【世界を知り、日本を考える】トルコにまつわる政治や国際情勢のお話 外交政策やクルド人問題 (original) (raw)

トルコが…気になります

トルコに行くことが決まった時に、中東ともヨーロッパとも言える不思議な立地から国際的にみたトルコってどんな国だろうと言うことが気になりました。

さらに、最近巷(埼玉県川口市)を騒がしている**クルド人**もトルコのあたりにいるんだとかなんとか。

クルド人問題については後半に…

さらに仕事柄(金融)、トルコリラがここ数十年暴落し続けていることも、興味の対象でした。

折角ならある程度の知識を持った上でその国に行くことで、理解の深度が変わるだろうと思い、色々と調べていました。

調べてみるとトルコは、地理的にも歴史的にも独特な立ち位置を持つ国で、さまざまな国の影響も受けながら、文化や政治が交錯していました。

これからトルコに行く方も、過去に行ったことがある方も、予定はないけれど気にはなっている方も、少し興味が湧きませんか?

トルコの地理的特徴について

トルコは、ヨーロッパとアジアの交差点に位置し、その地理的特徴から「東西の架け橋」として知られています。中でもトルコ最大の都市イスタンブールは、この橋渡しの象徴的な都市であり、ボスポラス海峡を挟んでヨーロッパ側とアジア側に分かれています。

┗ちなみに、トルコといえばイスタンブールが有名ですが首都はアンカラです。

歴史的に、トルコは東方のイスラム文化と西方のキリスト教文化が交わる場所であり、オスマン帝国時代から現代に至るまで、この二つの文化の影響を受けてきました。

そしてトルコの政治は、その地理的・歴史的な背景にも強く影響されており、国内外で大きな注目を集めています。

政治体制

トルコは共和制を採用しています。1923年に長きに渡って栄華を誇ったオスマン帝国が崩壊し、**ムスタファ・ケマル・アタテュルク**によってトルコ共和国が設立されました。

▶︎初代大統領アタテュルク。

なぜかあの甘ーいお菓子と同じ名前

▶︎▶︎イスタンブール旅行記Part20:絶品スイーツとグランドバザール探訪 - Let’s naotrip!

トルコは、長らく世俗主義を国家の基盤としており、アタテュルクが導入した改革によって宗教と政治の分離が強調されてきました。(自由にビールなどのお酒が飲めるのもこのおかげ)

▶︎▶︎カッパドキア旅行記:洞窟ホテル宿泊とトルコのビール事情 - Let’s naotrip!

しかし、近年では、イスラム主義の影響が強まっているとも言われています。

トルコの政治体制は、議会制と大統領制を組み合わせた「大統領制共和国」です。大統領は国家元首であり、政府の長でもあります。2017年の憲法改正により、首相職は廃止され、大統領に権力が集中する形となりました。この憲法改正によって、**エルドアン**大統領がより強力な権限を持つようになりました。

近年のトルコ政治は、エルドアンの強力なリーダーシップとともに、国内外で多くの議論を呼んでいます。2016年にはクーデター未遂事件が発生し、エルドアン政権はこれを契機に大規模な粛清を行い、多くの公務員や軍関係者が職を追われました。この出来事以降、トルコはますます権威主義的な傾向を強め、報道の自由や市民の権利が制限されるようになりました。

トルコの政党はエルドアン率いるイスラム保守主義政党が与党ですが、アタテュルクの属していた伝統的な世俗主義政党や、クルド系民族系の政党などの野党も存在しています。

トルコの政治は、エルドアンの強力な指導の下で大きな変革を遂げています。世俗主義からイスラム主義へのシフト、強力な大統領制への移行、そして国内外の複雑な政治環境への対応が、トルコの現在の政治状況を形作っています。

外交政策

トルコの外交政策は、地理的な位置と歴史的な背景から、非常に複雑です。トルコは**NATO加盟国**であり、欧米との関係を重視しつつも、近年ではロシアや中東諸国との関係も強化しています。特に、シリア内戦やリビア紛争などの地域紛争では、トルコは積極的に関与し、自国の利益を追求しています。また、難民問題においても、トルコは欧州への難民流入を防ぐ役割を果たしており、この点でも欧州との交渉力を持っています。

-EUとの関係-

トルコとEUの関係は、複雑で長い歴史を持っています。トルコは1963年にEC(欧州共同体)と協力協定を締結し、1987年には正式にEU加盟を申請しました。2005年にはEU加盟交渉が開始されましたが、人権問題や法治国家の問題などが交渉の進展を妨げています。トルコはEUに加盟することで、経済的および政治的な安定を強化することを目指していますが、EU側はトルコの進展を慎重に見守っています。

トルコのEU加盟交渉は、上述の通り、停滞していますが、トルコはEUとの関係を維持しつつ、アジアやアフリカへの影響力も拡大しようとしています。

-ロシアとの関係-

トルコとロシアの関係は、歴史的に複雑で、しばしば緊張関係にありますが、近年では経済やエネルギー分野での協力が強化されています。シリア内戦などでは、トルコとロシアが異なる立場を取ってきましたが、双方は戦略的利益のために協力する場面も多く見られます。特に、トルコはロシアからの天然ガス供給に大きく依存しており、エネルギー分野での関係は緊密です。

近年のロシア-ウクライナ戦争においては、トルコが両国の仲介を行い停戦に向けてテーブルを用意するといったことも行いました。

トルコにとって黒海を挟んで近隣の両国は経済的(軍事物資含む輸出入)にもつながりが深く、観光国としての立場からするとお得意様と言っていい国なのです。

世界が注目するこの戦争にトルコがどのような形で関わりを持っていくのかは非常に重要になってくるはずです。

まとめるとトルコは、東西の交差点に位置し、その歴史的、文化的、政治的な役割から、国際社会において重要な位置を占めています。EU加盟を目指しつつも、自国の利益を守るためにロシアとの関係を強化し、国際社会で独自の立ち位置を確立しています。

これらの要素が、トルコを一概に西側、東側などと言い切れない複雑で多層的な国際関係を形成しているのです。

トルコとクルド人の関係

トルコとクルド人の関係は、トルコの歴史や政治、社会に深く影響を与えてきた複雑な問題です。両者の歴史的背景、文化的特徴、そして現在の関係性について説明します。

トルコ人は、中央アジアからの移民が主に11世紀にアナトリア半島(現在のトルコ)に定住し始めたことに起源を持つ民族です。彼らはセルジューク朝オスマン帝国を築き、特にオスマン帝国時代には広大な領土を支配しました。1923年にトルコ共和国が設立された後、ムスタファ・ケマル・アタテュルクの指導の下、トルコ人を中心とする世俗主義国家が形成されました。

一方、クルド人は、トルコ/イラン/イラク/シリアの国境地帯にまたがって住む民族であり、独自の言語(クルド語)と文化を持っています。クルド人の起源は古く、メソポタミアの歴史とも関わりがあります。第一次世界大戦後のオスマン帝国の解体に伴い、クルド人は複数の国に分断されました。彼らが国を持たない民族などと呼称されるのはこういった背景からとなります。

-トルコ人の文化-

トルコ人の文化は、イスラム教の影響が強く、またオスマン帝国時代の文化的遺産も大きく残っています。音楽、ダンス、料理など、多様な文化が融合しており、特にイスラム建築などがトルコの芸術において重要です。また、言語はトルコ語が主流で、ラテン文字を用いています。

-クルド人の文化-

クルド人の文化は、クルド語とイスラム教(主にスンニ派)を基盤としていますが、ゾロアスター教やヤズィード教など、古代宗教の影響も見られます。

-トルコ政府との関係-

トルコにおけるクルド人の問題は、長年にわたりトルコ政府との対立の要因となってきました。トルコ共和国が設立された当初、政府は統一国家を目指し、クルド語やクルド文化の公的な表現を制限する政策を取っていました。このため、クルド人は自らの民族的アイデンティティを抑圧される形となり、不満が蓄積しました。

1980年代には、クルド人の権利を求める武装組織であるクルディスタン労働者党がトルコ政府に対して武装闘争を開始しました。これにより、トルコ南東部での武力衝突が激化し、多くの犠牲者が出ました。トルコ政府はPKKをテロ組織と見なし、徹底的な鎮圧を行いましたが、紛争は現在も解決には至っていません。

2010年代には、トルコ政府とクルド人の間で和平交渉が行われ、一時的に緊張が緩和しました。しかし、この和平プロセスは2015年に崩壊し、再び衝突が激化しました。トルコ政府はクルド人自治要求に対して強硬な立場を取っており、クルド人地域に対する軍事作戦を繰り返しています。

一方、クルド人はトルコ国内だけでなく、イラクやシリアでも自治や独立を求める動きを続けており、これが地域の不安定要因となっています。特にシリア内戦においては、トルコ政府がクルド人勢力を封じ込めるために軍事介入を行っており、国際的な批判を招いています。

-クルド人が日本に-

ここからは私の実体験を交えて記します。

私が学生だった10年ほど前。埼玉に住む親戚から「最近クルド人という特定の国を持たない民族が川口にたくさん移住してきている」という話を聞きました。

┗元々川口は中国人やヤ○ザが集まるアウトローな一面もありました

▶︎なぜか住みやすい街に選ばれたこともある川口の駅前

SOGOはもう無い…

その頃はどちらかといえば、帰る国のない可哀想な民族という位置付けで認識されていたように感じます。

彼らは地域とも関わりを持ち、彼らのお祭りなどを催して交流を図っているという話を聞きました。(事実、その祭りに行った親戚は楽しんでいたとも言っていました。)

しかし、ここ数年クルド人が問題を起こしたというニュースが取り沙汰されていることが多いように感じます。

(事実がそうなのか、メディアの姿勢がそうなのかは別としてあくまで私見としてフラットに記載しますのでご容赦ください)

そもそも日本に来ているクルド人の多くはトルコをはじめとする国からの弾圧などの理由で住むことができなくなった言ってしまえば「難民」です。

しかし日本は難民に対して非常に厳格な姿勢を持っており、他の先進国と比較しても難民認定率が非常に低いです。

日本では、難民認定を受けるためには厳しい審査が行われ、クルド人の多くが難民として認定されないまま不法滞在者としての立場に置かれています。

私個人としては移民や難民を未制限に受け入れること自体が国家の存亡を危うくすると考えているため、容易に受け入れを行うべきではないと考えています。

(ヨーロッパ各国、特にフランスなどを見ればそれは明らか)

しかし、日本政府の曖昧な立ち位置も相俟って問題が宙に浮いた状態で野放しになっていることが大きな問題です。

仕事に関しては安価で請け負った解体業を規則無視で危険な方法で行い、廃棄物は山へ捨てるなどが問題となっています。また彼らは徒党を組み日本人を襲撃したり、近隣住民への恐喝や恫喝、嫌がらせなど独自のアイデンティティに則った、日本に住む人間として在るまじき行動が横行しているのが現状です。

そういった問題に対し日本政府が適切に行動できておらず、後手後手になり社会問題が噴出していることを考えると、日本が国際社会との関わり方が特定の分野においては非常に未熟で在るのだと改めて認識させられました。

もちろん、クルド人を頭から否定することはしません。

トルコで出会った方の中にもクルド人の方もいましたし、時と場合によっては気持ちのいい交流が図れることは疑う余地もありません。

結果として今の現状があるのは10年も20年も前から日本に流れついてきていた彼らクルド人に対してなんの検討もしてこなかったことのツケが回ってきているのです。

言語の壁や文化的な違いもあり、クルド人は地域社会に完全に溶け込むことが難しい状況なのは明らかです。数十年もの間、日本での生活に関する課題や将来への不安が強く、心理的なストレスも抱えている中、移住者の数だけが増大し「数=パワー」となった時、歯止めが効かなくなり東京からも程近い埼玉の市の一つであり、さいたま市に次いで県内2位の規模を誇る市に大問題を引き起こしたのです。

戦いは数だよ兄貴!

▶︎ガンダムを見たことがない私ですら知っている名台詞

我々ができることはこの現状を踏まえて、これからどのように国際社会と向き合っていくのかを考え、国政に働きかけることです。

できるだけ多くの人にこの現状を知ってもらい、教訓として日本の将来を考える契機になればいいと思います。

最後に

文章を書いているうちに熱くなって『トルコ→クルド→川口』

と記事の中で迷宮に彷徨い、長い旅をしてしまいました。

今回、政治的な話や国際問題について触れる機会となりましたが、読者の皆様の意見も是非、聞かせていただけると嬉しいです。

様々な意見があって当然なので私も物事を多角的に見れるよう、尽力して参りますのでコメントお待ちしております。

冒頭に話していたトルコリラについては次回お話ししようと思います。

一応、金融業に従事するものとして、お金の話で1記事くらい話せるかな?

また次回、お会いしましょう。

-nao trip-