「BEASTARS」特集 板垣巴留×米津玄師対談 - コミックナタリー 特集・インタビュー (original) (raw)
週刊少年チャンピオン(秋田書店)で連載されている、二足歩行の肉食動物と草食動物が共生する世界を舞台とした“動物版ヒューマンドラマ”。物語は全寮制のチェリートン学園で、アルパカのテムが何者かに食殺されたことから動き出す。演劇部のハイイロオオカミ・レゴシを軸に、食殺事件の犯人探し、種族を超えた恋や相容れることのない対立、動物たちを統べる英雄「ビースター」の称号争いなどが描かれる青春群像劇だ。
2017年、宝島社が刊行する「このマンガがすごい!2018」オトコ編で第2位を獲得したのを皮切りに、2018年には第11回マンガ大賞、第21回文化庁メディア芸術祭マンガ部門新人賞、第22回手塚治虫文化賞新生賞、第42回講談社漫画賞少年部門を受賞した。
動物に寄せれば寄せるほど人間的な部分が浮き彫りになる(米津)
板垣巴留 対談をすることになっていろいろ米津さんのことを調べたんですけど、米津玄師っていうお名前は本名なんですね。Twitterを見たら保険証が載せてあって驚きました。自分がもし米津さんみたいに大きい体を持って生まれたうえに「米津玄師」って名前だったら、そりゃあ「何かを成し遂げねば」と思うなと。私は何事も名前ってすごく大事だと思うんですよね。名前に思い入れはありますか?
米津玄師 昔は自分の名前が本当にイヤでした。珍しい名前だとけっこういじられたりもして。漢字も玄人の「玄」に師匠の「師」なんて仰々しいし、「名前負けして生きていくことになるんじゃないか」という危惧があったんですよ。子供の頃はあんまり意識してなかったですけど、名前にちゃんと見合う人間として生きていかなければならないっていう感覚はどこかにあったんじゃないかなと思いますね。俺も名前はすごく大事なものだと思います。自分の心と身体は互いに作用を及ぼすものだから。玄師って名前じゃなかったら今とは違う生活を送っていただろうなって思います。
板垣 やっぱり名前って大事ですよね。私はあまり音楽は詳しくないので、米津さんのことは失礼ながら名前を知っているぐらいだったんです。車(Honda「JADE」)のテレビCMで流れていた「LOSER」を聴いて、「アゲアゲな曲調だけど、『LOSER』っていうタイトルなんだなあ」と思ったんですよね。米津さんの音楽はすごく若者に愛されている印象があります。
──板垣さんのもとには「米津玄師さんの曲やイラストと世界観が似ている」というファンレターが多く寄せられているそうですね。
板垣 「レゴシが米津さんに似ている」「米津さんの曲と世界観が似ている」っていうコメントだったり、「この話を読んで米津さんのこの曲をイメージしました」という感想だったり、米津さんについて書かれたお手紙が本当にたくさん届いて、「へえ、そうなんだなあ」と思って読んでいましたね。
──米津さんはマンガ好きとして知られていますが、この「BEASTARS」をいつ頃知ったんですか?
米津 今年に入ってからですね。去年のツアー、1月の追加公演を終えて(参照:米津玄師“居場所”見つけたツアー完遂、武道館で菅田将暉と初共演)、インプットのために音楽活動をしない空白期間があったんです。その期間はKindleで買った大量のマンガを日光浴をしながら読むことが趣味になっていて。その中に「BEASTARS」があったんですけど、とても面白くて時間を忘れて読みふけっていたら、すごく日焼けをしてしまいました(笑)。
──「BEASTARS」のどんなところに面白みを感じましたか?
米津 何かを擬人化するマンガっていろいろあって、それぞれ擬人化のグラデーションというか、程度があるじゃないですか。「BEASTARS」だったら人から獣の間にグラデーションがあるんだけど、この作品はすごく獣に近いところに“擬人化”の点を置いていて、安易に人間的にはしない。動物に寄せれば寄せるほど人間的な部分が浮き彫りになって、学園生活の中で巻き起こることがよりリアルに感じられるというか。本当に面白いマンガです。
板垣 ありがとうございます。ほかのインタビューで「今までなかった新しい作品」だと言っていただくことが多いんですけれど、私は草食獣と一緒に暮らす肉食獣に“肉を食べたい”という本能が残っていることについて「人間のみんなもそうじゃない?」と思うところがあって。人間は草食と肉食みたいに、男と女っていう壁を乗り越えようとしたり、壊そうとしたり、もがいているわけじゃないですか。だから私としては新しい切り口とはあまり思っていなくて、みんなのことを動物に置き換えて描いているだけなんですよね。
米津 動物たちの関係を描くことで、より普遍的なものとして表現できているのがすごいですよね。「人間はクラスメイトを食べないじゃないか」って言われるかもしれないけど、そういうことじゃない。自分たちが生きている人間の社会の鏡として、このファンタジーは成り立っているんですよ。というか、そもそもファンタジーの持つ役割ってそういうものだと思うんですよね。この作品では動物をより動物らしく擬人化させることで、それが成立しているというか、ものすごく高い次元で機能していて試金石のようになっていて。「人間社会にはクラスメイトを食べるやつはいないからここで起こっていることは違うことなんだ」って目を逸らすこともできるかもしれないけど、人間の社会にも、肉食獣に怯える草食獣たちのようにいじめや性暴力に怯えながら生きている人たちもいる。それをストレートに(人間で)描くとものすごくエグくて、グロテスクなものになってしまうところを、動物化して表現することでポップに見せているんですよね。そういうバランス感覚が、自分が音楽を作るうえで目指したいと思っているものに近いなと感じました。