週刊少年サンデー特集 編集長・市原武法インタビュー - コミックナタリー 特集・インタビュー (original) (raw)

僕は自分のことを“捨て石”だと思っているんです

──市原さんがサンデーの編集長に就任し、「サンデーは大きく変わる」と宣言されてから5年が経ちました(参照:週刊少年サンデー特集、新編集長・市原武法インタビュー)。この5年の間にはどんな変化がありましたか?

とにかくこの編集部を戦える集団にしようという思いがあったので、まず編集部の意識改革が一番重要でした。そこは激変したと思います。作家さんは作家さんで、例えば新人作家さん向けのマンガ勉強会を開いて、それは青山剛昌先生や藤田和日郎先生に講師をやっていただいたりしてるんですけど。

──へええ。

そういうこともやっていますけど、「少年サンデー」というブランドをよりよいものにするためには、まずプロデュースする側である編集者が変わらないと何も始まらない。僕がサンデー編集部に戻ってきて初めに衝撃を受けたのは、新人作家さんの育成がまったく進んでいなかったこと。現場編集者の意識も低くて、育成の態勢がまったくできていなかった。でもそれは現場の編集者が悪いとかではないんです。長年にわたる低迷の中で「サンデー」というマンガ編集部の“風土”や“文化”と言うべきものが壊れ、失われてしまった。そこで、ブランドとしての魂とも言うべき「少年サンデーの風土・文化とはなんなのか」を明確に提示できるのは編集長である僕だけであると考えていたので、それをきちんと作り直し、全員に伝えることが僕の改革の第一歩でした。新人作家育成というのは何をすればいいのか。どういうことを毎日考えて、努力していけばいいのか。“チーム・サンデー”は何を目的として日々動いていくのか。そういうことを日々伝えていくことから始めました。まずは編集者全員と面談したんです。すると未熟だったりノウハウは何も知らないんだけど、マンガに対する情熱は溢れるほど持ってる若手はけっこういてくれたんです。そこは希望がありましたね。

市原武法編集長

──5年前は「現状に満足していない」というお話でしたが……。

満足していないというか、あまりにもリアルすぎて5年前は言えなかったんですけど(笑)、僕が戻ってきた2015年の少年サンデーって、創刊以来の悪い数字になりそうだったんです。経営的、運営的に未曾有の危機を迎えていた。僕はサンデーが好きでこの会社に入ってきたので、サンデーの編集長をやれと言われて異動することになって、大変だろうというのは外から見てもわかっていたんですけど、僕にできることがあるんだったら進退をかけてがんばろうという思いだけでした。それで、まずは編集者に新人作家さんを育成する能力を身に付けさせないといけないと。同時並行で新人作家さんを獲得してもらわないといけない。だけど当初は現場の編集者たちの眼力を1ミリも信じてませんでした。信じる根拠がなかった。それもあって、全部の新人賞から読み切りまで僕が見てたんです。

──5年前のインタビューで「新人作家さんの読み切りのネームから連載企画のネームまで、全部僕1人でOKかボツかを決定することにしました」とおっしゃっていましたね。

「信用してない」っていうと「リーダーとしてそれはどうなの」と言われるかもしれないですけど、当時は大変な非常事態であり、僕らにはマンガ家さんという大切な仕事相手がいるので。例えばすごく才能のある新人が来たときに「この人、才能がないな」なんて返してたらその才能のある新人さんに失礼ですから。ネームにすべて目を通すというのは、最初の3年は自分でやっていましたけど、今はチーフ制度という、5〜6人の班単位で編集者たちが新人育成の情報を共有し合える環境を作ったので、その各班のチーフに任せています。

──チーフ制度については週刊少年チャンピオン(秋田書店)の武川新吾編集長との対談でもお話されていましたね(参照:週刊少年チャンピオン50周年 対談連載第1回 武川新吾(週刊少年チャンピオン編集長)×市原武法(週刊少年サンデー編集長))。

週刊少年サンデーと同誌連載作の単行本。

僕らの仕事は2種類あって、今連載している作家さんたちを支えて、連載作品をきちんと盛り上げるっていうのが表の仕事。それに加えて“種を残す”という裏の仕事があるんです。両方重要なんですけど、種を残すという裏の仕事をちゃんとやらないと、今はよくても5~10年後に雑誌は衰退する。特に編集長は、今のチームの現状は10年前からの積み重ねに過ぎないのだから、そこだけにとらわれずにこれからの5年、10年に何を残すのかを考えて行動しなければ意味がありません。次世代の子たちにどれだけの遺産を残せるか。それを考えてやっていかないと編集長失格だと自分に言い聞かせています。

──目の前のことだけではなく、はるか先を見据えて行動していかないといけない。

それと、ここまで長く低迷したチームを本当に強いチームにするためには必ず犠牲者が必要なんですよ。強力な犠牲者が。なので僕は自分のことを“捨て石”だと思っているんです。サンデーの編集長としては僕が捨て石になって、それを礎にしてもらって、今後のサンデーが長く長く成長してくれればいいわけで。僕がよく編集の幹部連中に言っているのは「二度と僕のような目に遭う編集長を出してはいけない」ということ。普通は僕のような目に遭う必要はないんですよ。きちんと代々遺産が受け継がれていて、正しくチームが運営されていれば本来、大改革なんて必要ないんですから。

──それがうまく機能していなかったと。

市原武法編集長

僕の改革はもともと8年計画だったんです。僕の8年計画の中でできることっていうのは、強い強い成長軌道に入るための礎を築くこと。数字だけで言えばサンデーは5年前から500パーセントくらい業績が跳ね上がっていて、右肩上がりで順調に復活はしているんです。僕はゲッサン時代を含めて12年間編集長をやっていますけど、業績が悪化したことは1年もないんです。でもそれは僕にとっては当たり前のことで、毎年業績を伸ばすことが僕の最終目的ではない。僕の夢は「サンデーを日本最強のブランドにする」こと。サンデーを本当に強いブランドにすることなんです。今やっていることは、その目標のための土台作りなんです。週刊少年誌はジャンプもマガジンもチャンピオンもありますけど、それぞれのチームが作家さんとともに毎日毎日同じように努力しているわけで。1年や2年で勝ったりするものではない。どうやったら本当に強いチームになって勝てるのか。本気で勝つんだったらどんなにがんばっても20年かかります。それは向こうも偉大な歴史を積み重ねてるわけですから。そんなに簡単に勝てるものではないですし、こっちは追う立場なので何倍も努力しないといけない。その礎となる8年間をどう創り出すのかっていうのが僕の使命ですね。その意味では8割方やることは終わったかな思っています。ただ8年で完全に改革が終わるわけではないんですよね。

──なるほど。

業績も回復していますし、ヒット作を出せるような新人さん、作家さんを多く育成できるようになってきましたけど、でも僕が本来望んでいることはこんなものではない。もっともっと強い組織にしないといけないんです。それこそ成長の早い業界だったらまた違うんでしょうけど、少年マンガって農業なので。本当に超スロービジネスだと思っているんです。新人作家さんや若手編集者という“人間”を育てるのが仕事なんですから。土の質を改良して、養分を大量に用意して、そこから力強く芽を出して大輪の花が咲くまでのタームがある。なので本当に強いブランドにするための礎を今築いていて。6年目に入って、その作業を僕が無理をしてアホみたいに体壊しながらやる必要はなくなってきたかなっていう感じにはなりました。だいぶもう体にガタが来ている状態ではありますけど(笑)。

──5年前は「睡眠時間は厳しい」と話していましたよね。

それは週刊少年誌のボスをやってるとね。でも僕は精神的にはあまり気にならないタイプなので、つらいわけじゃないんですよ。大変楽しい。大変楽しいんですけど、業務的に体がつらい(笑)。

──チャンピオンの武川編集長との対談でも「マンガの仕事は全部楽しい」と話していたのが印象的でした。

全部楽しいですよ。何も不満はない。だからさっきの「捨て石」っていうのも役割的な話で、「俺は捨て石なんだ……」と悲観的に思っているわけではないですよ!(笑) 僕は歴史とか、人間の集合体の運命というものが昔から大好きなので、自分がなんの役割を果たしたらサンデーというチームがもっとも強くなれるのかって考えたときに、最も適した役割をきちんと自分で果たそうと思っているだけです。別に「俺はかわいそうな奴だ」とか思ってないですよ(笑)。毎日楽しいです。たまたま僕がその時期にいるだけで、誰かがやらなきゃいけないことなのでやっているだけです。

新人育成の正しいサイクルができてきた

「古見さんは、コミュ症です。」1巻

「魔王城でおやすみ」1巻

──5年前にも「これからは新人育成に力を入れる」ということはお話されていましたが、5年前に「古見さんはコミュ症です。」のオダトモヒトさん、「魔王城でおやすみ」の熊之股鍵次さんが本誌で読み切りを発表されて、翌年には2作の連載をスタートしていました。それが今ではおふたりともサンデーの看板作家という立ち位置にまで来ていますよね。

それは新人育成の正しいサイクルができたということですね。2016年に彼らは連載をスタートしていますけど、連載が始まったということはその前に長い長い新人時代があるわけで。優秀な新人さんを誠実に探してきて、きちんと担当して育成を開始する。そこから連載に辿り着くまでに最低でも3~5年はかかりますから。すごく早い人もいますけど、平均すると早くて3年。2016年に「古見さん」や「魔王城」が始まって、「魔王城」が映像化されたのが今年ですよね。だから連載開始して4〜5年後、新人さんと出会ってからだと7~10年後くらいに収穫の時期が来るというか、作品が一番多くの読者の方の目に届くような時期が来るんですね。その収穫の時期を1人の編集長のエゴなどで無理にコントロールしようとしてはいけない。例えば僕らがもっと早くこの収穫の時期を迎えたいんだって言っても、作家さんには作家さんの人生がありますから。その作家さんにとって一番よりよい時期に最高の状態で多くの読者の目に触れる映像化であったり、全盛期が来るっていう形が一番重要なんです。そうやって新人さんたちが活躍する、それを受けてまた新しい新人さんが集まる。それは1年後より2年後、2年後より3年後のほうが当然新人さんのレベルも高くなっていなければなりません。じゃないとチームとして成長しませんから。そのサイクルにようやく入れたって感じですね。

──5年前に「2年以内には連載作家陣の顔ぶれも変わってくる」というお話もされていましたが、当時から続いている30本前後の連載のうち、今も続いている作品は5作品ほどしかないんですよね。5年でこれだけ変わるというのはそもそも雑誌としてはよくあることなんでしょうか?

あることはあると思うんですけど、健全にマンガ雑誌が運営されているときは、普通だともうちょっとミルフィーユ状に連載作品があるんですよ。超長期連載っていうのはどの雑誌にもありますよね。うちで言えば「名探偵コナン」とか、続編にはなりますけど「MAJOR 2nd」とか。そういった超長期作品っていうのは当然多くの読者が望んでいるものですからがんばっていただいて、それに加えてメディア化されたりした30〜40巻続いている長期作品が3〜4本あって、そこからさらにこれからアニメ化されるだろうみたいな10〜20巻の作品がいくつかある。30本連載があったら、絶えず安定している作品は20本ほど。その中で「超長期連載」「長期作品」「今旬の作品」という3つの層が成されている。それ以外の年間5~10本は入れ替わるっていうのが普通なんです。だけどさっきも言ったように5年前はそのミルフィーユが完全にぶっ壊れている状態で。

──インタビューの時点で「けっこうな本数の打ち切りを決めた」と言ってましたよね。

まずはきちんと読者の方が読んでくれて、「楽しい」「面白い」って思える作品を揃えないといけない。アンケートだったり反響だったりで人気があって、僕が読んで手応えのある作品を10本、それをまず揃えるようにしていきました。そこから次のステップは、年間5~10本入れ替えれば、雑誌の戦力を常に維持できるっていう状態に持っていく。それが大変でした。ただ新しい作品を増やせばいいわけじゃなくて、大事なのは作品のクオリティ。読者の方が雑誌を買っていただいて、満足していただける。できればコミックスも買いたいと思えるような作品であること。そのミルフィーユ状を回復することが雑誌として最大の改善点の1つだったので、ようやくその状態の初期に持ってこれたと思います。

週刊少年サンデー 2020年46号

──5年の間に「マギ」や「銀の匙 Silver Spoon」などの人気作が終了する一方で、「古見さんは、コミュ症です。」が人気を博したり、「魔王城でおやすみ」のアニメ化が決まったり、「天野めぐみはスキだらけ!」がサンデーSから本誌に移籍して長期連載作になっていたりと、大きい作品が終了していっても新人作家さんの作品がサンデーの看板を張っている印象です。

大きな作品が終わるたびにさまざまな関係者の皆さんが「大変だ、どうする気なんだ」って言ってくるんですけど(笑)、きちんと大団円で作品が終わるっていうのは大切なことなので。作家さんには作家さんの人生がありますから。でも新人育成のサイクルがきちんとしていれば何が終わろうと怖くないんですよ。連載がひと段落した作家さんも次がんばっていただければいいし、当然サンデーじゃなくてほかの雑誌に行く方もいますけど、それはまた新人さんががんばればいいわけで。帰ってきてくれる作家さんもいますし。それは至極真っ当なことですよね。