アクティブキュートに煌めいて (original) (raw)

自分自身の性格について論じることが、実は苦手だ。性格という装置を通して考えたこと、感じたことを言葉にするのは得意だけれど、「あなたはどんな性格か?」という質問には、これまで上手に回答できたためしがない。

私が〝真面目〟な人間だったら、今頃都内の中小企業で毎日心を削りながらも、働き続けているだろう。私が〝優しい〟人間だったら、優しいひとの行いを見て劣等感を覚えることなどないはずだ。私が〝協調性〟をそなえた人間だったら、盛り上がってる合コンの場で「私は興味ないです」なんて、口が裂けても言わなかったに違いない。

その他いろいろ、前向き、天然、努力家、頑固。どんな言葉もひとりの人間の性質を表現するにはあまりに誇張で、いささか浅薄せんぱくにすぎる。ひとの中身は驚くほどに色鮮やかなグラデーションで、正反対かつ多彩な要素をいくつもあわせ持つからだ。自分がどういうことを考え、何を感じる人間なのかを誠実に理解してきたからこそ、私は自分につける名札を見つけられないままでいた。

日々こんなにも自分の中身を書き散らかしてるはずの私が、実のところはその本質を言語化できていないだなんて、なかなか可笑しな話だろう。あの質問に対する答えはいつまで経っても分からない。探した言葉はどれもが〝私〟であるくせをして、ひとつも〝私のかたち〟にはならなかった。

どこにも正答例が存在しない長文記述式の解答を延々書き続けている感じはずっとある。この「内なる自分と対話する」のが大好きなのは〝提唱者〟という性格タイプの特徴らしい。静かな熱意と洞察力で他者を導く理想主義者がウンタラカンタラ。

あの診断の解説文は読みものとして面白い。でも結局は「芯が強い」とか「創造的」とか、またありきたりな名札の羅列にすぎないもので、やはり曖昧な読後感だけ残される。ていうかそもそも〝提唱者〟って何なんだ。私はあんまり人前に出て先導していくタイプじゃないけど、それ名乗っても大丈夫? 賛否が分かれる診断(私は好き)だが、次あの質問されちゃったらもう「性格:INFJ」とかで答案出してやろうかな。

生まれてこのかた、多くの人から「姉のようにも、妹のようにも、かと思いきや一人娘のようにもみえる」と形容された。何者にでもなれる私は、もはや何者にみえているのか分からない。私は一体どういう人間なんだろう。自分のことを曖昧にしたまま生きていくのは、私にとって心地の悪いことだった。

「あなたはどういう性格か?」

そんな感じで、この問いだけはもはや生涯かけて解いても完答できるか分からない……と不思議な悩みを患っている私であったが、ある日突然、急転直下で想定外の答えが脳に降りてくる。一週間前、三連休の中日の昼頃。自宅で前髪を切っているとき、鏡に映る自分の顔と見合っていたらひらめいた。

「私って、顔というより性格のほうが〝アクティブキュート〟なんじゃない?」

アクティブキュートな顔、というのは、パーソナルカラーおよび骨格タイプと肩を並べて〝垢抜け三大指針〟のうちのひとつとなった「顔タイプ」という分類の中の一種である。目力強めで元気な童顔。芸能人で例を挙げると齋藤飛鳥や広瀬すず。この文章はああいう感じの顔の女が書いています。

アクティブキュートが相手に与えやすい印象は、パワフル・活発・愛らしい。名前負けとは完全無縁の、まさに〝アクティブ〟アンド〝キュート〟な顔立ちというわけである。そして私はこのフレーズが、自分自身の中身をかたどる形容詞としてやけにしっくり嵌はまるものだと、納得してしまったのだ。あんなに考え込んでいたのが嘘っぱちかのようだった。

でも思えばたしかに「人柄と生き様は顔に出る」っていうもんな。アクティブキュートな顔の私は、アクティブキュートな性格をして、アクティブキュートに生きるのか? なるほどそれは素敵だな。ちょっと気に入ったじゃないか。私は〝アクティブキュート〟の字列をブログとSNSのプロフにいそいそとして書き入れた。

私がここで日常を綴ることにしたのは、頭で考え、心で感じ、五感でふれたあらゆるものを、私自身の言葉で飾って〝たったひとつの特別〟にしたいからである。とりとめのない感情、思考、とるにたらない記憶や思い出。ありふれてるけどかけがえのない光を統べて、丁寧に昇華しておく場所が欲しかった。

めまぐるしく過ぎてしまう世界は、想定外で、色めいていて、まばゆく、ときに爆ぜるかのような瞬間の日に満ちている。良いことも、今はそうとは思えないようなことも全部手にとり、星を飾っていくようだ。

その空のしたを曲がりなりにも歩いていく中、私にとって〝アクティブキュート〟は手のひらに載る小さな方位指針に近しいものとなる。何というのか、迷ったときは自分自身が元気で可愛くいられるほうを目指しておけば、いつでも〝私〟を守ってあげられるような気持ちがしてるのだ。なぜならそれが私自身の性格であり、もっとも自然体でいられる在り方だろうと思うから。

性格はいつか運命になる。by マザー・テレサ。私はあの質問への答えを見つけることができてようやく、自分の望んでいる人生がどんなものかが分かった気がした。