消えない光(スターゲイザー/佐原ひかり) (original) (raw)

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推しという言葉をつかうことに、実はいつも躊躇する。好きなものにたいして「推し」と堂々と言えるほどの熱量が果たして私にあるのだろうか……と尻込みしてしまうので、たとえば「大谷翔平が結婚したね!」「大谷翔平がまたホームランを!」「大谷翔平がなにやらすごい記録を出したね」と朝のニュースで流れていたことを話題に出しただけで「大谷翔平推しなんだね」と言われたら、「ひっ!そんな畏れ多い言葉をつかわんでくれ……」と大谷翔平選手にもファンにも申し訳なくなる。私はメジャーリーグの試合も観たことがない人間なんだ。

これはオタクという言葉にも通ずるものがあって、この言葉が出はじめたころは嘲笑の意味でつかわれたこともあったけれど今はとんでもない、オタクというのは何かに対して突き詰めているとても格好いい人たちのことである。オタクと名乗るからにはそれ相応の愛・知識・活動があるからして、軽々と自称できるものではないのである、と私は思っている。

言葉ひとつ発するだけで全身が恐縮するので、好きなものはたくさんあるけれど、これまで「〇〇が推しです!」ということは言ってこなかったと思う(言ってないよね?たぶん…)。

そんな私なので、正直「アイドルが主人公の小説」をしっかり楽しめるのか…?という思いはちょっとだけあった(アイドルも詳しくないです)。あと、やっぱり販促には「推し」という言葉がちりばめられている。

私は「推す」という気持ちがどんなものかよくわからない。だから堂々と推してます!って言えない。

この程度の気持ちで「推し」と言っていいのか……と尻込みする。第三者の目から見たら、私もなにかを推している状態のときもあるのかもしれないけれど、でもそれはただ好き好き~~~~!と言っているだけで、推しとはやっぱり違う気がする。

まあ夢中になりきれない自分に勝手に引け目を感じているだけなのかもしれないけど、でも、それでも「スターゲイザー」を読んだとき、私は思っていました。

「え!!!??この六人、私が生きている世界には存在しないの!!!??(ライブ行きたいのに!!??)」

そして先日、著者である佐原ひかりさんのトークイベントに行ったのですが、そのときこんなことを仰っていました。
応援したくなる人物造形を心掛けたこと、ふだん推しているものがなくても、推す気持ちがわかるような小説にしたということ。

こ、これか~~~~~~~~~。これが、推す、というか、推したくなる気持ちなのか~~~~~~~~。

なんだろうこの全員を応援したくなる気持ち、私が応援しなきゃという気持ち、これが推し…?ですか……?

アイドルどころか推しという概念も初心者の私でさえペンライトやうちわを振っている気持ちになれた「スターゲイザー」、大切な推しがいるひとはもちろんですが、「いや推しとかいないし…」というひとも、一緒にステージにゆこう!

たしかどこかの書店さんだったと思うのですが、本作のポップに「読む推し活」と書かれていて、読む推し活があるならば書く推し活もあるはずと、やっぱり例のごとく長々と感想をしたためます、ていうか私が毎度なが~~~~い感想書くのって、もしかして「推し活」だったんですかね…?(推し活概念初心者)

アイドル事務所「ユニバース」に所属するデビュー前の青年、通称「リトル」。
彼らはデビューに向けて、限られた時間の多くを費やしレッスンに励んでいた。
そんなある日、リトルたちが出演するイベント「サマーマジック」で最も活躍した一人を、デビュー間近のグループ「LAST OZ」に加えるという噂が流れだす。
この噂をきっかけに皆が熱を帯びていく中、リトルの一人である加地透は疑問を抱いていた。
“恋心も、学校生活も、自分の体も、全てを捧げなければデビューは叶わないのか?”

デビューに対して人一倍強い野心を抱いている持田、
わずか14歳にしてソロデビューを打診された遥歌、
誰よりもストイックで自分の見え方を計算し尽くした振る舞いをする葵、
芸能人一家の複雑な環境で育った問題児の蓮司、
デビューができる期限まで残り一年を切った若林、そして透。

デビューを目指すこと以外はすべてバラバラの6人が出会った時、
彼らの未来は大きく変わる――かもしれない。

感想に入る前に、このnoteがめちゃよかったよって共有しておきますね。

担当編集さんが制作過程を1万文字(!)かけて書いてらっしゃっていて、私は作家さんと担当さんの二人三脚的な、一緒につくりあげた話が大好物なので読んですごく興奮しました(もちろん本はもっと大勢の方がかかわってできるもので、映画みたいに全員奥付に名前が載ればいいのに…と思っています。エンドロール紙!?)

純粋に本ってどういうふうにつくってるんだろう?と疑問を持つ方にも参考になると思います~!ていうか今ちらっと見たら集英社、めちゃくちゃnote更新してて興味ある。

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いつものごとく内容にがんがん触れる感想になるので(ネタバレもする)、未読の方はぜひ作品を読んでからどうぞ!!!!!!!!!!!(そして読んだあとに私の推し活見てほしい)

スターゲイザーは連作短編集、なんと第一話が全文公開されているので、まず一話を読むのもいいのではないでしょうか!

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では一話ごとに感想を書いていこうと思います!
そして最初にことわります、あの、書いていたら1万字越してしまいました(長いよ……)。
最初から最後まで読んでくださる方がいればそれはすごくうれしいけれども、目次を置いておきますので、ひとつでも読んでもらえたら幸いです。
感想に文量はもちろん関係ないですが、書く推し活ということでひとつお付き合いください。

サマーマジック

いきなり違う作品の話を持ち出して申し訳ないのですが、佐原ひかりさんの前作「鳥と港」の冒頭「会社、燃えてないかな。」という一文が衝撃的と話題になりました。しかし私はこの「サマーマジック」を読んだとき、もっともっとぎょっとしました。

「大地さんって、余命あと何年でしたっけ?」

よ、余命!!?フランクな口調で余命を聞いてる!?ビビり散らかしていたらアイドルとしての余命でした。いやそんな物騒な言葉をつかうの!?……かは実際のところわかりませんが、たしかにアイドル、とりわけデビュー前の「リトル」にとって、年齢というのは逆らえない大きな壁なのでしょう。

「サマーマジック」の主人公である加地透は、デビューできるかもしれないという噂が飛び交うイベントの最中も、必死になっているリトルとは違い80%の力でこなす涼しげなアイドル。
強い野心はないけれど要領がよく、アイドルという仕事にそこまで執着していないようにみえる。父親がサッカー好きだったからサッカーをやり、そのあと母がアイドル好きだからオーディションを受け合格、自らがつよく望んで手に入れた場所ではないという、良くも悪くも余裕がある。

これはアイドルに限らずなんですが、仕事でもなんでも、立派な夢とか核みたいなものを持っているほうがかっこいいとか、輝いているみたいなイメージはまだある。とくに表舞台に立つ職業だとそれが顕著だ。夢をつかむための姿、それは美しいという言葉がよく似合ってしまう。

でも、ずっと私の心に残っている言葉があるのですが、昔、ある雑誌の表紙にそれは書かれていました。

「夢って叶わなきゃダメ?」、当時就活真っただ中だった私、べつに夢が叶わなくたっていいよと、無理しなくていいよと言ってもらえた気がして、すごくこの言葉に救われたのでした。

夢をみることは全然間違いじゃない、でも夢を追い続けた先に、望んだものが必ずあるかといったらそうではない。って、そんなこと多くの人が頭ではわかっていると思うけど、夢があると追いかけずにはいられないんですよね。それは諦めたら駄目だと思い込んでしまっているのとほとんど同じだ。

サッカーの強豪校に入ったのに靭帯を痛め、サッカーを続けられなくなった柴田も印象的です。

親にスポーツドクターの道を提示されたことを「ウツクシー夢の出来上がりだ」と話す。「なんで何かを目指さなきゃいけないんだろうな」という柴田の言葉に、当時の気持ちを思い出しました。

透には、頑張るための理由がない。でも要領がいいからそつなくこなせる。そんな透のシンメトリーが大地というのが、これまた皮肉。

大地はリトルのなかでも年長者ということで頼れるお兄さん、だれにでも優しくて暗い影をみせない。でも、暗い影をみせないのは、無理をしているからで、本当はデビューできずに年月が経っていくことに耐えられない。

疲弊して摩耗して傷ついて毎日とにかく頑張って、でも報われなくて、それでもいつでも大地の夢は彼自身を縛っていて、そんな人のとなりに透がいたら、どれだけ苦しいんだろう。

サマーマジックを「持てるかぎり、やれること限界までやって一瞬をつくり出す感覚」とあらわした大地は、利己的な理由ではなく、やれること限界までやりたいから、人のダンスの振りも覚えていたのでしょう(それも想像できないほどの練習量で…)。
アイドルたちがみせてくれるステージは一瞬の光の連続、その光を絶やさないためにどれだけ身を削ってきたのでしょうか。

大地の姿が透の核をつくり、透自身も気づいていなかった「大地のとなりで踊りたい」というはっきりとした気持ちを自覚させる。それは、勝手な言い分かもしれないけれど、すごく「アイドル」だと思う。

魔法をかけてくれて、夢をみせてくれる、大地は間違いなく透のアイドル。
サマーマジックの最後に歌う「エバーグリーン」はリトルをあらわす曲でもある。

あの日きみは 光のなかで
笑いながら 泣いていた

傷つきながら かがやいて
ぼくらどこまで ゆけるのか
だれにもなれない ぼくのまま

デビューはできず、「だれにもなれないぼくのまま」退所していく大地の笑顔が映像に残っている。笑いながら泣いていたのかもしれないと思うと胸が張り裂けそうです。

傷つきながらかがやいて、なんてそんな、傷つかなくたってかがやいてほしい、傷つかずにかがやいてほしい、私は大地が好きです……。

夢のようには踊れない

も、もっち~~~~~~~!!!!!!!と、叫びたくなる「夢のようには踊れない」。もっちーこと持田は「サマーマジック」で大地に余命を聞いた子です。

こいつが私の大地(!)に余命を……軽率な発言ゆるさぬぞ……と思いながら読んでいたら、すぐ「もっち~~~~~~(好)」となっちゃいました。

持田は強気な性格で、もし自分が悪口を言われている現場に遭遇したら絶対乗り込んでやると意気込んでいるような子です。

「もし悪口を言われていたら」なんて考えている時点で持田は普段から、他人から見えている自分というのをとても意識しているのでしょう。

そして悪口の場面に遭遇、ついに来たと乗り込もうとすると、聞こえてきたのは自分の顔に対しての陰口だった。
顔にコンプレックスを持っている持田、結局そこに乗り込むことはできずそっとその場を去ってしまう。悔しい気持ちをなんとか抑え込みながら、持田は思う。

デビューだ。
デビューさえすればいい。
デビューさえできれば、何を言われてもいい。
俺を傷つける言葉のすべては、デビューできないやつらの僻みになるから。

も、もっち~~~~~~~~~~!!!!!!!いや、わかる、わかってしまうのよこの気持ちは。「〇〇さえできれば」、本当にそう思うんだよ。夢が叶えばすべて報われる、ぜんぶ大丈夫になる、なに言われたって結果がともなっているなら関係ない。

でもデビューさえすればいい、と思うことはやっぱりとても危うくて、もちろんできなかったときの反動が激しいというのもあるけれど、仮にデビューしたとして、たぶん持田のコンプレックスはデビューしたところで解消しない。

デビューした場所で、やっぱりまたコンプレックスに悩むだろうし、心ない言葉にもきっと傷つく。そして新しい「○○さえできれば」が生まれる。そんなギリギリのやりかたは、摩耗していくだけなんですよ……。

そう、持田はとってもギリギリ。「元気で無邪気なもっちー」を演出し、自分がデビューできる理由を必死にさがす。従姉妹の比奈子の友人が自分のファンで凝ったうちわを作ってきてくれたと思い込み、結果「遥歌が従姉妹だ」と嘘をついてしまった比奈子の気持ちを知りまた傷つく。でも持田は嘘をついた比奈子を責めず、元気で無邪気なもっちーを装う。うう、もう傷だらけなんだよ持田は……。

リトルのなかでもとくべつ人気の「顔がいい」遥歌に対して、人一倍敵対心を持つのも、ギリギリであるがゆえ。いちいち人と比べてしまうから、持田はどんどん空っぽになってしまう。

スターゲイザー」では、誰かが誰かのアイドルになっていると思う。魔法をかけてくれて、夢をみせてくれて。それから、がんばる理由をくれる。くれる、というか、受け取れるといったほうがいいのか。傷つきながら自分の気持ちを吐き出す彼らの姿に、空っぽだったところは自然に満たされる。

「デビューをしたいからデビューをめざしてきた」持田、夢のようにうまく踊れなくても、コンプレックスを抱えたままでも、遥歌という理由がひとつでき、ギリギリではなくなったということに私はほっとしたし、本当に応援したくなったよ。

愛は不可逆

とつぜん叫ばせてもらいますが、遥歌と蓮司の関係ありがとおおおおおお~~~~~~~~!!!!!!

蓮司というのは第一話から登場していまして、なにやら一匹狼のもよう、女の子とのホテルの写真が流出し炎上、謹慎中のリトルで言ってしまえば問題児てきな扱い。しかし芸能家族で、オーラも飛び抜けていて、絶対ファンは多いな……と思わせる人物です。

実際のところ、私も影があるひとが好きというか、闇かかえてますかというような、真正面から明るいひとよりクールなひとにハマるタイプで、戦隊ものでいえばたいてい好きなのは黒の立ち位置にいるひと、恋愛ゲームではメインキャラクターの斜め後ろで眼鏡かけているような男が好きで……っていきなり語り出してしまいましたが、蓮司はそういう男なんです、メンカラも黒だし。

で、遥歌は「ピュアな天然天使」なので白。そう、白と黒の関係性……!いっけん正反対のこのふたり、読んでいくと正反対でもなんでもないことがわかります。
というか、きれいに正反対の人間など本来はいるわけなく、それはただの事務所や第三者視点の勝手なキャラ付け。このキャラ付けに悩む人は芸能人にかぎらず多数いるのではないかと思いますが、キャラを壊すのもまたこわいことではある。

遥歌はその容姿から「ピュアな天然天使」なキャラが定着し人気を博すけれど、そのキャラが遥歌を苦しめる要因でもある。遥歌自身は「自分には顔しかない」という悩みをかかえていて、顔がいいと褒められること、光が自分にあたることが嫌でこわくてしょうがない。

それにしても、私は推し概念初心者ですが、推される側の気持ちというのをときどき考えます。

推されるって、たぶん嬉しくて満たされることなのだと思う。ありがとうって感謝すると思う。でも、ずっとずっと嬉しい気持ちを持ち続けることってけっこう体力がいることなのではないかなあと。体力というかパワー?難しいところの筋肉使わないといけなさそう。

推す側ってべつに見返りを求めて推しているわけじゃないと思う。けど、推しを推して推しが嬉しがってくれたら嬉しいと思う。

でも、だからファンを嬉しがらせるために、がっかりさせないために嬉しい気持ちを持ったりするのか…?とか。推されるってすごくプレッシャーなのではないだろうか…とか。推される者としての理想の姿という偶像が、勝手につくりあげられてしまっているのではないだろうか…とか。

「ありがたい、とうれしい、は別でいいと思うけど。応援してくれるのはありがたい。でもうれしいとは思わない。それはそれ、これはこれ、でいいんじゃないか」

だから遥歌に対する透のこの言葉が本当にやさしく響いた。デビューに対する執着心がだれよりも薄い透だからこそ言えることで、だからやっぱり透は透のままで、透だからいいんだよ~~~~~~~~~!!!

いちばん無害そうな遥歌だけど、実はいちばん攻撃性をはらんでいる。それは人を傷つけるための攻撃性ではなく、自分たちを守るための攻撃性。「もどらないことがこわい」と言った透とは違い、「もどせないからこそ価値がある」と遥歌は言う。

もどせるならいいんじゃないか、って透くん言ったよね。
でもさ、もどせるものなんて、たいした価値はないと思うんだ。
もどせないからこそ、こわくて、価値がある。

これを言い切れる強さ。遥歌が「なにもない」なんてそんなの嘘すぎる。蓮司になるためピンクに染めた髪、穴をあけた耳。時間が経てば、それは「もどせる」ものなのかもしれないけれど、遥歌がしたこと、蓮司に言ったことは決してもどせない。
けっこうなんでもやれちゃうことに気づかせた蓮司、きみも遥歌のアイドルなんだよ……。まぶしいだけじゃない、光がこわい遥歌にとって蓮司の黒はどれだけ輝いてみえるんでしょう。(関係ありがとう!!!!!!!!)

楽園の魔法使い

ここまで透、持田、遥歌の物語を読んできて、それぞれの心のうちが見えてきてじーんとなっていたのですが、この「楽園の魔法使い」に出てくる三苫葵は、なかなかむずかしい。むずかしいというのは、なんというのか、どういう人なのかを知るのがむずかしいと言うのか。

一歩引いている雰囲気を持っていた透よりはるかに、私は葵のほうが一歩引いているようにみえた。簡単に心のうちを見せてくれない、たぶんそれは葵のプロ意識が強いから。

三苫プロと呼ばれるだけありプロ意識の高い葵。そんな葵も蓮司に一目置いているわけね、ふんふん(後方彼氏面の顔)。
たぶん葵は間違わない方向へすべてを持っていこうとしていて、でもそれは「そつのない」透とはまた少し違う。下品な会話を軽く諫めて、食事のメニュー管理もして、自分のステージの研究も真面目にする。弟に対しては少しあたりは強いものの、規律正しいことを言っている。
優等生とも無難とも違う気がする、葵の顔が見てぇよう……と読み進めていたら

僕が僕に関してすごいのは当たり前だ。僕は僕だけを見ていた。僕しか見ていなかったんだから。

あっっっそういうことか~~~~~~~と、この場面で腑に落ちました。
葵は人に見られる「アイドルとしての自分」を完璧なまでにつくっているから、人にどう見られるかを気にしていないのだと思う。入所理由からいきなり変更させられて、つくりものではじまった男性アイドルとしての三苫葵。

つくりもので何が悪いんだろう?
この仕事をやっていて、つくらない、かざらない、なんてありえない。

葵は割り切っている。割り切ったうえで、最大限ステージの上から魔法をかけている。

えっ、そんな、そんなのって、泣いてしまう。だってそれ、めちゃくちゃプロじゃんか。めちゃくちゃかっこいいじゃんか。
でも「つくりもの」の葵の心のうちを知るファンなどいなくて、読んでいる私からすると、葵を揶揄するやつら全員に「口さがないこと言うなよ~~~~~!!」って叫びたくなるんだけど、でも葵が望んでいるのはそんなことじゃなくて、魔法なんだよ。私たちが魔法にかかることなんだよ。葵をアイドルにするのは、私たちなんだよ……。

掌中の星

蓮司がきた~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~!!!父親の不倫相手の家に二年も通っている~~~~~~~~~~~~~~~!?たしかに闇かかえてますか?みたいな男がタイプだけれども~~~~~~~~!!!!

思わず冒頭から取り乱しましたが、蓮司の若さまに対するデカ感情に、私はさらに取り乱すことになるのでした。
若さまといえば「余命」がいちばん短いリトル。アイドルとしては二流、でも演技力は高く、蓮司はそれを見抜いている。
ボロアパートに住みときおり父親から金の無心をされる若さまと、お金持ちで才能があり華やかな蓮司。正反対の人間などいないと前述しましたが、このふたりはできすぎなくらい対比の存在。しかし星を握らされているという共通点がある。

蓮司は物怖じしない、勝手気ままな一匹狼という雰囲気があるけれど、その実やさしくて人を完全に拒否できなくてつけこまれるという一面がある(ま、そこもいいんですけどね…)。
でもつけこまれでもしないと、蓮司は失っていくものを取り戻そうともしないのではないか。(「どうでもいいよ」とか言ってそう……)。

蓮司は二物どころか五物くらい持っていそうな男、なにかひとつ失ったとしても、もしかしたらたいした痛手にはならないのかもしれない。でも、失ったもののなかには、想像もしていなかったような光が待っていたかもしれないよって、お節介な気持ちも芽生える。
そう、私も大人になって闇をかかえてますか的な男の子に対して、そういうふうに考えることができるようになったのだ……!(昔は、なにもかも捨てる男カッコイー、なんでもカッコイーみたいなテンションだった)

「なにを失うかより、なにを得たいかで生きる方向に切り替えてみようかと」

この薫のセリフが本当にいいですね。なにを失うかより、なにを得たいか。そう、蓮司には「なにを得たいか」という気持ちがない。ない、というか表に出さない。でもときには表に出さないと、星が燃え尽きちゃうかもしれないからね。

そういえば「スターゲイザー」はそれぞれの短編のはじまりにメンバー星座なるものが描かれており、それぞれを冬のダイヤモンドに見立てているのだって!(それぞれの星座の意味を調べたらきっともっと楽しいよ!)
そして蓮司はおうし座のアルデバラン、これは「後に続く者」という意味があるらしく、そう、蓮司はおそらくセンターにはならない存在、後ろから、でもたしかな存在感を放ちかがやく男、先陣は切らずとも、多くの人をかがやかせるんである……。
そう考えると、なんていうか本当にさ、みんなそれぞれ光るところがあるんだよね……(本当に彼らはこの世界に存在してないの…?)

遥歌がどんな理由であれどんな方法であれ、蓮司を引き留めて星を握らせたから、蓮司も若さまにつけいることができたのだ。後に続く者。れ、蓮司……。

スターゲイザー

そしてついに最終話ですが、あの、ここまで最初から読んでくださってくれている方はいますか……?この時点で9000文字近くにまでなっていて、もし最初からつきあってくださっている方いたら本当にありがとうございます、あなた私のアイドルだよ……。

で、最終話「スターゲイザー」の主人公は若さまです。透、持田、遥歌、葵、蓮司、そして若さまの六人でグループを組み、夏のイベントに向け猛練習&プロモーション、ていうかめちゃくちゃハードすぎる仕事量。
この作品はリトルたちの青春小説でもあると同時に、アイドルの働き方についても問いかけている。

私は普段そんなにテレビを観ないのでこういった例しか出せないのですが、たとえば大晦日から正月にかけての特番、ほとんど生放送じゃないですか。数十分前に他局で歌っていたひとが、衣装も着替えてその日はじめて歌うっていう雰囲気で持ってステージを披露するじゃないですか。
トーク中、笑い話として「さっきまで六本木にいました笑」など言っているけど、でもさ、それってさ、すごくすごくすごーーーーーーく疲れるよね!?そんでわからないけど朝までラジオとか別の生放送があって、夜通しはなかったとしても午前中の特番に出たりするよね!?
それなのに、いつ出ても居眠りしなくて、全力で歌ってくれて、芸をしてくれて、それが「当たり前」になっていて、そんでさ、好き勝手言われることもあったりして……。
休みたくなることも愚痴を吐きたくなることもたくさんあると思うんだよ、でも「好きでその職業やってるんでしょ?」って言われたら黙るしかなくて、だけど黙らなくたっていいよね!?
うれしいとありがたいが別でいいように、好きなことでも苦しいし疲れるし嫌だなって思っていいに決まってる。

だから透が提案する働き方は多くのアイドルたちを「終わらせない」と思う。終わらないアイドル、だって星というのは何万年も何十万年もかがやくものなのだ。

そう、そしてだけど現状では確実に「寿命」が近づいている若さま。お金のためにはじめたアイドルだったけれど、いまさら自分の気持ちを自覚する。
だって十年だ。苦しいことやつらいことのほうが絶対多かったのに、十年も続けられているのは、それもひとつの才能である。

「しがみつけるのも、才能のひとつ」。まわりがどんどんデビューして、才能ある新人がたくさん入ってきて、自分はいつまでもデビューできなくて、そんなとき、自分の才能を提示されたら、それはもうしがみつくしかないじゃないか。
思い出作りじゃなくて、アイドルとして。若さまは、だれかにアイドルにしてもらう必要なんて本当はないんだよ、自分がかがやこうと思えば、かがやけるんだよ……。

そして私の大地(!)が登場してありがとう、あの、あれですよね、表紙の涙は大地ですよね……!!!!!?????????????若さまが登場したのを見て、泣いている大地ですよね……!!!!!!!!
いやでも、最後の最後、振り返って六つの星が輝いているのを見ている若さまでもあるよね!!!!??もちろんほかのメンバーでもあるよね!!!!???(解釈違いを恐れる女)
いやでもやっぱり私は大地だとおもう、読み終わったいま、「エバーグリーン」を聴きながら本作の表紙を眺めています。いやエバーグリーンは架空の曲ですけれども、でも聴こえてきます。

あの日きみは 光のなかで

笑いながら 泣いていた

大地と若さまは、余命が近かった(という日本語合ってるのか?)こともあり、通じ合うことも多かったでしょう。本書の帯にはこう書かれていますね。

きみの望みも、俺の願いも、すべてステージに連れていく。

考えたの担当さん!!??天才!!!???
大地はね、望みがあったんだよ、踊りたかったんだよ、ステージから魔法をかけたかったんだよ。若さまがくやしいって思うのと同じように、きっと大地もくやしかったんだよ。くやしくて、あきらめて、でもステージで若さまが躍っているのを見て、くやしいのとうれしいのと、もっとたくさん、たくさんの気持ちがこの涙に詰まっているんだよ……。

あと、大地であるなら青い服着てますよね!?青って透のメンカラで、それってさあ!もお〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!!!(好き)

そういえばまた違う作品の話を出して申し訳ないのですが、佐原ひかりさんの「ペーパー・リリイ」では、主人公の杏がプラネタリウムの星をほんものだと思う場面がありました。
n.overたちの目にうつる六つの星は、きっと本物であったでしょう。そして、本当の星でないからこそ燃え尽きない、「終わらない」ことができるでしょう。
そして、あの、ライブはいつどこでやりますか……。

さて、この作品を読んだら「誰が推し!?」という言葉が飛び交うことでしょう、ここまで読んでくださった方なら(いますか!?)、大地でしょ、もしくは蓮司と思うことでしょう。
たしかにそう、でもここはあえて言わせてください。

私は佐原ひかり推しです(そろそろこのブログに佐原ひかりカテゴリをつくったほうがいい)。

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