町山智浩 映画『キャロル』と原作者パトリシア・ハイスミスを語る (original) (raw)
町山智浩さんがTBSラジオ『たまむすび』の中で映画『キャロル』を解説。原作者のパトリシア・ハイスミスさんが描き続けたものについて紹介していました。
(町山智浩)ただ、まあこの時間にデビッド・ボウイの曲を説明し始めるとちょっと辛いんで。それはまた、違う機会にと思いますが。ただ、今回紹介する映画はですね、デビッド・ボウイがゲイだったら・・・みたいなファンタジーの映画がありましてですね。『ベルベット・ゴールドマイン』という映画なんですが。それの監督だった、トッド・ヘインズ監督の最新作を今回、紹介します。『キャロル』という映画です。
(赤江珠緒)はい。
(町山智浩)これは現在、アカデミー作品賞候補になるだろうと言われてまして。主演女優賞もですね、ケイト・ブランシェットとルーニー・マーラさんがノミネートされるだろうと言われている。撮影賞とか脚本賞、脚色賞もノミネートされるでしょう。まあ、アカデミー賞の各部門にですね、片っ端からノミネートされるだろうと言われているのが今回紹介する『キャロル』です。
(赤江・山里)ふーん!
(町山智浩)で、これ、舞台が1950年代のニューヨークです。で、クリスマスで高級デパートで。ヒロインが売り子さんとして働いています。まだ20代で、テレーズという女性です。で、そこにですね、娘のためのプレゼントを買いに来たですね、大金持ちの奥さんがいるんですね。
(赤江珠緒)うん。
(町山智浩)で、その人の名前がキャロルです。
(赤江珠緒)あ、マダムの名前。はい。
(町山智浩)で、そのヒロインのテレーズは中年の女性のキャロルとひと目で恋に落ちてしまうというですね。一言で言うと、百合メロドラマですね。
(山里亮太)百合メロドラマ。
(町山智浩)はい。で、このテレーズを演じるのは『ドラゴン・タトゥーの女』っていう映画ですごいパンクの女の子を演じていたルーニー・マーラで。パンクなんだけど、中身は乙女っていう役だったんですけど。今回もまあ、そういう役ですね。で、キャロルの方はですね、去年アカデミー賞で主演女優賞をとった『ブルージャスミン』のケイト・ブランシェットです。
(赤江珠緒)ああー、はい。
(町山智浩)で、『ブルージャスミン』はね、世間知らずでワガママな金持ちの奥さんがですね、崩壊していく話だったんですけど。今回も金持ちの奥さんなんですけど、今回のケイト・ブランシェットはですね、なんか宝塚の男役みたいな感じなんですよ。一言で言うと、男前の人妻です。
(赤江珠緒)はー。
ものすごく深い映画
(町山智浩)の、役なんですけどね。で、キャロルで。両方ともアカデミー賞に行くだろうと思います。で、この『キャロル』っていう映画はですね、ものすごく深いんで、この20分で説明できるかどうかわからないんですが。いきますね。がんばりますね。まず、画面がものすごく美しいです。エドワード・ホッパーっていう画家の絵のようなんですよ。
(赤江珠緒)えっ?どんな感じなんでしょう?
(町山智浩)色とか光がね、にじんでいる感じです。淡く。暗い中に。
(赤江珠緒)へー!うんうん。
(町山智浩)でね、これはね、50年代ハリウッド映画で使われていた、テクニカラーっていう特殊な撮影技術の再現をしようとしてるんですよ。現代で。
(赤江珠緒)50年代風に?
(町山智浩)はい。それだけじゃなくて、画面に映るもの全てがですね、色がコーディネートされています。キャロルはいつも赤い衣装をつけていて。それで、他の部分が、関係のない色が入らないように、置いてあるものとか全部、色を選んで。徹底的にカラーコーディネートされた画面になっているんですよ。『この部分は全体にブラウンで』とか。
(赤江珠緒)ええ、ええ。
(町山智浩)で、それがね、昔、ハリウッド映画ってそうだったんですよ。
(赤江珠緒)あ、そうなんですか。そこまで考えられていたんですね。
(町山智浩)昔、ハリウッド映画って全部セットで撮っているから、全部カラーコーディネートしてたんですよ。
(赤江珠緒)ああー、そうか。
(町山智浩)それの雰囲気を出そうとしてるんですね。で、それだけじゃなくて、たとえばデパートで売っているお人形っていうのも50年代だから、大量生産のおもちゃがないから、全部手作りなんですよ。その手作りの人形とかを新品で再現したりしてるんで、すごいですよ。
(赤江珠緒)へー!
(町山智浩)で、本当に知らない人が見たら・・・っていうか、200年ぐらいたってからこの映画を発見した人は、これは1950年代に撮影された映画だと勘違いするような映画です。
(赤江珠緒)あ、そんな細部までこだわって?へー!
(町山智浩)すごいです。これは。で、この監督のトッド・ヘインズっていう監督はですね、いままでも50年代の保守的な社会での女性の苦悩っていうのをテーマにしてきた監督なんですね。で、この前にですね、アカデミー賞にノミネートされていた『エデンより彼方に』っていう作品でもですね、1950年代の高級住宅地でですね、人妻の苦しみを描いていたんですよ。で、それはですね、夫が同性愛だってことがわかって、精神病の治療を受ける奥さんの話なんですよ。
(赤江珠緒)へー。うん。
(町山智浩)その当時、同性愛は精神病にされていたんですよ。完全に精神病扱いで、治療を受けていたんですよ。保険がきいたみたいですけどね(笑)。で、それで奥さんの方は自分が愛されていないってことがわかって、ショックを受けながら、庭師の黒人の男性とプラトニックな恋に落ちていくっていうメロドラマが『エデンより彼方に』っていう映画だったんですね。
(赤江珠緒)ふーん。
(町山智浩)ただ、この『エデンより彼方に』も今回の『キャロル』もですね、画面は完璧に50年代ハリウッド映画のようなんですけども、ぜったいに50年代には作られなかったはずの映画なんですよ。
(山里亮太)そっか。タブーだった。
1950年代には作れなかった映画
(町山智浩)そうなんです。当時のハリウッドにはヘイズ・コードという表現に関する自主規制ルールがあったんですよ。それでは、同性愛や人種を越えた恋愛は全く描いてはいけないという決まりがあって。あと、離婚とかシングルマザーは肯定的に描いてはいけないっていう決まりがあったんですよ。
(赤江珠緒)えっ、そこまで!?
(町山智浩)そうなんです。だから、この『エデンより彼方に』は50年代の映画そっくりなんですけど、ぜったいに50年代には作られなかった映画なんですよ。でも、そういう問題はぜったいに50年代にもあったはずなんですよ。
(赤江珠緒)そりゃそうですよね。うん。
(町山智浩)だからこの『キャロル』っていう映画はね、まず映画のいちばん頭のタイトルが出るところが、地下鉄の通気口のアップから始まるんですよ。
(赤江珠緒)はい。
(町山智浩)それは、『50年代には隠されていたけれども、地下にはこういう問題があったんだよ』っていう意味なんですよ。
(赤江珠緒)はー!なるほど。
(町山智浩)だからものすごく深い映画なんです。この『キャロル』っていう映画は。だから、ちょっと見ただけじゃ、『なに?この昔みたいな映画は?大昔の映画じゃないの?』って。それだけで終わっちゃう人もいると思うんですけど、そうじゃないです。これは徹底的に計算された、ものすごく高度な映画です。
(赤江珠緒)へー!
(町山智浩)で、しかもですね、この『キャロル』っていうのは原作小説がありまして。それはずーっと百合小説の古典だったんですよ。で、書き手が不明だったんです。ずっと。
(赤江珠緒)へー。うん。
(町山智浩)誰かわからない人が書いていたんですね。でも、ずーっと、1952年に書かれてからずーっと百合の人たちの間で読み継がれて。100万部を超えていたんですよ。で、当時もレズ小説っていうのはあったんですけど、大抵は男の読者向けのポルノ小説で。『キャロル』みたいに女性同士の恋愛の心を描いた小説っていうのはなかったそうです。当時。
(赤江珠緒)うんうん。
(町山智浩)だから、すごく売れたそうなんですけども。で、それがですね、1989年。本が出てから30年以上たってからですね、『キャロル』の著者がカミングアウトしたんですよ。『私が書きました』って。それは、非常に有名な売れっ子のミステリー作家のですね、『太陽がいっぱい』の原作者のパトリシア・ハイスミスっていう人だったんですよ。
(赤江珠緒)ええーっ!?あの『太陽がいっぱい』?アラン・ドロンの。
(町山智浩)アラン・ドロン主演で有名な、1960年の映画『太陽がいっぱい』の原作者のパトリシア・ハイスミスが『私が実は書いたんです』って。30年以上たって告白したんですね。
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(赤江珠緒)へー!
(町山智浩)で、しかも『話はほとんど事実です。私はその当時、作家志望で、ブルーミングデールズっていう高級デパートで売り子をしていて。そこで買い物に来たキャサリン・シェンという金持ちの奥さんに一目惚れしました』とあとがきで書いているんですよ。
(赤江珠緒)へー!
(町山智浩)で、『その晩に、もう一気に書き上げたのがこの小説「キャロル」です』と。で、実はそのパトリシア・ハイスミスっていう人は女性なんですけども、その時には男性と婚約中だったんですね。でも、精神科に通っていた。
(赤江珠緒)うん。
(町山智浩)それで、その治療費を稼ぐためにデパートで売り子をしなきゃなんなかったんですね。で、要するに、実は同性愛で事件を起こしてしまって精神科に通う必要があったんですよ。彼女は。
(赤江珠緒)うん!?
(町山智浩)その2年前に銀行家の奥さんのバージニア・キャサウッドっていう女性と同性愛関係になってですね。で、相手の女性は大金持ちの奥さんなんですけど、離婚で子供の養育権を巡って裁判で争っていたんですね。ところが、そのパトリシア・ハイスミスとバージニアさんがベッドインしている現場をホテルで私立探偵に録音されてしまって。そのテープが証拠として提出されてしまったために、バージニアさんは娘の養育権を失っちゃうんですよ。
(赤江珠緒)へー!
(町山智浩)で、そういう事件を起こした後だったんで、まあ彼女は精神科に通っていたんですが。デパートで非常に美しい奥さんを見て、恋に落ちて、『キャロル』という小説を書いたそうです。
(赤江・山里)へー!
(町山智浩)はい。で、この『太陽がいっぱい』っていう小説っていうか映画はですね、非常に謎が多い小説・映画だったんですね。で、これね、話がですね、貧乏な青年のアラン・ドロンがですね、モーリス・ロネっていう役者が演じている金持ちのボンボンにいじめられてですね。で、そのボンボンをアラン・ドロンが殺して、彼のアイデンティティーを全部奪って。金とか遺産とかを全部奪ってしまうっていうミステリーなんですね。
(赤江珠緒)はい。これ、見ました。
(町山智浩)見ましたよね?これ、アラン・ドロン、美しいですね。
(赤江珠緒)美しいですね。たしかに。
(町山智浩)多くのシーンで裸ですね。
(赤江珠緒)あ、そうですね。はい。世紀の美男子って言われるのはやっぱりそうだな!って思いましたけど。
『太陽がいっぱい』の本当のテーマ
(町山智浩)ねえ。で、この映画はですね、1960年に公開された当時ですね、世界中でほとんど・・・たった1人だけですね、ある映画評論家の人がですね、『この映画は実は人を殺すってことがテーマなんじゃなくて、殺すことで愛するもの、手に入らないものを自分のものにしたい。愛するものに成り代わってしまいたいっていう同性愛的願望を描いた映画なんだ』って見抜いた人がいるんですよ。
(赤江珠緒)ええーっ!?
(町山智浩)淀川長治さんです。
(赤江・山里)ええーっ!?
(町山智浩)その当時、淀川長治さんは公開されてすぐにそう言ったんですよ。
(赤江珠緒)へー!
(町山智浩)ところが当時、誰もそれが理解できなかったんです。日本では特に。
(赤江珠緒)いや、だってあの映画、普通に見たらそういう風に感じるシーンとかないしな。へー!
(町山智浩)要するに、アラン・ドロンがモーリス・ロネの服を着て、鏡の中に映る自分にキスするシーンがあるんですよ。で、淀川長治さんは『これはそういう映画なんですよ』って解説をしてたんですけども。日本ではほとんどの人が同意しなくて。たとえば、作家の吉行淳之介さんとの対談でも淀川さんはそう言うと、吉行さんは『そんな、バカな!』って否定してるんですよ。
(赤江珠緒)うん。
(町山智浩)でも、淀川さんはずっとそれを言い続けていて。で、僕が映画評論っていうものはすごいな!と思ったのは、それを聞いた時なんですよ。で、たとえば淀川さんはこう言うんですね。『モーリス・ロネの胸にアラン・ドロンがナイフを突き立てるでしょ?あれはアラン・ドロンのペニスの象徴なんですよ』って言ったんですよ。
(赤江珠緒)いや、それは・・・そうなの?
(町山智浩)僕、びっくりしましたよ。子供だったから。それを聞いて。『すげーな、映画評論っていうのは、そういうものなんだ!』と思いましたよ。
(山里亮太)町山さんが触れ合う最初の教科書が、やっぱりいつもスパイシーなのばっかりなんだ。
(赤江珠緒)そうですね(笑)。
(町山智浩)そうなんですよ。でね、淀川さんはもう一本ですね、パトリシア・ハイスミスが原作の映画の評論もしているんですけど。『見知らぬ乗客』っていう映画なんですね。これ、ヒッチコックが監督で映画化されてたんですけども。これはね、有名なテニス選手にね、彼のファンが変なことを持ちかけるんですよ。
(赤江珠緒)うん。
(町山智浩)『あなたは奥さんと仲が悪くて奥さんを殺したいでしょう?』って言うんですよ。ファンが。『私はあなたのファンですけど。実は私は父を殺したいんです。「結婚しろ、結婚しろ」とうるさいから。私は一生結婚したくないんです。だから、私があなたの奥さんを殺してあげますから、かわりに私の父親を殺してくれませんか?』って言うんですよ。
(赤江珠緒)はー・・・ええ。
(町山智浩)要するに、『私たちが会っていることは誰も知らないから、これで交換して殺人をすれば、互いに動機がないから犯人はバレないはずだ』と。
(赤江珠緒)そうですね。接点がないということで。
(町山智浩)そうなんですよ。っていうのがその『見知らぬ乗客』っていう話で。これはパトリシア・ハイスミスの最初の小説なんですね。これも淀川さんは『同性愛の話だ』っていう風に言ってましたね。
(山里亮太)へっ?いま、その要素、どこにありました?
(町山智浩)これね、この殺人を持ちかける男がね、結婚したくない男なんですよ。で、自分が愛するテニスプレイヤーの奥さんを殺そうとするんですよ。殺しちゃうんですけど。で、その後も迫ってくるんですよ。『もうあなたの奥さんを殺したんだから・・・』っつって。これ、片想いですよ。同性愛の。
(赤江珠緒)へー!そうかー。
(山里亮太)えっ、そういうのをじゃあ、結構書いてらっしゃる?
(町山智浩)そうなんです。で、それを淀川さんはずーっと言っていて。要するに、『「太陽がいっぱい」は同性愛の話なんだ』って。誰からも賛同を得られなかったんですよ。ずっと。長い間。
(赤江珠緒)まあ、そうでしょう。なかなか、ねえ。うん。
(町山智浩)そうなんです。ところが、パトリシア・ハイスミスが亡くなってしばらくして。1998年かなんかに亡くなるんですけど。その後、2003年に彼女の伝記が出版されたんですね。『美しい影』っていう。その中で、パトリシア・ハイスミスが子供の頃からずっとつけていた日記がですね、暴露されたんですよ。
(赤江珠緒)うん。
(町山智浩)で、彼女は女性しか愛せない人だったってことがここで初めて明らかになったんです。
(赤江珠緒)へー!
(町山智浩)だから淀川さんがずーっと言っていた『「太陽がいっぱい」は同性愛の映画だ』っていうのは正しかったんですよ。
(赤江珠緒)すごいなー!
(山里亮太)ただ世界で唯一の。
(町山智浩)淀川さんの死後、パトリシア・ハイスミスの死後、それが証明されたんですよ。
(赤江珠緒)へー!
(町山智浩)淀川さん、名探偵ですよ。
(赤江珠緒)そうですね。
(山里亮太)なぜ見抜けたんですか?淀川さん、そんなのを。
パトリシア・ハイスミスが描き続けたもの
(町山智浩)いや、それは・・・なぜ見抜けたかは非常に、あの・・・僕の口からは言えませんが。あの、とにかくパトリシア・ハイスミスは小説のほとんどが男性同士の関係なんですが。それは女性同士の関係を描くことが当時としては許されなかったから、男性同士の関係に置き換えていたんですね。
(赤江珠緒)へー!
(町山智浩)で、しかも男性同士の恋愛も許されないだろうということで、愛する気持ち、恋する気持ちを殺意として表現する。恋愛を殺人として描くっていうのを描き続けた人なんですよ。
(赤江珠緒)はー!それはぜんぜん・・・
(山里亮太)それで見たら、そう見えてくるのかな?いろいろ。
(赤江珠緒)いや、そうだったんだ。
(町山智浩)で、淀川さんが言っていたね、ペニスのかわりにナイフを突き立てるっていうのも淀川さんはすごかったんですよ。っていうのは、パトリシア・ハイスミスはカタツムリの飼育と観察が趣味でですね。カタツムリを題材にした短編小説もいくつか書いているんですね。で、その中でパトリシア・ハイスミスはカタツムリの交尾を緻密に表現してるんですよ。
(山里亮太)うんうん。
(町山智浩)カタツムリの交尾って、知ってます?
(赤江珠緒)知らないですね。そう言われたら。
(町山智浩)カタツムリは雌雄同体です。男でも女でもあるんですよ。デビッド・ボウイみたいなもんなんですね。で、カタツムリの歌ってありますよね?『でんでんむしむし カタツムリ』っていう。『つのだせ やりだせ めだまだせ』って言いますよね?ツノと目玉は見てすぐわかるんですけど、ヤリってなんだと思います?
(赤江珠緒)えっ?
(山里亮太)たしかにそうだ。ヤリ。
(町山智浩)ヤリ。カタツムリにはヤリのような器官が体にあるんですよ。
(赤江珠緒)ほー!ナイフ?
(町山智浩)これはね、そう。『恋矢(れんし)』という器官があってですね。爪や骨みたいに固いカルシウムでできた器官で。まあ、刃物なんですよ。
(赤江珠緒)えっ?
(町山智浩)それをカタツムリは交尾の前に相手に互いに突き刺す。刺し合うんです。愛し合う前に刃物を刺し合うんですよ。互いの体に。
(赤江珠緒)まず、刺し合う。はい。
(町山智浩)で、刺されたカタツムリはその後弱って寿命が短くなって死ぬんですね。卵を産むとすぐに。それ、なんでそういうシステムになっているか?っていうのは最近の研究でかなりわかってきたんですけど。要するに、自分とセックスしたものはそれで死ぬっていうことにするんですよ。子供を産んで。
(赤江珠緒)うん。
(町山智浩)要するに、遺伝子的な利己心なんですけども。はっきり言うと、愛する相手を独占するために殺すんですよ。
(赤江珠緒)はー!そういうことだ。たしかに。
(町山智浩)パトリシア・ハイスミスはそのカタツムリのセックスに取り憑かれていた人なんですけども。だから、淀川さんが言っていたのは正しかったんですよ。
(山里亮太)ナイフを突き立てるっていうのは、この恋矢と・・・
(町山智浩)ナイフを突き立てるのが愛なんだ!ってことなんですよ。
(赤江珠緒)そして自分自身がその本人になるんですもん。『太陽がいっぱい』は。
(町山智浩)そう。だから淀川さん、すごい!死してね、なお・・・名探偵だったですね。
(赤江珠緒)そうですね。すごいな!
(町山智浩)誰もわからなかったんです。2003年にパトリシア・ハイスミスの伝記で暴かれるまでは、そのへんの関係性、まったくわからなかったんですよ。誰にも。
(赤江珠緒)へー!
(町山智浩)いまはもう、完全に明らかになったんですけど。淀川さん、名探偵でした。という、『キャロル』っていう映画はそういう映画なんですけど。当時、同性愛小説とか同性愛ものっていうのは存在したらしいんですけど。アンダーグラウンドで50年代にも。でも、最後は同性愛が治って異性を愛するようになるっていうオチか、自殺するか、事故か病気で死ぬっていうオチしか許されなかったらしいんですね。
(赤江珠緒)はー。
(町山智浩)で、その『キャロル』のモデルになったキャサリン・シェンっていうご夫人もですね、謎の自殺を遂げているんですよ。その後。
(赤江珠緒)ふーん!
(町山智浩)で、たぶん同性愛者で、それを隠して偽装結婚していたけども、耐えられなくて自殺したんじゃないか?っていう風に推測されているんですよ。これ、バージニア・ウルフの『ダロウェイ夫人』っていう小説みたいな話なんですけど。それはね。で、あとパトリシア・ハイスミスに同性愛を手ほどきしたバージニアさんという人も、アルコール中毒の果てに死んでいるんですよね。
(赤江珠緒)ふーん!
(町山智浩)だからやっぱり、こういうのは隠して押しつぶすっていう風にすると、やっぱり辛いことになっちゃうんですよね。
(赤江珠緒)そうでしょうね。うん。
(町山智浩)でも、ハイスミス自身は『キャロル』を書くことでもって、『私はこれでいいんだ』っていう風に自覚をして。で、婚約を解消して、一生女性だけを愛して74才まで生きたんですよ。
(赤江・山里)ふーん!
(町山智浩)で、『キャロル』っていうこの映画自体も、自分自身であるってことはどういうことか?っていうテーマの映画になっていますね。
(赤江珠緒)そうなのか!
(町山智浩)そういう感じで、もうお時間が来ましたが。はい(笑)。
(赤江珠緒)町山さんにこれ、今日解説していただかなかったら、地下鉄のシーンがいきなり出てくるっていうのも、意味がわからないですね。
(町山智浩)これ、わからないと思いますよ。
(山里亮太)1950年代風の映像をなんで、作り上げたか?っていうのも。タブーの時代に起きていたことをっていうことなんですね。
(町山智浩)そうなんですよ。だから、意味がわからないと思うんですけど。今回ね、惜しいのは男性の全裸シーンがないことですね。
(山里亮太)いや、惜しいとかじゃないですよ。
(赤江珠緒)いまね、最高に町山さんの株が上がっていたんですけどね(笑)。
(町山智浩)えっ?ただね、ケイト・ブランシェットの裸がですね、背中も肩も非常にたくましてくてですね。これは男性ヌードの代わりになりますんで。はい。お楽しみください。
(山里亮太)『代わり』とかって、僕ら、なにを求めていくと思うんですか?(笑)。
(町山智浩)なにを言ってるんだか、もうぜんぜんわからないんですが。『キャロル』でした。
(赤江珠緒)はい。ありがとうございます(笑)。今日は映画『キャロル』のお話をしていただきました。日本でも2月11日公開となります。町山さん、ありがとうございました。
(山里亮太)ありがとうございました。
(町山智浩)どもでした。
<書き起こしおわり>