馬鹿の皮 (original) (raw)
馬鹿の皮
2024年 04月 10日
2024桜
# by kazemachi009 | 2024-04-10 18:47
2024年 03月 11日
13年目の「逃げなかった人々」
元日の大地震が収まったあと「津波が来るから逃げろ」と言われて、車を取って戻ってきたら、親が残っている家が倒壊していたという話を聴いて、思わず嗚咽が出た。
自分の命が助かった安堵など、大切な人を助けられなかった口惜しさに、簡単に駆逐される。
2012年10月23日に、私は書いている。
「逃げなかった人々」
それを、毎年3月11日がくるたびに、そのときに書いているブログサイトに載せてきた。
こういう人もいて、そうしなければならない暮らしもあるということを、誰かに知ってほしくて。
自分のためだけに文章を書いている私にとって、あえて誰かに読んでほしいと欲するのは、これと反戦の記事だけである。
2012年10月23日の夕刊に特集が組まれた。
「東日本大震災と短詩型文学を考えるシンポジウム」について。
歌人でもなく詩人でもない、多くの市井の人々が、震災をきっかけに歌を詠んだという記事だ。
そこに、こういう歌が載っている。
「逃げろといはれ逃げ場なき人半分も居るならわれも此処にとどまる」
その頃、私は被災した介護者(自宅でご家族を介護しているかた)が語った震災時の状況についてのヒアリングを文章にする仕事をしていた。
ニュースでは報道されなかった、ナマの声が、そこに、あった。
逃げなかったんだって。
高齢者たち。
車椅子の人たち。
寝たきりの人たち。
家族や近所の人たちが、逃げようって説得しても、家が流されて何もかもなくなるなら、このまま自分も家にいて、一緒に流されたほうがいいって。
そしてそのまま、流されたんだって。
介護していた家族も一緒に。
家がなくなっても、命さえあればなんとかなるって、思えない社会なんだ。
高齢者や障害者、病気の人たち。
この機会にいなくなってしまおうって、思ったんだ。
思わせてしまったんだ、この国は。
語ってくれた女性は、60代。
ご主人が車椅子に乗っている。
逃げないって言い張って、1回目の津波に耐え、それでも逃げないで、2回目の津波も浴びたって。
助かったのは、たまたま、他のところより地形が幸いしたから。
流されて沈んだけど、偶然、地面に足がついたって。
そしたら、自衛隊の人に助けられたって。
でも、地獄のようだったと。
それでも。
ご主人は、今も言っているという。
次にまた地震があって、津波が来ても、やっぱり逃げないって。
家と一緒に流れて行きたいんだって。
命だけじゃダメなんだ。
助かっただけじゃダメなんだ。
彼女の傍らには、ほとんど寝たきりとなってしまった夫がいる。
慰めにとつけているのかテレビの音がかなり大きい。
それが邪魔をして、録音された音源は、かなり聞きとりにくかった。
普通ならば、自宅(といっても仮設住宅だが)に来客(インタビューアー)があって、聞き取り調査をしていれば、すこしは気を遣って音量を下げそうなものだが、すでにそういうこともできないのか、するつもりもないのか。
妻もまた、操作しようとはしない。
そして、インタビューの応答の端々に、夫への不満、介護のしんどさが滲む。
おそらくは、こういう機会が訪れるまで、誰にも告げずにきたのだろう。
夫がくも膜下出血で倒れてから、実に19年ものあいだ、彼女はたったひとりでその面倒をみてきたという。
介護の問題点を問う質問の答えが、しだいに夫の悪口になる。
介護で何が一番大変かと尋ねると、怒鳴り散らされること、と答えた。
その答えは、傍らでテレビを見ている夫に、聞こえたものか、聞かせたものか。
いや、そのバリケードのために、テレビの大きすぎる音量があるのかもしれない。
双方のためのバリケード。
大津波が来たとき、自分は逃げないけど、お前らは逃げろと言った人がたくさんいたと、彼女は語った。
高齢や病気や障害で、自分ひとりで動くことのできない人たちは、自分はもういいから、家族は逃がしてやりたいと思ったのだ。
自分はいいから、お前ら逃げろ。
だけど、置いて行かれませんもんねえ。
それで、看ていた人たちも一緒に流されて行ったんです、と。
地震が来ても、津波が来ても、逃げる気はないと言った夫。
長きにわたる介護の果てに、尽くしてきた夫に怒鳴り散らされながら、それでも、「置いていけないですもんね」と、この妻も言って、逃げない夫に付き添った。
次にまた津波が来ても、きっと逃げないだろう。
人の心を一枚岩のように語るのは好きではない。
人はみな、愛しながら憎み、憎みながら愛するものなのだ。
初めて会った他人さまに、連れ添ってきた夫の悪口と介護の愚痴を言いながら、自分と夫の命の危機には、夫を見捨てることができない。
逃げなかった人々。
命さえあれば、とか、死んだ気になれば、とか、いろいろ励ます言葉はあるけれど、言葉では救えない暮らしがある。
あれから今年で13年。
あのとき、「次は逃げない」と言った人たちは、この13年で「逃げて生き続けたい」暮らしになっただろうか。
逃げて生き残ってもつらい暮らしが続くだけという人々は、いなくなっただろうか。
そうでないとしたら、その責めは何が負うべきなのか。
元日の地震で「水がない」「寒い」と訴える人々の不安顔の映像を見ながら、この13年、何が改善されてきたのかと思った。
あのときと何が違うのだろうかと。
「生きてさえいればなんとかなる」と思えることを、当人の楽観性にまかせるのは残酷ではないのか。
「あとの暮らしはなんとかするから、とにかく命を守ってくれ」と、堂々と言ってくれる世の中を、政治を、私は求める。
※能登半島地震と命名されているが、被害があったのは能登半島だけではないので、誤った印象を与えないため「元日の地震」と表現している。
# by kazemachi009 | 2024-03-11 13:00 | 世の中
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