『摂州合邦辻』~歌舞伎座 内に秘めた情熱を見せる菊之助 (original) (raw)

9月初めに、右近が自主公演で演じた『摂州合邦辻』。翌日歌舞伎座菊之助の演じる同じ演目を観ることができた。なかなかない機会だ。

右近フェスの方は、ちょっとフワフワしていて、それは会場の雰囲気もそうだし役者もそうだったかもしれない。玉手御前の最初の出で、うわーっと歓声が上がったり、合邦の猿弥が「茶漬けでも…」というところで笑いが起こったりするのはいただけない。(それは観客の問題だけれどまあフェスみたいなものだからいいのかなあ。右近のチャレンジは否定しない)

歌舞伎座菊之助で、美しく貫禄十分の玉手御前だった。菊之助は4回目の玉手御前だそう。

玉手御前・菊之助(左)と合邦・歌六

最初の出では、歌舞伎座の観客席は静まり返って張りつめていてとても拍手が出る雰囲気ではなかった。(中日以降観に行ったときには、拍手も出ていた。)その美しさよ。

門の口で菊之助が母を呼ぶ「か・か・さん…」と呼ぶ細き声の、痛切なことよ。

考えてみるとあんなに細くて小さな声なのに、4階までマイクなしで届くのも不思議なことだ。

嫁入り先では、義理の息子に恋心を抱いたけれど押し殺していた(というのは私の勝手な解釈)。それが、義理の息子を助けるために自分の命を役立てることができるとわかって、計画遂行に及ぶ。その張りつめた計画遂行を半分やり遂げて、やっと家までたどりついた。

「開けてくだんせ。玉手でござります」ではなくて「ちゃっと開けてくだんせ。辻(本名ね)でござんす。もどりました」という。

家の中にはいって、

母に、不義とかいう噂があるけれど、あれはうそであろ?うそであろ?と言われて居直る。

「俊徳様、寝た間も忘れず恋焦がれ」訴えたけれどけんもほろろで、でも私あきらめてはいないの なんて、母親(も観客も)が呆れるようなことを言う娘。

あれは、お母さんに甘えて爆発しているのだなあと思う。そこまで言わなくてもいいだろうと思うようなことを娘が言う時は、なんでも言える母親に甘えているのだろうなあ。

菊之助の玉手御前は、抑え気味という評もあったけれど、私は抑え気味のところがぐっときてよかった。それでこそ「惚れてもらう 気!」も「邪魔しやったら、蹴殺すぞ」も生きるというものと感じたが、どうだろう。

「惚れてもらう 気!」っていうのは、俊徳丸に惚れてもらっていずれは夫婦になるつもりよと、かなり物騒なことをいうセリフだけれど、品があっていやらしくない、かといってわざとらしくもない。凛としている玉手御前に圧倒される。

母おとくは吉弥。愛する娘がとんでもないことをいうので恐ろしくておろおろしてしまう。この人しかできないんじゃないの?というくらい的確でおとくそのものの感じだったがなんと、初日と2日目に体調不良により、若い折乃助が代役を演じた。私は見られなかったが大変好評だった。後日、吉弥のおとくをみても、よくこの難役を若い折之助ができたなあと感心しきり。ご苦労様でした。

折乃助のインスタを見ると、老け役もやったことなく、怖くてたまらなかったとのこと。それでもやってのけるのだから大したものですねえ。

実直な父合邦は歌六。父としての悲しさ、元武士としての義理とプライドに耐えきれず、(耐えきれずというか、だからこそか。)娘を手にかける。

今の時代にはさすがにこれで娘を刺すということはないだろうけれど、実直な父が恋に狂った娘をひっぱたくくらいなことはあるだろうし。ウソと信じたい母、何とか助けたい母の気持ちも痛いほどわかるわけで、設定を変えれば十分現代に通用する話だと思う。ドラマティックで面白い。

ただ、私が面白いと感じるのは、昨年木ノ下歌舞伎を観ていて全体のストーリーがわかっているというのも大きいかもしれない。木ノ下歌舞伎では、最初の俊徳丸の出会いやアワビの盃で毒を飲ませるところもやっていたし、俊徳丸が病にかかって四天王寺あたりをさまようところなどもやってくれたので、そのあとで歌舞伎や文楽を観てもとてもよくわかるのだ。ありがたい。

また観たい『摂州合邦辻』。一見はちゃめちゃで混乱するけれど、これぞ歌舞伎という感じの名作だなと改めて感じいったのでありました。

以前も書いたけれど、最初は忠義の話として書かれたけれど評判はいまいちでその後玉手御前の恋心がほんものという解釈が出て人気が出たという話は、面白いですねえ。

くわしくはこちら

munakatayoko.hatenablog.com

木ノ下歌舞伎の摂州合邦辻はこちら!

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右近の研の會の様子はこちら

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