「今度生まれたら」内館牧子著 (original) (raw)
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内館牧子節(ぶし)炸裂の「70歳」がテーマでした。
私のブログもポッドキャストも「70歳」をテーマにしています。
見つけた時、「ワーオ!」と叫びました。
70歳を前にして、
ちょっと、私のこれまでを振り返ってみます。
10代から20代になった時:
ちょっと捻くれて、少数派の立ち位置を好み、ただただ早く大人になりたかったような・・・
20代から30代:
仕事につき、仕事に慣れ、人生がわかった気になり、一番生意気でした。
幼い頃からの股関節の問題はありましたが、
キリマンジャロの登頂証明書を30歳の誕生日にもらいました。
30代から40代:
その時代にしては、遅い結婚、遅い子育てに無我夢中でした。
そう、この時代、結婚適齢期が24・5歳だったから・・
至極当然なんですが、周囲のママ友たちは約10歳年下でした。
おかげで、鹿児島で親しくなった友人はそのほとんどが10歳年下の方々です。
40歳になる頃、ただただ「中年だ!」と心の中で叫んでいました。
何となく、元気なうちにできること、記念になることをやりたくて・・・
水泳が得意だったので、「鹿児島湾横断遠泳」に挑戦しました。
最後尾でやっと完泳できました。
40代から50代になる頃:
一歳ちがいの兄が亡くなり、 「死」が身近になりました。
それまで「人生は長い」と思っていたのに、
「人生の折り返し」「あと半分しかない」と思いました。
50代から60代:
いろいろあったし、身体的にも、長年の股関節痛が悪化したし、精神的にもしんどい時期だったような・・・
60代中頃:
それまでの私の最大のテーマ「変形性股関節症」からの脱却。
左右両側の人工股関節置換術を決めました。
幼い頃からの股関節痛は痛みも増し、両方の股関節がやられて・・・
筋トレや杖では賄いきれなくなっていました。
振り返って、もの心ついた頃から、
「足の付け根」が痛い人生が始まりました。
20代でも30代でも痛みはありましたが、比較的元気に生活していました。
30代、40代と年齢が進むにつれて、
特に脚絡みで、「したくない」「できない」「痛い」は進みました。
生活は・・50代でも、もちろん、こなして・・・手術直前まで、一応、できていました。
でも、何かにつけては座りたかったし、歩きたくなかったし・・・ある時、「もうダメ。手術しよう」と決めました。
ちょうど、息子の結婚式を控えていたので、元気な顔で出席したいと思いました。
手術後、ほんとに些細なことなんですが、いくつも変化がありました。
例えば
⭐︎台所で炊事、料理をしていて・・・通常、立ってそれらをするわけですが、それが辛かったんです。キャスター付きの椅子を真剣に探しました。
今は長時間、立って炊事ができます。(些細なことですが、台所仕事は毎日のことなので、ずーっと憂鬱でした)
⭐︎スーパーの駐車場で、
少しでも入り口に近いところに車を停めることに気を配っていました。
今、どこに車を停めても大丈夫と思えるんです。おかしいでしょ?!
⭐︎たまに、杖をついて電車に乗っていて、高校生が空いている一人分の座席に、大きなカバンを置いて携帯に夢中になっているのを「私、座りたいんだけどな」と悲しくなりました。
今、「この荷物抱えてくれたら座れるんですけど」とはっきり言ったり、
言うのが面倒な時は、「大丈夫よ、私、元気な婆さんになったのよ」と心の中で呟いて立っています。
⭐︎歩いて数分の短い距離でも車を使っていました。
今、徒歩で「さあ、歩いて行こう」と思うんです。
⭐︎東京での移動も、電車や地下鉄などで動くことがむしろ楽しく思えるようになりました。
そうそう、東京の若い人の方が、席を譲ってくれることが多い気がします。情けなや、鹿児島の高校生。
⭐︎山ガールならぬ山姥になって、登山をしたいと思います。
今、やっと歩くことや立って何かをすることが楽しくなって、
これまでの分を取り戻したい衝動に駆られています。
脚に関しては
痛みも消え、機能を取り戻しているけれど、
寄る年並み、メンタルもフィジカルも、加齢・老化の一途を辿っていることは確かです。
例えば、
老眼が進み、本を読むのが嫌になっています。
しわやたるみも年齢(とし)相応に・・・
声も低くなり、ハスキーになってきています。カラオケでは音程を下げています。
うっかりミスは日に何度も、物忘れはひどくなり、会話や頭の回転は鈍くなっています。
痛みは消え、体力もついてきているのに、
69歳という年齢を意識せざるを得ない今日この頃というとき、
内舘さんの本に出会いました。
内館牧子著 「今度生まれたら」
内舘さんが、インタビューを受け、記事になった時に
《内館牧子かっこ70と記されていた》ことで
<カッコ70>を強く意識したそうです。
それまで、他の記事で名前の横にカッコ70があっても
「あー、お年を召した方ね」と何げに通り過ぎていたことが
我が身にあった時に、強い衝撃で70歳を意識したわけです。
とてもよくわかります。
つまり我が身が「老境」に入った、あるいは入り口に居るということです。
「とうとう、来てしまった感」ですね。
若い頃にはいつだって「やり直せる」から大丈夫と鼓舞して、辛いことを乗り越えて来たのに・・・
「老境」に入ると、「やり直す時間がない」 と思い、
「やり直せない」という気持ちがより強くなって
狼狽し、「あゝ なんかなー」とため息をつきます。
だからでしょうか?
それなりの努力を重ねて、幸せな環境を築いていたとしても、
「今度生まれたら」なんて「タラレバ」が、頭の中をぐるぐる回るわけです。
で、内舘さんは、「老境」に入った人たちの「揺れ」を書きたいと思われたようです。
内舘さんは私よりお姉さんの「団塊の世代」です。
内舘さんは
「私が二十代の頃は、結婚して初めて<一人前>に扱われる社会だった。
さらにだ。
結婚したら子供を生む。それによって、盤石の<一人前>になる。
今では考えられないが、その風潮は厳然とあった。
会う人ごとに「結婚はまだ?」「幾つになった?」と訊かれる。
「そろそろ決めないとね」と言われていた」と書いています。
団塊世代より少し下の私でさえ、
20代後半に、このような質問・会話が周囲で飛び交っていました。
私自身もこだわっていました。
それから逃げるように28歳の時、海外に出ました。
「今度生まれたら」の主人公、夏江さんは、内舘さん世代で描かれています。
女性の結婚適齢期が24歳だった頃に、
エリートと結婚して、いわば勝ち組人生を歩みながらも70歳でふと、
「今度生まれたら」と思うのです。
主人公の夏江さんは頭の回転が良く、
脳内言語が豊富な上に、
周囲への忖度も上手なんです。
内舘さんの他の作品もそうですが、
内舘節は、小気味良くて、笑い飛ばしたくなる言葉がいっぱいです。
夏江さんの 夫、姉、息子たち、そして選ばなかったけど気になっていた男性やその妻、同年代の活躍しているキャリアウーマンの人生を絡めて、
夏江さんは「今」と「未来」の折り合いをつけていく作品でした。
周囲の人の助言や、老人を扱った本には
「趣味を見つけよう」とか「ボランティア」とか「生きがい」とか「学び」という言葉が並びます。
主人公の夏江さんも、頭ではわかっているけど・・・
イマイチ納得がいかなかったり、しっくりこなくて・・・
彷徨うんです。
この「彷徨い」メチャクチャ共感できます。
この引っ掛かりは何なんでしょうね?
もしかしたら、仕事などより
「軽い」感じがするからでしょうか?
お金を生み出さないからでしょうか?
社会も私も、そう思ってしまうからでしょうかね?!
「軽い」から私がするようなものではないと思うのでしょうかね?
そのうち、「軽いもの」だってできなくなる日が来るというのにねーーー
私は
「折り合い」とか「落とし所」がまだ、見つかっていません。
彷徨い続けます。
でも、です。
昔の「彷徨い」よりちょっと楽しいのも事実です。
昔の「彷徨い」より「楽」です。
「加齢」とか「老い」を受け入れるのはちょっとシンドイですが、
うまく言葉にできませんが、それでもなんか「楽」で「悪くない」のです。
ということで、「70歳」をテーマに
ブログもポッドキャストも続けていくことにします。
よろしくお願いします。