がっかりして、それでも続けてしまう(自分の好きな)ことを見つけた話。 (original) (raw)
こんにちは、「寒くなると肉まんが食べたくなる」もっぷです。
野菜なんかだとよく「旬(その季節)のものを食べると体に良い」って聞きます。
体に良いかどうかはわからないけど、季節によって「あー、食べたいなあ」って思うものってありませんか?
もっぷは今の季節、やたら「肉まん」が食べたくなります(笑)
大阪の「555」をはじめて食べたときは、めちゃ感動しました。
また食べたいなあ(*^-^*)
ところで。
みなさんは、「なにかにがっかりすること」ってありますか?
がっかりしすぎて、いつの間にか矛先が「自分否定」にすり替わってたりしませんか?
「こんなに頑張ったのに、やっぱり自分はダメなんだ。才能ないんだ」とか?
もっぷも人の子なので、自分が一生懸命やっていることに対して「期待したものが返ってこない」と思うと、そりゃあがっかりすることもあります。
たとえば、一生懸命書いたブログの記事の☆がいつもより少なかったりとかね(笑)(←いや、笑っちゃいるけどやっぱりがっかりするのよー)
ここでよく聞くのは、
『(がっかりするのは期待することが原因だから)期待するのをやめましょう』
というフレーズ。
じゃあ「期待する」って、良くないことなんでしょうか??
「期待」を辞書で引いてみると、こんな風に説明されてました。
期待:あることが実現するだろうと望みをかけて待ち受けること。
当てにして心待ちにすること。
ふーむ。
言葉から受ける印象(=概念)だと、『(自分の望みを「他人」に預けて)立ち止まってる』イメージ。
ある程度まではやるんだけど、途中で「自分がぜんぜん動いてない」感じがしませんか?
じゃあ、『(自分に)期待する』のはどうかというと、これまた同じように「立ち止まっている」気がします。
そうそう。
日本語の「音」には「言葉」になる前の時点で、すでに固有の意味があるんですよ。
期待(キタイ)→ 「気」が分かれている
(「気」は、「元気」とか「気分」とか「気合」とかでいうアレです)
「期待」は、自分のエネルギーである「気を分ける」・・・つまり自分のエネルギー量を減らしちゃってることでもあるんです(;^_^A
「がっかりする」という意味はもっと分かりやすく、
「(現実化の)力を外に発揮しないまま、力を失くす」
という意味になります。
「言葉」は物理現象を伝えるための「手段」だったり、他人との意思疎通に使う「概念」なので、言葉自体に固執することはないんですけど。
伝えるためのツールとしては使いやすいかなと(^_-)-☆
「がっかりする」ことも「期待する」ことも。
言葉から見たら、それ自体はぜんぜん悪いことじゃないんですよね。
要は、自分が立ち止まらなければいいだけで(*^-^*)
そもそも「がっかりする」のも「期待する」のも、「自分がやっていること」・「自分がしたいと思っていること」の途中経過というか、一場面じゃないですか。
モノゴトには波があるから、良いと感じる時も悪いと感じる時もあるのは当然なわけで。
一時、一場面の「がっかり」で自分を否定したり、才能がないなんて思わなくてもぜんぜんOK!
動き続ければ、自然に場面転換します(*^-^*)
おお。
気が付けば、もう木曜ですね。
週末まではきっとあっという間です!
今日も動いて、今日の小さな楽しみを決めて。
その時を心待ちにしましょうか(*^-^*)
「がっかりする」のは、