東京主僕教会の最近の説教など (original) (raw)
大変お待たせしました。11月10日の東京北西地区講壇交換日の礼拝は、豊島北教会伝道師大石啓介先生が説教の奉仕をしてくださいました。
****礼拝情報は下記にあります****
****礼拝情報は下記にあります****
【1】礼拝順序
《 前 奏 》
《 神の招き 》
招きの言葉(起立) ヨハネの黙示録21章3-4節
讃 美 歌(起立) 21-140
《 罪の告白 》
罪の告白の祈り(起立) 交読詩編 詩編130編
主よ、あわれみを(起立) 21-31
恵みの言葉(起立) イザヤ書44章21-22節
《 神の言葉 》
聖霊の導きを求める祈り
聖書朗読 詩編116編、コリントの信徒への手紙二4章7‐15節
讃 美 歌(起立) 312
説 教 「神を愛して生きる」
《 感 謝 》
執り成しの祈り
讃 美 歌(起立) 338
信仰告白(起立) ニカイア信条
聖 餐 式 21-81
奉 献
主の祈り(起立)
《 派遣と祝福 》
頌 栄(起立) 544
派遣の言葉(起立)
祝 福(起立)
《 後 奏 》
【2】聖書朗読
◇詩編 116
1わたしは主を愛する。
主は嘆き祈る声を聞き
2わたしに耳を傾けてくださる。
生涯、わたしは主を呼ぼう。
3死の綱がわたしにからみつき
陰府の脅威にさらされ
苦しみと嘆きを前にして
4主の御名をわたしは呼ぶ。
「どうか主よ、わたしの魂をお救いください。」
5主は憐れみ深く、正義を行われる。
わたしたちの神は情け深い。
6哀れな人を守ってくださる主は
弱り果てたわたしを救ってくださる。
7わたしの魂よ、再び安らうがよい
主はお前に報いてくださる。
8あなたはわたしの魂を死から
わたしの目を涙から
わたしの足を突き落とそうとする者から
助け出してくださった。
9命あるものの地にある限り
わたしは主の御前に歩み続けよう。
10わたしは信じる
「激しい苦しみに襲われている」と言うときも
11不安がつのり、人は必ず欺く、と思うときも。
12主はわたしに報いてくださった。
わたしはどのように答えようか。
13救いの杯を上げて主の御名を呼び
14満願の献げ物を主にささげよう
主の民すべての見守る前で。
15主の慈しみに生きる人の死は主の目に価高い。
16どうか主よ、わたしの縄目を解いてください。
わたしはあなたの僕。
わたしはあなたの僕、母もあなたに仕える者。
17あなたに感謝のいけにえをささげよう
主の御名を呼び
18主に満願の献げ物をささげよう
主の民すべての見守る前で
19主の家の庭で、エルサレムのただ中で。
ハレルヤ。
◇コリントの信徒への手紙二4章7‐15節
7ところで、わたしたちは、このような宝を土の器に納めています。この並外れて偉大な力が神のものであって、わたしたちから出たものでないことが明らかになるために。 8わたしたちは、四方から苦しめられても行き詰まらず、途方に暮れても失望せず、 9虐げられても見捨てられず、打ち倒されても滅ぼされない。 10わたしたちは、いつもイエスの死を体にまとっています、イエスの命がこの体に現れるために。 11わたしたちは生きている間、絶えずイエスのために死にさらされています、死ぬはずのこの身にイエスの命が現れるために。 12こうして、わたしたちの内には死が働き、あなたがたの内には命が働いていることになります。 13「わたしは信じた。それで、わたしは語った」と書いてあるとおり、それと同じ信仰の霊を持っているので、わたしたちも信じ、それだからこそ語ってもいます。 14主イエスを復活させた神が、イエスと共にわたしたちをも復活させ、あなたがたと一緒に御前に立たせてくださると、わたしたちは知っています。 15すべてこれらのことは、あなたがたのためであり、多くの人々が豊かに恵みを受け、感謝の念に満ちて神に栄光を帰すようになるためです。
【3】説教
「神を愛して生きる」詩編116編
今朝の礼拝を召天者記念礼拝として守っています。昨年から今年にかけ、長く教会生活を共にされてきた親しい方々が神さまの御許に召され、私たちは淋しさの中にあります。けれども、その方々の生涯を思う時、人柄や性格、歩まれてきた人生も環境も一人一人違いますが、共通して言えることは「神を愛し、神に仕える僕として歩まれた」ということです。その生涯が歌われているのが詩編116編です。詩編116編は1節「わたしは主を愛する」という言葉で始まります。この言葉は聖書の教えによれば、人間の基本的な信仰の姿勢です。イエスさまはあらゆる教えのなかで何が第一の教えなのかと聞かれた時、マルコによる福音書12章29節で、隣人愛に先立って、それを生み出し、支えていくもの。「第一の掟は、これである。『イスラエルよ、聞け、わたしたちの神である主は、唯一の主である。 30心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい』と答えられます。神さまを愛するということは、神さまを喜び、神さまに感謝することでもあります。そこにいつも立ち返っていったのが召された方々の人生であり、その導きの中にあるのが私たちの人生でもあるのです。
詩編116編を読むと、詩人は何も悩みも恐れも苦しみもなくて、神を愛する、と言っているのではないことに気づきます。1節「嘆き祈る」とあります。神さまに救いを求めなければならない苦境に立たされていました。3節に「死の綱」、「陰府の脅威」、苦しみと嘆き」、8節には、「魂を死から」、「目を涙から」、「足を突き落とそうとする者から」とあります。具体的な状況は分かりませんが、詩人が何か大変な困難と試練に直面して、命の危機にさらされる深刻な状況にいたことが分かります。しかし、どうして、大変な困難の中で、神さまに感謝して、神さまを喜ぶことができるのでしょうか。詩人は「主は嘆き祈る声を聞き、2わたしに耳を傾けてくださる」と祈っています。神さまは私たちが祈る時、必ず、私たちに近づいて、身をかがめ、私たちの祈りの言葉に耳を澄ましてくださっています。私たちに出会い、熱心に耳を傾けて聞いてくださっています。どんな祈りであっても、必ず祈りを聞き、受けとめ、答えてくださいます。神さまはどんな状況であっても、私たちを愛し、大切な存在として、最善の仕方で取り計らい、働いてくださっています。詩人は祈りを通して、この神の愛の内にあることを知らされるのです。
この詩編116編の大きな特徴は、1節から、詩人の危機的な状況が次々とあげられていたのが、8節から感謝の祈りに変わっていくことです。特に8節から12節で、詩人は何かを経験しています。この詩編は、教会の歴史の中で、イエスさまが私たちのために苦しまれ、十字架で死なれ、復活してくださったことを覚える礼拝で読まれてきました。イエスさまは「我が神、我が神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」と私たちの苦しみを御自分のものとして苦しみ、私たちのために死んでくださり、復活して命の道を拓いてくださいました。イエスさまが必ず、私たちに近づき、私たちの祈りを聴き、答え、見捨てることなく最善の仕方で働いてくださって、導いてくださっている。それが十字架に示されています。
イエスさまの有名な譬え話があります。聖書には、百匹の羊のうち、一匹の羊が迷い出た時、羊飼いは99匹の羊を放っておいて、失われた羊を探し求め、発見されます。そこには大きな喜びがあります。他の全てを放ってまでも一人を探し求め、発見し、出会い、愛し、私たちの苦しみを御自分の苦しみとして担い、支えてくださっています。コリントの信徒への手紙一10章13節に「神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます」とあります。キリストの十字架の出来事のなかに自分の苦難と試練が担われているものとして見つめ直していく時、そこに「逃れる道」、キリストも父なる神も共にいて、私たちを愛し、支え、最善の仕方で導いてくださる命の道を見出すことができるのです。
「曲がり角、曲がり角で、神さまが出迎えてくださる」という言葉を読んだことがあります。人生は喪失と挫折の連続です。しかし、その曲がり角の時にこそ、そこで神は私たちに出会い、逃れる道を備えてくださっています。先ほどコリントの信徒への手紙二の4章の御言葉も読みました。パウロは喪失と挫折、苦境、人生の曲がり角で、十字架と復活の主に出会って、勇気と希望を与えられました。4章8節「わたしたちは、四方から苦しめられても行き詰まらず、途方に暮れても失望せず、 9虐げられても見捨てられず、打ち倒されても滅ぼされない。 10わたしたちは、いつもイエスの死を体にまとっています、イエスの命がこの体に現れるために。 11わたしたちは生きている間、絶えずイエスのために死にさらされています、死ぬはずのこの身にイエスの命が現れるために。 12こうして、わたしたちの内には死が働き、あなたがたの内には命が働いていることになります」。その後にあるように、復活した主が共にいますことを知らされ、その主の愛の中に捉えられ、主の復活の命にあずかり、連なっている。このことに支えられ、希望を与えられています。どんな人生の曲がり角にあっても、そこで十字架と復活の主が出会ってくださり、主の愛の中にとらえられ、存在している。死に勝利した主の命に、自分の死と命も、自分も包まれている。その自分を発見し、勇気と希望をいただくのです。
15「主の慈しみに生きる人の死は主の目に価高い」ということは、死が主の目に価高い、神が私たちの死を喜ばれるということではありません。むしろその死を惜しみ、どんな時も変わることなく、永遠に愛し、大事な神の子としてくださっているということです。それゆえに詩人は16「縄目」、困難が取り除かれることを願いながら、神に愛されている「主の僕として生きる」。主から離れてしまうことはあっても、繰り返し、主が出会い、主の愛の中にあることを教えてくださり、自分の賜物をもって最後まで神を愛し、神に仕えていく僕として導かれていきます。
主は召された方々と同じように、どんな時も私たちを愛し、最善の仕方で働いて、永遠の命に生きる僕として支え、導いてくださいます。この主の愛を信じ、主を愛し、仕える僕として歩む生き方に焦点をあてて歩んでいきたいのです。
【4】説教後の祈り
死も生も支配される父なる神さま、あなたは先に召された信仰の先達と愛する人々を導かれたように、私たちもあなたの愛のうちに最善の仕方で導いてくださることを感謝します。どんな時もあなたが私たちの祈りを聞き、出会ってくださり、主の愛の中にあることを信じ、あなたを愛し、あなたに仕える僕として歩んでいくことができますように。
この朝、心に悲しみと痛みを抱え、生きることに困難を覚える世界の全ての人々のために祈ります。どうか、悲しみや嘆きの中にある人々にあなたの助け手をお送りくださり、あなたの慰めを表してください。特に愛する人々を失った人々を助けてください。災害や病気、戦争、様々な悲しみや苦しみをもたらす全ての暴虐的な力を打ち砕き、全ての人々が平安のうちに勇気と希望をもって歩むことができますように導いてください。憎しみがあるところに愛を、争いがあるところに赦しを、分裂があるところに一致を、疑いのあるところに信頼を、誤りがあるところに真理を、絶望があるところに希望を、闇あるところに光を、悲しみあるところに喜びをもたらし、世界の人々が互いを思いやり、仕え合うことができますように導いてください。
この世界にあなたによって建てられている全ての教会、そして私たちを強め、主イエス・キリストによって与えられている勇気と慰めと希望を証しし、あなたの御業に仕えていくことができるように助けてください。
この時、私たち一人一人が心にかかっている、心身に病、痛みや疲れ、不安を抱えている方々に癒しと希望をお与えください。特に入院している人々、施設にある人々、孤独の中にある人々を守り、お支えくださり、助けてください。この礼拝を覚えながら、様々な事情で来ることのできなかった方々を顧みて下さい。ここにおられる全て人々、心に覚えるすべての人々を祝福の内に導いて下さい。今私たちの心の中にある全ての祈りを顧み、憐れんでください。
この祈りを世の終わりまで私たちに近くいまし、共にいてくださる主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン