は興味を持つと熱中する
- 熱中するとうまくできるようになる
- うまくできると自分の自信になる
- 自信は強みになる
- 周りから評価されたら、満足感、充実感を得ることができる
- さらに世の中に貢献できれば、満足感、充実感が増大する
ということ。
だからいくつになっても(特に少年期~青年期)興味を阻害してはダメで、今のような詰め込み式の金太郎飴育成教育ではウェルビーイングは実現できないだろうな…と心底思います!
実際、この著書に中でも、
- 親が自分の子供に望むことは、幸せ/自信/心の安らぎ/充実感/バランス/親切心/健康/満足/愛情/教養/意味・意義など、
- 一方、学校で教えていることは、達成/考えるスキル/成功/順応/読み書きの能力/数学/勉学/受験/規律など、
と、子供にとってウェルビーイングは優先課題のはずなのに、学校では社会で成功する術を中心に教えていて、この間には大きなギャップがあることが見て取れます。
またGALLUP社による調査「職場のパフォーマンスと社会の健全性に関する世界指標2024」の中の「Employee Wellbeing」
によると、従業員が変えたいのは(変えてほしいのは)報酬アップもさることながら、**ウェルビーイングと企業文化の改善**だといいます。
ウェルビーイング経営などという言葉もむなしく、ここでも職場と従業員の間にギャップがあります。働き方改革が叫ばれる中、組織には今まさに社会が求めている**ウェルビーイング=生産性向上+充足感=**への取り組みを切に願いたいです。
最後に、もう一度、先の2つの著書の副題を噛みしめて、
「幸福から持続的幸福へ」 「ウェルビーイングな生き方を求めて」
まずは私自身ができること=自分自身がウェルビーイングになること、あらためて意識すること=から始めてみよう。そうでないと周りもウェルビーイングにはならないだろうし…。そして仕事でお世話になっている企業にもおすそ分けしてみよう=コンサルタントに丸投げではなく自分の頭で考え行動しないと、それなりの無難な結果しか得ることができませんよ=と。
(おまけ)
毎年発表される「世界幸福度ランキング2024」
によると、2024年の世界幸福度ランキング1位は7年連続フィンランド(上位3位は不動)、日本は51位(前回2023年は47位)に後退し、G7の中では引き続き最下位。年代別では、60歳以上では36位、45~59歳で52位、30~44歳で63位、30歳未満は73位と、若い世代の満足度が低くなっています。
指標別では、「一人当たりのGDP」や「健康寿命」は上位であるのに、「寛大さ」や「主観的満足度」「人生を選択する自由」はかなり低く、「社会的支援」も高いとは言えない状況。
相変わらずの結果ですが、国の豊かさと個人の感覚にはかなりギャップがあるようです。しかし少しひねくれた見方をすると、豊かになったが故の〝わがままな欲望〟のようにも感じます。
(ま)
昨日(9月23日)またひとつ歳を重ねました。「おめでとう」と言ってもらえることはもちろん嬉しいですが、ここ数年は、〝歳を重ねる〟とはどういうことか…を考えてしまいます。歳を重ねていく…ということは、経験豊富で知識に溢れ、日本や世界の情勢に明るく、難しい漢字もよく知っていて、それでいて包容力があり温厚で厳しいという勝手なイメージを持っていて、私にはそれが伴っているだろうか? それに相応しい顔つきになっているだろうか?と。その意味で、自分はまだまだ…イヤ、ここ数年、むしろ停滞しているのではないかと感じるほどです。
最近、「サクセスフル・エイジング」という言葉を耳にするようになりました。どうしたら〝幸福感にあふれた(サクセスフルな)〟〝歳の重ね方(エイジング)〟ができるのか? それには3つの条件があるといいます。
- 病気や障害がない、または発生が低いこと
- 認知機能や身体機能が良好に保たれていること
- 社会貢献も含め生き甲斐をもって社会活動に積極的に関与すること
どれも難しいけれど、どれもしごくごもっとも! ①と②は自分相手の事なので、自身で節制すればいいのですが、③は相手があることなので、なかなか思うようにはいきません。これまで自分を育ててくれた社会への恩返しを…と思ってはいるのですが…。
「LIFE SHIFT 恩返しと私の100年Life」を書いたのは今年の1月。
この中で整理した「自分の100年Lifeをデザインしたポートフォリオ」。9ヶ月経った今、私にとっての③のヒントはこの中にあるはず…と、現状を振り返り、見直してみました。
[青+③社会活動への関与]は、私の経験と強みを活かせる領域で、ありがたいことに今も声をかけてくださる方(会社)がいるので継続できていますが、徐々に縮小していくと思われます(以前のように能動的に種まきしていないし、後進にも譲らないと…という意味で)。とすると[黄+③社会活動への関与]の見直しと、[緑+③社会活動への関与]の具体化に向けたプランと実行が大切であることに、あらためて気づきました。
性格的に、新たなコミュニティに参加していくことが苦手なのですが、でもその先の自分を探して、
- ひがまない
- 見栄を張らない
- スマートにふるまう
を心がけ、あくまでも自分らしく歩いて行こうと…誕生日を迎えた日の思いでした。
(おまけ)
私にとって〝ブログを書くこと〟は、エッセーでもあり、考えていることの記録でもあり、伝えたい・聞いてほしいメッセージでもあり、そしてとりもなおさず「③社会とのつながり」であることは間違いありません。
(ま)