(333)時代の終わりに(17)・核戦争が起きないために(6)トランプが信用できない理由(優生学信奉者)・危機を警鐘する国内報道(6)障害者殺傷事件が問いかけたもの (original) (raw)

トランプが信用できない理由

アメリカでは世論が二分し、反トランプ陣営では彼が優生学の信奉者であり、いかに危険かを絶えず訴えている。
トランプが優生学の信奉者であることは、アメリカのリベラルニュースとして世界に知れ渡っているハフポスト制作の上の動画『トランプが危険な理由』を見れば明らかだろう。
また優生学とは、その下の私の見た動画38が描いているように、人類を犬同様に優れた者へと選択育種することで、当初理想社会を築く手段とされたが、実際は障害者を葬り、さらに600万人ものユダヤ人をホロコーストで虐殺した恐ろしい思想以外の何者でもない。
それを信奉するトランプは9月23日CNNニュースが伝えるように、北朝鮮の核脅威に対して「全ての用意が 備わっている"We’re prepared for anything"」と明言し、「いかに攻撃準備が完璧に用意さていることを、キム・ジョンウンが見るならショックを受けるだろう。それを望むものではないが、攻撃がなされるかどうかは、マリア様しかわからない"You would be shocked to see how totally prepared we are if we need to be, Would it be nice not to do that? The answer is yes. Will that happen? Who knows, who knows, Maria."」と豪語しているのである。

また10月28日のNHKニュースによれば、北朝鮮アメリカのトランプ大統領の日本訪問を前に、安倍政権に対して「アメリカの手先となって軽率にふるまえば日本列島が丸ごと海中に葬り去られることを肝に銘じるべきだ」と威嚇している。
さらに10月28日の北朝鮮の国営メディアは、加速させている核・ミサイル開発について「すでに最終完成のための目標達成がすべて成し遂げられた段階にある」と宣言している。
しかしこれは、長距離弾道ミサイル技術がこれまでの中距離弾道ミサイルに比べて飛躍的技術進歩を要することから事実とは思えない。
何故このような報道をしたかは、最近のアメリカ動向分析からアメリカの北朝鮮の拠点的攻撃が近いとの危機感からと思える。
すなわちこれまでのトランプ就任以来のアメリカ動向は、トランプの1000万人もの不法移民を国外に追い出す移民排除計画から、絶えず湧き出す人種差別的発言(直近の10月でさえハリケーンで大打撃を受けたプエルトリコ視察で「何でも頼るな」発言、また西アフリカのニジェールで殉職した黒人兵士の妻への電話で、職務の危険性については「分かっていたはず」の問題発言)、さらには国連気候変動会議からの脱退、ユニセフからの脱退などを見れば明らかであり、これまでの世界秩序を重視維持してきたアメリカとは180度転換して、まるで1930年代に回帰するようにアメリカ第一主義を実際に押し出すほど変容しているのである。
そうした恐るべき変容は、北朝鮮だけでなく世界の良識あるものなら誰もが感ずることであり、それに加えて10月15日ティラーソン国務長官の軍事的選択肢強調の中での「外交努力は、最初の爆弾が投下されるまで続く」発言、10月17日の世界最強軍事力の朝鮮半島集結報道、10月19日のCIAポンペイオ長官の「北朝鮮が数か月後にもアメリカ本土に到達する核長距離弾道ミサイルを獲得する可能性」示唆発言は、北朝鮮への拠点的攻撃が近いことを裏付けるものである。
それゆえに、北朝鮮はその危機への対抗手段として、28日の日本壊滅威嚇がなされたように思われる。
しかし私たち日本人からすれば恐るべき脅威であり、北朝鮮が拠点攻撃された場合単なる威嚇ではなく、それ以外に対抗手段がないことから、現実的に実行される確率は極めて高いからである。
したがって北朝鮮の局地攻撃は絶対にあってはならないことであり、万一米国から日本側に承諾が求められる際は、いかなる理由からも拒否されなくてはならない。
それでは日本にとって、アメリカは核長距離弾道ミサイルの完成は許されないとし、北朝鮮は核の撤去を前提とした外交協議を断固拒否するなかで、それを避ける道があるだろうか?
確かにそれは、矛と盾のように難しい問題である。
しかし被爆国日本が自らの存続の危機として、平和外交のイニシアチブを取れば道は開かれる筈である。
例えば日本がイニシアチブを取って、北朝鮮の核開発を現在の中距離弾道ミサイル完成の段階でストップさせ、北朝鮮核撤去は現在の核保有国の廃絶と同時進行で行うと言った実現可能な平和外交に徹すれば、必ず道は開かれよう。

危機を警鐘する国内報道(7)障害者殺傷事件が問いかけたもの(公共放送3部作)

1,『それはホロコーストの“リハーサル”だった〜障害者虐殺70年目の真実』

この作品を見れば、優生学がどのように社会を蝕み、障害者虐殺を引き起こして行ったかは一目瞭然である。
その虐殺に勇気を振り絞って対抗したのは、司教フォンガーレンの宣教の以下の言葉であった。
「貧しい人、病人、非生産的な人、いてあたりまえだ」
「私たちは、他者から生産的であると認めたときだけ生きる権利があるというのか」
「非生産的な市民を殺してもよいという原則ができ、実行されるならば、我々が老いて弱ったとき、我々も殺されるだろう」
「非生産的な市民を殺してよいとするならば、いま弱者として標的にされている精神病者だけでなく、非生産的な人、病人、傷病兵、仕事で体が不自由になった人すべて、老いて弱ったときの私たち全てを殺すことが許されるだろう」
彼の言葉は、障害者殺傷事件犯人の「障害者はいなくなればよい」、「不幸を作ることしかできない」を打ち溶かす答えである。

2、『私は“当事者”だった・障害者殺傷事件が問いかけたもの』

この動画では、障害者殺傷事件で亡くなれた障害者の献花現場で花を手向ける当事者にスポットを当て、事件が世に問うことを浮かび上がらせていた。
献花現場で障害者の息子を持ち「犯人の考え方に100パーセント非難することができない」という母親を訪ねて見ると、自らを許せない母親の辛い過去が蘇って来た。
すなわち“いなくなってほしい”、“お前のせいで”ということだけで(息子の)首に手が動いてしまう過去であり、そこには表向きには障害者に理解を示しながらも、実際には障害者を負担扱いする社会の重圧が感じられた。
しかし母親は今それを乗り越え、息子の成長に喜びを見出し、「できないことを含めてかわいいし、必要以上に大変だねとか、不幸というか、そういうふうには見られたくない」と、きっぱりと語っていた。
また献花現場に「19の足跡消さないで」の詩を手向けた見形信子さんの訪問では、自らも筋ジストロフィーの進むなかで、障害者の生きる権利を訴えていた。
彼女は28歳までお決まりの施設のルーチンワークに悩み、そこから出て健常者のなかで暮らし、同じように施設から出たい人を支援するNPOで働き、生き生きと輝いていた。
そして彼女は仲間と街頭に出て、「僕らのいのちはかけがえないと気付いてよ」と障害者の生きる権利を誇らしく歌っていた。

3、『亜由未が教えてくれたこと〜障害者の妹を撮る〜』

最初にこのドキュメンタリーは、障害者殺傷事件犯人の「障害者は不幸しか作れない」という言葉がNHK青森のディレクターをしている坂川裕野(26)の胸に突き刺さり、障害者である妹を撮ることで「僕の家族は不幸ではない」と訴えたい動機から始まる。
もっともこのディレクターは、息子には息子の人生があるという母の計らいから、まったく妹の介助をしてこなかった。
大病を患いながらもこの二十数年娘を昼夜問わず必死に介助して来た母親は、障害者殺傷事件犯人のニュースが流れた後、「生きていてもしかたがないんだって言い切れちゃうような人間として存在させちゃったのは、障害者ではなく社会のせいだと思うのね。だからあゆちゃんが幸せに笑っている様子とか、それはもっともプライベートなことだけど発信していかないと殺されちゃうのかな・・・」と切々と語る。
また彼女を支え、部署を変更してもらい、自らも介助を担ってきた同じNHK記者の父親は、「彼女(あゆみ)と一緒にいる日常が幸せ。それ自体がかけがいのないもの。昨日できなかったことが今日できるようになったから幸せじゃなくて日々いることがありがたい。生きること自体が本当に大きな喜びであり大きな幸せなので日々いてくれるだけでいい。それだけで感謝できる」と言い切る。
そしてラストで息子のディレクターが「でも僕の家族は決して不幸じゃない」と終わる時、私には現在の自己責任が求められる競争社会への疑問、すなわち優れた人たちだけを求める社会の不幸せが浮かび上がって来る。

直近のドイツニュースに見る予兆(10)