903Fe準備室 (original) (raw)
昨年の末、『百里を行く』という問題集を公開しました。
この問題集は、昨年11月の競技クイズの大会「ABC the eighth」に向けて私が作成した、1R対策用の100問ペーパークイズを収録したものでした。おまけとしてコラムを8本掲載しており、作成した対策ペーパークイズについて技術的な反省をしたり、私が1R通過を目指して自分を鍛え直した過程を振り返ったりもしています。
このうち7本目のコラムでは、eighthの1つ前の大会である「ABC the seventh」に向けて行った対策の内容を振り返りました。その中で私は、seventh (と続くeighth) の対策にあたって以下のような考え方を採用していたことを述べました。
(中略)私にとってクイズ人生の大きな変革となった出来事が一つありました。それは、「クイズをひとまず競技だと捉えてみて、そのうえでどう対策するべきか思案する」という順序の考え方をするようになったことです。 私は(※2021 年時点で)ずっと「クイズが公正に競技たりえる訳がない」と思っていました。今(2023 年)も「競技クイズ」という語の使用は極力避け、「競技的なクイズ」と呼ぶようにしています。しかし今回は一旦その考えを捨て、「クイズが競技だとするならば」という仮定の下、「出題者は何を出してくるだろう?」「他のプレイヤーはどう対応・対策してくるだろう?」「自分はそれに対して、どのような攻略を試みるべきだろう?」と考えるようにしました。
これらのコラムは、皆さんに各自で使えそうな情報を選び取っていただくのがよいと思ったので、具体的な内容を逐一追う形で書いていました。抽象的な教訓を一か所にまとめるということはしませんでしたが、それなりに細かく言葉を尽くして書いたつもりではあります。
しかし、上記の「競技と捉えてみて」という部分に関しては、「競技と言ってるけどそもそも競技とは何か?」をもう少し説明しておくべきだったかなと思っていました。こうした議論では、文書中での定義を書き手が指定しておかないと、各自が抱く「用語のイメージ」の差から話が食い違うおそれがあります。特に「競技クイズとはなにか?」という命題は、クイズの界隈でも長らく議論されてきた重要なものであり、これまで多くの食い違いを生んできました*1。おそらく、これからもそうでしょう。
そこで今回は、『百里を行く』のコラムに足りなかった「競技」という概念の解釈に関する議論を、本記事で補います。
※クイズの界隈では、競技クイズとして「解答者vs解答者」の戦いを 想定することが多いです。もちろん、競技クイズにもクイズの原初の姿である「出題者vs解答者」のやり取りは存在しています。しかし、原則として出題者は競争の当事者とはなりません。
本記事でも、競技クイズといったときには「解答者vs解答者」の競争を想定して議論を進めます。
※また本記事では、「競技クイズ」の範囲として知識以外のひらめきや処理要素を主軸とするものは除外します。つまり、謎解きやパズルの類は考えないということです。これについても、「そういうものだ」「単に今回はそうする」と思って読み進めてもらえると助かります。
私は「競技」というものを、「ゲームでもあり、コンテストでもある営み」として捉えています。
ここで言う「ゲーム」は「本番で競って楽しむもの」を、「コンテスト」は「本番に付随する準備の成果を披露する場としての性質」を指します。ここでは「ゲーム」も「コンテスト」も、各行動のリスクを勘案して戦略を立てることで「攻略」することができます。
この解釈は「競技クイズ」にも同様に当てはまります。私は競技クイズの本番の場を、競って楽しむ「ゲーム」でもあり、それまでの準備の成果を披露する「コンテスト」でもあると捉えています。
なぜゲームとコンテストという2つの側面を考えているかというと、競技の中にはいくつか、性質上ゲームとして捉えることが難しいものがあるからです。この難しさは、特に「リスクと戦略」の要素を考えようとしたとき、壁として立ちはだかります。
クイズプレイヤーの伊沢拓司氏は、著書『クイズ思考の解体』の中で「リスクと戦略のゲーム」という言葉で早押しクイズを説明しています。
先に述べたように、クイズはおおむねロジカルだ。順を追って、そして時間をかけて説明すれば、例えば早押しクイズというものが、知識だけでなく思考や反射神経など総合的な能力で競うことができる「リスクと戦略のゲーム」であることをご理解いただけるはずだと、私は考えている。伊沢拓司, 『クイズ思考の解体』, 朝日新聞出版, 2021, p.11.
特に早押しクイズは「リスクと戦略のゲーム」であり、持っている知識を上手に運用することこそが勝負の根幹をなす。伊沢拓司, 『クイズ思考の解体』, 朝日新聞出版, 2021, p.162.
しかし、早押しクイズ以外の形式に「リスクと戦略のゲーム」の理屈をそのまま当てはめるのは少し難しく、なかなかうまくいきません。
そこで私は、ペーパークイズやボードクイズといった知識を比べる形式については、「戦略」を実行するタイミングの大半をクイズの「試合本番」から「事前準備」の段階に移すことで、「リスクと戦略」の要素を考えています。
本記事では、「コンテスト+ゲーム」としての競技について、クイズを出発点に考えていきます。はじめに、ペーパークイズやボードクイズといった「知識比べ」が主軸となるクイズの戦略性を、これらを「コンテスト」として捉えることで考察します。ここから競技一般に通じる「事前準備」と「本番」の2フェーズを見出し、汎用可能な「競技性=コンテスト性+ゲーム性」という解釈を導いていきます。
このアイディアは、競技にまつわる一部の議論をクリアなものにし、その姿を今よりも捉えやすくする助けになることと思います。
今回のポイント:
競技に臨む人間の時間軸には、「事前準備」と「本番」という2つのフェーズがある。
競技の本番の場には、準備の成果を披露する「コンテスト」の側面と、競い合う「ゲーム」の側面がある。
競技の競技性は、事前準備の戦略性に関する「コンテスト性」と、本番の戦略性に関する「ゲーム性」で決まる。そ の中身は、両方とも「リスクとリターン」の勘定を伴った「かけひき」でそれぞれ考察できる。
1. 競技クイズとは何なのか?
きょうぎ【競技】[名](スル)一定の規則に従って、技術や運動能力の優劣を互いにきそうこと。「陸上競技」「珠算競技」
デジタル大辞泉, 小学館(競技(キョウギ)とは? 意味や使い方 - コトバンク)
「競技」と聞くと、このようなことを思い浮かべる方が多いと思います。
上記の説明文の中でも、「一定の規則に従って」という記述は割と大事でしょう。辞書によっては省略されていることもありますが、統一的な規則が存在しないと「うまく競い合う」ことはかなり難しくなってしまいます。私たちは本来、異なる信条や価値観を抱いているからです。
【競技クイズ】きょうぎくいず ◆ 実力主義を重視する形でのクイズのこと。明確な定義はない。
伊沢拓司, 『クイズ思考の解体』, 朝日新聞出版, 2021, p.472.
しかし、こうした辞書的な定義を念頭に置いたところで、「競技クイズ」をきっちりと定義することは困難です。というのも、競技としてのクイズに重要な「一定の規則」を定めるのが非常に難しいからです。もう少し具体的に説明すると、「解答者たちがクイズで競うべき技術・能力とは何か?」「その優劣の尺度をどのように設定するか?」を詳細に決めようとしたときに、収拾がつかない大論争が起こることが予想されます。
この点について徳久氏は、「クイズそのものが、世界に対する価値判断を含む営み」であることが、競技クイズ統一の動きにストップをかけさせているのではないかと述べています*2。つまり、世の中の様々な事象を、競技という名目で「ひとつの価値観に束ね、序列づけるのは、『どのような世界観が望ましいか』を決めることと同じ意味を持ってしまう」、その責任は重すぎる、ということです。
確かにこの価値判断は大変な作業でしょう。少し想像するだけでも、競技クイズの定義には着手したくないと思ってしまいます。
また、何なら諸事情を突き詰めて考えていくと、「競技クイズは厳密には競技的ではない」という結論に至ることさえあります。かくいう私も、『百里を行く』の中では「_クイズが公正に競技たりえる訳がない_」という見解を書いていました。
なぜクイズは厳密には競技といえないのか? その根拠としては、クイズに不可欠な「作問者」の存在に言及されることが多いです。これについて伊沢氏は、以下のような二段階の論理で指摘を行っています*3。
- 「誰か」がクイズの問題を用意する以上、問題には何かしらの偏りが生じてしまう。
- その偏りが、クイズを「公平」で「公正」な競技として成立させることを困難にしている
以上の事情に色々と気を遣いながら「競技クイズとは何なのか?」を真摯に説明しようとすると、次のように言葉を濁すことになります。
決して競技とは言えないけれど、競技であることを目指そうとする営み。
徳久倫康, 『競技クイズとはなにか?』, ユリイカ2020年7月号, p.90.
しかし、だからといって、クイズが全く競技らしくいられないというわけでもありません。
ひとまず「競技であることを目指そうとする」とはどういうことなのか、クイズの「競技らしさ」を拾い集めながら確認していくことにしましょう。
2.「リスクと戦略のゲーム」
伊沢氏は『クイズ思考の解体』の中で、早押しクイズを「リスクと戦略のゲーム」と再三強調しています。確かに、思考や反射神経が絡んだ早押しクイズのアクション性はゲーム的でもあり、スポーツ的でもあります。「クイズが厳密には競技的にはなれない」という指摘のことを忘れてしまいそうなくらい、いかにも競技らしさに富んだ表現です。
徳久氏も評論「競技クイズとはなにか?」の中で「早押し至上主義」について触れていますが、私たちはとにかく早押しクイズという形式を優遇しがちです[*4](#f-e91534ec "徳久倫康, 『競技クイズとはなにか?』, ユリイカ2020年7月号, p.91-92.徳久氏も早押しクイズの「ミクロ・マクロなリスク」に相当する概念へ言及しているほか、以下のような特徴を挙げています。これらの特徴から、徳久氏は問題文が読まれてから正誤判定が下されるまでを「静謐な時間」と表現しています。非常に言い得て妙です。
「知らないこと」が目立たないこと 解答権を得たひとりに注目が集まること
一方、ソシャゲの「ガチャ」のデザインに関する「人間は『当たるかも!』と期待した時点ですでに快感を得ている」という理論を参考にすると、早押しクイズはそれ以外の形式と比べて「期待」「報酬」の機会も度合いも増えているため、報酬系が刺激されやすい形式だと考えることもできます。
問題に正解する前に解答権を得る必要がある →「ボタンを押せば解答権を得られるかも!」という「期待」機会、「解答権を得られた!」という「報酬」機会が増える 複数人がボタンを押し合うような設計では出題の難易度は下がる →「問題に正解できるかも!」という「期待」の度合いが増える
news.denfaminicogamer.jp ")。
伊沢氏の言う「リスクと戦略のゲーム」とは、「わかりそうでわからなかった」というミスが起こりうる危険性(≒一問単位のミクロなリスク)を考慮しつつ、戦況を短時間で見極めて勝利を目指す(≒敗北というマクロなリスクを回避する)ところに、早押しクイズという競技の面白さや奥深さがあるという解釈です。その議論の詳細は、『クイズ思考の解体』の特にCHAPTER 3, 「クイズと誤答」の章で展開されています*5。
勘案するべき要素の多さは一見してややこしく感じる部分ではあるが、逆に言えばクイズという競技を複雑で面白いものにしているポイントでもあることは先に触れたとおりだ。伊沢拓司, 『クイズ思考の解体』, 2021, p.344.
クイズという競技の奥深さは、誤答というリスクと、それをコントロールするための戦略によって支えられているのだから。伊沢拓司, 『クイズ思考の解体』, 2021, p.352.
本記事では「議論の詳細」をほぼ省略しますが、ピンと来ない方向けに簡単に説明すると、「競技クイズの早押しでは以下のような発想でボタンを押すことがある」という感じです。
- 「誤答してもOKな回数」に余裕があるときは、答えが確定していない段階でも早めにボタンを押すことがある。逆に余裕がないときは原則遅めに押す。
- 「自分が誤答してでも、他人が正解するのを止めた方がいい」場面では、早めにボタンを押すことがある。
……ボタンを押す(+正解する)という行動が、他人の解答権を奪うことにつながることを利用しています。
ここで、1点特筆しておきたいことがあります。それは、この「リスクと戦略のゲーム」という解釈が、ゲームクリエイターの桜井政博さんが用いている「ゲーム性」の定義に大きく通じていることです。
ここでは、以下の動画や講演の内容をもとに「ゲーム性」の議論の一部を紹介していきます。
桜井さんは意味が曖昧だとされていた「ゲーム性」という概念を、「かけひき」×「リスクとリターン」という2つの要素で定義しています。私なりにかみ砕いて表現すると、「リスクを冒してリターンを得る」というゲームの本質的な楽しさの正体を、失敗のリスクと成功というリターンの間でせめぎ合う心の動き(≒かけひき)だと考える……ということなのだと思います。
「かけひき」と言うと他者との対戦を想起しやすいかもしれませんが、桜井さんは1人で取り組む「ゲームvsプレイヤー」の課題解決にもこの用語を用いています。そのため考察の内容によっては「リスクマネジメント」の色が強いこともありますが、「かけひき」という言葉は不安やドキドキ感的なものをうまく表現していますし、非常にキャッチーです。これにより、シンプルでわかりやすいものでありながら、様々なゲームの分析に役立つ強力な考え方となっています。
動画や講演から、本記事に関わる重要な指摘をいくつか抜粋します。桜井さんはゲームの面白さを解説するために「ゲームvsプレイヤー」のかけひきを中心に取り上げていますが、これを「プレイヤーvsプレイヤー」のかけひきにも広げれば、「リスクと戦略のゲーム」の議論へとすぐに接続できそうです。
- リスクを決める調整とリスクを変えるシステムが、「ゲーム性」およびゲームデザインのキモ
- 「ゲーム性」:リスクを抑えてリターンを得る楽しさ
- 「攻略」:リスクを抑えてリターンを得る工夫
……『クイズ思考の解体』で述べられた「リスクを戦略でコントロールする」という考え方に相当 - 「ゲーム性」を上げると「一般性」は下がる(≒カジュアルなゲームから遠ざかる*6)
「リスクとリターン×かけひき」「リスクと戦略のゲーム」という要素は、早押しクイズ以外にも様々な営みに見出すことができます。ここでは一例として、競技かるたで自陣札を並べる際に発生するかけひきを紹介しましょう。
競技かるたには様々なテクニック・かけひきのポイントがありますが、「性質が近い札同士を近づけるか?遠ざけるか?」には、その中でも比較的わかりやすいリスクとリターンを見出すことができます。
競技かるたにおける、友札(決まり字が途中まで同じで分岐が存在する札同士)の並べ方に関するかけひき
並べ方に関するかけひきの面白さは、「かるた」と聞いて容易に想像できる魅力(一瞬の判断の差が勝負を分けるスピードの競技 など)に比べると"細かい"ポイントだと言えます。なぜなら、札並べに伴うのリスク・リターン・かけひきは、「決まり字」や「読まれた札と同じ陣の札は何枚触ってもお手つきにならない」といった、競技かるた特有の概念・ルールに立脚した一段高度なものだからです。こうしたかけひきは、競技のデザインの段階から意図的にリスクとリターンが設定されていることもあれば、「なんとなく決まったルール」に対する後付けの攻略から生まれることもあります。
かけひきの"細かい"面白さは、門外漢には「細か過ぎる!」と映るかもしれません。しかし、その"細かい"部分を突き詰めてみると、 奥が深くレベルの高い真剣勝負が実現するところは競技特有の魅力だと思います。競技というもの一般について、実際にそのようなストーリーが語られることも多いはずです。
3. 「競技らしい知識比べを目指す」とは
『クイズ思考の解体』は、書籍の半分近くを「リスクと戦略」の観点から見た早押しクイズの議論に費やしており、その競技らしさをかなり詳細に解明しています。また先ほどは、早押しクイズに見出された「かけひき」が、他のゲーム・競技にも通じる要素であることも確認できました。
しかし、『クイズ思考の解体』の議論には不十分な点もあります。それは、クイズの根幹であるはずの「知識比べ」の側面や、ペーパークイズといった「知識重視のクイズ形式」に、「リスクと戦略」の要素を絡められていない点です。
本記事の冒頭でも触れた通り、早押しクイズ以外の形式で戦略性を考察することは難しいため、知識要素に「リスクと戦略」を見出すためには、きちんと順を追って考えていく必要があります。
しかし、ここで「なぜこれが難しいのか?」を考えてみると、第1章で取り上げた「競技クイズは厳密には競技的ではない」という指摘を踏まえて、次のような疑問が生じてくるかもしれません。こう考えてしまうと元も子もないので、先にこれらの疑問を片付けておきましょう。
- 作問者という存在が生む偏りのせいで「出題」という行為に公平性・公正性が担保されないのであれば、「知識比べ」の部分に競技らしさを見出そうとしても無駄なのではないか?
- そもそも、「クイズが厳密には競技的ではない」のだから、早押しクイズの「リスクと戦略」を考察することもナンセンスなのではないか?
この論点について伊沢氏は、『クイズ思考の解体』のCHAPTER 4「クイズと作問」の章にて、「競技らしいクイズ」には作問者の「ホスピタリティ」が前提として不可欠であり、それによってクイズは競技らしくいられるという結論を書いています。確かにそれならば、早押しクイズが競技的になり切れない「出題」という行為を伴っていても、競技らしいものとして考察することが一応できそうです。
この「ホスピタリティ」のことを考えるうえでまず重要なのは、クイズは厳密には競技とは言えないという指摘が、あくまで「厳密には」の話であるということです。実際のクイズシーンでは、競技をすることを目指した人々が様々な制約を加えることで、クイズを一応の「競技らしいもの」へと変えていきます。あくまでアマチュアが互助会的に用意しているため、公的な規則と呼べるほどのものは形成されていないのですが、それでも全くの無秩序ということにはなっていません。
「様々な制約」の代表格としてまず挙げるべきは、ずばり「問題の難易度」でしょう。競技としてプレイヤーの知識を測りたいのであれば、全く正解を出させないわけにも、全員に正解を連発されるわけにもいかないからです。
難易度の制約が「競技らしさ」を生んだ例としては、クイズ大会「abc/EQIDEN」の変遷がよく取り沙汰されます。この大会は、「基本問題」という枠組みをひとつ定めたこと(+ルールを固定したこと)で、クイズを競技に大きく近づけたと分析されています。この「縛りが設けられたことである営みが規格化され、その規格に人々が適応していく過程で競技として発展する」という構図は、競技化に関する議論としては定番とも言えるものです*7。これは第2章の最後でも少し触れた「後付けの攻略・解釈」にあたる部分です。
こうした実務上の都合に加えて、出題される問題には面白さや印象の良さ(≒ショー映え)が求められることもあります。これは競技の文脈とは遠い意味合いでの要請であることが大半でしょう。当然ながら面白さや意義の判断は主観を伴うものなので、主観を排した「無機質」な問題の方が競技に適している可能性は容易に想像がつきます。それでも競技に面白さが求められるのは、あまり合理的でない理由による部分も非常に大きいです。変な話ですが、大抵は「どうせやるなら面白い方が、意義深い方がよい」程度の動機で、競技に制約が加わっていきます。ただし、一応「○○はあまりにも面白くなく、皆見向きもしていないだろうから、正解がほぼ出ないのではないか?」というような形で、「面白さ」が難易度都合と関連をもっていることもあります。
難易度や面白さ……こうした「多くの外的な要因によって、出題される問題は、ゆるやかに一定の傾向を帯びることになる*8」のです。この「一定の傾向」は所詮ゆるやかなものに過ぎませんが、本来自由に何でも出題できるはずのクイズが競技に近づくためには必要不可欠です。
また、競技としての完成度を高めていくためには、傾向をなるべく良い状態へアップデートしていく方がよいとも考えられます。この点について徳久氏は、競技であることを目指そうとする意識のことを「自生的な秩序」と表現しました。また伊沢氏はもう一歩ここへ踏み込み、クイズの競技らしさを成り立たせる根本原理として「なるべく公平を目指そうとする、作問者の努力」を挙げました。これこそがホスピタリティです。徳久氏の表現よりも、人々の「目指す」意識がより強くなっていると言えるでしょう。
ところで、ホスピタリティに溢れたクイズを提供するのはかなり大変なことです[*9](#f-b62068e5 "伊沢拓司, 『クイズ思考の解体』, 朝日新聞出版, 2021, p.388.伊沢氏はホスピタリティの具体的なチェックポイントとして、以下7点を挙げています。
事実ベースでの作問 わかりやすい問題文 問題文表現の統一 MECE(もれなく、かぶりなく 別解なども含め) 統一された判定基準 統一されたルールでの読み上げ 「正解させる」意識
")。率直に言って、競技らしいクイズを志向している人の大半にとっても、ホスピタリティの遂行は決して簡単ではありません。ギブアンドテイクのアマチュアクイズ文化は、常に「未成熟な担い手」たちによって維持されてきたとさえ言えます。
しかし、作り手の技術が未成熟でも、また「ホスピタリティ」という概念が言語化される前からも、「目指す」だけでクイズはそこそこ競技らしくあることができていました。それはなぜかというと、実情として個々人が出題した過去問たちがデータベースを形成し、各「一定の傾向」ごとに参照されてきたからです。そのため、仮に出題側が自力でホスピタリティの各項目を満たせなくても、最低限過去問(≒以前に競技クイズとみなされたもの)から出題しておけば、「以前に競技クイズとみなされた傾向」への適応度を測ることができるようになっています。
競技クイズはこの「帰納と近似」によって、難易度設定や面白さの工夫の技術をある程度過去問への精通度合いで代替し、用意の労力を軽減することで作られてきました。いわゆる”ベタ問”、すなわち「クイズ界隈で定番・頻出とされる特定の問題たち」が生まれたのも、こうした実情が背景にあったことは否めないでしょう*10*11。
現在のアマチュアクイズは、かつてに比べれば過去問偏重主義ではない*12とは思います。しかし、現実として「クイズをクイズで対策する」ことは依然有効であり続けています。というのも、先ほど述べた「実務的な難易度面の制約」「主観的な面白さの要請」から導き出される「これを出題しましょう」という個々人の結論が、結局のところ似通ってしまうからです*13。こうした構図を残念に思うか、「クイズとはそういうものだ」と思うかは人それぞれでしょう。まあ、おそらく残念寄りに思う方が多いのではないかと思いますが……
だからこそ伊沢氏は、「ホスピタリティによって競技らしくあろうとするから、競技らしくいられるのだ」と、前向きかつ建設的な見解を示したのかもしれません*14。
ちなみに、私が『百里を行く』の中で述べた「_クイズをひとまず競技だと捉えてみて、_」という発想の切り替えも、このあたりの話に関連しています。「厳密には競技でないかもしれないけれど、この『ホスピタリティ』にあたるものと『人間の思考の癖』をある程度信じてみよう」と思ったわけです。
4. 知識比べゲームに「かけひき」はあるか?
ホスピタリティの導入を終えたところで、ようやく「知識比べ」のリスクと戦略を勘案する下地が出来上がったと言えます。
しかし、早押しクイズ以外の形式に関して「ホスピタリティによってギリギリ成立」を超えた競技らしさを考察することは、やはり実際のところ難しいです。これはなぜかというと、ペーパークイズといった「知識重視のクイズ形式」は、 早押しクイズよりも「かけひき」の余地が少なく、そもそもゲームらしくないからです。
なぜ知識重視のクイズ形式にはかけひきの余地が少ないのか?それには主に以下2つの要因があります。この2つについて順に考えていきましょう。
- 「出題された問題に答える」ことは元来受動的な行為である
- クイズではひとたび試合が始まってしまうと「自分の知識量・知識体系」を動かせない
4-1. 「出題された問題に答える」ことは元来受動的な行為である
クイズに参加している各プレイヤーは、早押しボタンを手にしていない場合、他人の行動に関与できる余地をほぼ有していません。その状況ではクイズ中のプレイヤーが選べる行動は基本的に最善手の「正解する」のみとなり、それ以外の選択肢は実質腐ってしまっています*15*16。特に、1問ずつ出題される「ボードクイズ」形式のルールでは、「出題された問題に答える」という受動性が特に強くなり、主体的に戦況を動かすことがどうしても難しくなります。「かけひき」はかなり発生しづらいでしょう。
このあたりの話は、以前「分散性と選択性」の記事でも言及した通りです。
一方、同じく知識重視の形式でも、制限時間内に十数問〜数十問以上がまとめて出題される「ペーパークイズ」であれば、ボードクイズよりも広めの行動選択肢が生じます。これは、ボードクイズではプレイヤーが一問一問へ強制的に向き合わされるのに対し、ペーパークイズでは各問題に割く時間も、タイミングも、そもそも解くかどうかも自由になるからです。この自由度のおかげで、ペーパークイズでは解答時間の配分の工夫や問題難易度の見極めなど、「わかりそうな問題から解く」ための行動が可能になります。これらの行動は、「時間切れなどによる失点」というミクロなリスクを戦略でカバーするリスク管理の一環だと言えます。早押しクイズのプレイヤーが一問一問で「ここで押せばわかりそう」のラインを見極めていることと少し似ていますね。
しかし、これはあくまで「解答という行動」に関する戦略性であり、「知識比べ」の知識要素へダイレクトに関わっているわけではないことには注意すべきでしょう。ここで活きている能力は「知識」ではなく、「処理能力」にあたるものだと解釈した方がしっくりきます。
4-2. クイズではひとたび試合が始まってしまうと「自分の知識量・知識体系」を動かせない
※以降、一旦この「知識量・知識体系」のことを、便宜的に「知識力」と総称することにします。8文字では少々長くて不便です。
クイズという営みを素直に捉えれば当たり前のことですが、競技やゲームとして解釈しようとすると、考察の材料として案外見落としがち(もしくは優先度を下げがち)な観点かもしれません。しかし改めて考えてみると、「知識力は試合中不変」という事実は(調査可 のような変則ルールが存在しない限り)早押しクイズも含めたほぼ全ての形式に共通する事実です。
この「知識力への関与のできなさ」は、4-1.で挙げた受動性の根源でもあります。私たちがクイズの試合中に「早押し」や「処理」などの行動で各リスクへ対処する必要があるのは、「知識力」側がもうどうにもならないからに他なりません。「自分と相手の知識力の差」という、敗北に直結するマクロなリスクをカバーするためには、これしか残されていないのです*17。
こうした行動は、クイズという営みの根幹を考えると非常に”救済措置”的です。しかし、こと早押しクイズにおいては、行動によるリスクへの対処は非常に強力です。たとえば、知識力が自分よりも高いプレイヤーが相手だとしても、「自分が分かる簡単な問題」だけを奪取し続ければ勝利することができるからです。しかし、あくまで"救済措置"であるため、このような勝ち方をしても知識力の大小関係自体を試合中に覆せたことにはなりません。「知識力の差をものともせず勝利した」と評することはできますが。
そして、こうした”救済措置”がペーパークイズやボードクイズには少ないために、これらの形式では行動選択による対処自体がかなり困難になっています。ペーパークイズにおける「処理能力」の工夫も、多くの場合あくまで最後取りこぼさないためのものにしかならず、これだけで知識力の不利を覆すのはなかなか大変です。もはや”小細工”のレベルです。
これは、「早押しクイズ以上に知識を重視する」というペーパークイズやボードクイズ本来の意図に立ち返れば、ある意味本懐を遂げているということにはなるでしょう。しかし、言い換えれば実質問題と対戦相手が確定した時点で勝敗がほぼ決まっているようなものでもあります*18。試合に呼ばれたプレイヤーにできることは、「頑張って正解を思い出す」「頑張って勘を働かせる」「落ち着く」「わかる問題が来るよう祈る」くらいのものです。彼らはこれらを”自由”に選択しながら、自他の知識力に応じた正解と不正解が確率的に発生するのを眺めつつ、「既に決定している勝敗」が顕在化するのを待つことしかできません。
一応、「首尾よく思い出せるか」といったパフォーマンスの良し悪しが試合結果を覆すこともありますが、このパフォーマンスも知識力と同様、試合中に思い通りにコントロールできるとは限りません(多くの場合はそうではありません)*19。
このままでは、知識重視のクイズ形式で「リスクと戦略」の要素を考察するのは難しいでしょう。
5. 「知識」パラメータをリスク要素と捉える
クイズをこれほどまで運命論的に捉えるのは少々やりすぎたかもしれませんが、この解釈を通すと知識力の特徴を以下のように整理できます。
- 知識力は試合中に不変である
- 正解と不正解の数は、各自の知識力に基づいて確率的に決まる
こうした性質を考慮すると、知識は「実力」の一要素であると同時に、「リスクと戦略のゲーム」における「勘案すべきリスク」の一つとしても振舞っていると解釈できる可能性が浮上します。
「実力」の要素をリスクとみなすことは直感に反するかもしれません。しかし、プレイヤー各自が持つ知識の力は「出題された問題に誤答する確率」というミクロなリスクにほぼ直接影響を及ぼします。こう考えれば、実質的にリスク要素と捉えることができるのではないでしょうか*20。何ならこれはゲームなどにおける「能力値のパラメータ」と同質ですし、何なら知識の部分を様々な「実力」要素に置き換えても成り立つはずです。思い出せるか否か(≒本番の強さ)、反射神経、技術、技の完成度など、大抵の「実力」的なパラメータも知識と同様試合中に動かすことはできず、各行動の成否を確率的に決定しています。
以上を踏まえて、私たちが一般的にイメージする「実力」の各項目を、その性質によって「リスク」と「戦略」に分類してみましょう。
- リスク……知識力(○○%の確率で正解できる)、首尾よく思い出せるか(△△%の確率で思い出せる)、反射神経、「読ませ押し」の技術
- 戦略……リスクを勘案し、戦術を立て、攻略を行う上手さ
「わからないかもしれないがここで押す」「わかりそうだから思い出すのに時間をかける」は「リスクと戦略」ですが、対して単独で存在する「わからないかもしれない」「わかりそう」はただのリスクでしかありません。そこからは戦略が抜け落ちていますし、プレイヤーは丸腰(≒行動面での対処の術を持たない)でリスクと戦わされているだけです。
この発想をもとに、プレイヤーのあらゆる実力要素をリスクと捉えれば、それぞれの要素を確率的なパラメータで表現することができます。すると、試合本番におけるミクロな各行動の成否、ひいてはマクロな勝敗の結果を、あらゆるリスク要因をかけあわせることで確率的に算出できるようになるはずです*21。
ポイント:
- クイズというゲームにおいて、「プレイヤーが持つ知識」は確率的な能力値パラメータの一つであり、かけひきの判断で勘案すべきリスクの一つとして振舞う
- 知識に限らず、本番中に変動させられない「実力」のパラメータは、確率的なリスク要素として解釈できる
これらの論点を踏まえると、クイズの各形式における「リスク」要素、「戦略」要素は以下のようにまとめることができます。
「知識重視の形式では戦況を動かしにくい」「知識力は試合中に動かないリスク要素である」「かけひきが発生するのは知識ではなく行動」がポイントです
これでようやく、「知識比べゲーム」における知識の位置づけがはっきりしました!
続いて着手することは、知識重視のクイズ形式におけるリスク(知識力)の管理方法を考えることです。伊沢氏が早押しクイズで実践している「リスクと戦略のゲーム」の攻略と似たことを、知識重視のクイズ形式でも考察していきたいと思います。
これをどう行うかについては、記事の冒頭でも触れた通りです。試合中に知識力を直接上げ下げすることができないのですから、前もって上げておくしかありません。つまり、「戦略」を立てて実行するタイミングを「事前準備」の段階に移して考えていくことになります。
6. 「座学」というリスク管理、そのミクロとマクロ
「知識力を何とかするために、試合前に戦略を立てて対策を講じておく」とは、つまり前もって座学をしておくことに他なりません。
リスク管理の観点から言えば、競技クイズにおける座学とは、正解できる物事の数を前もって増やしておくことで、本番の「不正解になるリスク」を下げる行為です。これは桜井さんが言うところの「攻略」、リスクを抑えてリターンを得ようとする工夫の一種にあたりますが、本番中に動かせない要素を本番前の時空から操作する点で異なります。こう解釈すると、知識重視のクイズ形式の攻略にも「リスクと戦略のゲーム」に近い要素を見出せるようになります。
知識を比較するルールで勝とうとするならば、本番で相手を上回れそうな知識力を準備しておく必要があります。ここでもし相手と同じ残り時間でより効果的な座学をするなら、座学の最中に「択」が発生したとき、都度リスクとリターンを踏まえて戦略的に行動を選ぶ必要が生じます。
戦略性というよりは「リスクマネジメント」の毛色が強いとも言えますが、今回はそこをあえて戦略性やかけひきが発生していると捉えてみましょう。このようなこじつけ解釈が、後々幅広い競技を同じ構図で分析するための助けになります。確かに座学はすること自体がまず大事ですし、闇雲に勉強をしても知識自体は増えていくのですが、本番の「一定の傾向」を念頭に座学行動を選択していった方が「より”高い”(≒本番で役に立つ)知識力」を手に入れやすくなる、ということ自体は同意していただけると思います*22。
ポイント: クイズにおける知識比べの要素を「リスクと戦略のゲーム」的に捉えた場合、リスクとリターンの勘定を踏まえたかけひきが発生するのは試合前の準備段階である。
座学における最小単位の行動選択は、「ある1問を覚えるか?覚えないか?」だと言えます。ここで、「本番で出題される問題」を覚えておけば本番で正解できますが、逆に「本番で出題されない問題」を覚えていたら、時間と脳の容量を無駄にします。私たちの時間と脳の容量は有限なので、残念ながら「全知を暗記して余裕勝ちする」ことは不可能です(たまに無限に近い超人はいますが……)。
もし勝つために相手よりも効果的な座学をしたいということならば、この有限性を踏まえて何かしらの取捨選択をする必要が生じてきます。
ポイント: クイズの座学にはリスクが伴う。そのリスクの背景には2つの事情がある。
- (出題傾向や例題が明かされていようと)結局本番に何が出題されるかは分からない
- 自分の時間的・体力的・能力的リソースが有限である
「本番で問われるか、問われないか」すなわち出題確率は、出題者側に帰属するリスク要素です。「ある一問が出題されるか」は、一次的には出題傾向(≒出題者の思想)におけるその知識の位置づけによって決まります*23。これは(出題者が同一である限り)一問一問について絶対的なものであり、伊沢氏が言うところの「ミクロなリスク」に相当するでしょう。このミクロなスケールでは、理論上、出題確率が高い(=出題されないリスクが低い)問題から優先的に覚えていった方が本番で得をしやすくなります。そのためプレイヤー視点では、公開情報をもとに出題傾向の想定を固め、各事物の出題確率を予測していくことが有効になると考えられます。
一問一問に関するミクロなリスクに対し、マクロなリスクは自分を取り囲む諸々の状況によって変化します。クイズの座学では、「他人がその問題を覚えているか」、つまり本番の正解率がこれにあたるでしょう。
ミクロなリスクだけを考えるのであれば、本番の出題確率が低い(低そうな)問題を覚える優先度は下げてもよいということになります。しかし実際には、本番の正解率が高い(高そうな)問題を簡単には無視できません。なぜなら、万が一本番で出題されてしまったとき、そして自分が正解できなかったとき、正解できた周囲の多数のプレイヤーから1問分の差をつけられてしまうからです。これは1人だけでクイズをする場合には生じない、競技として他者と知識力を比較するからこそのリスクです*24。
ここで、本番でプレイヤーたちが記録する正解率は、出題者の難易度感覚とは必ずしも一致しません。なぜなら、本番近日にプレイヤーたちが見ている世界は、出題者が参照している世界(現実世界、クイズ界の出題歴、出題者の趣味 etc.)とは別物だからです。そのため、「出題者的には最高難易度のつもりだったが、つい最近偶然参加者たちの間では有名になっていたため、本番の正解率が予想以上に跳ね上がった」といった事態もまあまあ起こりえます*25。このケースの場合、実際の正解率は出題者の想定正解率を大きく上回ります。この乖離を読み切れずに、自分の感覚や出題傾向のみに基づく「ミクロなリスク」だけで座学戦略を立てていると、当日思わぬところで足を掬われる可能性があります。
逆に言えば、周囲のプレイヤーたちの思考・行動、その流行を考慮して自らの出方(何を勉強していくか、覚えるか・覚えないか)を変えていけば、有利に立ち回れる可能性は高くなります。これはまさしく「メタゲーム」の考え方そのものですし、この「周囲のプレイヤーたちの行動・思考、その流行」が群として組み合わさったものは、他のゲームや競技における「いわゆる”環境”」として捉えることができると思います[*26](#f-da572a3f "知識重視のクイズ形式では、早押しクイズと違って本番に他人の行動へ関与することができません。そのため、特定の相手を想定して局所的な戦略を立てること(いわゆる"メタる"こと)がそれほど意味をなしません。しかも、特にペーパークイズでは参加している全てのプレイヤー(いわば"環境"そのもの)と対戦する必要があるため、戦略も何もなく、前提として「物量」が必要になることが多々あります。物量と戦略を折衷するなら「効率」と表現するのが良いでしょうか。ではペーパークイズのメタゲーム性とは何かと言われると、以下の2つが当てはまるのではないかと私は思います。
①「周りと同じものを解答する」という鉄則を実行するために、環境を把握して追随する。 ②「自分で設定した勝利条件」を満たすために、追随するべき集団(実力帯)を決める。
②の視点で考えると、「追随するべき実力帯の集団」はかなり明確に「仮想敵」的なものであると言えます。あくまで対策必要量のラインが設定できるというだけで、彼らを"メタる"ことで倒しているわけではありませんが、判断基準としての「○○さんはここまで覚えていそうだな」といった発想は割とメタ的といって差し支えないでしょう。 なぜ②のような発想になるのかというと、多くの人にとってのペーパークイズの勝利条件は、1位を取る(=全員を倒す)ことではないからです。これには、多くの競技クイズ大会では、運営の都合上もしくはクイズ王番組時代の名残で「ペーパークイズで元手の点数決め or 足切り→早押しクイズ」の進行形式を取っているという事情が前提にあるのですが、後の早押しラウンドのことを考えると、1位を取れるほどペーパークイズに入れ込んでしまうのは、コスパが圧倒的に悪いことが多いです。(私自身はそんな順位を取ったことがないのであくまで伝聞ですが、)たとえばペーパー5位と1位でも労力はだいぶ変わります。もちろんペーパークイズで1位が取れたらとても嬉しいですし、知識力の増強自体は早押しクイズにも必ず活きるため、全く無駄になるということはありません。ただ今回は、競技クイズのプレイヤーは「現在の自分の水準」「本番で取れそうな順位」「早押しクイズの向き不向き」などを踏まえて「○○位くらい取れればOK」という自分の勝利条件を設定することがある、とだけ分かっていただけると話が理解しやすくなるかと思います。")。
こうしたミクロ/マクロなリスクに基づいた「ある知識を覚えるか、覚えないか」という判断の流れを、以下のように1枚の図にまとめました。
ここではマクロなリスクの最終的な評価基準として、出題確率○%・正解率△%の積、すなわち「当日出題されて自分が誤答した場合に他人につけられる点差の期待値」を採用しています*27。
これはあくまで「特定の大会に向けた対策」を念頭に置いたときの戦略の一例であり、問題集を読む行為全般が必ず当てはまるわけでも、当てはまるべきだと考えているわけでもありません
座学にはもう一つ「ミクロ/マクロ」的に対比できる性質があります。それは、上記のような一問一問における行動選択の積み重ねが、本番当日の「知識力」として結実することです。この関係があることから、座学行為に関する「リスクと戦略」の分析を、間接的に知識力そのものの分析へと繋げて考えることができるわけです。
ある日の時点におけるプレイヤーの「知識力」は、先ほど説明した「一問ごとの行動選択」に加え、「この問題集を読むか?」「本番の傾向を踏まえるとどんな媒体・活動を読むべきか?」といった大枠の判断、そして意図的な座学とは関係ない日常の偶然の経験が組み合わさっていくことで形成されています。この点について友人*28のシマダは、かねてより「クイズとは、枚数自由の知識デッキを構築し、それを持ち寄って戦うゲームなのだ」と指摘していました*29。確かに、カードゲームの「事前のデッキ構築 → 本番の試合」という構図は、クイズにおける「座学(+日常)→ 本番の試合」の流れとかなりオーバーラップするところがあります。
※ただし、これはどちらかというと「デッキ構築 → 試合」という構図が、そもそもあまりに汎用性が高い視点だからでもあります。カードゲームと他の競技との関連性は多々指摘されていますし、「デッキ構築」の部分をそのまま「プレイスタイル選択」「習得する得意技選択」「使用キャラクター選択」「戦術選択」などに置き換えても、十分に通用しそうです。
これは死ぬ程わかる。
小中高カードゲームやり込んでたのが、格闘技にめちゃくちゃ生きてる。
とくにデッキの組み方、メタゲームの考え方が試合の戦略立てと似てる。
カードゲームの例えを格闘技に使いたいが、あまり伝わらないので悲しい。 https://t.co/mYtBQVunWe— 野田遼介Ryosuke Noda (@takemiyaryuu) 2024年1月17日
え??コスメをたくさん買って何が悪いの???
カードゲームを趣味にしてる人だってパックや箱でたくさん買いますよね?それと同じです。
我らはコスメでデッキを組んでるんです。ニュアンスカラーやラメでコンボを決めてるんです。数が要るんです。単純にコレクションとして集めても楽しいですし。— まろん🐶自称買い控えてる人💸 (@marorina0618) 2024年1月25日
……という話を先ほどの図に描き加えると、こんな感じになります。
知識とは、人がその日までに積み重ねた行動と経験の結果であり、その日までに拾い集めた知識カードで組まれたデッキなのです
7. 百里を歩むための「かけひき」
知識要素に特化した考察を一通り終えたところで、知識デッキのたとえの「知識」の部分に、知識以外の「実力」要素を追加してみます。こうすると、シマダの知識デッキのたとえを競技クイズ全体へと拡張することができます。
ポイント: 競技クイズは、知識・早押しクイズの技術・ペーパークイズ解答の技術などで「枚数自由のクイズスキルデッキ」を構築し、それを持ち寄って戦うゲームとして解釈できる*30
こうすれば、座学以外の対策(≒攻略、リスクを抑えてリターンを得る工夫)や準備全般に関しても「リスクと戦略」を考察することができます。その例として、『百里を行く』で振り返った私のABC対策の過程を見てみましょう。
※私のABC the seventh, eighth対策を振り返る前に、前提情報として「ABC(ラージエービーシー)」という競技クイズの大会の大枠を整理しておきます。
- 競技クイズの学生向け大会「abc」の社会人版として、学生側が開催してくださっている。
- ルールや形式、出題傾向については大部分でabcを踏襲している。
- ABCでは1Rの「100問ペーパークイズ」でプレイヤーを全体から48人に絞った後、2R以降では早押しクイズを行う。以降、ラウンドは 2R→3R→Ex.Round (敗者復活戦) →Semi Final→Final と推移する。大多数の人間にとっては、実情としても心理的にも1Rが大きな鬼門となる。
※敗者復活戦は2段階式で、1段階目のみ例外的に一問一答のボードクイズが絡む。 - 出題傾向として「基本問題」というものを掲げている。「基本問題」の定義は難しいが、abcの主催団体は「最初に触れるうえで勧めやすいもの」「日常生活に根差した知識や、学校・職場で学べることをもとに正解できるような問題」と説明している*31。
ABC the seventh, eighthに向けて私が選択した行動を抜粋すると、以下①~⑦のようになります。
①自分の現状と目標を確認し、対策への着手を決意した この手の話で肝になりがちな最初の目標設定フェーズです。ここでは以下のように状況整理を行いました。
- 結局一番実現したい目標は何なのか
- その理想像と現状の開きは期間内に埋められるものなのか
- 手堅い安全策を行うだけではなく「賭け」に出る必要があるか
結果、体感として「トレーニングの物量をこなし、さらにどこかで戦略上の賭けに出ることが必要だが、全く不可能ではない」くらいの結論に至り、とりあえず対策を始めることにしました。
②クイズを競技と捉えた 本記事の冒頭や第2章で説明した通り、クイズを競技として攻略する大前提になった部分です。この発想があるからこそ、「山を張る」行為がただの勘ではなく、「リスクとリターンの判断を伴った攻略」の一環になることができます。
③seventhでは自分の得意傾向を強化することに注力し、それ以外の傾向の座学を諦めた
第6章にて、座学リスクの根源として「本番に何が出題されるかは分からない」ということを挙げました。この点については、私も特にABC the seventhのとき非常に困りました。世代的な乖離もあって、当時の主催陣がabc/ABCの「基本問題」に何を望んでいるか、あまり見当がつかなかったからです。これでは、出題確率(ミクロなリスク)を予測することは困難です。
そこで私は、自分の実力を見直したうえで「どうせ自分が不得意な傾向・難易度帯だったら何を準備しておいてもダメだ」と割り切り、本番に「一番自分がまだ何とかできそうな出題傾向」が来るという前提で対策を始めました。他の傾向を諦めて時間・体力・脳のリソースを一極集中させ、一点突破を狙ったわけです。もちろんこの予測に根拠は一切なく(強いて言えば「そうだったら嬉しい!」くらい)、非常にハイリスク・ハイリターンな賭けだったと言えます。
この賭けは半ば強いられたものだったとも言えます。私が対策開始時点で直面していた実力差はあまりにも大きく、手堅い策だけでは覆せない状況だったからです。
ちなみに、eighthのときも出題傾向はあまり予測できなかったため、seventhのときと大体同じ路線で対策を進めていました。ただし、このときは得意傾向へ完全に一点集中するのではなく、7月頃から感じていた以下2つの肌感を重く見て、なるべく自分と「環境」との差を埋めることを意識的に行っていました。
- seventhのときに比べて出場者側の思考が似通ってきていたこと
- そこから自分の志向が乖離しつつあったこと
④eighthでは早押しの対策を捨てた
これはシンプルに時間が足りなかったからです。「早押しの調整をしなければ2R以降で振るわないだろう」という特大のリスクは目に見えていましたが、それを承知でペーパークイズで結果を残すことを選んだ形になります。
真面目な話として、「1Rと2R以降の両立が流石に不可能」と判断した時点で、そのリスクを踏まえて出場しないという選択もありえました。まあ、結局気が付いたときには「準備したうえで出場する」を選んでいたのですが……
なお、seventhのときには早押しクイズの調整にも時間をかなり割いていたのですが、これはそもそも「この機会に早押しクイズの力を上げる」ことが当時の第一目標だったからでした。そのため、「リソースを分散させることで1R通過確率が低下する」というリスクは度外視していました*32。
私の選択①~④を図にまとめるとこうなります。これらの選択や決断は、いずれも対策方針の大枠に関わるものです*33。
競技クイズを「クイズスキルデッキを元手に戦うゲーム」だと解釈すれば、本番までにどうデッキを組むか?の取捨選択の重要さが実感できるはずです
これらよりも細かい観点では、第6章で考察した最小単位(一問一問)の判断の他、以下のような準備をしていました。
⑤自分に最適な座学法の模索 ⑥自分に必要な座学内容の模索 どちらについても、各選択には「自分に向いていないかもしれない」「本番で役に立たない(≒リターンが小さい)かもしれない」というリスクが伴います。そのため、攻略するでは当然「失敗する確率」と「本番で無駄になる確率」が低い行動や手法を選び取った方が、リターンは大きくなります。
⑦ペーパークイズを解くことに慣れておいた
これは第4章で説明した「処理能力」の件に関わる話です。具体的には時間配分や捨て問の見極めの勘所を掴んだり、問題文を注意深く読む練習をしたりしていたのですが、要するに「処理能力」を底上げしておくことで「本番で低パフォーマンスを出す」リスクを下げようとしていたわけです。
これまでに説明した通り、ペーパークイズの本番の場はどうしても「受動的」に挑まざるを得ないものです。それを少しでも「主体的に行動面でかけひきができるゲーム」とできるよう、行動面での対処(≒"小細工")をなるべく有効に使えるようにしておいたわけです。
⑤~⑦の内容は、全て「本番で直面するリスクを下げるための対策(攻略)」です。その行動選択について図を描くと、こんな感じになるでしょうか。
時間(と体力と脳のキャパと経済力)が無限だったら、それこそ全部やるんですけどね……
8. 「競技性=コンテスト性+ゲーム性」としての一般化
前章では、競技クイズにおける「知識力」やその他の「実力」要素を考察するために、試合前の準備過程で生じる「リスクと戦略」に注目してきました。こうすることで、本番の試合中にプレイヤーが意図的に動かせない知識の要素、「実力」の要素に関する戦略性を間接的に考察できるようになりました。
そして、ここで注目した「事前準備の面白さ」にあたるものを、記事冒頭で予告した通り「コンテスト性」と名付けて一般化したいと思います。この概念はゲーム本番中のかけひきにあたる「ゲーム性」と対になっており、ゲーム性にコンテスト性を組み合わせることで競技性を二面的に説明することができます。 なお、コンテストというネーミングには、競技の本番の場が事前準備の成果発表会の側面をもつことをフィーチャーする意図があります。ここで、時系列的には コンテスト性 → ゲーム性 の順でプレイヤーの前に現れます*34。すなわち、事前準備の段階から見ると本番の場は「コンテスト」なのですが、いざ本番を迎えると本番は「ゲーム」にもなる、ということです。競技におけるプレイヤーは、「コンテスト」に向けて事前に準備してきたものを、本番の「ゲーム」の場で発揮して戦います。
「コンテスト+ゲーム」としての競技では、「コンテスト」のために準備してきたデッキが「ゲーム」本番を戦う元手になります
競技の時間軸に「事前準備」と「本番」の2フェーズを見出す解釈は、競技の「一定の規則に従って競う」という辞書的な説明から踏み込んでいくことでも導くことができます。つまり、第一段階として「(1) 競技で勝とうと思った人間はどんな行動に出るのか」を考えると、以下のように (2) と (3) の発想に至るわけです。
(2) 「本番」以外の場で抜け駆けして練習を始める人間が現れる →「事前準備」フェーズの発生
(3) 皆が練習を始めるようになると、同じように練習をしている(であろう)人達よりも練習の成果を上げる必要が出てくる → 事前準備フェーズにおけるかけひきの発生
この見方には、なんとなく私個人の競技クイズ経験とオーバーラップするところもあります。日々のクイズに「n戦目の本番」かつ「n+1戦目に向けた準備」として挑んでいた私たちは、決して「知識が人生を豊かにするのだ」という建前だけでクイズをしていたわけはありませんでした。その行動原理の底には、確かに「クイズのためにクイズをする」という自己目的的な本音があったように思います(今でもそうかもしれません)。これは一般的な感覚からすれば異様でしょうし、伊沢氏の言葉を借りれば非常に「不健康」な付き合い方だと言えます*35。
日本人的な世界観で説明すると、「ハレ」の日のための準備が「ケ」の日へと侵食していったり、そもそも同一化していったりすることで、それら2つの境界があいまいになっている状態と言えるかもしれません*36。そして、この境界のあいまいさは競技に関する議論をしばしばわかりにくくします。
これを意識的に切り離し、競技の姿を捉えやすくするためにも、「事前準備と本番」「コンテスト+ゲーム」と改めて言語化することは有効です。
以上を踏まえて、「競技性=コンテスト性+ゲーム性」という私の解釈について、以下のようにまとめます。
ポイント:
- 桜井さんが言う「ゲーム性」、すなわちゲーム本番・試合中の戦略性に対して、ゲームの外にある事前準備の段階で生じる戦略性を「コンテスト性」と呼ぶことにする
- コンテスト性の中身は、ゲーム性と同様に「リスクとリターン」を伴った「かけひき」で考察できる
- 競技の本番の場は、準備の成果を披露する「コンテスト」でもあり、競り合う「ゲーム」でもある。競技の競技性は「コンテスト性」と「ゲーム性」から成る
コンテスト性の概念が有用なのは、着想元である「ゲーム性(©桜井政博)」の強力さをそのまま活かせることです。ただしこのゲーム性、もともとはあくまで「ゲーム自体の面白さ」を考えるための道具として定義されているからか、競技シーンやメタゲームのような「ゲームの外の出来事」を考えていくには不向きなところがあるように感じられます。そこで、「コンテスト性」という便宜上の対概念を新たに設定することで、競技における「試合中の行動」と「準備段階の行動」を意識的に切り分けながら、後者へと議論を拡張することを試みました。こうすれば、競技全般に通じうる「デッキ構築 → 試合本番」という構図を整理しやすくなるはずです。
第7章で説明した競技クイズにおける各行動選択について、「コンテスト性」「ゲーム性」「リスクとリターン」「かけひき・戦略性」の要素を切り分けながら挙げていくと、以下のような分類表を書くことができます。
この表を埋めていくことで、競技クイズ全体の競技らしさを俯瞰していけるようになるはずです
さらに、上記を競技全体に一般化すると、このような表になります。
この表には、在り様の異なる様々な競技を当てはめることができるはずです。
競技一般のコンテスト性とゲーム性:この表は色々な競技の分析に使えるはずです!
各競技の要素をこの表に従って分解していくと、おそらくどの営みにも少なからずコンテスト性とゲーム性が存在していることがわかると思います。それぞれの競技は「競技」と一括りにするにはあまりにも多様ですが、「コンテスト」「ゲーム」の2側面のうちどちらか片方を備えているという点では共通しています。そして、その競技性をコンテスト性+ゲーム性の総体(※極論片方が0でも構わない)と捉えれば、各々の競技らしさを普遍的に見出せるようになるはずです。
ただし、「極論片方が0でも構わない」という発想のもとでは、ほぼ全ての物事が競技だと見なせてしまいます。幅広い競技を解釈できる懐の深さの代償として、解釈が雑であることは否めません。そのため実際に分析を行う際は、「競技といえるか」という議論は一旦パスしたうえで、コンテスト性とゲーム性の両面から「その競技(仮)の競技性は高いか?低いか?」を重点的に考えていくのが良いと思います。ここで、ある競技のコンテスト性とゲーム性がどちらも高く、かつ各要素のリスクとリターンの配分がバランスよく拮抗していれば、その競技は展開や面白みに富んだ競い甲斐のあるものになるはずです*37。
コンテスト性・ゲーム性と競技性の質の関係は、大まかには以下のグラフから考えることができます*38*39。競技クイズの場合、ペーパークイズやボードクイズは「コンテスト」寄りですし、早押しクイズは比較的「コンテスト+ゲーム」らしいと言えます。このように、競技を直感的にマッピングできる点でもこのグラフは便利です*40。
このグラフは既存競技の分析だけでなく、競技大会の開催・新競技の創出を行う際にも便利です(今回はサプライヤー視点の話は割愛)
ここで補足しておきたいのは、グラフ左下に位置する「カジュアル」という象限の詳細です。
この領域に位置する活動はコンテスト性とゲーム性の両方が低く、全体としてかけひきの面白さは少なめです。すなわち「競技性が低い」ものということになるのですが、それでは概してつまらないのかというと、そんなことはありません。かけひきの要素が薄い分は、それ以外の楽しみ方が活動の主軸となっています。
ロジェ・カイヨワが自著『遊びと人間』で提唱した遊びの4分類に基づいて考えると、この象限ではアゴン以外の要素が主役となっていると言えると思います。
- アゴン(競争)
- アレア(運)
- ミミクリ(模倣)
- イリンクス(眩暈……平衡感覚を失ったときの非日常的感覚を楽しむ)
これについては桜井さんの指摘が非常に参考になります。桜井さんは「_ゲーム性を上げると一般性は下がる_」という話の前置きとして、講演の中で以下の2点を述べています。このことはゲームに限らず、また「カジュアル」領域に限らずとも、あらゆる競技に当てはまるはずです。
- 「かけひき」がゲームの面白さのすべてを内包しているわけではない。
- 「かけひき」の考え方は、ロジェ・カイヨワによる遊びの分類に即して考えると非常にアゴン的であると言える。若干アレア的。しかし、ゲームの要素にはカイヨワが挙げた全て:アゴン・アレア・ミミクリ・イリンクス、パイディア(無秩序的)・ルドゥス(規則的)が内包されている*41。
「競技性=コンテスト性+ゲーム性」はあくまで大雑把な枠組みに過ぎませんが、統一的な評価尺度を一つ持てるのは嬉しいことです。この視点はきっと、「競技性」という概念の正体を明らかにするうえで役立っていくと私は思います。
9. 競技を分かち合うこと
ところで、競技の時間軸に「ハレとケ」的な2フェーズを見出す解釈は、全ての人に好意的に受け取ってもらえるものではないかもしれません。ハレの日に他者と競い合うこと(≒「ゲーム」側面の重視)と、ケの日を粛々と準備に捧げること(≒「コンテスト」側面の重視)を「面白い」「楽しい」と感じるかは人によります。むしろ、カジュアルに楽しむうえでは、こうしたポイントに執着することがマイナスに働くこともあるでしょう。
またクイズに関して言えば、その営みの性質上「準備を前提としたクイズはいかがなものか」という疑問も当然発生しえます。競技クイズは、常にそうした議論と共に歩んできました。
そのため、コンテスト性という概念を改めて言語化したことの裏には、次のような懸念がつきまとうとも思っています。
競技の根幹にある「事前準備(≒努力)」の重要性を認めたら、「勝利を目指さない人・努力をしない人」は競技を楽しむ権利がないと排斥されてしまわないか?
その正当化につながってしまうのではないか?
こう解釈されることは私の本意ではありません。そして、誤解をされないために慎重な議論をしていく必要があるとも思っています。
そこで最後に、「競技」が懐の深い枠組みでいられるよう、私なりの留保を示しておきます。
9-1. 「コンテスト」と「ゲーム」は放棄することもできる
コンテスト性とゲーム性の議論で重要なのは、競技に参画する全ての人は、競技の「コンテスト」「ゲーム」としての側面それぞれを、重視するか・放棄するか自分で決定できるということだと私は考えています。
仮に競技のフォーマットが「競う」ために整備されたものだとしても、そこへ臨む各個人がスタンスまで強制されるわけではありません。当然そこには内心の自由があります。
なぜ競技に参画しながら「コンテスト」も「ゲーム」も放棄することができるのか?それは第8章の最後で説明した通り、「かけひき」や「リスクと戦略」が競技の面白さの全てではないからです。競技にもアゴン以外の面白さ(アレア、ミミクリ、イリンクス)はしっかりと存在しており、「競技を"非競技的"に楽しめる余地」を生んでいます。
たとえば競技クイズでは、かけひきの面白さにこだわらずとも、「問題」という要素が「情報の面白さ」や「正解できた喜び」をもたらしてくれます*42。それは、競技クイズも根本的にはクイズだからです。
競技に臨む個々人のスタンスは、「コンテスト」「ゲーム」をどう重視するかによって、大きく4タイプに分類することができます。ここでは第8章のグラフをそのまま当てはめていますが、本番と準備の意識的な切り分けによって二次元で捉えられるようになったことに注目してください。これにより、単に「内心のスタンスはガチ~ライトまで自由である」と一次元で考えるよりも、その多様さをわかりやすく説明できるようになっているはずです。
競技の臨み方は人それぞれですが、さらに言えば「ガチ」「ライト」の在り方も個々人によって微妙に異なります
この4者は全員競技性のグラフの上に留まっており、一応競技の枠内で共存することができています。かれらは「かけひきの面白さ」もしくは「かけひき以外の面白さ」によって競技を楽しんでいます。
これは、スタンスが違っても理論上は「競うために整備されたフォーマット」を共有できている、と見なすことはできませんか?*43。
もちろん、個々人が相互のスタンスの違いを理解したり、自分に合った楽しみ方へ目を向けたりする必要はあるでしょう。そのうえで、競技というものが広く開かれ、考え方の違う者同士がそれを分かち合うことができるとすれば、上記のようなプロセスによるものなのではないかと私は思います。
9-2. 競技クイズを支える「かけひき以外の面白さ」
先ほど、競技クイズでは「問題」がかけひき以外の面白さを保証していることを説明しました。しかし、「問題の面白さ」という要素が支えているのは、実は「カジュアル」領域の人だけではありません。
確かに、競技クイズにおける「問題を楽しむ」という行為自体は、競技の勝敗を競う性質からは遠いところにあります。極論を言えば「楽しめないような問題」でも競争は成立するからです。おそらく人類は、頑張れば電話帳の穴埋めでも熱狂できるでしょう(何なら出典が定まっているぶん公平かもしれません)。
「問題を楽しむ」行為は、カードゲームでたとえるなら「カードのイラストの鑑賞」や「特定のキャラクターの愛好」にあたるでしょう。こうした楽しみ方自体は十分ポピュラーではあるものの、勝負やかけひきとの関連は薄い行動です。これらも、極論削ぎ落してしまってもルール上支障はない要素のはずです。たとえば、全てのカード名を通し番号で呼んだとしても、ゲーム自体は成立します。
しかし、そんなゲームには「ただただ味気ない」という明らかな問題があります。
なぜ「味気ない」ことがゲームの欠点になってしまうのでしょうか。それは、世界観がゲームへ付与してくれるはずの説得力が薄くなってしまうからなのではないかと私は思います。
イラストやキャラクターといった世界設定に関わる要素は、何も「かけひき以外の面白さ」のためだけに用意されているわけではありません。ゲームの背景にあるストーリーは、「その世界で強いとされているキャラクターに強い技が与えられている」といった形で、ゲームシステムに必然性をもたらしてくれます。同時に、設定自体やインターフェース(グラフィックなど)を作り込むことは、「没入感を高める」という形でも疑似的に説得力を付与してくれます[*44](#f-3284113c "脚注36で紹介した「マジックサークル」の概念を用いて説明すると、「ゲームの世界観を作り込むことはプレイヤーを"魔法"にかけるために必要不可欠だ」ということになります。")。
ゲームが世界観抜きにシステムだけで完成することは非常に難しく、同時に私たちも、システムだけでゲームにのめり込めるわけではありません。これは競技も同様で、そこへ説得力を持たせるには世界観(題材となっている営み自体の在り様、歴史、社会との関わり)や設定(どんな技術・能力を重視するかという理念めいたもの)の力を借りなくてはならないことが大半です。
競技クイズにおける「世界観・設定」とは、まさにこの現実世界そのものです。「問題を楽しむ」こととは、出題という行為を通して世界を鑑賞・愛好する行為に他なりません。
繰り返しになりますが、これ自体は競技の本質からは遠い楽しみ方です。しかし、この「世界観」の存在は(競技)クイズに参画する全ての人を支えています。まず第一に、クイズが現実世界を出典に出題されるという根本の構図があるからこそ、ゲーム性のみを重視する挑み方(≒等身大の自分で即興の勝負をすること)が成立したり、競技クイズのコンテスト性のみを重視する臨み方(≒勝利という目的なしに知識を集めること)の有意義さが保証されたりするからです。
そして何より、情報自体の面白さは、競技におけるリスク・リターンの配分の根幹をなしています。なぜなら、「情報自体の面白さ (funny, amusing, interesting, important) 」は「世間からの注目度」「人々の印象への残りやすさ」と無視できない関連性をもっており、潜在的にクイズにおける出題確率や正解率を決定しているからです。これは「クイズそのものが、世界に対する価値判断を含む営み」であるという徳久氏の指摘と大きく関係しています。まさに「その世界で強いとされているキャラクターに強い技を(出題者が)与えている」わけです。
もちろん「面白さ」は究極主観的なものです。第3章で紹介した通り、偏りを伴う主観に"競技"が立脚してしまっていることこそ、クイズが厳密には競技となれない主たる理由です。
しかし、個々人が面白いと感じるものが異なるということは、プレイヤーそれぞれが多様になりえるということでもあります。同一の「一定の傾向」へ追随しているとしてもです。これは、競技クイズが「『自分のクイズ』の世界観の闘い」になることの根拠になりえます*45。ゲーム論における「ナラティブ」の議論を少し借りると、各自が準備してきた「自分のクイズ」を支える世界観とは、各自が辿ってきた「物語」であるとも解釈できます(ってシマダが言ってました)*46。
この闘いの成立可能性を高められるのであれば、その意味でも、サプライヤーがホスピタリティをもって公平な(≒多様な強さがどれも輝きうる)問題群を目指すことには大きな価値が伴うはずです。
競技クイズへ臨む個々人は多様であり、全員が「問題の面白さ」という要素に支えられています
ポイント:
- 競技に参画する全ての人は、競技がもつ「コンテスト」の側面と「ゲーム」の側面を放棄してもよい(≒向き合わなくてもよい)
- 「コンテスト」や「ゲーム」を放棄しても競技を楽しむことはできるし、楽しんでよい
- ↑の楽しみ方を生む「かけひき以外の面白さ」は、コンテスト性・ゲーム性のシステム単体では成立しにくい競技に説得力をもたらす
以上本記事では、拙著『百里を行く』を足掛かりにしつつ、伊沢拓司著『クイズ思考の解体』の議論を補いながら、知識重視のクイズ形式(ペーパークイズ、ボードクイズ)の競技らしさを考察しました。そして、その考察を競技・競技性を解釈していくための枠組み「競技性=コンテスト性+ゲーム性」として一般化しました。これはもともと、過去記事「分散性と選択性」の最後に投げかけた質問、クイズで重要な「知識」という実力要素の分析に、「分散性」「選択性」の尺度を用いることはできないか?の想定解として用意していたものでした。1年半ぶりに回収できて我ながら本当に感慨深いです。
人によっては当たり前に感じるであろうことを長々と説明してきましたが、競技という営みの姿を見つめるのには一応有用な視点だと思うので、クイズに携わる人・そうではない人のどちらにとっても何かの役に立てば幸いです。
上記を競技クイズ以外の競技に当てはめた考察、「分散性」「選択性」を用いたコンテスト性とゲーム性の考察なども、できることなら書きたいですがいつになるやら……
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最後に一応補足しておきたいのは、競技(やコンテストやゲーム)に臨む個々人は、「かけひき以外の面白さを放棄する」ことも選べるはずだということです。
クイズの根本にある「知識や思考力を比べる」という側面は、どうしようもなく能力主義的です。残念ながらこの能力主義は、クイズにどれだけカジュアルな気持ちで臨んだとしても、また逆にどれだけ勝敗だけに拘るようにしても、現実世界の力によって既に私たちの脊髄に刻み込まれています。だからクイズをしていると、他人と比べて、もしくは単に一人の人間として、自分自身の「無知」から目を背け切れずに苦しくなってしまうことがあるかもしれません。これは問題の傾向に依らず(つまり問題が面白かろうと、もしくは現実世界の能力主義の尺度と乖離していようと)起こりうることだと思います。
もし「競技=コンテスト+ゲーム」という解釈と、コンテストをゲーム的に攻略しようという発想を提示することが、既に散々言われてきたはずの「クイズもあくまでゲーム的なものに過ぎないんだ」という理屈を(理屈としてではなく)感覚的に受容する助けになるのなら、私としては一番幸いなことです。
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Special Thanks.
以前『選定2級 第1回予想問題』や補足記事の中で、「あるクイズ大会の "対策企画" って一口に言っても、色々あるよね」というような話をしました。
この議題について、友人のシマダが解説記事を寄稿してくれました!こちらのブログで公開したいと思います。
対策企画を打たないにしても、クイズを競技として捉えた際の在り方を理解する上で、とても助けになるものだと思います。1万字を超えており読みごたえがありますが、皆様の参考になれば幸いです。
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クイズプレイヤーは、特定の大会で活躍することを目指して、「対策企画」を開くことがあります。
「対策企画」とは、本番の大会を想定したルールや問題を準備して行う、いわば練習試合のようなクイズ企画を指します。多くの「対策企画」は、仲間うちやクイズサークル内で完結する小規模なものですが、中には 50 人や 100 人もの参加者を集めるような、ほとんど大会と変わらない規模のものも。
今回は、そんな「対策企画」を使用問題の性質から分類し、「よりよい対策企画の作り方」を考えてみましょう。
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A. 「知っているかどうか」と「早く押せるかどうか」
現行のクイズ大会で王道の形式といえば、「ペーパークイズ」と「早押しクイズ」の 2 つです。
一般に「ペーパークイズ」といえば、問題用紙に印刷された問題文を読み、解答用紙に答えを記入する形式のクイズを指します。この「ペーパークイズ」では、問題文を最後まで読んでゆっくりと解答することができるので、単純に自分がその知識を持っているかどうかが焦点となっています。
対して「早押しクイズ」とはどんな形式なのかをあえて回りくどく説明すると、音声形式で出題される問題文を耳で聴き、自分が答えたいと思った段階で手元のボタンを押して音を鳴らし、一番最初に押せたら解答権が得られる形式のクイズ……といったところでしょうか。この「早押しクイズ」では、他の人より先に解答の意思を表明しなくてはならないので、知っているか・知らないかだけでなく、いかに少ないヒントで答えを出せるかが時に肝心となります*1。
まとめると、「ペーパークイズ」に強くなるためには「知っているかどうか」に重点を置いた対策が必要で、「早押しクイズ」に強くなるためには「知っているかどうか」に加えて「早く押せるかどうか」に重点を置いた対策が必要、ということになります。
B. 「1 問単位」と「全体」
ひとが「対策企画を開いてよかった」と最も強く思う瞬間――それは、自分の準備した対策問題が本番でそのまま「的中」したときではないでしょうか。ペーパークイズにおいて、過去に自作した問題が 1 問紛れ込んでくれたら、確実に 1 点を増やすことができるでしょう。早押しクイズにおいて、以前作ったことのある問題がそのまま読まれたのなら、解答権を競り落とせる公算はかなりのものとなるでしょう。対策企画を準備するプレイヤーの多くは、自作問題の「的中」を少なからず夢見ているものです。
しかし、対策企画の作り手の中には、1 問 1 問の的中にはそこまで拘泥していないプレイヤーも存在します。大会の運営サイドが事前に公開してくれる「例題」「問題コンセプト」、あるいは「出題者が過去に発行した問題集」などのヒントを熟読し、当日の問題群の全体像を再現することに心血を注いでいるのが彼らです。一体何の目的があって、こんなことをしているのでしょうか。
それは「本番の問題群全体がどのようなバランスで運用されているのか」を知ることにあります。具体的には……
- どのようなジャンルが多く・深く出題されそうか
- 知識や事物がどのような切り口で問われそうか
- だいたい何文字くらい問題文を聞けば、核となる情報が明かされそうか
対策企画という形で本番の問題群の再現を試みることにより、「作問者の出題思想」を体得すること、それが彼らの目標です。本番の出題者を身体に宿すことができれば、本番の出題者と同じ視点で日々のクイズや生活を見つめることが可能となります。そうして過ごしていくうちに、問題群に最適化された知識体系・プレイスタイルへと自分のクイズが調整され、一番仕上がった状態で当日を迎えることができます。
対策企画といえば「1 問 1 問の的中」を狙って作られるものだ、と思いたくなるところではありますが、実際にはそれだけでなく「問題群全体への適応」を狙って作られるものも存在します。
◇
A の観点から対策企画の目的意識を分類すると、「知っているかどうか」と「早く押せるかどうか」に二分できそうです。ここに「知識量重視 vs. 速度重視」の対立軸を見ることができます。
B の観点から対策企画の目的意識を分類すると、「1 問 1 問の的中」と「問題群全体への適応」に二分できそうです。ここに「個別重視 vs. 全体重視」の対立軸を見ることができます。
この 2 つの観点を組み合わせて対策企画を分類すると、2×2=4 通りの枠組みが作れそうです。
- 「知識量重視」で「個別重視」
- 「速度重視」で「個別重視」
- 「知識量重視」で「全体重視」
- 「速度重視」で「全体重視」
いま、この 4 つのタイプに名をつけた上で、おおざっぱな説明を加えてみます。
1-1. ペーパー型 (「知識量重視」で「個別重視」)
特定の問題がペーパークイズで答えられるようになることを目標とする対策企画。
「それが問われるとしたら、何が核心情報 (いわゆる後限定) として据えられるか」に目を向け、1 問でも多く的中させることを目指す。
1-2. 押しポイント型 (「速度重視」で「個別重視」)
特定の問題が早押しクイズで押せるようになることを目標とする対策企画。
「それが問われるとしたら、どのような文字列・言葉・フレーズ・情報を含む問題文となるか」に目を向け、1 問でも多く的中させることを目指す。
2-1. ジャンル型 (「知識量重視」で「全体重視」)
本番の「題材選定方針」を再現することを念頭に、ジャンル配分や題材のチョイスを本番に寄せた対策企画。
「本番の作問者が、どのような題材を、どのくらいの量・質で出題しようとしているのか」を究明し、本番で好成績を残すために必要な知識セットを適切に準備できるようにする。
2-2. 期待値型 (「速度重視」で「全体重視」)
本番の「押しやすさ (押しにくさ)」を再現することを念頭に、問題群の文体・難易度の分散・ジャンルの分散などを本番に寄せた対策企画。
「知っている問題はだいたい何問に 1 問出題され、だいたい何文字くらいまで聞くことができるのか」を究明し、本番で行うべき早押しクイズの立ち回り方を適切に準備できるようにする。
このように、対策企画には「ペーパー型」「押しポイント型」「ジャンル型」「期待値型」の 4 タイプがある、というのが今回の主張です*2*3。
対策企画には実は4タイプくらいあります(注:キャプションはFeより)
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それでは、本番の大会でどうしても勝ちたいあなたは、どのタイプの対策企画を開けばよいのでしょうか。
4 タイプを導入するにあたって最初に挙げた、「知識量重視 vs. 速度重視」「個別重視 vs. 全体重視」の 2 つの軸について分析しながら、それぞれのタイプの特徴を考えてみましょう。
A. 「知識量重視 vs. 速度重視」
ここでは「準備の手間」「プレイングの有効範囲」の 2 点から検討してみましょう。
A-1. 準備の手間: 知識量重視 < 速度重視
「知識量重視」の企画は比較的少ない労力で準備できます。なぜなら題材を的中させた時点で「ペーパークイズで書けるようにしたい」という目標はほぼ達成される以上、一生懸命問題文を当てにいく必要まではないからです。しかも「どんな題材を選ぶか」という唯一の関門についても、大会運営が事前公開している「本番のジャンル表」、もし無かったとしても「傾向が似た大会の問題集」や「出題者が過去に作った問題集」などを的中のヒントに使うことが可能です。
ですがこれが「速度重視」の企画ということになってしまうと、「どんな題材が出題されるか」に加えて「どんな切り口で出題されるか」「どんな順番で情報が提示されるか」まで当てにいかなくてはなりません。さらに、こうした問題文の作り方は作問者個人の (言語化すらされていない) 感性に寄るところが大きく、ジャンル表や過去問などの公開情報とにらめっこしたところでなかなか当てられるものではありません。素材選びさえ間違えなければよい「知識量重視」の企画と較べると、完成形まで寄せに行く必要のある「速度重視」の企画は、より準備に手間のかかるものと言えるでしょう。
A-2. プレイングの有効範囲: 知識量重視 < 速度重視
「知識量重視」の対策が実を結ぶ場面は限られています。具体的には「ペーパークイズ」「少人数の早押し」「超難問による早押し」など、対戦相手に解答権を奪われてしまう可能性が 0 または 0 に近い場面だけです。このような場面では、答えを知っていさえすればよいので、その問題の題材に見覚え・聞き覚えがあれば、たとえ問題文中のほかの情報を知らなくとも加点が期待できます。
ところがクイズの大会には、平易な問題を大人数で押し合うラウンドや、強者揃いの決勝ラウンドのような、解答権を取ることの難しい場面がつきものです。このような場面ではまともに問題を最後まで聞かせてもらえないので、答えを知っているだけではなかなか太刀打ちできません。ここを解決するためには「速度重視」の対策が必要となります。「速度重視」での対策を積むと、ただ答えとなる素材を知っているにはとどまらず、その知識を実際に出題される形で認識できます。最速で押す準備ができているとなれば、激しい押し合いのなかでも競り勝つことがある程度は期待できるでしょう。
以上の議論を総括すると、次のようになります。
「知識量重視」の企画は題材さえ当たればいいので、準備は比較的容易なのですが、解答権争いが緩い場面でないと成果が出ないことがあります。反対に「速度重視」の企画は問題文の形状まで当てにいかねばならないので、準備は比較的大変になりますが、早押しの競争が熾烈になっても耐えうる武器を作ることができます。B. 個別重視 vs. 全体重視
ここでは「準備の手間」「対策成果の振れ幅」「プレイングの再現性」「対策の応用性」の 4 点から検討してみましょう。
B-1. 準備の手間: 個別重視 < 全体重視
A-1 と同じテーマですが、ここでは「個別重視」と「全体重視」を比較します。
「個別重視」の企画は、準備の手間が比較的少なくて済むと言えそうです。1 つ 1 つの問題が的中しさえすれば、全体のバランスがかなり歪になったとしても、「個別重視」の対策企画としては成功と言えます。そのため、ジャンルの配分や全体的な押しやすさの再現にはそこまで気を使わなくて済みます。
しかし「全体重視」の企画は、1 つ 1 つの問題が当たればよいというものではなく、問題群として見たときの顔ぶれまで再現しなくてはなりません。問題群全体としての性格というものは、問題群を構成する数十問や数百問 (問題群によってはそれ以上の数) を概観して初めて浮かび上がるものであり、「この 1 問を加えたら、問題群全体の印象はこんなふうに変化するだろう」などと予見することは至難の業です。そもそも、「全体重視」と言っても対策企画である以上、本番では絶対に出ない問題を何問も何問も繰り出すわけにはいかないので、ある程度は「当てに行く」必要があるでしょう。こうなると「全体重視」の企画は「個別重視」の企画にも通ずる準備をある程度こなした上で、全体調整という面倒な作業を飲む必要があります。
A-1 と合わせると準備の手間は「知識量重視 < 速度重視」「個別重視 < 全体重視」ということになりますから、知識量重視・個別重視の「ペーパー型」が一番簡単に準備できて、速度重視・全体重視の「期待値型」が一番手こずるという具合になります。残る「押しポイント型」と「ジャンル型」はどちらが作りやすいかについては、ひとまず保留といたします*4。
B-2. 対策成果の振れ幅: 個別重視 > 全体重視
「個別重視」の企画、つまり 1 問 1 問を的中させるような対策方法は、当たるか当たらないかがすべてです。むろん問題が的中すれば大きいですが、的中しなければ得点にはつながりません。しかも、対策とずばり同じ問題が出なければ本番で加点できないので、「対策企画と同じジャンルだが題材が違う問題」「対策企画と同じ視点で作られたがジャンルが違う問題」のようなニアミスをしてしまうと、なかなか部分点をもらうことができません。それでも、自分で作った問題というものは意識に強く残りますから、もし的中したときには高い効能を発揮します。総じてハイリスク・ハイリターンな対策方法と言えます。
これに対し、「全体重視」の企画、つまり本番の問題群がだいたいどんな感じなのかを理解しようとする対策方法は、個別の問題が当たらなくても成果を発揮してくれます。これは、「個別重視」の対策企画には「その準備自体のなかで直接役に立つカードが手に入る」という性質があるのに対し、「全体重視」の対策企画には「企画後の対策効率を引き上げてくれる」という性質があることが関係しています。「全体重視」の企画を開くと、「本番に向けてどのような準備をすべきか」「本番で何をすべきか」が身体でわかってきます。それに基づいて本番までの残り期間で鍛錬してくることで、対策企画と類似の問題、隣の知識なんかにも対処できるようになるのです。このように、ジャンル全体、出題範囲全体が得意になり、ふだんの学習効率がまんべんなく上がる「全体重視」の企画ですが、その代償として 1 問 1 問を大事にする意識がどうしても疎かになってしまうあたりが悩みどころです。確かにその問題がずばりと当たらなくても、得点できるチャンスが幾分か残されはするのですが、それでも「個別重視」の対策でその問題をピッタリと当ててきた他の参加者よりも早く正確に答えることは望めません。総じて「全体重視」はローリスク・ローリターンと言えそうです。
B-3. プレイングの再現性: 個別重視 > 全体重視
「個別重視」の対策企画を開くと、極めて使い勝手のよい武器が手に入ります。対策問題と同じ後限定のペーパー問題には同じ答えを記入すればよいし、対策問題と同じ前フリの早押し問題には同じ答えをレスポンスすればよいのです。また、このことは企画者当人だけでなく、対策企画に参加してくれた仲間たちにもあてはまることです。仲間の対策企画が自分にとって有用だとさえ確信できれば (詳しくはこの後の B-4 で書きます)、対策企画の問題たちを吸収し、その成果を壇上で容易に発揮することができるでしょう*5。
一方、「全体重視」の対策企画の効能は、そのジャンルにちょっと詳しくなるとか、特定の類型の問題文にちょっと鼻が利くようになるといった一見あいまいなものでしかなく、「同じ問題に同じ答えを返す」という決まりきった手順に頼って得点することはできません。先ほどの B-2 で「全体重視」の企画の性質について「完全に的中しなくても得点のチャンスがある」と分析しましたが、その得点のためには自分自身のゲームメイクスキルによって、対策の成果を日々の学習や当日のプレイングへと「応用」する必要があります。得られた武器からどれくらいの成果を引き出せるかがその主の力量に依存しているとなれば、対策の成果をほかの人に分かりやすく共有することもむずかしいと言えます。包み隠さずに言ってしまうと、参加した企画がどんなに本番っぽいものであったとしても、本番とまったく同じ問題が含まれていないのなら、参加するだけで当日の得点を 1 点 2 点と増やせるなんてことはありません。何がどのくらい得られるかは参加者次第となると、対策企画に来てくれた仲間に報いるにも一工夫が必要になります。
B-4. 対策の応用性: 個別重視 < 全体重視
「個別重視」の対策企画には、企画者当人が抱く特定の目的意識に強く引っ張られやすい、という特徴があります。極端な例になりますが、あなたが「生物学にあまり詳しくないから、生物学の問題に触れておきたい!」と思ったのなら、本番の大会に出されそうな生物学に関するクイズだけを 50 問なり 100 問なり作って、「個別重視」の対策企画としてリリースしたっていいわけです。そうすればあなたは所期の目的を達成できるでしょう。しかし、生物学のクイズに強くなったところで、生物学以外のクイズにはそんなに強くなれません。それに、対策企画に参加してくれるあなたの仲間にとっては、生物学の問題に興味がない限り、そんなに対策にはならないかもしれません。ここまでの例は少ないにしても、とにかく「個別重視」の企画を構成する問題は「あなたがいま欲しいカード」に偏在するきらいがあります。
これに対して「全体重視」の対策企画を作ろうと思ったなら、本番の問題セットがどのように組まれているのかを考え、そして再現する必要があります。この場合、先述の「生物学の問題だけをひたすら作る」というような局所的作問は基本許されず、当日の問題群を構成するさまざまな類型の問題を、自分の趣味嗜好や知識体系とは無関係にまんべんなく用意せねばなりません。このようにして準備された対策企画は、特定のカードを増やす手段としては少々遠回りです。しかし、あなたが企画終了後、さらなるクイズの鍛錬を続ける過程で、あるいは当日の大会に参加している過程で、それまで考えもしなかった課題に直面したときに、「全体重視」の対策は真価を発揮します。「全体重視」の対策企画を通じて得たクイズ観や戦略を組み合わせることで、その未知の課題に新しい解決策をぶつけることが可能となるのです。そしてあなたのみならず、あなたが作った対策企画に参加してくれた仲間たちにとっても、「全体重視」の対策企画は一人ひとりが新規の課題をあぶり出すことのできる、またとない実践練習の機会となるのです。
以上をまとめると、「個別重視」の企画は、問題が的中したときのラッキーをわかりやすく最大化する対策方法であり、企画者当人がいま意識している課題に特化したものとなる傾向にあります。一方、「全体重視」の企画は、問題が的中しなかったときのアンラッキーを器用に最小化する対策方法であり、さまざまな課題への応用可能性を秘めたものとなる傾向にあります。
ここまでの議論をもとに、対策企画の 4 タイプについて検討してみると、次のようになります。
1-1. ペーパー型 (「知識量重視」で「個別重視」)
「私はペーパークイズでこういう問題が書けるようになりたい」という対策意識に基づき、1 つ 1 つの題材の的中を目指す。
ペーパークイズや少人数早押し、難問早押しなど、解答権争いのゆるやかな場で上振れを狙う。ペーパークイズで 1 位を取りたい人、ペーパークイズのボーダー下から何とか抜きん出たい人、早押しクイズでほかの人が知らない問題を取りたい人などにおすすめ。
1 問 1 問の題材さえ当たればよいので準備は一番簡単。得意ジャンルの問題だけ作り続けてもよいし、苦手ジャンルだけ集中的に作るのもあり。対策企画さえ打っておけばすぐに成果が出る点もお得。そして何より「こんな問題が出そうだな」「こんなのが出るかもしれないな」などと予想することそれ自体が楽しい。対策問題が当たったのなら「この問題が出た!」と喜べばいいし、外れたとしても「こういう問題を作ればよかったのか!」と発見を持ち帰ればよい。「ペーパー型」の対策企画を作ることには、「知識のやりとり」としてのクイズにおける最も基本的な楽しみが詰まっており、総じて「自分だけの勉強ノートを作る」という趣がある。
気をつけなくてはいけない点は、「欲しい知識を手に入れる」以外の目的にはアプローチしづらいこと、単独正解欲しさにマニアックな問題を当てようとすると失敗する確率が高いことなどが挙げられる。覚えづらい問題・企画者目線で出したい問題が比較的多く混じるタイプの企画なので、ほかの人にとってはそこまで覚えやすくなく、企画に参加したライバルにきっちり暗記されてしまうことも意外と少ない。ただ、せっかくの的中問題を仲間が覚えていなかったときは少しがっかりする。
1-2. 押しポイント型 (「速度重視」で「個別重視」)
「私は早押しクイズでこういう問題が押せるようになりたい」という対策意識に基づき、1 つ 1 つの問題文の的中を目指す。
多人数・易問での早押しや大会の上位ラウンドなど、解答権争いの激しい場で上振れを狙う。早押し強者同士で最後に差をつけたい人、早押しが出遅れがちで自分だけの押しポイントが欲しい人、答えは簡単だが押しポイントで差のつく問題を取りたい人などにおすすめ。
題材のみならず問題文まで的中させねばならないが、1 問 1 問のことだけを考えていればよく、総じて準備の手間はそこそこ。早押しにおけるトップスピードを追求する対策企画であり、企画が完成すればその瞬間に強力な武器が手に入る。企画当日に自分で問読みして問題を耳で覚えれば強く印象に残るはず。狙い通りの問題文で出されないと対策の効力が十全に発揮されないとはいえ、一つの知識をどんなフリで出題しようかとあれこれ模索していれば、多面的な知識を身につけることも一応可能。1.1「ペーパー型」が勉強ノートだとすれば、こちらは「自分だけのフラッシュ・カード」というところか。
注意点としては、尖った武器を生み出す代償として出題範囲全体の精度がおろそかになりやすいこと、マニアックな前フリを狙いすぎると身を滅ぼすことなどが挙げられる。また、耳で問題を覚えられるのは自分だけでなく対策企画の参加者も同じであり、的中問題を仲間が覚えてくれる可能性は高い反面、的中問題をライバルにきっちり横から取られてしまうことも珍しくない。余談だが、本命の早押しクイズではなくペーパークイズで対策問題が的中してしまうと、「せっかく最速で押せるようにしてきたのに……」と少しがっかりする。
2-1. ジャンル型 (「知識量重視」で「全体重視」)
「本番の問題セットはどのようなカテゴリーの題材で構成されているのかを理解する」という対策意識に基づき、問題群全体の出題範囲の再現を目指す。
ペーパークイズや少人数早押し、難問早押しなど、解答権争いのゆるやかな場で下振れを避ける。向き不向き関係なくペーパークイズで確実に成績を残したい人、早押しの武器うんぬんより知識そのものを充実させたい人、早押しで相手の苦手ジャンルを拾いたい人などにおすすめ。
全体のジャンルに気を使わなくてはならないので準備はまあまあ面倒だが、出題範囲さえ当たればよい点は救い。それぞれのジャンルから適切な題材を選定しなくてはならないため、ジャンル全体にまるごと詳しくなることが可能であり、ほかの大会にも通ずる強さを獲得することができる。1-1「ペーパー型」と関連した話になるが、「何でも知っている人を目指す」という意味では、クイズの稽古として最も原初の姿勢、と言えるかもしれない。総じて「優れた虎の巻を作る」趣がある。
あらゆるカテゴリーを網羅するということは器用貧乏に陥りがちということでもあり、特定の問題・ジャンルを集中的に極めてきた相手に押し負けたり、深い問題に対処できなかったりすることがままある。また、「ジャンル型」の対策で本番の大会に臨むのならば、対策企画を打って終わりにするだけでなく、対策企画を踏まえてのさらなる知識収集も大切。対策企画の落成に満足し、知識の増強に取り組まないまま本番を迎えてしまうと、「このジャンルが出ることはわかっていたのに勉強不足で答えられなかった……」という悲しい事態に見舞われたりもする。
2-2. 期待値型 (「速度重視」で「全体重視」)
「本番のゲームはどのくらいの速度感で進行するのかを理解する」という対策意識に基づき、問題群全体の押しやすさ (押しにくさ) の再現を目指す。
多人数・易問での早押しや大会の上位ラウンドなど、解答権争いの激しい場で下振れを避ける。どんなプレイヤーと同席しても勝ち筋を見つけ出せるようになりたい人、ゲームとしてのクイズを極めたい人、完全に初見の問題を早押しで正解したい人などにおすすめ。
個別の知識をどう切り出すかを精査せねばならず、しかも問題群全体で難易度や押しやすさの分散を調整せねばならないので、準備には緻密な研究と繊細な肌感覚が求められる。しかし「期待値型」の企画を完遂すると、初見の問題でもどこで押すべきかがわかるようになったり、他のメンツや得点状況に応じて早押しのギアを絶妙に調節できたりと、本番のイレギュラー要素にはとことん強くなる。また、準備を通じて得たタクティクスは、たとえ大きく傾向の違うクイズ大会であっても (果てはクイズですらない場面においても) 発揮できることがある。1-2「押しポイント」型の目的が「トップスピードの向上」にあると言うのなら、こちらの目的は「コース全体でのタイムの短縮」にあると言えよう。総じて「優れた模擬試験を作る」趣がある。
注意点としては、2-1「ジャンル型」以上に本番で何をするかにかかっている点、「いい企画を作ったはずなのに、どんな能力が向上したのかはよくわからない」という不安に陥りうる点、プレイング面に重きを置く対策企画であるため知識面の増強がおろそかになりがちな点などが挙げられる。企画後は本番を強く意識して実践練習に臨み、プレイングのさらなる洗練に励もう。そして繰り返し気味になるが、4 タイプの中では準備負担が最も重い。そのため、「何人のメンバーで」「どれくらいの期間で」「どれくらいの問題数を」準備するかなど、企画そのものの実行可能性から検討が必要となる。
戦いは「どの企画を打つか」から始まっています(キャプションはFeより)
◇
以上のように、4 タイプの対策企画には、それぞれ長所と短所があります。
大切なことは「自分が本番の大会で活躍するためには、どんな対策が必要なのか」を見つめ、自分のリソース (現在の知識量、現在のクイズ力、準備期間、一緒に準備してくれるメンバー etc.……) と相談しながら、適切な対策企画を準備することです。準備にあたっては、ここで挙げた 4 タイプのアウトラインを理解した上で、それぞれのタイプの長所を活かしつつ、それぞれのタイプの短所を補う*6よう意識すれば、あなたの理想とする対策企画にきっと近づけるはずです。
今後、あなたが対策企画を準備してみたり、誰かの対策企画に参加してみたりするときは、ぜひこの記事の内容を思い出してみてくださいね。
参加人数: 124名
1R 筆記クイズ1位: 倉門 怜央(83点/100点)
Winning Answer:「黒曜石」
(長野県の和田峠/や霧ケ峰が産出地として有名な、矢じりなどの打製石器の素材となった黒いガラス質の石を何というでしょう?)
優勝: 倉門 怜央
準優勝: 鈴木 嵩琉
第3位: 須藤 駿
準決勝進出: 萬谷 祥輝
準決勝進出: 渡辺 匠
準決勝進出: 中田 陽介
準々決勝進出: 水上 颯
準々決勝進出: 川田 耕太郎
準々決勝進出: 宮石 陸
準々決勝進出: 上野 李王
準々決勝進出: 林 寛昭
準々決勝進出: 小林 逸人
ーーーーーーーーーー
また、当日の1Rで出題した100問筆記クイズの問題と解答、各種ボーダーを公開します。
筆記1位: 83点(前半正解数差)
シードボーダー(5位): 81点(前半正解数差)
2R 3〇獲得ボーダー(9位): 80点
2R 2〇獲得ボーダー(17位): 77点
2R 1〇獲得ボーダー(29位): 75点
2R 通過ボーダー(53位): 69点(連続正解数差)
※10月8日追記
筆記クイズ51番の問題について、出題の不備に関するご指摘をいただきました。
再調査の結果、不完全な調査に基づく出題をしていたことが発覚しました。
1日の結果に大きく影響する内容であり、参加者の皆様に大変申し訳なく思います。この件につきまして、心よりお詫び申し上げます。
本件の詳細と正誤の対応について、上記の「1R 百年闘争【解答】」および問題集に追記致しました。今一度ご確認いただけますと幸いです。
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大会にご参加いただいた皆様、誠にありがとうございました。
「何年闘争」になるかはわかりませんが、もし次の機会がありましたら、またよろしくお願い致します。
(この記事は大会まで常にブログの1番上に表示されます)
大会名: 三十年闘争
開場: 10時00分
1R開始:11時00分 10時40分
終了(予定):18時30分 19時00分
※スケジュールの再検討を行い、開始と終了の時刻を変更させていただきました。
直前の変更となり、大変申し訳ございません。何卒ご理解のほどよろしくお願い致します。
主催: 廣瀬哲
参加費: 高校生以下500円、大学生以上1000円
見学: 可(参加費と同等の見学費をいただきます)
コンセプト: 主催の30年間に一区切りを付けます
問題傾向: 易~やや難
定員:150人
※1R筆記クイズによる絞りを設ける予定です。
エントリーフォーム・エントリーリスト→こちら
観戦申し込み→こちら
事前チケット購入(Peatix)→こちら
①開始時刻・終了時刻について
直前の変更となり大変申し訳ありませんが、スケジュールを再検討し、開始時刻を10時40分に、終了時刻を19時00分に変更しました。
変更前:11時00分開始~18時30分終了
変更後:10時40分開始~19時00分終了特に遠方からご参加くださる方に大変ご迷惑をおかけすることとなり、申し訳ございません。
既に確保した交通手段などの都合で新しい開始時刻に間に合わないという方がおりましたら、事前に 30ytosoquiz[at]gmail.com までご連絡ください([at]を@に変えてメールをご送信ください)。
1R筆記クイズの遅刻受験を検討致します。
②チケットページの開設について
Peatixのチケットページを開設いたしました。エントリーを完了した方は、当日までにチケットの購入をお願い致します。
購入の際、各自の参加区分を間違えないようご注意ください。
※エントリーの際、「プレイングスタッフ:可」と多数の方にご回答いただきました。誠にありがとうございました。
諸事情を鑑み、今回は20名ほどの方にプレイングスタッフをお願い致しました。こちらからご連絡を差し上げた該当者の方は、チケット購入の際「参加-採点プレイングスタッフ」の区分を選択してください。
③当日の持ち物について(9/11追記)
当日は、1R筆記クイズの受験のために筆記用具が必要となります。また、会場(小松川区民館ホール)には机がありませんので、**クリップボード**なども忘れずにご持参ください。
※問題集や本・雑誌などを下敷きとして用いることは不可と致します。何卒ご了承ください。
④観戦申し込みついて
直前となりましたが、観戦申し込みを開始致しました。
希望者の方は、下記フォームへの回答とPeatixでのチケット購入をお願い致します。
「三十年闘争」Peatixチケットページ(②のリンクと同一のページにアクセスします)
例題を公開します。
今回、同じ40問を掲載したファイルを「筆記クイズver」と「早押しクイズver」の2様式で用意しました。
答えを隠しながら問題を読みたいという方は「筆記クイズver」を、
答えを隠さなくてもよい、もしくは早押しクイズの形で問題に触れたいという方は「早押しクイズver」をご利用ください。*1。
併せて、以前の記事で書いた「出題傾向と形式」の内容に照らし合わせながら、簡単に補足を行います。
・大まかには「短文基本」という出題思想に立ち、
1問1問の単位では一応「短文基本」の考え方を念頭に置きましたが、問題群を組む上ではあまり意識を置かないことにしました。そのため、全体としては少し(もしくはだいぶ)違った印象を受けるかと思います*2。
今回、問題文の文字数はふりがな抜きで「原則70文字以内」としています。これを超えているものは全体の5%以下で、平均文字数は55文字台です。
・「自分に作れる問題」を作ります。
ほぼ手なりで作っており、かなり手癖が出ています。
なお、ジャンル間のバランスは例題であまり再現できなかったので、あまり参考にし過ぎないでいただけると幸いです。すみません。
・「ゲームをデザインすること」 当初考えていた構想があったのですが[*3](#f-f332c65c "各プレイヤーの "中間地点" にあるような問題を出題することで、「各自の安全圏にある問題の取り合い」というよりは、「互いの間に置かれた問題の獲り合い」をしてもらいたいと思っていました。")、技術的な問題と、方針そのものを考え直した関係とで、部分的な実現に留まっています*4。
・「書き言葉でなく話し言葉で問題文を書くこと」
過去の自分から大きく変えることは現時点で難しいと考え、そこまでは実現できていません。
以上、既にエントリーしてくださった方・参加をご検討されている方にとって、参考になれば幸いです。
よろしくお願いします。
①参加者の方へ
こちらの自動返信メールの受信を確認できなかった方は、迷惑メールフォルダに振り分けられていないかを確認した後、主催までご連絡ください。
30ytosoquiz[at]gmail.com([at]を@に変えてご連絡ください)
②エントリーが完了した方へ
Peatixのアカウントを取得した後、③のエントリーリストへの掲載を確認された方から、以下のイベントページでご自分のエントリー区分に当てはまるチケットをご購入ください。
事前準備の都合上、チケット購入の締め切りを【9月22日23時59分】としています 大会当日の購入も可能としました。
とはいえ、事前にご対応いただけると幸いです。何卒よろしくお願い致します。
③エントリーリスト
こちらからご確認ください。