mitunohikari ⭐︎☉☽ (original) (raw)

減点式の生活を長く経験するせいなのか・・・
足りないことには、すぐ気が付くけれど
足りてることは、気が付きにくくなっているよう。

当たり前に過ごしている日々のことに
ひとつ ひとつ 目を向けると

あらためて、
その有難さに気づきます。

例えば
朝起きてからのことなど。

今朝も目覚めることができたこと。

太陽がのぼってってくるのを
見ることが出来ること。

鳴きはじめた鳥たちの声が
聞こえること。

日差しの暖かさを
感じることが出来ること。

今朝も
食べるものがあること。

きれいな飲み水があることの
有難さ。

体操が
自由にできること。

行きたいところに
一緒に行く人がいること。

バスや、電車や、船 などが
時間に正確に動いていること。

わたしたちの周りにの
たくさんのあるもの、出来ること。

そんなことに気づくと、
豊かさが変わるように感じます。

不調になった時、それが、
肉体(ボディ)の問題なのか、
心(マインド)の問題なのか
あるいは、
より深い部分(スピリット)の問題なのか
それらを配慮する必要があります。

例えば、肉体の不具合の場合は
骨折のときは、外科に行きます。
風邪のときには、内科に行きます。
なんとなく不調で迷うときは、総合病院に行くかもしれません。

肉体の不調が、心に起因するときは
その心の負荷を取り除かないと、肉体の不調は続きます。

肉体も心も良好なのに、活力が弱ることがあります。
それは、この夏のような猛暑の季節によるかもしれないし
加齢によるものかもしれません。

あるいは、深い喪失から来るものかもしれません。
時の経過がそれを軽くしてくれることもあれば
逆に、深まっていくこともあります。

自分でも気づくこと無く、
こころの深い所に潜んでいることもあるかもしれません。

不調として顕われてきて、日常生活に不具合が生じてきたら
そのレベルにあったところで、対処する必要があります。

しかしまた、もう一つの見方もあります。
急を要する症状として顕われているときは、まずそれに対応しなければなりません。

今がとても辛くて、今日明日も越えられないようなときには
その根本原因にゆっくり取り組んでいる場合ではありません。

そのバランスを知り使いわけるのが、重要です。
そんなこと、当たり前・・・と思うかもしれません。
文字で・言葉で言うのは簡単だけれど
現実の生身のヒトとしては、これらは当たり前には出来ないことが
多いのです。

それらの変化に気づけるためにも
自分自身の、身の回りにいる人たちの
ベースの状態を知っておくことは、とても大切になります。

華佗(かだ)」

今年春頃、ワークショップで、家族との過去に意識を向けていたとき

その名前が、唐突にやってきました。

そんな時はテレビをつけた途端、華佗の文字が目に飛び込んできたりします。

華佗の提案した“九針の戯”の場面「ホジュン 宮廷医官への道」)

華佗のことは、中医学を学んでいたときに幾度か聞いたことがあり、その都度気になる存在として心に積もっていく存在でした。

華佗は、中国後漢末期(2世紀ごろ)を生きた伝説的な医学者。高い医術を持っていたと伝わります。

私の中でその華佗がいつも心に残る理由は、その類い希な医術のことだけではありませんでした。その彼の著わした医学書が後生に残らなかったという事実でした。

宮仕えを拒み、魏王曹操の逆鱗に触れて投獄されます。死に臨み獄史に託そうとした書物は、燃やされ残りませんでした。その書物が後世に残っていれば、救われた命も沢山有ったのではないか。

そしてなにより、最期の時に、華佗の心に去来したことは何だっただろう、といつも思ってきました。

自分自身が年齢を重ね、エリクソン発達段階でいうところの第七~八期になってきました。会社勤めしていれば定年退職を迎える頃で、このまま穏やかに日常を過ごしていくのも良いと、思い始めた矢先でもありました。

しかしこれまで、貴重な学びの機会に恵まれ、伝えられてきた事々を自分事だけに留めておいて良いのか?誰の役にも立てずに?ある意味それは「怠慢です。」と励ます声もありました。

そしてなにより、最期の時にそんな思いがやって来ても、そのときはもう間に合わないのだと言う思いが胸に迫ってきたのです。

今やれることをやろう。

2つのことに再チャレンジすることに決めました。

受け入れてくださった方々に感謝いたします。

日曜日に義父の49日法要を営み…

経文の文字を追ったり、仏事の話を伺い、来し方行く末に思いを馳せる日となりました。

源氏物語』の中に頻繁に綴られる、出家へのあこがれ。

…あの時代、心の平安は俗世には求め難かったか、、、。

自らが年齢を重ねたことで、光源氏が紫の上を失ってからの回想の物語こそが素晴らしい、と感じたこの頃です。

久しぶりに実家を訪ね、兄と話したり、母が箪笥に遺していった物たちを見て触れて…譲り受けて、また様々に思い出すのでした。

床の間の掛け軸は、初めて見る『地獄太夫之図』。何故に太夫の打掛けが地獄図なのだろう。。。

*『地獄太夫、我が身の不幸は前世の行いが悪かったから…と自ら地獄と名乗ったよう』…と、教えていただきました。

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帰り、兄が畑から一本大根を抜いてきて、持たせてくれました。

大根…思い出の中の母の大根が、あれこれまた浮かぶのでした。

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色々なことがありますが、今いる場所で自分なりに生きて行くこと。

誰しもみんな、いつか全て置いて、この世界を去っていかなければならないもの。

それまでは、自由に使えるこの身で出来ることをしていたい。

冬至に向かって、昼間の時間が短くなっていきますが

どうぞ皆さま、毎日大切にお過ごし下さいね。

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令和四年十二月七日 甲午(きのえうま) 大雪(たいせつ)

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エドガー・ケイシー リーディング 5392-1》

あなた方は肉体的な意識の中で、一度に一日しか約束されていない。

それを生かしなさい。それを乱用してはならない。

For ye are not promised more than one day in the physical consciousness at a time.

Use it - don't abuse it!

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『あなたの そして わたしの 物語』Amazon Kindle
幸せな人生とは?後悔のない人生とは?母が最期に教えてくれたこと
https://www.amazon.co.jp/dp/B099N55351?ref_=pe_3052080_276849420

NHK連続テレビ小説第105作目となる「カムカムエヴリバディ」が、きょう2022年4月8日金曜日に最終回を迎えました。

この作品は1925年から2025年までの100年間、母娘三世代のファミリーヒストリーが描かれた作品でした。

一世代目『安子』は、1925年(大正14年)3月22日、岡山市内の商店街で和菓子屋の長女として生まれます。祖父母・両親・5歳上の兄、そしてお店の職人さんと暮らしていました。

1943年(昭和18年)に結婚し、直後に夫は出征。翌年娘を19歳で出産しました。

空襲によって祖母と母を失い、自身も空襲の下を娘を背負って逃げる体験をします。出征した夫は戻りませんでした。
戦後、娘『るい』と2人で婚家を出て暮らしますが、あることがきっかけで婚家に戻ることになります。その後、娘の小学校入学式の日に誤解が生じ、娘を婚家に残して渡米します。

二世代目『るい』は、終戦の前年1944年(昭和19年)9月14日に父の家で生まれました。父は戦死して会ったことがありません。母『安子』とは小学一年生の時に離れることになり、父の実家で高校途中まで過ごします。その後、家を出て夫になる人と出会い、家庭を築き、21歳の時に娘『ひなた』を病院で出産します。

三世代目『ひなた』は、1965年(昭和40年)4月4日に長女として生まれます。6年後に弟が生まれ、両親と弟4人で暮らしていました・・・。

それぞれの世代の個人に物語があり、母娘の人生の時間が重なり合って新たな物語が生まれていきました。
このファミリーヒストリーは2025年で最終回を迎えました。

『安子』100歳

『るい』81歳

『ひなた』60歳

あの戦争のとき、安子が生き延びなければ、ファミリーヒストリーは続きませんでした。

この連続テレビ小説は、根底に流れ続けるテーマ、そしてたくさんの伏線がありました。それらのそれぞれの100年の物語でした。名台詞もありました。

見る人が、どの部分に自分自身の心が惹かれるのか、

そのような感情が呼び覚まされるのか。

そして、最終回まで見終わってどんな感覚を持ったのでしょうか。

NHK連続テレビ小説 第105作目「カムカムエヴリバディ」

(総合、月~土曜午前8時ほか)

www.nhk.or.jp

https://www.nhk.or.jp/comecome/

わたしは、「カムカムエヴリバディ」を見ながら、昨年出版した3冊の本との共通点を感じていました。

母の物語から始まった物語は、わたしの物語へと続きました。

母は1929年生まれで『安子』より4歳年下でした。

母も女学校時代に神戸空襲を生き延び、わたしへと命のバトンを繋いでくれました。

わたしは3人兄妹の末っ子で、母が33歳の時の子どもなので

『るい』より『ひなた』に近い年齢で、母と私の二世代の物語を書きました。

母から100年後は2029年。

母は既にこの世界にはいませんが、そのとき私は68歳になり、三世代目のわたしの娘は38歳になります。

その時、どんな人生を生きているでしょうか。

本を書くために、母の人生を辿りました。

『ひなた』がおばあちゃんの『安子』の世代のことをよく知らなかったように

私も母の事をほとんど知らない。ということを知りました。

【わたし達は、歴史上の人物・著名人の人生や家系図も知っているのに、身近な人の人生や、自分の先祖のことは知らないのです。そしてそれは、興味を持って聞かない限り開かれない世界であり、その人がこの世界から去ってしまうと、もう開かない世界なのです。】

~『あなたの そして わたしの 物語』あとがきより~

この機会に、それぞれのファミリーヒストリーが紐解かれると喜ばしいと感じました。

『あなたの そして わたしの 物語』Amazon Kindle
幸せな人生とは?後悔のない人生とは?母が最期に教えてくれたこと
https://www.amazon.co.jp/dp/B099N55351?ref_=pe_3052080_276849420

『わたしの そして あなたの 物語』Amazon Kindle
【~のようになりたくない】ーそれはまだ物語の途中

https://www.amazon.co.jp/dp/B09LDBPNPP/ref=sr_1_2?__mk_ja_JP=1636509516&s=digital-text&sr=1-2

『ありがとう だいすき』Amazon Kindle

自分の影も抱きしめて ~いまここにあることの歓びを~
https://www.amazon.co.jp/dp/B09NYQWCS1/ref=sr_1_1?qid=1640136287&s=digital-text&sr=1-1

エドガー・ケイシーのもたらした叡智が広く世間に認知され、更に多くの方の人生に幸福をもたらしますように。

日本エドガーケイシーセンター 光田秀(しげる)所長のFBより、シェアさせて頂きます。

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エドガー・ケイシー療法がついに大学院の講座に!】
神奈川歯科大学大学院の統合医療講座に、エドガー・ケイシー療法がカリキュラムに加わりました!今年の4月開講で、ただいま願書受付中です〜♪
まことに嬉しいことに、エドガー・ケイシー療法が文部科学省認可の大学院の正式な講座として採用されることになりました。そして、その講師を私が務めることになりました。
川嶋朗先生のご尽力により、代替補完医療(CAM)が医療系の大学院で教えられることになりました。代替補完医療にはさまざまなものがありますが、その一角に「エドガー・ケイシー療法」が加わることになったのです。ケイシー療法がついに大学院の授業になるんです!(私の知る限り、世界に先駆けてのことになるはずです。)
ケイシー療法ならびに自然療法に深い関心をお持ちの皆さまにはぜひこの機会を盛り上げていただければ幸いに存じます。

大学院の募集要項はこちら↓になります。
https://togoiryo-kdu.jp/essential/recruitment.html
70分ほどの川嶋先生によるキックオフセミナーが下記のURLでご視聴いただけます。ぜひご覧下さいませ。本講座の意義がより明確になることと思います。
https://togoiryo-kdu.jp/movie/
川嶋先生の経歴がまた驚くべきです~:
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東京有明医療大学教授
北海道大学医学部医学科卒業。東京女子医科大学大学院医学研究科修了。ハーバード大学医学部マサチューセッツ総合病院東京女子医科大学などを経て現職。
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先日、川嶋先生よりケイシー療法の講座のシラバスを提出するように求められて、前期15回分の講座内容として、下記の内容で了承を得たところです。

第1回 エドガー・ケイシーの生涯と業績
第2回 ケイシー療法の原理(CARE)と対応する治療法
第3回 皮膚疾患(アトピー、乾癬、湿疹等の原因と治療法)
第4回 がんの原因と治療法(食事療法、毒素排泄法、フラーレン光線療法)
第5回 生活習慣病(糖尿病、高血圧、動脈硬化、脳血管障害等)
第6回 免疫疾患(膠原病、リウマチ、エリテマトーデス、強皮症、多発性硬化症等)
第7回 精神疾患うつ病、心気症、恐怖症、パニック障害等)
第8回 神経疾患Ⅰ(てんかん統合失調症認知症、憑依現象等)
第9回 神経疾患Ⅱ(筋萎縮側索硬化症、パーキンソン病筋ジストロフィー等)
第10回 神経疾患Ⅲ(学習障害自閉症脳性麻痺脳卒中後遺症等)
第11回 生殖器疾患(生理痛、不妊症、子宮筋腫前立腺炎等)
第12回 排泄系疾患(肝臓、腎臓、膀胱の諸疾患)
第13回 呼吸器系疾患(肺炎、結核、気管支炎、喘息、インフルエンザ/コロナ等)
第14回 眼・耳鼻咽喉疾患(白内障緑内障、難聴、鼻炎、嗅覚障害等)
第15回 カルマと霊的治癒(祈り、瞑想、夢分析

皆さまのお知り合いに、代替補完医療に関心をお持ちの方がおられたら、ぜひ、この講座の開講をお知らせ下さいませ。
この展開に主の祝福が豊かに注がれますように。主の御名を讃美致します。

https://www.facebook.com/shigeru.mitsuda/posts/4936279846437050

きょうは睦月の新月。旧暦のお正月です。

新月になる瞬間となる、14時46分頃から雨が降り始めました。

子どもの時、お正月には歳神さまの祀られた床の間で、一つ歳を取っていました。

そんな自分が年齢を重ね、同じく親世代も高齢になりました。

ひとり一人異なる高齢になっていくありように、自分の行く道を重ねているこの頃です。

この世界を去って行こうとするときの、様々な姿。

それは老化であったり病気であったり…です。

いま「忘れていく」という姿に触れながら、忘れていった後に残るものは何だろう?とよく考えます。

理性で押さえ込んでいたそのタガ(箍)が緩んだり、はずれた時に出てくる

自分の言葉は何なのだろう。

それを思った時に、日々積み重ねることの大切さに思い至りました。

毎日を、規則正しく過ごすこと。

それは、朝 東から太陽が登り、夕方 西に太陽が沈むという当たり前のことが、

とても大切なのだと気づくことでした。

あるひとは、毎日朝ご飯を作って食べて、家の掃除をして…ということを、体が覚えている。

またある人は、長年読み続けている新聞を読む。食後に妻の点てたお茶を楽しむ。

そんな「決まった手順」を毎日繰り返して生きていることが、とても大切だったのです。

播磨陰陽道では修行の「行」は日々の行いのことで、それを毎日 修めることを、本来の修行の意味と伝えています。

(滝にうたれたりするのは「難行苦行」です。)

その『簡単なことを、毎日するのが修行』とされます。それを無理せず、なるべくとあります。

頑張らない、完璧を目指さないことも大切とされているのです。

そして、行動して、身についたことだけが、自分のものになるのです。

エドガー・ケイシーのリーディングによると、
もう生れ変わらない人(「輪廻転生を超える人」「「不還果を得た人々」」)とされた人が、18人あります。男女比は半々ですが、女性の内4人は主婦です。
https://edgarcayce.jp/rs/ecr/ 〈会員登録必要〉

そして、リーディングにはこうあります。

『一日一日の小さなことに主の道を生きることで、自分に対する信念や、主に対する信頼があなたのものになるでしょう。なぜなら主の約束はこれまでも、今も、確実だからです。
By living them in the little things day by day may that surety in self, that sureness in Him, be thine.
For His promises have been and are sure.
(602-7)』

『主』という言葉でとまる方もあるかもしれませんが、それは、わたしたちを存在せしめている、自然摂理…と置き換えると受け入れ易いでしょうか。
人それぞれに、合う言葉があるでしょう。

わたし達がこの世界を去って行く時、形あるモノは持って行けない。
頭で「考えた」ことは、忘れてしまうかもしれない。

自分の人生にとって、本当に大切なモノ・コトはなにか。

そんなことを、おもった旧暦新年でした。

令和四年二月一日(旧暦一月一日)乙酉(きのととり)

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幸せな人生とは?後悔のない人生とは?母が最期に教えてくれたこと
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