高島忠夫が88歳で死去、高嶋政宏と高嶋政伸がコメント (original) (raw)
俳優の高島忠夫が、老衰のため6月26日13時1分に死去した。享年88だった。
1930年に兵庫県で生まれた高島は、1951年に新東宝第1期ニューフェイスとなり、1952年に「恋の応援団長」でデビュー。「キングコング対ゴジラ」「怪獣島の決戦 ゴジラの息子」「ゴジラVSメカゴジラ」といった「ゴジラ」シリーズへの出演でも知られる。1963年には寿美花代と結婚し、夫婦で料理番組「ごちそうさま」の司会を26年間務めた。2003年には自身のうつ病体験を著した「『うつ』への復讐」も出版。次男の高嶋政宏、三男の高嶋政伸はともに俳優として活躍している。
26日に自宅で息を引き取った高島。通夜や葬儀、告別式については、寿美の「最期は家族で見送りたい」という希望から、家族のみで密葬を執り行った。お別れ会などの開催は予定していない。
このたび所属事務所を通し、高嶋政宏と高嶋政伸がコメントを発表。高嶋政宏は「母曰く最後は眠るように旅立っていった、のがせめてもの救いです」と、高嶋政伸は「父は、最後まで明るく良く通る声で笑ったり、話したりしながら、大好きだったフリオの歌声に包まれて、本当に穏やかに旅立ちました」と述べている。
※高嶋政宏の高は、はしごだかが正式表記
高嶋政宏 コメント
病院からの、あと5分後にご家族集まってください!のエマージェンシーコールが頻繁にあるようになったのが2年前。その度に全身が総毛立つような感じにはなりましたが、ここ数ヶ月、寝たきりの状態が多くなり、呼吸も弱まり、母曰く最後は眠るように旅立っていった、のがせめてもの救いです。マスコミそして父のファンであった皆様、報告が遅くなりましたことお許しください。ありがとうございました。
高嶋政伸 コメント
父は、最後まで明るく良く通る声で笑ったり、話したりしながら、大好きだったフリオの歌声に包まれて、本当に穏やかに旅立ちました。このような穏やかな最期を迎えられましたのも、長きにわたり父、高島忠夫を応援して下さった皆様のおかげだと思います。心より感謝を申し上げます。
リンク
- 高島忠夫 |東宝芸能オフィシャルサイト
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