退屈なエピローグはつづく (original) (raw)

会社にいて思うのが、とにかく儀礼的というか形式を重視するところだ。

やたらと敬語や挨拶、マナーにうるさいし、僕なんかは苦手だから常に気を張っている。

これがウェーバーのいう形式合理性というやつか、みたいなことを家に帰って文章書いていると思うのだけど、仕事中は必死でそんなことは考えない。

別に否定しているわけではなくて、儀礼的なふるまいを強制することが組織の運営に大きな役割を果たしていることは肌感覚としても感じるところだ。儀礼的なふるまいをみんなが完璧に守れば、相互の感情的な対立は極限まで少なくなる。結果としてみんなが効率よく仕事ができるようになるし、辞める人も少なくなるわけだ。

しかし、だ。これができない人は生きづらいだろうな、とも思うわけだ。僕も全く例外ではないわけだが……。

僕は周囲に合わせて振る舞いを選択するということができないばかりに小中高といじめられてきたが、集団の中で要領よく立ち回れない人は、学校でも会社でもどこに行こうが苦労する羽目になるのだなと思うと理不尽に胸が苦しくなる。

ウェーバーによると近代化というのは形式合理性の拡大の過程なのだそうだ(うろ覚えだけど)が、それが正しいとすると近代化が僕たちを苦しめる大きな原因だといえそうだ。さしあたってここ数十年はWeb技術(インターネットって言葉は最近嫌な使われ方をしているから使いません)が近代化の最前線といえそうだ。だから敵のことを学んでなんとか一矢報いなければいけない。

とはいうものの、僕がこういうのは、別に本当にそれがやりたくて言ってるわけではない。本当は、会社での居心地をよくするためにITの力を身につけなければいけなくて、でもそんなことのために頑張るというのは格好がつかないから、「企業社会に呑み込まれていませんよ」というポーズをとるために言い訳をしているにすぎない。

そうしなければバランスが崩れてしまう。

何かを、捨てなければいけなくなる。

こうするしかない、と、思う。

仕事を始めて半年たったようだけど、なんだか全然うまくなったような気がしない。

仕事をうまくなって会社での居心地をよくしようとはいうものの、それはどちらかといえば居心地が悪くならないようにしようという話であって、なんだかそのために頑張ろうという気にはあんまりならない。早くお金貯めてなんでもできるようになりたいが、一生のうちにそんなことができるような気もしない。

仕事してたら一日が終わっちゃうよ。嫌だ。エネルギー全部仕事に持ってかれて、いつまでこんなことを続けなければいけないんだろう。

そろそろ真面目にプログラミングの仕事上手くなるためにいろいろ訓練を積もうと思い始めてきた。仕事を頑張らなければ職場の居心地が悪く、仕事を頑張るなら普段の時間が削られる。

あ、今僕は「普段の時間」のことを「プライベートな時間」って書こうとした。言葉が企業中心主義的なものに犯され始めている。

どうしてか会社では「仕事が人生でもっとも重要なものだという発想」が自明視されている気がする。否、だれもそんなことは思っていないと思うのだが、複雑な官僚制でコントロールされた会社全体を包み込むように根を張る権力によって、そう振舞うことを強いられている。これはどこの会社に行っても同じだろう。人と人との繋がりが仕事にしかないような場所では、規律権力が相互の信頼を担保するようになるのだと思う。

時々、その冷たさに空恐ろしくなるときがある。やがてそれも慣れてしまうのだろうか。とにかく権力が必要だ。仕事を早くできるようにならなければと焦っている。

今日こそは原稿の進捗を生まなければならない日だったが、寝てしまったりしてうまく進まなかった。キーボードを新しく買ったのだが、まだ操作に慣れてなくて打つのに苦労している。文字がうまく打てないと思考も走らない。

いつまでも読まなきゃいけない資料が(漫画だけど)読み終わらないでいる。

気づいたら明日仕事だし、休みは楽しかったかもしれんけど、最近は自分人生にできることの限界が見えてしまって辛い。

とりあえず一刻も早くスマホをやめたい。手や腕も痛めるし、不愉快な時間の使い方をさせられるし、いいことがない。ブログもTwitterもPCだけでこなしたい。もう二度と使いたくない。

会社の居心地が悪い。僕があの会社で一番プログラミングができなくて、熱意もないからだと思う。

ここ最近は業務時間外でプログラミングのことはやらないようにしていたが、そうやって生きるのは僕には向いてないらしい。

大学にいた頃は漫画に対して熱意をもって取り組めていたから、漫トロの居心地が本当によかった。人文系の界隈の居心地はほんの少し悪かったけどね。

この居心地の悪さが活動時間の大きな部分を占める生活に、自分は耐えられないだろうな、と気づいてしまった。この仕事を長く続けるならちゃんと熱意をもって取り組んだ方が僕の精神衛生上よさそうだということらしい。一方で会社のネオリベな感じ(自己実現至上主義という言葉を僕は好んで使うのだが)に染まるのが嫌なので、真面目にマルクス主義やら精神分析やらキリスト教やら社会福祉やらを勉強しなければという気持ちにもなっている。時間がどう考えても足りない。普通に友達と遊んだりもしたいし、そうなると三人分の時間が必要になる。睡眠時間を削るのはありえないし、何かをどうにかするしかない。

何を捨てる?

やはり、そろそろTwitterをやめる時期なのかもしれない。

Web技術が憎い。インターネットの大衆化の歴史は、「みんなの目」が隅々まで行き渡って自由でいられる場所がなくなっていった歴史だと思う。でもこの現実を生きるからにはWeb技術に乗っかるしかない。だからブログも書くし、Twitterにリンクも貼る。そうやって少しずつ自由な場を広げていくのが抵抗だ。もちろん全部好き勝手に喋れるわけじゃないけど、なるべく。ね。