平家女護島『俊寛』~菊之助の挑戦 (original) (raw)
新しい俊寛の誕生
昼の部の幕開けは、『俊寛』
俊寛を菊之助が初役で、若すぎるのでは?と思ったのですが、実は俊寛って37歳で亡くなったそうで、実年齢には近いのですね。
お役としては、吉右衛門、仁左衛門らが大切に演じてきた役ですからおいそれと簡単にできる訳ではありませんが、さすが菊之助。不退転の決意のもと、仕上げてきたという感じ。年齢に応じた力強さもあり、とても人間臭い俊寛がリアルに演じられていました。
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とぼとぼと歩みも覚束なく出てくる最初の場面。俊寛菊之助は絶望の淵にあります。
絶望の毎日の中、ほっと湧いてでたようなおめでたい丹波少将成経の恋バナ。
ちょっと浮かれて踊って体力落ちているから転んじゃって照れ笑いする俊寛菊之助。
都からくるご赦免の使者を乗せた船を見つけ、狂喜乱舞する俊寛ほか一同。
しかし喜びは絶望へと変わります。
ご赦免リストに載っていたのが、丹波少将と平判官康頼だけで、俊寛の名前がなかったからです。
1人残されて地団太踏んで悔しがるというのが、平家物語の俊寛ですが、ここにひとひねり加えた近松は、本当にもうすごいとしか言いようがない。
つまり、平家物語の俊寛は抗えない運命に慟哭するわけですが、近松の描いた俊寛(歌舞伎の俊寛)は、自分が千鳥のために身を引いて、わざわざ瀬尾を斬って新たに罪人となって主体的に、自ら選択して島に残るのです。
それなのに、一人残されるとやはり冷静ではいられない、そこまで僧として悟りが開けていたわけではなかった。大体最初からの流れをみてもずいぶん人間臭い坊さんです。少将たちが熊野権現に似たところへ参詣しているのに俊寛は行かないし。感情の起伏は結構激しいし。生臭い坊さんですよね。
最後の「思い切っても凡夫心」という詞章に、俊寛の悲しみ、絶望、あきらめ、後悔など様々な感情があふれかえります。
ラスト大道具は、盆の転換で私たちがカモメのようにぐるりと空から俊寛を見つめているような構図になります。(1階からだと波間から見る感じ?)
海に入っていこうにも花道からざーっと迫ってきた波に阻まれてそれ以上行くことはできません。
最後には1点をみつめてもう動きません。俊寛の身体を支えていた木の枝がぼきっと折れて、手を遠くへ差し伸べますが、もはや俊寛の手どころか声も、誰にも届くことはありません。たったひとりで残されるのです。
吉右衛門丈は最後は「弘誓の船が迎えに来るような気持ちで」演じている。なので少し上を向いて演じると言っていましたが、菊之助に弘誓の船は見えたかどうか。まっすぐ前を見ていたようにも思いました。どんな心境だったか伺ってみたいですね。
これから菊之助は何回も俊寛を演じることになると思いますが、その初役を観ることができて良かったと思います。
※弘誓の船というのは菩薩が人々を彼岸に送る船
鬼界ヶ島で中村屋が公演
ところでこの週末、実際の鬼界ヶ島で中村屋が『俊寛』を演じました。18代勘三郎が以前やったものを今回は勘九郎の俊寛で演じました。300名募集でチケットは瞬殺だったらしいです。
私は、台風来たらどうしようとかお財布に相談とか考えているうちにチケットはなくなりましたねえ。300名+地元の人200名で500名の人が身守るなか、無事公演は成功したようです。
後日テレビ放映もされるようなので見逃せないですが、やはり実際に観てナンボでしょうねえ。行った方うらやましいです。
→続きますが今日はもうおしまい。ほかの役の人のことを書きたい