ミルクボーイ駒場孝の「えっ、この映画ってそんなこと言うてた?」 第3回「ホーム・アローン」 (original) (raw)

ミルクボーイ駒場孝の「えっ、この映画ってそんなこと言うてた?」

映画超初心者・ミルクボーイ駒場孝の手探りコラム「えっ、この映画ってそんなこと言うてた?」 第3回[バックナンバー]

ずっとタイトルを間違えて覚えていた「ホーム・アローン」

いくらバタバタとしてたとはいえ、ほんまにそんなことなる?

2023年12月21日 20:00 14

これまで名作をほぼ観たことがないまま育ち、難しいストーリーの作品は苦手。だけど映画を観ること自体は決して嫌いではないし、ちゃんと理解したい……。そんな貴重な人材・ミルクボーイ駒場孝による映画感想連載。文脈をうまく読み取れず、鑑賞後にネット上のレビューを読んでも「えっ、この映画ってそんなこと言うてた?」となりがちな彼が名作を気楽に楽しんだ、素直な感想をお届けする。

第3回に観てもらったのは「ホーム・アローン」。クリスマスの時期にテレビで放映されることも多い定番コメディで、駒場も楽しく鑑賞した様子。ただ、「映画を観るときに揚げ足は取りたくない」という彼が、子を持つ親としてどうしても気になることがあったようで……。

文 / 駒場孝(コラム)、松本真一(作品紹介、「編集部から一言」)

知っていることといえば少年のあのポーズ

こんにちは、ミルクボーイ駒場です。

前回は公開前の「ゴジラ-1.0」を試写会で観させてもらい、公開されるまでの数日間、「自分は先に観ている」という優越感に浸りながら過ごしましたが、今回は通常通り昔の有名作品です。

今回鑑賞したのは「ホーム・アローン」です。日本で公開されたのが1991年らしく、その後もテレビで何度もやっていたので小学校などでも話題に挙がっていた気がします。もちろん僕は観てなかったので、そんな話になるとしれっとその場を離れて、ねり消し作りが忙しいふりをしたり、離れられない場合は小学生にできる全力の愛想笑いなどをして話を合わせていた訳ですが、そもそもその当時は会話を聞いているだけで実際字面を見たことがなかったので「ホーム・アローン」ではなく「ホーマーローン」だと思っていました。「昨日『ホーム・アローン』観た?」と言われ僕は「『ホーマーローン』観てない」と返していた感じです。字で書くとおかしいのがすぐわかるのですが、発声すると「ホーム・アローン」も「ホーマーローン」もそう変わらず、なんなら「ホーマーローン」のほうがいい発音なのかなと思われるくらいで会話としては支障なく成立してしまっていたのです。

ちなみに、小学校低学年くらいまで「ホーマーローン」と思ってたふうに言ってますが実際は下手したら中学で英語の授業を受けるくらいまでは「ホーマーローン」と思っていた気がします。

「ホーム」が“家”で、「アローン」が“1人”とか“孤独”という意味であることがわかり、「ホーム・アローン」なんやとちゃんと理解して、発声するときも「ホーム・アローン」と言えるようになりました。

あと「ホーム・アローン」で知ってることと言えば金髪の少年が両手で顔を押さえてムンクの叫びみたいなポーズでびっくりしている、ということくらいです。鑑賞前の事前情報は少なめではありましたが、ポスターなど観る限り僕の苦手な「宇宙系」の話ではなさそうだし同じく苦手な「時代系」の話でもなさそうだったので、気楽な感じで観れるかなと思って観始めました。

「それはそういうもん」という解釈も必要なのでしょうか?

しかし始まってすぐ、めちゃくちゃ焦りました。「子供が何人も走り回っていて、おじさんおばさんも何人かいてる……人がめっちゃ出てくるやん……」と思いました。そうです、僕は「宇宙系」「時代系」に続いて登場人物の多い「人多い系」も苦手なんです。本などでもそうなのですが、人多い系の本の場合、何回も最初のほうのページの人物紹介みたいなところを見返しては本編に戻って、というふうにペラペラペラペラして全然進みません。まだ本なら自分のペースで行ったり来たりできるのですが、映画はどんどん進んでしまうのでより難しいのです。ストーリーを追いかけるだけで精一杯なのに、誰が誰で、それがどういうつながりで、などの相関図を頭に残しながらストーリーを追っていくというのが本当に苦手で、極力人は少なくあってほしい、もしくはたくさん出てくるならそれぞれがまったく違う容姿の人でいてほしいんです。さらに日本人ならまだがんばって判別できますが、外国人となるともう本当に顔が同じに見えて訳がわからなくなるのです。思わぬ落とし穴からのスタートで、冒頭から目を血走らせながら観ていました。そしてなんとか最初の人多いゾーンを抜けたあとは、「アローン」ということで人が少なくなったのでなんとか落ち着きました。

その後の感想としては、一番メインと思っていた、少年が両手で顔を押さえて「アー」と叫ぶのはそんなところで発動するんやとか、蜘蛛はその後どうなったんやろうとか、ものすごい距離あるのに車で帰れるんや、など思いました。ただ全体的に言うと僕は年間イベントの中で特にクリスマスが大好きで、シーズン問わずクリスマスソングを聴いたりするくらいなので、クリスマスの雰囲気がずっと漂うこの映画はとても好みでした。あと、ピタゴラスイッチ的な細かな仕掛け系も好きなので、そんなところもワクワクしながら観させてもらいました。

ただ今回強く思ったのが、「そんなこと言うてた?」ではなく「それほんまにそんなことなる?」ということなのですが、本当に申し訳ないですが、やはり主人公の少年が1人になってしまう理由がどう考えても解せなかったです。いくらバタバタしていたとは言え、そんなことになりますか。家出るとき慌ててしまってスマホを忘れる、ということと次元が違うじゃないですか。僕は常々、作品の揚げ足を取りたい訳ではないので嫌な見方はしませんが、これはストーリーのきっかけになる大切な部分なのでかなり引っかかりました。ほかの人はどう思っているのかと思い映画好きの後輩にも「あれはどうなのか」と聞きました。しかし後輩からは「それはそういうもんですやん」と言われました。僕は親になってまだ2年弱ですが、この先どんな状況になろうと絶対あんなことにならないと思うんです。少年を1人にさせる理由なんてほかにいくらでもあるような気はするのですが……。

これは僕の「映画器」が小さいだけなのでしょうか? 「それはそういうもん」という解釈も必要なのでしょうか? 僕だけが取り残されて「ムービー・アローン」状態になっているのでしょうか? 最後まで気になってしまいました。映画は深いですね。でも全体的にはとてもポップで愉快な映画でした。これからもいろんな映画を観て勉強しようと思います。

編集部から一言

「気軽に観てもらえるかな?」と思ってこの作品を指定したのですが、序盤に家族がたくさん出てくるのがハードルを上げていたとは。確かに「少年と強盗2人の戦いがメイン」と知らずに観ると、「この家族の名前、全員覚えないと……」と思ってしまうのかもしれません。それにしても駒場さん、苦手な「系」が多すぎませんか? それでも楽しく観てくれるのが非常にありがたいです。ケビンが1人取り残される状況については、自分も子供の頃、大人に「これはかわいそうすぎるのでは」と聞いて「子供が増えると末っ子はそういうものなのかも」と言われたことがあります。今回の問いかけを読んで「やっぱりあれはひどい」と思い出すことができてよかったです。

ホーム・アローン(1990年製作)

シカゴに住む大家族・マカリスター家は、クリスマス休暇に家族でのパリ旅行を計画する。しかしあるトラブルにより、8歳の末っ子ケビンは自宅に取り残されてしまった。うるさい家族がいなくなり、1人暮らしを楽しむケビンだが、家族が誰もいなくなったと思い込んだ2人の泥棒が家を狙う。ケビンは家を守るべく、さまざまな仕掛けを作って泥棒たちを迎え撃つ。主演はマコーレー・カルキン。監督はクリス・コロンバスが務めた。

駒場孝(コマバタカシ)

1986年2月5日生まれ、大阪府出身。ミルクボーイのボケ担当。2004年に大阪芸術大学の落語研究会で同級生の内海崇と出会い、活動を開始。2007年7月に吉本興業の劇場「baseよしもと」のオーディションを初めて受け、正式にコンビを結成する。2019年に「M-1グランプリ2019」で優勝し、2022年には「第57回上方漫才大賞」で大賞を受賞。現在、コンビとしてのレギュラーは「よんチャンTV」(毎日放送)月曜日、「ごきげんライフスタイル よ~いドン!」(関西テレビ)月曜日、「ミルクボーイの煩悩の塊」「ミルクボーイの火曜日やないか!」(ともに朝日放送ラジオ)など。