トラブルメイカー (original) (raw)

Back to the day

作詞:相川七瀬

作曲:柴崎浩

目を掠める記憶

止めどないよデイドリーム

心が君を探してる

あの日のリフレインが

胸を切なくする

君にまた会いたくて

(Back to the day)

違う昨日があれば

(Back to the day)

違う未来に変わる

(Back to the day)

もう一度出会い直せたらきっと

Back to the day

翼があれば微笑む君の側へ飛んでゆきたい

永久の恋に射ぬかれてる

白い思いが舞い降りるよ

素直になれなくて

言えなくてごめんね

キスする距離にいたのにね

切ないリグレット

取り返しつかない

君にまた会いたくて

(Back to the day)

人を愛することは

(Back to the day)

たやすくないと知った

(Back to the day)

それでも繰り返してゆくよ ずっと

Back to the day

心の羽で自由に羽ばたけたら

飛んでゆきたい

いつか君のあの空へと…

白い思いが降り注ぐよ

Back to the day

翼があれば微笑む君の側へ飛んでゆきたい

Back to the day

心の羽で自由に羽ばたけたら

飛んでゆきたい

いつか君のあの空へと…

白い思いが降り注ぐよ

タイトルは、Back to the day。

訳すと、あの日に戻るという意味になる。

主人公が指すあの日とは。

歌詞を深読みしながら探っていきたい。

「目を掠める記憶 止めどないよデイドリーム 心が君を探してる」

「目を掠める」とは、人に見られないように密かにするという意味である。

続く言葉が「記憶」なので、ここは密かに思い出していると解釈する。

「止めどない」とは、止まるところがない、つまり、終わりが無いという意味。

daydreamは空想のことなので、終わりの無い空想となる。

そして、主人公は、君と呼ぶ誰かのことを探している様子。

心が君を探すとあるため、割と強い気持ちを持って求めていることがわかる。

「あの日のリフレインが胸を切なくする

君にまた会いたくて」

refrainとは、詩や楽曲の各節最後の部分を繰り返すことで、ここでは繰り返しという意味で使われている。

あの日とは、どんな日を指しているのだろうか。

胸を切なくするなら、きっと悲しい出来事なのだろう。

もしかしたら別れの日のことかも知れない。

となれば、この主人公は未練を抱えているのだろう。

君については、まだ彼か友人かはわからないが、また会いたくなるほど魅力的な人であるようだ。

「違う昨日があれば違う未来に変わる

もう一度出会い直せたら きっと」

昨日は過去なので、誰にも変えることは出来ない。

その過去は現在や未来につながっているため、今2人が離れているのだとしたら、それは過去に何かの事件があったからだろう。

主人公はその事件の結果を変えることが出来れば、未来も変わり、良い結果になるはずと思っていて、もう一度出会うところから始められたらきっと上手くやれるはずなのにと、過去の何かをとても後悔して、たらればを述べている。

しかし、それは叶わない願いであり、切なさを感じる歌詞である。

「Back to the day

翼があれば微笑む君の側へ飛んでゆきたい」

あの日に戻りたい、そして君の側へ行きたいという主人公の気持ちが表現されている。

翼があれば飛んでいくという歌詞から、早く行きたいという思いが見える。

あるいは、遠く離れたところへ行く時に飛行機を使うように、会いたい相手が遠方にいることを表しているのかもしれない。

微笑む君という言葉から、笑っている印象が強い人だとわかる。

主人公と会う時は、よく微笑んでくれたのだろう。

そんな愛しい相手への思いが表現されたかしあである。

「永久の恋に射ぬかれてる

白い思いが舞い降りるよ」

永久の恋とは、永久に思い続ける恋心だろうか。

射るは的に矢を当てる行為を指し、射抜くは、その的を貫く状況である。

つまり、永久に思い続ける恋という矢が、自身のハートに当たり貫かれているという解釈になる。

そこに白い思いが舞い降りる。

ここの白いとは、純白のウェディングドレスと同じ汚れのないという意味だろう。

今でも…。

作詞:相川七瀬

作曲:織田哲郎

足早に近づいてる 夏の匂いと耳鳴り

ラジコンを飛ばす少年

あなたのいない毎日 無理に忙しく生きてる

やきつくあの日のさよなら

青空のフレームに あの笑顔思い出せば

胸が痛くて切ないね

今でも… 覚えてるよ あのぬくもりを

夏に響いたSay-good bye

変らないでね そのままで

大好きだった笑顔だけは

もう新しい毎日を 不自由もなく暮らしてると

風が運ぶ辛い噂

笑い合った遠い日 嘘になった約束

あの日の二人忘れない

今でも… 愛してるよ この場所から

夏に預けたイノセンス

いつか思い出になるでしょう?

すべてを胸に抱きしめて

今でも… 覚えてるよ あのぬくもりを

夏に響いたSay-good bye

変らないでね そのままで

大好きだった笑顔だけは

タイトルには「…。」が付いていて、余韻を残している。

主人公には、今でも鮮やかな記憶として思い出せる印象的な出来事があるのだろうか。

歌詞を深読みして、その気持ちを探っていきたい。

「足早に近づいてる 夏の匂いと耳鳴り

ラジコンを飛ばす少年」

冒頭は、倒置法を使った始まり。

「足早」とは、歩くのが早いことで、時が素早く経過する意味として使われる。

つまり、時が素早く経過して、夏の匂いと耳鳴りが近づいているという解釈になる。

「夏の匂い」とは、何だろうか。

夏は物体では無く、それ自体に匂いは無い。

そこで、夏をイメージするものの香りを当てはめて、「夏の匂い」として使われているようだ。

例えば初夏の新緑の香り。

これはフィトンチッドという成分が発する香りで、リラックス効果がある。

他には、海風に乗る潮の香りなど直接的なものから気温の上昇に伴う蒸し暑い熱気まで、夏の匂いにもいろいろある。

主人公は、夏が近づいていることを実感しているため、季節は晩春か、初夏だろう。

耳鳴りは、耳に連続して起こる音の響きをいう言葉で、煩わしいものでもある。

そう考えると、ここでは蝉の鳴き声を意味しているのでは無いだろうか。

直接的に考えれば、主人公は夏になると耳鳴りが起こるという解釈になるが、このマイナスな解釈は、良い思い出を思い出してまた来る夏に期待を覗かせるこの曲には似合わないため、やはり比喩的に使っていると考えたい。

飛ばすというフレーズから、このラジコンは車では無くヘリコプタータイプだとわかる。

現代ならドローンといったところか。

それを少年が飛ばして遊んでいる様子を、主人公は見ているのだろう。

あるいは、ダブル倒置法になっていて、「ラジコンを飛ばす少年」が、夏の例えの比喩として使われているという解釈もできるが、真実はいかに。

「あなたのいない毎日 無理に忙しく生きてる

やきつくあの日のさよなら」

「あなた」とは、誰だろうか。

恋人か、友達か、それとも愛するペットか。

主人公にとっては、常に近くに居た存在なのだろう。

その大切な存在がいない毎日を、主人公は過ごしている。

それは寂しいものであり、まぎらわすために、「無理に忙しく生きている」のだろう。

「焼きつく」とは、強く思い出として残るという意味であり、それほどまでに別れの日が辛いものであったことを示している。

引越か、争いか、心が離れたのか、理由まではわからないが、さよならという言葉から、遠くへいってしまったとわかる。

「青空のフレームに あの笑顔思い出せば

胸が痛くて切ないね」

「青空のフレーム」には、2つの解釈が出来る。

1つ目の解釈は、比喩として使っている場合である。

接続詞の「の」により、2つの言葉が接続されているが、それぞれの言葉の意味からすると、直接的には組み合わすことができないフレーズであるため、比喩を使い、言葉として成り立たせていると解釈する。

青空を見上げて、その一部を「フレーム」に見立て、親しかった人の笑顔を思い出している状況である。

2つ目の解釈は、写真立ての「フレーム」の絵柄が青空であるという直接的な見方である。

実際の青空では無く、描かれた青空であるが、「青空のフレーム」にはなるだろう。

胸が痛いは、比喩として使っていて、笑顔を思い出して感慨深くなる様を表現している。

「今でも… 覚えてるよ あのぬくもりを

夏に響いたSay-good bye

変らないでね そのままで

大好きだった笑顔だけは」

ぬくもりとは、温かいものであり、優しいものでもある。

それを時が経っても覚えていると伝えている。

Say-good byeの訳は、さよならを言うであり、響くという言葉から、それなりの大きな声で言ったものであろう。

主人公は、相手の笑顔が大好きだったので、時が経っても変わらないで欲しい、そのままでいて欲しいと願っている。

きっとさよならを伝えられた別れの日も、相手は笑顔だったのだろう。

だけという言葉が使われていることから、他の部分は変わってしまうとしても、笑顔はあの時のまま残って欲しいという願いがあるようだ。

それは、笑顔がその相手を端的に表しているからだろう。

「もう新しい毎日を 不自由もなく暮らしてると風が運ぶ辛い噂」

毎日を不自由無く暮らしていることは、喜ばしい話なのだが、主人公は何故か辛いと言っている。

主人公は一緒にいた時間がとって楽しいもので、離れてから無理に忙しく生きるほど寂しくなったために、相手も同じだろうと思っていたのだろう。

しかし、耳にした噂は、不自由なく暮らしているという話だった。

主人公は自分の心情との違いに、驚き、少し落胆したのだろう。

だから辛いという表現が出てきたと考える。

離れてもうまくやれていることを、素直に喜べない主人公の切なさを感じる歌詞だ。

「笑い合った遠い日 嘘になった約束

あの日の二人忘れない」

笑い合った日も今や随分過去の話になってしまったので、遠い日として表現している。

嘘になった約束とは、何だろうか。

何かを一緒に成し遂げようとしていたのだろうか。

どちらにしろ、そのことを誓い合った日の二人のことは忘れないと、主人公は強く覚えているようだ。

「今でも… 愛してるよ この場所から

夏に預けたイノセンス

今でも思うことは、愛しているという感情。

自身は動かないでいる様を、この場所という言葉で表している。

innocenceとは、無実、無罪、無邪気という意味である。

夏は一般的に開放的な季節なので、意味合いとしては、無邪気として使っているのだろう。

預けるとは、託す、任せると同義語なので、ここは夏という季節に任せた無邪気という解釈になる。

過去の思い出として、無邪気な夏があったよねという紹介をしているに過ぎないが、その無邪気な時間を今でも愛しているという倒置法である。

きっとよほど印象的な夏だったのだろう。

「いつか思い出になるでしょう?

すべてを胸に抱きしめて」

疑問符を使って同意を求めている。

今は寂しさが強いけれど、この気持ちもやがて思い出になるのだろうという主人公の思いも含まれているのではないか。

すべてとは、過去も今も含むものであり、楽しかったことも、寂しいことも、その中に入る言葉である。

抱きしめてとは、抱く+締めるであり、強い行動を表す。

意味は、抱えて、携えてと同義であり、主人公は大切な思い出を胸に、前へ進もうとしているように感じる。

今でも…。は、大切な人との笑い合った日々に思いを馳せる主人公の心情を表現した歌詞だった。

まだ若かりし七瀬が作った曲なので、主人公には、どこか若さを感じるが、今年のツアーでもラストナンバーとして歌われたことは感慨深い。

Adieu

作詞:相川七瀬

作曲:織田哲郎

澄み渡る空を飛んでゆく

翼が眩しく光った

乾いた風に消えてゆく

無邪気な昨日のカケラ達

あなたは優しい人

傷つく事も傷つける事も

きっと選べない

さよなら

ひとひらずつ舞い踊る花びらは

思い出と美しく散ってゆく

さよなら

幾千もの口づけを交わしても

あなたには帰る場所があるから

はずした指輪の跡に

あの夏の日 思い出した

いつから あなた待つ夜が

こんなに苦しくなったんだろう

抱きしめられるたび

すべて許せる そう感じてた 朝の光の中

さよなら

やって来ては去ってゆく鳥の群れに想いを

今そっとあずけて

さよなら

最後の嘘をあげるわ

私はもうあなたを愛してはいないから

さよなら

ひとひらずつ舞い踊る花びらは

思い出と美しく散ってゆく

さよなら

最後の嘘をあげるわ

私はもうあなたを愛してはいないから

タイトルはAdieu。

Adieuとは、フランス語で長い別れを告げるあいさつとして使われる言葉である。

七瀬はいったい、誰に長い別れを告げるのだろうか。

気になるタイトルの意味を知るために、歌詞を深読みしていこう。

「澄み渡る空を飛んでゆく翼が眩しく光った」

冒頭はこんな複雑な文章から始まる。

澄み渡るとは、空や水などが一面に曇りなく澄んだ様子を言い、澄むとは水や空気などに濁りが無くなり透き通った状態になること、光や色などに曇りが無くはっきり見えることを意味する。

よって、澄み渡る空とは、濁りや曇りの無い透き通った空を指しているのだろう。

そんな空を飛んでいく者は、翼という言葉から鳥を連想する。

鳥が翼を広げて空を飛んでいる時に、太陽の光が当たって眩しく光った様子を思い浮かべる。

飛ぶ鳥は移動するものという意味を持つので、去っていく姿を見たと想像することもできる。

空が澄み渡っているだけに、眩しさが強調されていて、その眩しさはこれから述べていく2人の楽しい日々を表している気もする。

鳥という動物を比喩に使い、心が離れていく様を描いた冒頭の歌詞だと思った。

「乾いた風に消えてゆく無邪気な昨日のカケラ達」

乾いた風が吹くので、季節は冬か春の初めを想像する。

後で花びらが散る様が登場することを考えると、桜が散る4月辺りだろうか。

まだ肌寒さの残る季節の風だと直接的には思うが、比喩表現として使っているなら、心に吹く風のことなのかもしれない。

タイトルが示すように、これは別れの歌である。

その点からすると、乾いたという表現を使って愛が消えていった様を描いているのかもしれない。

この文節は倒置法を使っているので、一般的には「無邪気な昨日のカケラたちが乾いた風に消えていく」となる。

ではその無邪気な昨日のカケラとは、何を指しているのか。

無邪気とは、素直で悪気がないこと、あどけなくかわいらしいこと、という意味である。

その無邪気はカケラに掛かっているが、このカケラについては、幸せな思い出のひとつひとつを指すのではないか。

思い出とは積み重なるものなので、その一部をカケラと表現し、昨日の素直で悪気のない幸せな思い出と解釈する。

つまり、昨日まで主人公は幸せだったのだ。

でも今日は、サビでさよならと別れを告げている。

いったい主人公に何があったのだろうか。

私は突然の大きな波に襲われたのではなく、愛想が尽きた、積み重なったものを基にして諦めるに至ったと考える。

それが今日だった。

何故そう思ったのかは、この先の歌詞を深読みし、話していきたい。

「あなたは優しい人

傷つく事も傷つける事もきっと選べない」

相手のことを優しい人であると言い、

その理由を述べている。

傷つくとは、自分がダメージを受ける状態であり、この場合は、主人公の愛した相手が自身を傷つけて物事を解決する様を言うのだろう。

恋人関係なら、別れの切り出しを待つ方か。

傷つけるとは、その反対。

別れを切り出し、相手を傷つける方。

でも主人公の愛する人は、どちらも選べないようだ。

更に深読みしてみよう。

そもそも二人の関係がごく普通の恋人関係で、どちらかに疑念が生じ、別れを考えているのなら、疑念を持った方が別れを切り出すというのが一般的である。

しかし、あなたは選べないという歌詞からして、お互いに何かに気付いていることがわかる。

優しい人だから選べないだけで、優しい人でなければアクションを起こしていても不思議ではないということになる。

選べないとは、選ぶことが出来ないという意味で、選ばないとは意味が異なる。

その対象は別れであり、恋人関係の解消だろう。

二人の間に何かがあったことは間違いなく、またその何かに二人は気付いて別れようとしているが、主人公と違って、愛する人は優しさ故にどちらの別れ方も選択できないという状況である。

選べないのは、本当に優しいからだろうか。

その優しさは相手ではなく、自分に向けてのものではないだろうか。

どちらを選んでも、どちらかが傷ついてしまうなら、どちらも選ばない=関係を終わらせないことを選ぶ。

それを愛する人は優しさだと思っているようだ。

この場合、関係を続けるか止めるかの選択は、主人公に委ねられているのだろう。

愛する人は、いつまでも選べないのだから。

どうも普通の恋愛ではない気がしてきた。

もう少し読み進めれば真実が見えてくるのだろうか。

「さよなら ひとひらずつ舞い踊る花びらは 思い出と美しく散ってゆく」

はっきりと言った別れの言葉。

ひとひらずつという言葉から、椿のような花では無く、桜のような軽く舞う花が思い浮かぶ。

舞い踊るとは、舞うように踊ることで、踊るとは、音楽などに合わせて体を動かす意。

よって、花びらが風に乗って揺れ動き、散っていく景色のようだ。

その散り様に、主人公の思い出が散っていく姿を重ね合わせ、儚さを表現している。

それは無残では無い、むしろ花吹雪のように美しさを感じる綺麗な終わりなのだろう。

「さよなら 幾千もの口づけを交わしても

あなたには帰る場所があるから」

帰る場所とは、家や家族の元を言うのだろう。

したがって、この恋は不倫である。

その恋に終わりを告げた主人公。

幾千とは、2000回、3000回など数千回もの回数を意味する言葉だが、ここでは実際の口づけの回数では無く、どれだけ行っても、という否定的な表現として使われている。

どれだけの愛を注いでも、数多くの思い出を作っても、家族がいる彼を手に入れることは出来ないのだから別れを決めたという解釈だろう。

いつの時代も、不倫は切ない。

争いを生むし、背徳感を感じ続けるもの。

だがそういう男性ばかり選んでしまう女性もいるし、逆もしかり。

他人のものだから、より魅力的に見えて欲しくなるのだとしたら、恋とは本当にわからないものだ。

「はずした指輪の跡にあの夏の日思い出した」

この指輪は男性のものだろう。

1番のサビの歌詞で、この恋は不倫になり、男性は既婚者であると判明した。

既婚者は、薬指に指輪をはめているため、指輪をはずしたのは、男性だとわかる。

そして、妻と過ごす時は指輪を外す必要がないため、はずした指輪というフレーズで、主人公と過ごす時のエチケットや、二人だけの時間を表しているのだろう。

夏の日は、主人公にとって特別な思い出があった時期と考える。

きっと印象的なことがあったので、思い出したのだろう。

「いつから あなた待つ夜が

こんなに苦しくなったんだろう」

不倫の苦しさを表した歌詞だ。

この主人公の場合は、男性側が既婚者なので、来てもらうのを待つしか無い。

おそらくは空き時間を使って会っているため、妻から目をつけられないように、うまく立ち回っているのだろう。

男性側は元々妻がいるために、不倫相手と会えなくても寂しさは無いだろうが、主人公は会えるかどうかがいつも不安定なため、苦しさが伴うと考える。

最初の内は、好きだから我慢するという信念が働いているので、さほど寂しさを感じないだろうが、月日を経るに連れて、また会えないのか、次はいつ会えるんだろうと言った切なさが募ってくる。

バレたら終わりの不倫だから、男性を待つしか無いことはわかっているけれど、主人公はそれが苦しくなってきたようだ。

続けるには、余りにも辛い世界。

不倫の恋の道の難しさを感じる歌詞である。

「抱きしめられるたび すべて許せる

そう感じてた 朝の光の中」

「朝の光の中」というフレーズから、夜を共にした事が、「抱きしめられるたび」から、何度も抱きしめられたことがわかる。

主人公は、愛が欲しかったのだろう。

相手の「抱きしめる」という直接的な行動により、主人公は愛を実感し、疑念や嘘、嫉妬などの全てを許せると感じていた。

少なくとも、この朝は。

許すという言葉から、主人公が何か受け入れがたいものを感じていたことは間違いないが、朝まで一緒にいる、抱きしめられるという尊い時間が、心を満たして満足させたのだろう。

不倫は会える時間が少ない。

だからこそ燃える恋とも言えるが、結局大人の関係が相手を満たす方法になってしまう。

朝を共にするとは、そういうことだ。

その点で、主人公は大人の女性と言えるだろう。

2人で迎えた朝の光は、きっと孤独を満たしてくれたはずだ。

だが、それは更なる茨の道。

別れの前では美しくも切ない思い出になる。

「さよなら やって来ては去ってゆく鳥の群れに 想いを今そっとあずけて」

「やって来ては去っていく鳥の群れ」に、同じような彼を重ねている。

「想い」とは、愛しているという気持ちのことだろう。

「あずけて」は、託してと同義語であり、「そっと」というフレーズから、気づかれない程度にという丁寧さを感じる。

きっとこの主人公は、自己主張の強く無い女性なのだろう。

早く来て、もっとたくさんといった強引な様子は見られず、あくまでじっと待つ姿が思い浮かぶし、不倫の場合、相手の家庭を滅ぼしてでも自分のものにしたいといった強欲な女性もいるが、主人公の健気な姿勢には共感さえ覚える。

しかし、そんな主人公の辛抱も限界を迎えたようで、別れを告げるに至ったのだろう。

「さよなら 最後の嘘をあげるわ

私はもうあなたを愛してはいないから」

嘘を付くことで、秘めた本心を強調している。

本当はとても愛しているが、それを伝えると別れられなくなってしまうから、あえて愛していないと嘘ぶいている様が切ない。

自ら別れを切り出すほど、主人公の心は疲弊し、傷ついているので、おそらく別れる時も、言葉は少ないと思う。

男性側は、優しい人で、自分からは別れを告げられない人だから、主人公が別れを告げてきた時も、言い訳や引き留めをせず、ただ聞いて、気持ちを受け止めているのだろう。

そして、いつものように妻というホームへ帰る。それだけだ。

この立場による苦しみの違いも、不倫の辛いところである。

「最後の嘘」というフレーズには、ことの終わりを実感するので、これは主人公が愛する人に伝える最後の言葉でもあるのではないだろうか。

また、「言うわ」や「伝えるわ」では無く、「あげるわ」という言葉を選んでいるところも興味深い。

あげるとは、上位の者から下位の者への移動の場合に用いられる言葉で、与えると同義。

よって、「あげるわ」と言うことは、主人公が愛する人よりも上に立ち、嘘を与えているような状況になる。

どちらも選べない男性を下に見て、その男性から離れようとする、言い換えれば捨てようとする様子なのかも知れない。

そうやって強がらないと、主人公は愛する人を突き放せないのだろう。

前述したように、この主人公は傲慢さが無い。

だからいつも男性より優位に立っていたとは思えない。

そんな主人公が、あげるわと言うところに、主人公の覚悟を感じる。

恋を終わらせた主人公の次の夏が、指輪をしていない人との素敵な夏になることを願っている。

A Message

作詞:Nanase Aikawa

作曲 :Atsuhiro Watanabe

自分が自分でいることを邪魔する

不条理な世界で

深い森の霧の中に消えて行く

悔しさをこらえた

傷ついてはまた何かが生まれるより

おだやかな風運ぶ日常が欲しい

今何を伝えたい 今何を守りたい

出来る事は限られてるけど

聞かせてよ 知りたいよ 空よ教えてよ

ここに生まれて来た意味と生きる意味を

許す事は難しくて何かを責めてしまうね

人の声を聞きすぎると迷いだすよ

心が揺れて

優しさなどその場しのぎのこともある

痛みをごまかさずに 雨に打たれても

今何を伝えたい 今何を守りたい

向き合うのは心の叫び

止まらずに進みたい 道が途切れても

ここに生まれて来た意味を見つけたくて

自分だけが良ければなど思えなくて

かけがえのない人の笑顔みつめてる

今何を伝えたい 今何を守りたい

出来る事は限られてるけど

聞かせてよ 知りたいよ 空よ教えてよ

青い向こうには何があるの

今何を伝えたい 今何を守りたい

向き合うのは心の叫び

止まらずに進みたい 道が途切れても

ここに生まれて来た意味を見つけたくて

タイトルは名詞を表す冠詞のAが付いている。

messageとは、伝言、ことづて、連絡のこと。

この曲を通して何かを伝えたい。

そんな思いを感じるタイトルだ。

七瀬はいったい誰に何を伝えたいのだろうか。

ゆっくり歌詞を読み解きながら考えていきたい。

「自分が自分でいることを邪魔する

不条理な世界で」

冒頭は自己について話している。

「自分が」という一人称の主語に続いて

「自分でいる」という謎めいた言葉が登場する。

これはおそらくありのままの自分という意味だろう。

それを「邪魔する不条理な世界」と続く。

不条理とは、筋道が通らないこと、道理に合わないことの意。

また、ここで使われる「世界」は、社会や業界であり、人間達のことも指すのだろう。

よって、ありのままの自分でいることを筋道の通らない社会や人間達が邪魔しているという解釈になる。

七瀬が居る世界には、私達の知る世界(一般社会)と知らない世界(音楽業界やプライベート)があり、邪魔する存在が何のことなのかはわからない。

ただ、その存在によって、ありのままの自分では居られなくなっているようだ。

ジレンマを抱えながら生きている。

そのことをまず伝えたかったのだろう。

「深い森の霧の中に消えて行く

悔しさをこらえた」

「深い森」とは、どこかで聞いたことがあるフレーズだが、これは例えで使っているのだろう。

実際に森へ行って何かが消えたわけではない。

「深い森」だけでも随分と暗く奥まった印象だが、そこに「霧の中」という付け足しがある。

もう何も見えないしわからないところを表現したかったのだろう。

そんな場所に消えていくものは何か。

おそらく冒頭に出てきたありのままの自分の一部分。

自分らしさのひとかけら。

それが表に出ることなく消えていく様を表現したのではないか。

霧は晴れることもあるだろうが、

その場所が深い森の中なら、

例え霧が晴れてもその存在が見えることはない。

そして、そのことについて悔しがっている。

でも、その悔しさを誰かにぶつけるのでは無く、我慢しているようだ。

まるで七瀬の作った曲が、業界の関係者やプロデューサーの意向によってリリースに至らず、悔しさを感じたが、レーベルに所属している以上、思いを貫くと枠から外されてしまうので、我慢するしかなかったという状況を話しているかのよう。

特に音楽は流行りがあるから、自身がやりたくても時代的に合わないと判断され、埋没したものやお蔵入りしたものもあるのだろう。

あるいは望んでいない方向に進ませるような圧力もあるかも知れない。

本来音楽とは自由に奏でて、その字の如く楽しむものだが、それが商売や商品になると、楽しさよりもお金が重視されるようになってしまう悲しいところがある。

それがジレンマの出発点。

趣味ではなく、プロとして歌うなら、その業界のしがらみやルールに立ち向かわないといけないし、上手く合わせるところも必要だろう。

郷に入れば郷に従えといったものは、日本社会の場合、根強くあるために。

七瀬が実際にどこにどのくらいの歯痒さを感じているのかはわからないが、この歌詞を読む限り、それなりに抱えているストレスはありそうだ。

「傷ついてはまた何かが生まれるより

おだやかな風運ぶ日常が欲しい」

傷ついて、その結果として、新しい何か、例えば歌詞だったり、方策だったりが生まれることはあると思う。

ひとつの体験として刻まれるからこそ、人間はその都度その体験から何かを学んでいく。

時にそれは人としての成長では無く、退廃かも知れないが。

ロックは、社会からはみ出された衝動を歌にすることで、計らずも似た状況に居る他者の力、勇気となり、影響を受けた者がまた歌うことで、社会に浸透していったところがあるし、刺激があると、その刺激を基に創作意欲が掻き立てられ、インスピレーションから新たな歌が生まれてきたり、絵の世界や彫刻の世界でも同じことが起こってきた。

ただ、それは自己の望んだ方法では無かった。

出来れば傷つかずに生み出す方が、平和で良い。

傷つくということは、そこに争いや失望が関係していることもある。

生み出したいという欲望はあるものの、だからといって傷ついてばかりでは、やがて倒れてしまうし、続けられなくなる。

少なくとも七瀬はこの伝言という手紙のような

歌の中で、傷つくよりも穏やかさを求めている。

それも一度ではなく、日常的に。

恐らくこれまで傷ついた経験が多いのだろう。

生み出す苦労については、過去のインタビューで何度も話してきたし、普通に考えても歌を作るのは大変なことと思う。

それを約30年間も続けてきた七瀬。

出した曲は約200曲になり、その大半は七瀬が自ら歌詞を書いてきた。

それがどれだけの苦労を伴うものだったのかは、私のような人間では想像出来ない。

ただ、傷ついて生み出すという一連の作業は、もうこの時の七瀬からすると、求めていない方法で、それよりも穏やかな日常を欲している。

穏やかな風運ぶとは、物事が荒れること無く予定通りに進むことを意味している。

風とは流れ、運ぶとは進むという意味だろう。

「今何を伝えたい 今何を守りたい

出来る事は限られてるけど」

これは自己への問いかけである。

私は今、何を伝えたいのだろうか。

そして、何を守りたいのだろうか。

作られた自分ではなく、ありのままの自分がどのように思っているかを、問いている。

そして、その範囲については限られていると、

自由の中の不自由について認識している。

自由に歌いたいと思っても、レーベルを辞める訳にはいかないし、この時期にリリースしたい、ライブをしたいと思っても、多くの人の協力が無いと成り立たないことが、様々な経験からわかっているからだろう。

私たちと同じように、七瀬も自問自答しながら生きていることがわかる人間らしい歌詞である。

「聞かせてよ 知りたいよ 空よ教えてよ

ここに生まれて来た意味と生きる意味を」

倒置法を使って、投げかける思いを強調した歌詞である。

七瀬が「聞きたいもの」、「知りたいもの」とは、「ここに生まれて来た意味」と「生きる意味」の2つであるが、それを深読みする。

まず、「ここに生まれてきた意味」から。

「ここ」は、手の届くような範囲として使われる言葉なので、七瀬の近くと考える。

若しくは比喩的な表現として使い、場所に限定せず、七瀬がいる時代や業界を指すのかも知れない。

ここから生まれてきたと言えば、それは母のお腹を指し、ここで生まれたと言えば、出産した病院や産婦人科を指すだろう。

では七瀬が言う「ここ」とは何だろうか。

私は場所では無く、時代を指す言葉として使っているように思う。

少し振り返ろう。

この曲の冒頭は、「自分が自分でいることを邪魔する不条理な世界」だった。

つまり、それが「ここ」なのではないだろうか。

不条理な世界に生まれて来た意味を教えて欲しい。

その答えを聞きたいし、知りたい。

もっと早く生まれたら、こんな気持ちにはなっていなかったのに、という声まで聞こえてきそうだ。

もうひとつの疑問は、生きる意味。

自分らしく生きられない限定の世界に、どうやって自分らしく生きるのか。

その答えは、なかなか難しい。

私の生きる意味は、今のところ、家族と楽しく暮らすためだし、働く意味は、家族を養うためであるが、七瀬の場合、そんな単純なものでは無いだろう。

もちろん、社会人であることや家族を持つことは、私と共通しているが、ここで問いかける生きる意味とは、歌手としての話のように思う。

歌いたいことをそのまま歌うことが出来ないときに、何を歌えばいいのか。

それでも売れなければ干され、見放される業界で、どのように生きていけば良いのか。

そういう思いを歌詞にして、伝言というタイトルを付けて歌っている。

そう解釈するのが合っていると思う。

そして、「空よ教えてよ」という歌詞。

空は、広いもの、大きな存在、人を超えたものとして使われる言葉。

誰かではなく、空に答えを求めているところから、もう誰に聞いてもわからないという失望感と、神からのお告げでしか解決できないような望みの薄さを感じる。

きっと何度も努力し、答えを探してきたのだろう。

それでも未だに答えは見つからず、抱える葛藤は年々増えていき、歌で心情を吐露するに至った。

せめて自分を応援する人には、受け入れてくれる人にはこの思いを理解して欲しい。

そう考えると、この伝言は、ファンに向けたものでもあるような気がしてならない。

「許す事は難しくて何かを責めてしまうね」

許すという言葉を使う時点で、何か気に入らないものと出会っている気がする。

おそらく不条理なものなのだろう。

難しいは、受け入れたく無いという意味。

何か気に入らないことがあって、それを受け入れて欲しいと言われるけれど、それは到底受け入れられないものだったようだ。

だから「難しい」という言葉を使う。

そして「何かを責める」という行動に出ている。

「責めてしまう」という表現から、本当は責めるつもりは無かったが、余りにも気に入らないので、衝動的に責めたことがわかる。

最後にしまう「ね」と、同情や共感を誘う「ね」を使っているところも注目したい。

それほどまでに七瀬を苛立たせた許せないこととは何だろうか。

約束が破られるような大きな出来事なのだろうか。

それとも日常の苛立ちが、またか…と積もってきた結果なのだろうか。

会社にとって、歌手は商売の道具になり、歌手の意志とは関係無く、売れる為にはという提案をされることがあると言う。

七瀬は初期にダブルミリオンというとてつもないセールスを叩き出したミュージシャンだから、年を経るに従い、またあの時のように的なことを求められたとしてもおかしくない。

業界での立ち位置は確立され、多くの人が七瀬をリスペクトしても、会社にとっては、売れるかどうかがバロメーターだったりするらしい。

悲しい現実だ。

そんな七瀬だから、関係者から、こうしたらどうですか?と言われることも多々あっただろう。

本人はもうあのREDの時のようなブームにはなれないと感じていても、会社はやはりセールスを求めるところがある。

所属する以上、会社の意見は聞かないといけないし、それを覆すには売れるしかないこともわかっている。

だけど、売れるような歌は、今の自分が歌いたい歌ではない。

じゃあどうすればいい?

受け入れられることと、受け入れられないことの狭間で揺れて、苛立ち、つい周りに当たってしまう。

そんな心理状態を表した歌詞なのだろう。

「人の声を聞きすぎると迷いだすよ

心が揺れて」

ありのままの自分を表現しようとしても、リリースまでには必ず他者の声が入る。

もう少しこうした方が売れると思うというようなアドバイスは多々あるだろう。

プロデューサーはプロデューサーの、営業は営業の意見を持っているので、皆それぞれに言いたいことを言う。

それは七瀬の為を思う行動なのだろうが、七瀬本人はそれを求めていなかったりするのではないだろうか。

私は私が感じたままで進みたいと思っていても、様々に関わる人の声を聞いている内に、揺れていき、引っ張られて、最初に思っていたものとは違うものに変わってしまう。

そんなジレンマを表した歌詞のように思えてならない。

「優しさなどその場しのぎのこともある

痛みをごまかさずに 雨に打たれても」

ここで言う優しさは、慰めに近い。

多少は変わるけど本質はちゃんと残されているという励ましの言葉のように、傷ついた心を少し慰めてくれるものを意味している。

だけど、それは七瀬にとって、その場しのぎでしかないのだろう。

本当は納得していない様が感じられる。

そして、その傷=痛みをごまかしたくないと続く。

嘘を付いて笑って生きていくのではなく、ひとつひとつに納得して、やり切って生きていきたいという意志が表現されている。

だからごまかすことに抵抗があるし、理由や意味を求めている。

それは、例え雨に打たれても続けるという強い意思。

この雨とは、多数のバッシングを意味する。

冷たいもので、止まないものを表す言葉として、雨を選んだのだろう。

関係者や世間に何を言われようと、自分の思いを貫きたい。

そんな宣言に似た芯の強さを表現した歌詞だ。

「今何を伝えたい 今何を守りたい

向き合うのは心の叫び」

1番のサビと同じように、自分に問いかけている。

伝えたいものとは、守りたいものとは。

向き合う対象が自身の心であり、「叫び」という言葉から、強さと悲しさを感じる。

「心の声」なら、本当に言いたいことを意味するが、使われたのは「心の叫び」なので、声よりも強いもの、言うなれば掻き立てられ発せざるを得ないもののような気がする。

その心情に「向き合う」。

ただそちらを「向く」のではなく、互いが向いている様を表す「向き合う」を使って、真剣な取り組みを表現している。

「止まらずに進みたい 道が途切れても

ここに生まれて来た意味を見つけたくて」

ここも倒置法を使っている。

しかもダブルで。

文章としては、ここに生まれて来た意味を見つけたいから、道が途切れても、止まらずに進みたいとなる。

理由を先に述べ、結論へと導く組み立てが一般的な作り方。

しかし、これは歌の歌詞なので、聞く相手に響くように組み立てを変えている。

最初に理由では無く、宣言のような結論を持ってきて、何故なら…と続けている。

止まらずに=止まらないでの言い換えなので、進みたいの5文字に合わせて歌いやすく歌詞を変えたのだろう。

道という言葉が出てくるので、止まらないものとは、歩みであり、歌手の道であろう。

そして歩みを止めないだけでなく、ここから先に進みたいという思いもあるようだ。

道が途切れるとは、どのような状況だろうか。

途切れる=途中で切れるを省略した言葉であり、言葉の意味としては、続いていたものが途中で切れることで、 途中という言葉がある以上、辞めるには至っていないことがわかる。

道とは前述した通り歌手の道であり、言い換えれば、歌手としての歩みである。

その続いていた歩みが途中で切れる=一時的に止まる状態を述べているのだろう。

そんなことがあったとしても、止まらずに進みたい。

これは相当な覚悟、思いが込められていると思う。

アクシデントがあると、すぐにその先を考えるのは難しいのが一般的だが、七瀬の場合は、既に貫きたい信念があるので、例えアクシデントが起こったとしても、それに囚われること無く信じた道を突き進むという意志がある。

歌手の道は険しいだろうし、比較対象も多く、時代の変化も影響する職業だ。

それでも歩みを続けてきたのは、ここに生まれて来た意味を見つけたいという気持ちがあるから。

ここの解釈は前述した通りであり、1番と変わらない。

「生まれて来た意味」というフレーズを、今伝えたい言葉として、2番のサビでも使用したのだろう。

七瀬の強い思いや信念が、やがて求めてきた意味の答えへと辿り着くことを願ってやまない。

「自分だけが良ければなど思えなくて

かけがえのない人の笑顔みつめてる」

決してわがままでは無く、周りを傷つけても良いとは思っていないことがわかる。

むしろ、かけがえのない人には幸せになって欲しいし、幸せでいてほしい。

笑顔という言葉から、そんな願いを感じる。

かけがえとは、代わりになるものがない、この上無く大切なものという意味である。

そんな七瀬が最上級のリスペクトを持っている人には、ひとつでも多くの幸せが訪れて欲しいと願っているようで、相手の顔をじっと見つめているのだろう。

見ているではなく、見つめているところに、真摯に敬愛する大切な人への姿勢が表現されている。

その者たちの中には、七瀬を心から応援する者もいるのだろう。

愛情を持って、あたたかく見守り、励ましている人も、きっといるはず。

1番、2番と意味の答えを探してきた七瀬だが、その答えを見つけることは、かけがえのない人たちの喜びにもつながることを理解しているから、今の彼等の笑顔を見つめながら、その先の更なる笑顔を思い描いているのかもしれない。

これはもう自分だけの、自己満足の探求ではなく、周りの人も幸せにする探求である。

だから歩みを止めずに進んでいこう。

そんな決意を秘めた「笑顔見つめてる」と思った。

「今何を伝えたい 今何を守りたい

出来る事は限られてるけど

聞かせてよ 知りたいよ 空よ教えてよ

青い向こうには何があるの

今何を伝えたい 今何を守りたい

向き合うのは心の叫び

止まらずに進みたい 道が途切れても

ここに生まれて来た意味を見つけたくて」

サビの繰り返しになり、多くは前述したものなので、一部分だけ取り上げる。

「青い向こうには何があるの」の青いは、その前に出てくる空の色であり、青いという言葉から、曇天ではなく晴天であることがわかる。

きっと遠くまで晴れ渡るような空なのだろう。

「向こう」は遠くを感じさせる言葉なので、見ている空は大きいようだ。

空に始まりや終わりは無いため、青い空の向こうを見ても、実際には空が続いているだけであるが、ここでは心の叫びとして歌われていることから、対象を人ではなく、空あるいは神とすることで、全てを知っている存在に、答えを教えて欲しいと叫んでいるように思える。

この伝言を行う相手のひとつがファンであることは、世にリリースした作品という点で、明らかだが、ファンに答えを求めているのではなく、あくまで答えは自分の心と向き合って自身で見つけたいと思っていることが、歌詞を読み進めて見えてきた。

ジレンマや苦しみ、葛藤など様々な感情と戦い、抗いながら歌手としての歩みを信念を持って進んでいる七瀬。

かけがえのない人の中にファンが入っているならば、七瀬のことをもっと理解し、応援し、励ましたくなる。

心情の吐露と道を歩む強い意志を知った、素晴らしい歌詞だった。

今時記という今起きていることを記録するという意味のタイトルが付けられたアルバムに収録されていることも、興味深い事実である。

愛ノ詩-マジェンタレイン-

作詞:相川七瀬

作曲:高田有紀子

世界 消えるまで

この声が壊れるまで

あなただけに愛を詩(うた)おう

紡ぐ利き手が

不自由になったとしても

メロディは止む事を知らない

慟哭するマジェンタの雨が

心に詩(し)みついてくる

アイ詩(し)テルと云った響きは

すべてに呼応して

小さな星のように

光っている

わたしはあなたのために

あなたはわたしのために

生涯を捧げる 愛ノ詩(うた)

すべてはひとつになって

ひとりじゃなくってひとつで

2度と2人はもう離れない

あなたがわたしよりも

先に逝ってしまったとしても

この先あなた以外の誰にも

この詩(うた)は届けないと誓う

時間(とき)が限られているから

永遠を夢見るのが謎のままで

時計の秒針が漆黒に盗まれて

2人だけの宇宙に繋がれて

翻弄するマジェンタの雨が

わたしの心震わせる

濡れた髪をあなたが撫でて

変わり続ける未来にそっと謳うよ

光るように

わたしはあなたのために

あなたはわたしのために

生涯を捧げる愛ノ詩

光は花のために

雫は命のために

このぬくもりをずっと信じてる

わたしがもしも詩もこの声も

失ってしまっても

何にも悲しまないで

この詩は永遠(とわ)に

受け継がれて逝くの

わたしはあなたのために

あなたはわたしのために

生涯を捧げる 愛ノ詩(うた)

すべてはひとつになって

ひとりじゃなくってひとつで

2度と2人はもう離れない

わたしはあなたのために

あなたはわたしのために

生涯を捧げる愛ノ詩

光は花のために

雫は命のために

このぬくもりをずっと信じてる

わたしがもしも詩もこの声も

失ってしまっても

何にも悲しまないで

この詩は永遠(とわ)に

受け継がれて逝くの

わたしはあなたのために

愛ノ詩は、その名の通り、愛を歌った曲であるが、まず注目したのは、何故「歌」ではなく「詩」という言葉を当てたのかということ。

辞典を開いてみると、歌は「拍子と節をつけて歌う言葉の総称」や「一定の音節数によって語の調子を整えた感情の表現」とあり、詩は「自然や人事などから受ける感興・感動を、リズムをもつ言語形式で表現したもの」とある。

ここから察するに、言葉を並べた「歌」よりも、より強い感情の表現を意味する「詩」を使った方が、この曲にふさわしいと考えたのではないだろうか。

次の着目点は、愛ノ詩の「ノ」について。

何故「の」ではなく「ノ」を選んだのかが気になった。

てにをはと呼ばれる助詞は、1文字変わるだけで、言葉のニュアンスがガラリと変化するものだが、ここで使われる助詞「の」は連体修飾語であることを示し、助詞「の」が、すぐ後ろの体言「詩」を修飾してひとつの言葉にまとめている。

助詞「の」が無ければ「愛詩」になり、また少し違う響きを受けるだろう。

例えるなら、「取扱説明書」と名付けたら固さを感じるが、「取扱いの説明書」と名付けたら少し優しい印象を受けるといったところだ。

同じように、助詞「の」を入れたことで、音の響きは「愛詩」よりも優しくなった。

そして、その助詞「の」を変化させ、あえて片仮名の「ノ」を選んだ。

これは平仮名よりも片仮名の方が、固さは強くなることから、「愛」という言葉と、「詩」という言葉を、より強い形で結び付けたかったのではないだろうか。

普通ならば「愛の歌」と名付けるところ。

有名な曲名で言えば、「愛の讃歌」があるだろう。

先日のパリオリンピックセリーヌディオンが歌っていた世界的に有名な曲だ。

しかし、七瀬は「愛の歌」ではなく、「愛ノ詩」と名付けた。

そうすることで、この曲が深く結びついた愛を表現したものであると示したかった。

事実、歌詞を見れば、至る所に強いメッセージが並んでいる。

「2度と2人はもう離れない」「2人だけの宇宙」

「あなた以外の誰にもこの詩は届けない」

この曲の主人公は、相手を心の底から愛しているのだろう。

そして、この曲のサブタイトルには、「マジェンタレイン」という言葉がある。

マジェンタとは、magenta(英語)であり、マゼンタと同じ言葉である。

明るく鮮やかな赤紫色で、紫がかった濃いピンク色とも言われている。

マジェンタは色料の三原色のひとつであり、カラー印刷でのインクトナーにおいて、シアン、イエローと共に使われているが、人の見る色の中では最大の彩度を持つ赤、橙、黄、緑といったスペクトル色では無いため、スペクトル色の組み合わせによって生じる色になり、可視光線の赤と群青色の2つの波長の光が同時に視覚を刺激することによって見える色とされている。

マジェンタという名前の由来は、マジェンタの染料(アニリン染料)が発見されたときに起こっていたイタリア統一戦争の激戦地マジェンタからきていて、この戦いとほとんど時を同じくして発見されたことから激戦地の名前がつけられた。

ちなみに、イタリアではマジェンタではなく、最後の戦勝地ソルフェリノがこの色の色名になっている。

そのマジェンタに雨の英語表現「レイン」を加え、マジェンタレインという造語を作った。

マジェンタの名前の由来が激戦地であることからすると、そこでは数多くの涙が流れたことであろう。

よって、この「レイン」は、単なる雨と解釈するより、涙と捉えた方が適切かもしれない。

マジェンタの意味も、色として読む他に、激しいものとして読むことも出来るため、「マジェンタレイン」は、「激しい涙」を意味していると考える。

サブタイトルは、メインタイトルを補完するものであり、その中身をチラリと覗かせるもの。

そう思うと、強い愛の結びつきの中で、流れる熱い涙があることを表したかったと解釈するのが自然だろう。

歌詞の中には「逝く」という言葉が出てくる。

涙の訳は、死を前にしたものなのかもしれない。

何故激しい涙が流れたのか。

奥深いマジェンタレインの理由を、これから更に探っていきたいと思う。

「世界 消えるまで この声が壊れるまで あなただけに愛を詩おう」

冒頭から強いメッセージが伝わってくる。

あなただけにと限定し、そのリミットについては、世界が消えるまでやこの声が壊れるまでと伝える。

ここで言う「世界」とは、通常私たちが生きている一般社会を指しているのではなく、あくまで「2人のいる世界」を指していると解釈する。

よって、どちらかの人間が亡くなれば、世界は終わる。

言い換えれば、「二人がいる間は続く世界」である。

それが終わる=死ぬまでは、あなただけに愛を詩う=あなただけを愛しているという表現である。

この声が壊れるまでという歌詞は、歌手という職業だから出てきたものなのかもしれないし、愛の詩でありポエムでありリリックを伝えるための道具としての声という見方も出来る。

どちらにしろ、伝えることが出来なくなるまでという意味として捉えて差し支えないだろう。

「愛を伝えよう」ではなく「愛を詩おう」という歌詞にしたところは、より叙情的な気持ちを感じる。

言葉ではなく、その奥にある気持ちを伝えたい。

浅はかな軽い表現ではなく、気持ちが入ったものを贈りたいという心の部分を感じる。

「紡ぐ利き手が 不自由になったとしても メロディは止む事を知らない」

紡ぐとは、言葉をつなげて文章を作るという意味の言葉。綿や繭を糸にしていく過程のように少しずつ丁寧に作っていくことを表している。

利き手とは、両手のうちで、力が発揮でき、よく動く方の手のこと。

その利き手が不自由になる。

まるで病魔が主人公の愛する人を襲っていて、やがて手が使えなくなることを予感しているみたいだ。

だが、そうなってもメロディは止む事を知らない=止まることは無い。

このメロディは、単なる音楽では無く、心臓の音、鼓動を意味していると考える。

つまり、この歌詞は、病魔に襲われて不自由な状態が迫っているが、そうなってもまだ心臓は動いている、生きていることを表現しているのではないだろうか。

「慟哭するマジェンタの雨が 心に詩(し)みついてくる」

慟哭とは、悲しみのあまり、声をあげて泣くことである。

それはとてつもなく悲しい状態のこと。

マジェンタの雨を前述したように激しい涙と捉えるなら、激しい悲しみが心の中に入り込んでくる状態である。

若しくは、雨は素直に雨であり、物悲しさという意味や多量という意味で使われているなら、多くの悲しみが心に入り込んでいる状態と捉えることもできる。

「染み付く」という一般的な表現を、「詩みつく」に変えたのは、「詩」という言葉を使うことで、より深い感情を表現したかったのだろう。

染みとは、衣類などに付くものであるが、取れない、落ちないものの代表として捉えることができるので、心に染みが付くという比喩的な表現で、心の中に取れないほどの強い悲しみが留まった状態であることを表したのではないか。

歌詞は詩みつくではなく、詩みついてくる、いわゆる現在進行形で表現されていることからすると、悲しみが留まり出している辛い状態の最中であると考えるのが妥当であろう。

「アイ詩テルと云った響きは すべてに呼応して 小さな星のように 光っている」

またもや「詩」という言葉が登場した。

今度は「愛している」を「アイ詩テル」に変えている。

これは一見、言葉遊びのように感じたが、ストーリーを追っていくと、苦しみの最中になんとか発したひとことのような気がしてならない。

「詩」はこの曲において、より深い感情を示した言葉として使っているとするならば、この「アイ詩テル」にも、その思いが込められていることになる。

主人公の愛する人は、もうあまり多く話せない状況なのだろう。

「云った響き」とあるが、「言う」が、自分が口に出して言うときに用いるのに対し、「云う」は他人のことばを引いて述べるときに用いる言葉であるため、愛していると言ったのは、主人公ではなく、主人公が愛する人、つまり病魔に襲われ苦しんでいる人であることになる。

その「アイ詩テル」が、主人公の中で暗闇に輝く小さな星のように光っている状態という意味になる。

「わたしはあなたのために あなたはわたしのために 生涯を捧げる愛ノ詩」

お互いが、お互いのために生涯を捧げるという素敵な愛の形を表現している。

生涯を捧げることは、並大抵のことではないが、自分の人生を賭けても構わないと思うほどの熱い気持ちがあり、しかもそれがお互いにあるというのは、もはや理想の域で美しささえ感じる。

その愛の姿を愛ノ詩と名付け、ひとつの物語としてまとめている。

「すべてはひとつになって ひとりじゃなくってひとつで 2度と2人はもう離れない」

全てがひとつになるというのは、お互いの思いが一致していることを示している。

ひとりじゃなくひとつというのは、互いに溶け合った状態のこと。

一人ひとり違うのが人間だが、その一人という個性を超えて混ざり合って、

相手と完全に一致した状態を「ひとつ」として使っている。

まさに理想的な状態。

そうなるともう、当然ながら二度と離れることは無いし、わだかまりも悩みも無い。

100%の信頼さえも超えた究極の状態である。

「あなたがわたしよりも 先に逝ってしまったとしても

この先あなた以外の誰にも この詩は届けないと誓う」

やはりこの主人公は、愛する人が死んでしまうかもしれないと薄々感じているようだ。

あくまで仮定の話ではあろうが、死後の話をしているし、

誓うという言葉から、約束をしているようにも思える。

この世に残されたとしても、あなた以外は愛さないと約束することで、

この愛がとても深く尊いものであることを伝えている。

愛するという表現を、詩を届けるという言葉で伝えたのは、

二人の関係が、愛の言葉ではなく愛の詩として重なり合ったものだからだろう。

愛し合った二人。離れられない二人。

でも永遠には生きられず、受け入れるしかない死という定め。

これほどまでの関係なら、同時に亡くなることを望むだろうが、

寿命は神のみぞ知るところ。

二人の行く末はいかに。

では、後編の物語を見てみることにしよう。

「時間が限られているから 永遠を夢見るのが謎のままで」

時間が限られているという表現から、2人に残された時間は少ないと考える。

気になるのはその続き。

永遠とは永久に続く時間のことで、それを夢見る=思い描くことは誰しもあるだろう。

ただ、続く歌詞は「夢見るのが謎のままで」とある。

これが「夢見るのか 謎のままで」なら、永遠を夢見ているのだなと、

素直に意味を受け取れるが、使われたのは「か」ではなく「が」であり、

主語になっている。

主語であれば、「が」を「は」に置き換えることができるので、

夢見るのが謎=夢を見ることは謎という変換する。

続く「のままで」は、「そのままで」の省略語なので、これを加えて、

「永遠について夢を見ることは謎ではあるがそのままで」とする。

実際には永遠に続くものはとても少ない。

電池で動くものは、いずれ動かなくなるし、

人間については、どんな人でもいずれ死を迎える。

そんな数少ない永遠だからこそ魅力的であるが、

永遠を手に入れる方法は、誰もわからなくて、謎である。

謎ではあるが、それを解くことが出来ないので、

永遠というものは謎であるという事実をそのまま受け入れる。

これが、そのままでの解釈ではなかろうか。

前に時間が限られているという歌詞があり、

そこに「から」という理由を説明する接続詞があることからすると、

時間が限られていることによって、

永遠とは何かという謎を解くことが出来なくなっているから、

謎ということ自体を受け入れようという解釈になるのではないだろうか。

ここはなかなか難しい歌詞だ。

「時計の秒針が漆黒に盗まれて 2人だけの宇宙に繋がれて」

時計という言葉は、時間を説明するときに使われる。

時計の針が進むと言えば、時間が進んでいることを指し、

針が止まったと言えば、その瞬間に何かが起こったことを示している。

この歌詞では時計の中でも秒針という言葉が登場し、

そのコツコツと刻まれる秒単位の尊い時間を表現している。

漆黒とは、黒うるしを塗ったように黒くてつやがある色を言うが、

ここでは黒い存在、いわゆる病魔のような影のある存在を示していると考える。

盗まれるという言葉は、盗むを変化させたもの。

盗むなら、自分の行動になるが、盗まれるだと、他者から受けるものになるため、

漆黒に盗まれるとは、黒い存在に奪われることを示している。

何を奪われるのかと言えば、それは時計の秒針=1秒1秒という尊い時間。

つまり、貴重な時間が黒い存在によって奪われていく様を表現している。

宇宙とは、太陽や地球を包含するとても広い世界のことだが、

ここでは2人だけのと限定をしているため、

2人の間にしか広がっていない広い世界=未来のようなものを指していると考える。

その未来に繋がれている状況。

「繋がれている」は現在進行形であり、現在形に直すと「繋がれる」になる。

「繋がれる」は受動態なので、自分ではないものの力によって繋がっていることを指している。

二人の未来は運命の糸によって現在と繋がっていることを、

別の言い方を持って表しているのではないだろうか。

「翻弄するマジェンタの雨が わたしの心震わせる」

翻弄とは、思うままにもてあそぶことを言う。

マジェンタの雨の解釈は1番で話したとおりだが、

それを当てはめると、

思うままでもてあそぶ激しい嵐のような感情が主人公の心を震わせているようだ。

震えるは揺れるよりも激しい動きなので、主人公は大きな力によって、

心の中が乱されていると推察する。

「濡れた髪をあなたが撫でて 変わり続ける未来にそっと謳うよ 光るように」

濡れたという言葉から、雨に濡れた状態であると考える。

どんな雨かと言えば、それは先に出てきたマジェンタの雨。

つまり、激しい涙によって濡れた髪を指しているのではないか。

その髪をパートナーがそっと撫でる状況。

「撫でる」という行為からは、優しさが透けて見える。

愛情があるからこそ、「触る」や「触れる」ではなく、

「撫でる」という言葉を選んだのではないだろうか。

もしかすると、これは実体験から来る言葉選びをしたところなのかもしれない。

この「未来」とは、先ほど話した「繋がれた未来」のことを指すが、

それが変わり続けていると歌詞は伝えている。

2人で一緒に歩んできた時間が、ここで途切れようとしているのかもしれない。

変わり続けるという現在進行形は、状態の変化が大きいことを指している。

そんな未来について、主人公ができることは、そっと謳うこと。

謳うとは、強調する、賛美するという意味。

つまり、相手のことを称え、あなたは凄いと尊敬するような言葉がけをしている状況なのだろう。

それが見守る側に出来ることだと思って。

そして「光るように」と続く。

光るという言葉からは希望を感じる。

病に伏せる相手を前に、称え、励まして、希望の道が開くことを願っている。

そんな歌詞がこの2番のサビ前に表現されている。

「わたしはあなたのために あなたはわたしのために 生涯を捧げる愛ノ詩」

この部分は1番と同じなので割愛する。

「光は花のために 雫は命のために このぬくもりをずっと信じてる」

例え話を羅列し、その結びつきから2人の関係性を強調している。

光が無ければ花は咲かないし、雫=水が無ければ命は尽きてしまう。

それは植物だけでなく、人間も同じである。

花が女性を指すならば、光は男性を指すことになり、

愛する人がいなければ、私は生きることができないという意味になる。

ぬくもりの前に「この」があることからすると、

正に目の前に愛する人がいる状態であろう。

その手を握り、このぬくもりを、あなたのことをずっと信じていると、相手に伝えているのではないだろうか。

「わたしがもしも詩もこの声も失ってしまっても

何にも悲しまないで この詩は永遠に受け継がれて逝くの」

主人公にとって大事なものとして詩と声を挙げている。

両者の解釈については前述したとおりだが、

その自分にとって大事なものを失ったとしても、

愛する人には悲しまないでほしいと伝えている。

何故ならば、2人の歩んできた愛の世界は永遠だからと。

「受け継がれて」という言葉が、当事者だけではない次なる存在を示し、

それが二人の子なのかはわからないが、希望があるようにも見える。

しかし、最後の言葉は「逝くの」。

ここには愛する人がもし亡くなったならば、私も後を追うわという意味にも捉えられる。

それは二人の結びつきがあまりにも強く、尋常では無いことや、すぐ前に出てきた「光は花のために」の解釈のように、どちらか一方がいなくなったならば、残された方も生きることはできないといった刹那が存在するように思うからだ。

受け継ぐ者に2人の愛の歴史や世界のことを伝えた後、愛する人を追って、黄泉の国へ旅立ち、向こうの世界でも2人で愛し合いましょうという気持ちなのかもしれない。

それほどまでに愛という気持ちの強さが見える歌になっている。

「受け継がれていくの」ではなく、「受け継がれて逝くの」。

ここに、この愛ノ詩に込められた深さを感じてしまう。

そして、間奏をはさんだ後は、サビの繰り返しが続く。

同じ歌詞なので、解釈も同じになるが、注目する点は終わり方である。

サビの繰り返しの後、愛ノ詩、愛ノ詩とコーラスが2度響き、

わたしはあなたのために・・・と言って終わる。

これはいったい何を意味しているのだろうか。

言いたいことがまだあったにも関わらず、それを言いながら力が尽きていった状況か、はたまた愛する人の命が尽きて言葉が出なくなった状況か。

考えても答えが出ず、想像を膨らますしかないのだが、

終わり方がまるでドラマのようで、とても美しい。

楽観的な希望を抱けない物語だけに、主人公の行く末は気になるところである。

愛とはどこまでも掴めないものであるが、

そんな愛というものをどこまでも互いのために高めた二人の物語は、

比喩的表現を多用した素晴らしい歌詞で表現されていた。

やはり七瀬の歌詞の世界は、想像通りとても深く広いようだ。

相川七瀬さんを愛して止まないファンの皆さん、こんにちは。

今日から始まりました新企画。

題して相川七瀬深読み音楽会。

これはデビュー30周年を迎える七瀬さんのメモリアルイヤーを、より深く楽しむために、これまでリリースされた楽曲たちの歌詞にスポットを当て、その世界を堪能してみようという企画です。

七瀬さんは、自分で歌詞を書くタイプのミュージシャンなので、その歌詞の部分を掘り下げてみれば、七瀬さんが当時考えていたことや感じていたこと、また様々な体験から得たインスピレーションの一端などが見えてくると思っています。

ブックレットなどを見なくても歌詞が頭に入っている熱烈なファンはもちろん、これまであまり歌詞に注目してこなかったというライトな方も、深読みで見えてくる新しい発見や想像の世界を楽しんでもらえれば幸いです。

パロディ七瀬では、空耳アワーのように、面白くおかしく歌詞を変えてみましたが、今度は深く掘り下げ、あるいはそこから何を伝えようとしているのかを探ってみようかと。

それぞれの楽曲に、どんな物語が秘められているのか、私自身も楽しみにしています。

Deepな七瀬さんの世界に浸る深読み音楽会。

ぜひお酒を片手に、じっくりと味わってみてください。