NHKアメ村特集を見て自分の心の闇が見えた (original) (raw)
Ah 同じ視点で見ている世界が Ah 二人微妙にズレてた
「IT土方」という言葉が出来る現場に俺はいた。多重派遣で谷六のソフトハウスユニオンシステムで働く俺の様子を元請けのパートナーの山本さんが近所まで来て、オフィスの中は企業秘密で入れられないということで喫茶店に呼び出され事情を聞かれる。
何から説明したら良いだろう。まずそれを思いだしたのはNHKのアメ村特集を見て、若者が目指してきた大阪が50年前だとすると俺のいた大阪は20年前で、その50年前に憧れ目指いして来た地方からの大阪移住者と20年前の現実であったブロードバンドインターネットで景気の良かったソフトハウスで働く俺とのギャップと、そしてそれによる俺のいじめられ妄想をあまり深掘りすると憎しみがわいた読めない文章になってしまうのだが、バンドとかしたくて大阪に来たのに飲食店のアルバイトくらいしか街に仕事が無い現実に直面している若者たちからして、同年代でソフトハウス勤務で良いマンションに住んでいた当時の俺は金のある憎い奴であったろう、ということがもっと古い映像を見ることでちゃんと分かったのだ。
だが彼らから部屋でひたすらパソコンをしているだけで大金を持っている俺がホリエモンの如くニュースになる悪い奴でも、俺からしたらせっかく専門学校を出て意気込んでソフトハウスに就職したのに喫茶店で音楽や映画など、身形は大阪には大阪のオシャレがあって、ズレていて、映画とか音楽とかしない「つまらない人」のレッテルを貼られて居心地が悪いけど、映画なら映画館で音楽ならライブハウスに行くというのを知らずに部屋でDVDで楽しむのがネクラ的だというのも当時の感覚では無かった。
バブル期に開発されてビルが建った後のアメ村こそが俺が大阪に出て見知ったその時のアメ村の姿で、しかし大阪の高層ビル群から外れたところで飲食店をしている人々の目指してやってきた夢の大阪がアメ村の昔だとすると、そこのギャップが今なら埋められないかと思うのだけど、既にお互いに憎しみ合っているそのわだかまりはそうそう簡単には取り払えないし、俺自身が俺の憎しみと向き合った時に相手にもその感情があるとすると、互いに距離を置く方が正しいようにも思えてしまう。
「プログラマーって土方みたいなもんで、カネ出してやれって言われた通りに集まって仕事するだけでー」と山本さんが行った時に喫茶店のおばあさんがギョッとした、そこが噂の出発点。芸能とか音楽とか文化的な仕事が大阪の花形で「今時プログラマなんて」というのが町中の噂になった。
大阪の人が俺に向けた恨みは楽しかったアメ村に土地開発が行われてビルが建って地価が上がって商売が気楽に出来なくなった、その開発側の悪者に対する目線で、俺が開発というと都市開発ではなくソフトウェア開発だったわけだが、しかしマンションに住んでブロードバンド契約なども主導して進めたわけで、しかし時が流れてアイフォンが出た頃には「パソコンやっている時代遅れのやつ」にされて、その利便性には礎になった技術があるんだ!と言っても、分からない人が99%なわけで。
開発という言葉に嫌悪を示している割に大阪の人は商売でお金を使ってやっているというのがIT土方になってプログラマをしている俺には左のイデオロギーになって、この時点でねじれにねじれてテクノロジーが進み過ぎて、左の弱い人で手作りできない新製品は買うしかなく、それはテクノロジーで安くなっているため高いものを買っていることに無自覚で、右がカネ出して左を働かせていることへの普通の左派のイデオロギーは飲食店を経営しながらIT機器を使って利便性を享受するそれまでの左の人でもIT機器には「お金を出してやっている」という思いはあって、そのIT機器を「作らされている」という自覚のソフトウェア技術者としてまるで左の抑圧心がわいていた。
つまり俺から見たら悪趣味でも大阪ではオシャレな服で、それを着てIT機器を持ち喫茶店でしゃべって映画や音楽を劇場で楽しまれる御婦人方はあれはあれで大阪貴族みたいな感じなんだけど、土地柄も風貌も同じ大阪の娼婦などと見かけが変わらず、それに「土方みたいなもん」と軽んじられてしかも開発という文言でアメ村とかのひとにも憎まれているというのが溶け込んで仲良く暮らせるはずもなく。
今は奈良に戻って、テレビで整理された情報としてアメ村の今昔を見比べられるから分かる話であって、この俯瞰を得られることこそ豊かさだなと思う。10年ほど前にアメ村行った時は古着を一着買おうとしたら法外な値段を言われて、今はそういう土地柄なんだと嫌々払ったんだけど、昔の値段はどうだったかはまだ情報として入っておらず、いわゆるキタの阪急とかで買うキレイな服とアメ村の古着が同じ金額相場でアメ村で買う方がオシャレだともし思っていたら、それはもう美的感覚からズレているわけで。んで大阪には大阪芸大があって、岡村太郎が祭られていて、それも併せて考えると美醜にも絶対の尺度があるわけではなく、野生動物のカモフラージュが地形によるように大阪の多数派が織りなすファッションが大阪でのオシャレなんだと思うと、大阪にはちょっともう用事は無いかもなと遠慮すべきかなと。
ITというと立派というイメージを持つ人も広く見渡せばいたとして、大阪のおばちゃんに囲まれて「土方や土方や」と言われるとそういうことになってしまう。山本さんはおばちゃんではなく爺さんだったけど、そこまで知恵が回った上で「土方みたいなもんで」と喫茶店で言いふらしだしたと来たら、まだ生きているかもうくたばったか、クソ爺だなとやはり恨めしく思うのです。
まあそれでも俺も大阪から憎まれていて、憎しみ合っているから距離を取って暮らしているなら、それはそれで合理性はあると納得するのです。
まあアメ村でバンドしている人から見たら、部屋でギター弾く「ぼっちざろっく」のほうがズレているとは思うのですが、互いに感性が違う所が少なくとも俺の方は分かったという話でした。だから現実にそんな話があったら良いねというアニメ作品の方をタブレットで楽しんだわけです。