文楽鑑賞教室に行って来た~二兎を追うもの一兎をも得ず (original) (raw)
国立劇場休場のため(怒)、新国立劇場で開催されている文楽鑑賞教室に行って来た。
国立劇場小劇場。
ちょっと小さい箱で、江戸の芝居小屋みたいな雰囲気があったりしてイイ感じ。ここを使って自主公演とかいろいろできそうな感じがした。
床が斜めの向きで、45度客席を向いているって、太夫さん三味線さんやりにくくないかな。
演目は、『伊達娘恋緋鹿子』と解説―文楽の魅力と『夏祭浪花鑑』
AプロからCまで分かれて出演者は異なる。私はAプロを観に行った。
演目立てに疑問あり
なぜ『夏祭』の鳥居前を削ってまで「伊達娘」のダイジェスト版を入れているのだろう?。
無料のパンフレットにあらすじはきっちり入っているから、それを見ればわかるだろう、それより、バラエティ豊かに見せたいということかもしれないが。
「伊達娘」
それはそれはきれいだったけれど。お七が狂乱して梯子に上って鐘を打つところだけやってもなあ。
文楽って、最初は人形っぽくて人形遣いさんがいるのも気になる。でも、次第にその世界に入り込んでいくと、人形遣いさんも目に入らなくなり、人形がまるで人間のように見えていくものなのに、まだ目が文楽人形に慣れない時間に、いきなり激しい動きをしても「やっぱり人形の動きだな」と思ってしまうだけではないだろうか。子どもたちがどう感じたかはわからないけれど。今日は人間には見えなかったし、当然お七の悲しみも伝わらなかった。
それはいくら天井から雪吹雪を散らして舞台を美しくしても、文楽の魅力を伝えられているとは思えない。
解説文楽の魅力
客席から人形遣いさん(今回は簔太郎さん)が出てきてフランクなおしゃべりで、よかった。が!ここでも私は言いたい!いつも鑑賞教室の解説は人形遣いばかりだ。三味線、太夫の魅力にちょこっと触れてもよいのでは?
全然舞台を観ないで全体を引っ張る太夫、三味線。お互いに呼吸で合わせていく。役者に合わせる歌舞伎の太夫とはそこが違うのだ。(それはそれですごい,どっちもすごい)
『夏祭』
鳥居前がない。
鳥居前がなければ、視覚的にもストーリー的にも辛い。
まず視覚的には、ヨボヨボと囚人の恰好ででてきた団七が床屋に入っていきなりスッキリして、佐賀右衛門をけちょんけちょんにやっつけるところも、徳兵衛との喧嘩からのお辰の仲裁からの二人の義兄弟への契りというところも、観られないから次の段もわからないことばかり。ではないかな?
ストーリー的にも。釣船三婦内の段は、それら前段の話がわかっていればこそ徐々におもしろくなっていくところだけれど、前段がなければ説明的なセリフばかりになって初めて観る人にとっては頭がカオスになるばかり…ではなかろうか。
徳兵衛妻お辰が、顔が色気があって磯之丞を任せられないと三婦に言われていきなり鉄弓を頬につけ、醜くなったから任せられたというところだけが衝撃的にクローズアップされて、そこもなんだか共感できずに中高生には「は~??」とならないだろうか。
そのあとで徳兵衛が来るけれど、徳兵衛と団七の関係もわからないだろうし。文楽だとお人形も似ているし、色違いのお揃いの浴衣を着ているしで、区別すらつかない。
これ、誰だっけ?これ、誰だっけ?にならないだろうか?
(パンフレットの中の人物相関図にも徳兵衛と団七の画像が誤って入れ違っていたという衝撃のミスあり)
なぜ鳥居前をなくしたんでしょう…。
長町裏の段は、さすがに面白く、玉助団七の迫力、玉佳義平次がとてもすばらしくなんとなく「面白かったねえ」で劇場を後にしたけれど、長町裏は全体2時間の内ラスト30分だからね。
ああ、せっかく2時間あるのに文楽の魅力を伝えきれず、もったいない!という気になったのでした。
字幕アプリより、舞台横に字幕を!
字幕アプリがあるために、幕の横の字幕はない!これは残念。だって、幕の横に字幕があるから舞台を観ながら字幕が観られるのに、字幕を見ようとすると視線をお膝の上の字幕アプリに落とさなければいけないので、半分楽しめない。
幕の横に字幕があるからこそ、高校生のときの私は文楽に親しむことができた。
漢字を確認して意味がわかって、言葉を知って知識も増えた。(当用漢字じゃない難解な漢字もフリガナ付きで出るから、耳と目で理解ができて大学受験に役立った!)
まとめ
というわけで、
1『伊達娘』で存分に人形のすばらしさ、美しさをみせようじゃないか、
2『夏祭』は長町裏があればいいだろう。
そうすれば両方の良さを見せることができるだろうという、二兎を得る目論見は、裏目に出たように思える今回の鑑賞教室なのでした。
「『伊達娘』はきれいでした。『夏祭』はすごかったです。」的な感想が、予想されるけれど
そこに満足しないでほしいものです。