PARANOID ANDROID (original) (raw)
最近入院していたのだけど、入院中に読んだこの本をご紹介します。
「神に愛された天才」vs「人に愛された中年の星」
知られざる将棋のタイトル戦を舞台に繰り広げられる、感動の人間ドラマ。
恋愛小説の金字塔を立てた著者が開いた、新境地。40歳までタイトルを獲れなかった棋士は、引退まで無冠に終わるーー。
それが才能と加齢による限界がもたらす、将棋界の残酷な歴史。
田中一義は46歳。かつて5度もタイトル挑戦に敗れ、あと一歩で栄冠に届かなかった「悲運の棋士」。それでも諦めずにきた彼に奇跡が微笑み、念願のタイトル挑戦権を手に入れた。 だが迎え撃つ相手は「令和の王」ーー源大河八冠。まだ一度もタイトル戦で敗れたことのない、全盛期の若き天才。
それは誰もが絶望する、中年棋士のラストチャンスだった。家族と戦友、元天才の弟子との絆、初恋と、青春の残光……これまでの人生のすべてを星のごとく燃焼させる一義は、神の子に届くのか。
熾烈な才能の世界と家族愛をみごとに描いた傑作。
下記読んでいる時の読書メモより抜粋します。
「脳が衰えるんじゃない。それを支える体全体が弱くなるんだ。」
〜201ページ
この小説の主人公のモデルは木村一基九段なのだけど、だから木村さん、走ってるのかなぁ。
加賀のモデルは永瀬さんだな、ちょっとひどすぎるw
356ページでリアルにゾワゾワっと腕に鳥肌が立った(源大河が〇〇します)。
370ページ、老いを自覚するのは、「懐かしさ」という感情が去来して身を浸した時だと言っている。
そうか。
そうやって懐かしビジネスは成り立っているのか。
372ページ、リアルに声出た。
過去のイメージと肉体のギャップが起こり足がもつれる、あの類。(中略)歳を取っていく。かつて当たり前にできていたことができなくなっていく。そんな自分と折り合いをつけ、工夫しながら力を維持し、なんなら強くならなくてはいけない。
〜374ページ
入院中に読んだからか、こういった箇所が目に止まった。
418ページ以降がわたし的には蛇足かなぁ。
惜しいなぁ。
なんか軽くなってしまった(いや、もともと軽かったけど)。
バッサリ切り捨てて417ページで終わってよかったのでは?
絵でいう途中で筆を置くみたいな。
最後に厳しいこと書いてしまいましたが、わたしはものすごくライトな観る将?(いや中継見ないで結果だけまとめブログで確認する将です)なので、興味深く読みました。
将棋は駒の動き方しかわかりません💦
そんなわたしでも楽しめたし、棋譜も書いてあるので指す将の方だったらもっと楽しめるのかも…。
夜明け前にこの本を読み終わりました。
わたしはぜんぶ覚えている。あの痛みも、暗闇も――。
ピュリツァ―賞受賞の天才詩人が書き残した伝説的長編小説、20年ぶりの新訳。優秀な大学生のエスター・グリーンウッドはニューヨークのファッション誌でのインターンを勝ち取ったとき、
夢がついに叶うと信じて喜んだ。しかし、退屈なパーティー、偽善的に感じられる恋人、
空虚なだけのニューヨークでの生活に違和感を覚え、世界が支離滅裂なものに感じられる。
そして、とあることをきっかけに精神のバランスが徐々に崩れていく。世の中は欺瞞だらけだと感じる人、かつてそう思ったことがある人たちに刺さりつづける、
英米だけで430万部以上を売り上げた世界的ベストセラー、待望の新訳。
海外文学シリーズ「I am I am I am」、第一弾!
読んでる最中は、
先月から自死した人の本読むの解禁したのだけど、この本、今、主人公が精神病院に入ったところなのだけど、読むのツライ…。
なんでツライのかっていうと作者がこの物語を書き上げた1ヶ月後の行動を知っているからで、わたしも若い頃エスターみたいな部分はあったし、その頃の痛みとかを思い出してしまうから。
でも夏の間に読み終わりたいから今日から頑張る。
と思い、昨日から一気に読みました。
作者の1ヶ月後の行動というのは、幼い子どもが別室にいるのに、キッチンのガスオーブンに頭を突っ込んでの自殺という壮絶な最期だったからです。
下記は読書ノートからの抜書き。
人に期待することをやめれば、がっかりすることもない。
〜93ページ
わかっちゃいるけど、悲しい…。
お気に入りはシダレヤナギだった。日本から来たのに違いない。日本の人たちは精神的なものを理解している。
なにかよくないことが起きると、切腹するような人たちだ。〜209ページ
誤解だよ、昔の日本人(最後は三島由紀夫?)はそうだったかもしれないけれど、今はぜんっぜん違う。
少なくともこの本の舞台の1950年代当時はもう絶滅していたのではないかな、そういう人たちは。
わたしはなにも変わらないだろう。どこにいてもーそれが船のデッキだろうが、パリのカフェやバンコクだろうがーいつも同じガラス鍾(ベルジャー)の中に座って、くよくよ悩むのだ。自分のすえた臭いを嗅ぎながら。
〜281ページ
悪い夢。
ベル・ジャーの中で、死んだ赤ん坊みたいに無表情で動かなくなった人間にとっては、この世界そのものが悪い夢だ。
悪い夢。
わたしはぜんぶ覚えている。〜361ページ
ちなみにタイトルの「ベル・ジャー」とは、
そもそもベルジャーとは、ベルの形に似たジャーのことであり、真空を形成するために用いられます。 そして、水素やヘリウムなどの気体をリークテストを行うワークの中に充填・加圧させ上で、これをベルジャーの中に入れて、一定時間真空になった状態のベルジャーの中で気体が漏れていないか確認を行います。
パメラ・ムーア『チョコレートで朝食を』は絶対この小説の影響を受けてると思う。
だって構成が似ているし、何より作者自身もこちらも自死しているし。
次は軽い本を読んでバランスを取ろうっと。
この本を2010年に読んだ時の感想が出てきて、今希死念慮の出てきているわたしは、自分の書いた感想を読んでみてこの本は再読した方がいいかも…と思いました。
あゝでも余計タヒたくなってしまうかも…
14年前に書いた感想を再掲します。
鈴木いづみの小説やエッセイを読むと、天上天下唯我独尊というか自分に偽りなく生きている「強い女」(なんだかポッカリと空いた大きな黒い穴から逃れるようとする強迫観念に囚われているようだが)。しかしそれは表層的な物でそれらを「盾」にして生きてきたのだろうなと思っていた。この本を読むとその2面性がよくわかる。
「感受性が鋭くてしかも元気でいる、というのはむずかしいもんだね。」
「私は誰の助けも借りずに、私自身の『孤独』を充実させる以外に、手はないのだ。私は犬みたいにがんばらなければならない。」
「みずからの敵がなんであるかを把握するには、世界を認識することからはじめなければならない。」
「泣けるくらいならたいしてつらくもないのよ。」
「ひどいことをされると死にたくなる、のはそれによってうちひしがれるからではない。力をうしなったからではない。憎悪のエネルギーがたまり、それを外部へむけることが困難であったからだ。なにものかへぶつけると、そのしかえしがこわい。はねかえってくるものを、もちろんこたえることができない。自分の感情に、責任をもてない、ということだ。自己を破壊するかぎりにおいては、だれも文句をいわない。」
「物書きが自殺したりするじゃない。あれはカッとなて自殺するわけじゃないと思うわけ。すごい冷静になって死ぬんじゃないかという気がする。もう全部虚しいとか、生きていてもしようがないとか言って、非常に冷静な眼で見ているような気がするのよ。」
そんな鈴木いづみはパンティストッキングで縊死するのだが、この本を読んで驚いたのは、娘である鈴木あづさ氏が今までの鈴木いづみの死について書かれている事を否定して(娘が寝ている間に自殺したことになっている)、自分の母親(実質1年半しか同居していないので『他人』なのだろうが)がパンティストッキングを2段ベッドにかけて実際に首をつって息絶えるまで目の前で見ていた、ということだ。そして、この光景は絶対に忘れてはならない、とカメラを探した、ということだ。若干小学生にして、だ。
何故親を助けなかったのか、なぞ、非難する気は毛頭ない。逆に天晴れと喝采すら送りたくなった。
では14年振りに読んでみてまた違う視点や発見があればいいな、と思っています。
今日からGW前半用にと思い、この分厚い本を読みはじめました。
今日はアマの演劇がナショナル・シアターで上演される初日。黒人として女性として日々受ける差別に立ち向かってきたアマが、50代になってついに栄光をつかんだのだ。記念すべき今宵、家族や友人たちが集う。演劇界を共に生き抜いてきた戦友、母の希望とは異なるがしっかりした自分の意見を持つ娘をはじめ、不遇をかこつ者、努力して社会的成功を手にしたエリートなど、時代も背景も多様な12人のキャラクターが、人生を振り返っていく。子ども時代のレイプ、小さな町での差別、子どもを抱え必死に働いてきたこと、エリートとなった娘との不仲、実の両親を知らないことなど、みな人知れず心に傷を抱えている。大切なのは共にいること。人生、捨てたもんじゃない。笑って泣かせ心揺さぶる真実の物語。英国黒人女性たちが、乗り越えてきた苦難をウィットに富んだ斬新な文体で語り、共感を呼んだ傑作長篇。作家はナイジェリア人の父とイギリス人の母のもとロンドンで生まれ、本書が7作目の小説。
「強くてしなやか、ユーモアがあって、優しくて皮肉屋 そして臆することなく真実を教えてくれる最高の女友達のようなこの小説を、好きにならないわけがない!」西加奈子(作家)
句点(、)はあるけど読点(。)が全然ない独特の文体で、登場人物が多いからなのかまたは世相を反映していたり、重要!と頭のセンサーが作動してページを前に戻って読み返していたりするからなのかわからないけれど、この本50ページ読むのに1時間半かかる…それにしても何故??って感じ。
今3時間100ページ程読んで、印象に残ったところを。
そのためますます多くの者たちが将来に絶望し、ヨーロッパからまもなく切り離される連合王国とともに惑星がまずいことになりかけており、ヨーロッパ自体が反動的な道を猛スピードで転がり落ちてふたたびファシズムを流行らせているところで、あまりに狂っているから、嫌悪感をもよおす永久日焼けを施した億万長者がアメリカ大統領になって知的及び道徳レベル低下の記録を更新、要するに上の世代が何もかも台無しにしてくれたから、あたしの世代はもうほんッとに絶望的なのよ〜53ページ
舞台は現代のイギリス。これは主役?の黒人女性の娘(19歳)から見た視点なのだけど、どこも世界はそうなのか、と、唖然とした。
パパに言ってやんなよ、英国経済はレベルが高い仕事をする移民がいなくちゃ崩壊するって、ママなんか、絶対にこの国出身の労働者じゃなくてポーランド人の配管工とか電気工寄こしてって言ってる〜81ページ
これもヤズ(主役?の黒人女性の1人娘、19歳)のセリフ。
興味深い。
何年か後の日本?
この本はブッカー賞を受賞しており、また2019年(かな?)のバラク・オバマ元大統領のベストブックのうちの1冊なのだけど、オバマ元大統領のベストブックってわたしがかなり興味深くおもしろく感じる本が多いです。
今日からこの本を読んでいます。
「可愛いに命を捧げます」
ロリータのカリスマ・嶽本野ばらが、その歴史をあますことなく記した古今唯一の文献!!〝飾欲〞に生きるすべての乙女たちへ贈る、著者畢生のエッセイ集。「オメーラとは背負ったフリルの数が違うんだよ」――ロリータの永遠のバイブル。
「そのお洋服に袖を通した瞬間、泣いてしまうんだ。生きる為に必要なものだから」
そのお洋服に袖を通した瞬間、泣いてしまうんだ。生きる為に必要なものだから、〜64ページ
ものすごくよくわかるし、この思考回路で自分と物事を考えて正当化して買った服や着物のなんという数よ…。
また帯の
「オメーラとは背負ったフリルの数が違うんだよ」
に、そこでマウント取ってどうする…いいぞもっとやれ笑、と思ったり。
この本の序文からして引き込まれた。
野ばらちゃんの逮捕後から出版された本の中では待ってました!これぞ!!野ばらちゃん!!!だし段違いにおもしろいし、『それいぬー正しい乙女になるために』から入った正統派野ばら読者の方で後に転向した方(例えばわたし/全書籍買ってるけどもう読んでいない、お布施みたいなものw)にももう一度読んで欲しいです。
ちなみにこちらA◯azonで予約して購入したのですが、届いて開封したら帯が外れて捻れた状態で入っていて(破れ目アリ)「やはり2度とAm◯zonで本は買うものか」と再認識しました怒。
先程この本を読み終わりました。
「主婦は家でぐうたら」している?
日本よりも家父長制が根強く、日本と同様に共働き世帯が急増する韓国で、
社会から卑下されマイノリティになりつつあるひとりの主婦が、
日本でも翻訳されている話題の書を含む15冊を読み解き、
こんな言葉を生む社会の仕組みの始まりをたどる旅へ──「夫が妻を扶養しているのではなく、妻が、
夫を働きに出られるように扶養しているのだ。」女性、男性、非婚女性、すべての人類のこれからを考えるための教養エッセイ!
今年読んだ本の中で暫定1位。
再読不可避。
初読時(今回)は「なるほど!」と思いながら、でもメモを取らずに読んでしまったので、今度はきちんとメモを取り書き出し、考えをまとめつつ自分の血肉となるよう読まねば。
この本にはわたしが思っていた疑問、モヤモヤに対する答えが書かれていた。
目が開かれ、啓蒙された。
また、邦訳されていない本のなんたる多さよ…。
あとわたしだったら帯に本文から引用する文章にはこれを選ばないな。
誤解されると思う、色々と。
取り急ぎここだけメモしたので長いですが引用します。
資本主義が設定した性別分業によって分断されたのは男女だけではない。女は必ず結婚して子どもを産まなければならず、家事と育児は女にできる最高の仕事だという定言的命令は、それを受け入れた女性とそうでない女性のあいだも引き裂く。お金に換算できることにだけ価値を見出す資本主義的な考え方に閉じ込められている限り、非婚女性は家で家事と育児を受けもつ既婚女性を「依存的でもどかしい生き方をしている」と考え、既婚女性は非婚女性を「わがままで自分の事しか考えていない」とさげすむことになる。体制維持のために社会は単一の女性像ーー結婚して子どもを産んで育てるーーを強調し続け、その過程でその女性像に符合する人とそうでない人が自分の立場を擁護し、結果的に互いに非難し合うようになる。しかし、もう少しだけ深く考えてみれば、少しだけ視野を広げてみれば、女性は自分が立っている場所の地形全体をながめることができる。そして今、つねに自分を省み、たゆまず前進していく女性は、既婚・非婚どちらの側にいようと、自分が立っていない側の価値に気づき、評価する目をもてるようになる。〜215〜216ページ
●全米250万部、全世界600万部。2022年、最も売れたデビュー小説!
●ドラマ『レッスン in ケミストリー』原作!著者デビュー作にして、世界600万部の大ヒット小説がついに日本上陸!
舞台は1960年代アメリカ。
才能ある化学の研究者エリザベスは、いまだ保守的な男社会の科学界で奮闘するが、無能な上司・同僚からのいやがらせ、セクハラの果てに、研究所から放り出されてしまう。無職・未婚のシングルマザーになってしまった彼女がひょんなことからゲットした仕事、それはテレビの料理番組「午後六時に夕食を」で料理を指南する出演者だった。
「セクシーに、男性の気を引く料理を」というテレビ局の要望を無視して、科学的に料理を説くエリザベス。しかし意外にも、それが視聴者の心をつかんでいく……。
ブリー・ラーソン(『キャプテン・マーベル』)が自ら制作総指揮、主演したApple TV+のドラマ版『レッスン in ケミストリー』も大ヒットし、全世界の女性(と犬好き)に支持された痛快無比の一冊。
「料理は立派な科学(サイエンス)だもの。まさに化学(ケミストリー)よ」
全女性(もちろん全男性も)、そして全犬好きにお薦め、最高のエンパワー小説にしてエンタメ小説です。
たぶん今のところ今年読んだ本の中で2番目におもしろいです。
彼らはエリザベスを管理したがり、さわりたがり、支配したがり、黙らせたがり、矯正したがり、指図したがる。なぜ仲間の人間として、同僚として、友人として、対等な相手として、あるいはただの通りすがりの他人として女性に接することができないのか、エリザベスには理解できなかった。〜325ページ
女性がいつかはぶち当たる、一度は感じたことのある男性に対しての壁?思いだと思う。
以下が著者の1番言いたかったことのひとつなのでは?と思ったので、少し長いけれど、引用。
ハリエットに言わせれば、男は女とほとんど別種の生き物だった。男は甘やかされることを必要とし、すぐに傷つき、自分より知的だったり脳力が高かったりする女性を許せない。「ハリエット、それはおかしいんじゃないかしら」と、エリザベスは異議を唱えた。「男性も女性も、どちらも人間です。人間であるわたしたちはみんな、受けたしつけの副産物であり、欠陥だらけの教育制度の犠牲者であり、それでも自分の行動を選ぶことができる。要するに、女性を男性より劣ったものとして貶め、男性を女性より優れたものとして持ちあげるのは、生物学的な習性ではありません。はじまりはふたつの言葉です。ピンクと青。それが全ての元凶です」〜326ページ
そしてこのことに疑問を持つと同じ女性から示される態度についてもそのあとに書かれている。
「どうしてそうなってしまったんでしょう?」エリザベスは問う。「どうして女性はそういう文化的な固定観念を受け入れるのか?それどころか温存してしまうのか?アマゾンの奥地には、女性が支配する部族があるのを知らないのでしょうか?マーガレット・ミードは絶版になったんでしょうか?」エリザベスがそこで口を閉じたのは、ハリエットが立ち上がり、これ以上ややこしい言葉は聞きたくないと態度で示したからだった。〜327ページ
わたし、最近思うのだけど、こういう本を読んで、例えばそうそう!と膝を打ったり、溜飲を下げたり?するのも個人の自由だからいいと思うのだけど、そうではなくて実際に自分で行動に出さなければ?移さなければって思うようになってる。
そしてそれがどんなに難しいか、ということもわかって、打ちのめされて、現状に甘んじてる。
たぶん、現状に甘んじてる人、かなり多いのでは…。
この本は明日には読み終わるのではないかな。