みずから書き、みずから滅ぶってこと。 (original) (raw)
初出『ポエトリー・マーケット』誌 1968年 10月号
わたしはアパートの浴室を掃除している
エディスというなまえに憶えはない
それでもかの女の名残、そして部分的な懐かしさ
あるいは去っていったものについての考古学を感じさせる
舟の軌跡を奪い去っていく未明の波
この患いを遠ざける、虚構なんてない
それが事実、どこまでも事実
秋のサンフェルナンド・バレーで女優が殺された
映画のなかで女優が殺された
あの女優はかの女にそっくりだった
ふしだらでも澄み切っていて、
男たちを気にもとめない
そして地位もないままに引退した
アポロ・スリートを進み、
二番目の酒場に入る
ニューキャッスルを頼んでしばらく窓を眺めていた
かの女の話したことをぜんぶ懐いだそうとした
なにしろ、四年のあいだだったから
それは骨が折れた
窓のむこうからだれかが覗き込む
それはまちがいなく出逢ったときのふたりで
わたしはおもわず、手をふってしまっていたんだ
Divorce
I’m cleaning the bathroom in my apartment
I don’t remember anyone named Edith,
But still, there’s a trace of her,
and a partial nostalgia, Or an archaeology of things that have gone
The early morning waves that erase the boat’s wake,
There’s no fiction that can take away this pain
That’s the truth, the undeniable truth
An actress was killed in the San Fernando Valley in the fall
An actress was killed in a movie
That actress looked just like her
Loose but clear,
Not caring about the men,
And retired without any status
I walked down Apollo Street,
Entered the second bar,
Ordered a Newcastle and stared out the window for a while
I tried to remember everything she said,
After all, it was four years, It was hard work
Someone was peeking in from outside the window,
It was definitely the two of us when we met, And I couldn’t help but wave
一篇の詩は極まれり 画布をまたひるがえすのみ無名のひとよ
守一の猫たちどまる秋の雨いまだ降りをる窓を眺めて
だれに口惜しき過古ありぬ ぼくら係留場の反対にゐて
発ちさわぐかぜのなかから手を展ばす清掃人の貌また寂し
だれがだれを裁く 赫い花咲くところまで虜囚歩きつ
いずれかに道などあらじ湖水さえあらゆる苦を湛えるごとく
詩人の墓曝くように辞眼醒めたり その精髄を識る
泣き延びる 夜の託ふたみこと云い零したり菊の葉落ちて
口づけの一瞬を刳りぬいて食卓に置く シマアジとともに
秋祭 射的場に立つ子供らのライフル銃の照準寂し
死を謳う生者ありしや自裁さえできぬわが身を忘れたらしめ
紅わずか残るきみの唇よもっとも愛しくおもえり
なじみなき通用口を通されてやがて迎える秋の雛壇
イメージの水湧きぬゴダールの遺言とともに上映中止
かくしだてするものあらず天水の果てに流るる本番台本
せめて幾許かの赦しをと声がして改札口で禱る男ら
莇踏む バスの出発時刻なれど靜止したままの時計
なにへ寄す詞書きかと問うなかれ これは詞にあらぬ中秋
汎神に応えよ 沖流る競技用ボートゆれる潮で以て
答えとは赫い薬品 水ぎわの男たちすらきょうは悲しい
『病める子』の画布に重なる娘をりわれは見つむるわずかな季節
文鳥鳴きしきる隣人の室の外壁工事が終わる
光りのように輝く忍耐ありしもやがて砕けて阿部薫の肖像があり
フィードバック・ノイズあふる哀悼示せし大友良英の顔昏きかな
まだなのか恢復待ちぬ片足の跛ひきずるおれの靭帯
痛みはいつも新鮮だ 歩くおれさえ追い抜いてゆく
水燃ゆる音楽もあり 繋船の朝を慰む時の曳航
立ち狂う男や女子供らの声聞ゆかな陸橋のひと
夜泣きする射鹿のように深々と水をかぶれり永遠の夢
ディダバディと呪文を唱う風景を擬人化せし真午の月よ
かたっぽうだけ鳴ってゐるヘッドフォンの断線に晩年をば識る
★
Xにて出版歴のある詩人・歌人を大量にフォローした
なにかに憑かれたようにじぶんを売り込む術を探す
かれらかの女らの存在がどうおれに寄与するのかを考える
もちろん商業的な成功はすべてでじゃない
だが、少なくともおれという存在がいるってことを
どっかで見つけてもらいたい
身勝手な注文だってのはわかってる
でも現状に満足はできない
なにひとつ手にできない情況、
待っているだけの時間には耐えられない
★
ブイを探すだけのおれ
作品はずっと産みだしてない
ひとりさ迷う道のなかで黒い霧が漂う
今週末には工房にだしたベースの見積もりが来る
金曜日の21時にはツイキャス配信の最終回
a missing person's redioも一旦終わり
季節が唄うなかで、
おれはイングラムM11A1を抜く
いつのまにかせりだした朝が、
ゆっくりと通過するまでに
どんな言葉をかければいいのか
★
とにかく作品だ
余剰精神の発露じゃない
★
きのう、動画を撮って編集してみた。自嘲的な内容だが、作業所の課題をこなすために試験的につくってみた。いろんな動画作成ソフトを辿ったが、Vrewで上手くいった。透かしロゴもない。しかし最終的にはなにか有料ソフトを買ってやろうとおもっている。カメラもスマホのものではダメだ。指が見切れてしまう。最終的にMVをつくれるようになりたい。映像制作の指南書が必要になるだろう。
フレットレス・ベースはパーツ交換にだした。しかし、copilotの回答や島村楽器のページを見る限り、¥15,000くらいはかかりそうなのでナット交換はなし、弦張りとネック調整だけにしてもらう予定だ。とりあえずは来週末の見積もりを待つしかない。
毎日、毎日、小銭を零してしまっている。買い喰いだ。おもにタンサンを買っている。きのうも¥307の無駄遣い。これではいけない。自戒を込めてこれを書く。
金曜日、労災病院にいった。そのまえの日に右膝が痛み始めたのだが、それがひどくなった。受付から処方まで4時間ちかくかかった。靭帯の炎症といわれた。ロキソニンと湿布を使う。歩けるようになった。
師弟関係はけっきょく仕切り直しになった。いろいろと寂しいこともいわれたが、おれにはやはり森先生しかいない。おれの作品を厳しく見てくれるのは、かれしかいない。まあ、ここ数年では花島大輔氏、最近では高山京子氏が評論をくださったが、寺山ブランドの継承はいろいろと自己紹介の種になる。
短歌の活動はつづけていくとしても、歌集出版は12月の『夜の展覧会 中田満帆未刊行歌集』で終わりだ。あとは歌誌『帆(han)』のなかで新作を発表しつづける。
5chに書き込めなくなってしまった。「このスレッドにはもう書き込めません」の表示。新しい玩具が手に入ったとおもったらこれだ。きのう、映画『ベイビーわるきゅーれ ナイスデイズ』の批評で閲覧数57まで爆上げしたのに。ほかにも注目されそうなネタを用意していたが、ダメになった。まあ、もういい。
来年からシナリオ・センターの6ヶ月講座を受ける予定だ。できあがったシナリオ『バックヤード・ダイアリーズ』を受賞されるものにまで高めたい。おれはいつだって上を目指したいんだ。膨らみかけた夜の背中、長い隧道の果ててで出逢った亡霊とともに暗数としての詩を算えながら、いま現れつつある扉に手をかけているんだぜ?
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このシリーズは初見だった。映画に於ける殺し屋について考えながら観ていた。しかし、この映画はなにもかも軽薄だ。人物造形も音楽も、作劇も、肝心なアクションも銃器の描写さえ軽い。映画館に入ってすぐに後悔してしまった。莫迦らしい歌がかかる。テレビ的なサイズ感の演出。主演ふたりは協会所属の殺し屋で、ゲストの池松壮亮は非所属の殺し屋というわけで、前者の殺しを邪魔した池松は狙われることになるのだが、そこからしばらくは建物内での取っ組み合い。銃を持っているのに肉弾戦をやらかしている。掴み合いをだらだらとやっている。銃は距離を保って使うものなのに、果ては銃の奪い合いなんかしている。ヘッドショット一発ほどの緊張感もない。派手なアクションがクドい。長いブレイク・ダンス。そして決着が陳腐である。16ラウンドまでやるクドいボクシングのようだ。ジャブばっかりの。
池松壮亮のバックグラウンド描写があまりにも乏しい。かれがなぜ殺し屋を択んだのかが不明瞭。150人殺しのきっかけも、大した事情ではない。いったい、どれほどの金額で仕事を請け負っていたのかが気に掛かる。終盤で農家で大量殺人をするが、そのあと、その仲間たちと打ち解けるさまは寒々しい。
けっきょくクソ長い乱闘の末に池松は死に、生き残った女子ふたりのじゃれ合いで幕を閉じる。陳腐なJ-POPが流れる。劇場が明るくなったとき、客の少なさに驚いた。音楽は破壊的にダメだ。メロディも編曲も際立つものがない。連名だが、作家性がない。予算がないのか。サントラを売るつもりがないのだろう。……とまあ、こんなことをおもった。殺し屋同士の密室的映画でいえば、やはり鈴木清順の『殺しの烙印』は白眉で、あそこまで突き抜けていたら赦せるのだが、如何せんリアル、アンリアルどちらにも中途半端なん姿勢が窺えて閉口した。せいぜい女子のひとりがfender, fugazi, andymoriのTシャツなのが注目を引いたぐらいだ。
……そんなことをおもって5chにも書き込んだのだが、「レス乞食」のレッテル貼り。この映画のファンが異論を認めないのはわかった。どういった客層であるのかも。──というわけで次に観るのは黒沢清の『Cloud』か。口直しのいっぽんが要る。まあ、おれのいっていることなんてわかるやつにしかわからない。