オムニバス「さりゆくもの」予告、瀬々敬久らの感想も (original) (raw)

女優で映画監督のほたるが企画発起人を務めたオムニバス映画「短篇集 さりゆくもの」の場面写真が到着。YouTubeで予告編も公開された。

ほたるの監督2作目となる無声映画の短編「いつか忘れさられる」をきっかけに、“去っていったものや亡くなった人たちを遺す”というテーマに共鳴した監督陣によって作られた本作。「いつか忘れさられる」に加え、小野さやかが2011年に撮影したドキュメンタリー「八十八ケ所巡礼」、山内大輔によるホラー「ノブ江の痣」、小口容子が手がけた「泥酔して死ぬる」、サトウトシキが監督、故・櫻井拓也が主演を務めた「もっとも小さい光」が、オムニバスとしてまとめられた。予告編では「いつか忘れさられる」より、祷キララ演じる女性の姿などが確認できる。

なおこのたび、本作を鑑賞した著名人から応援コメントが到着。映画監督の瀬々敬久は「扱っているのは『死』であり、翻っていえば『生きること』だ」「それは、『さりゆくもの』たちへ『遺されたもの』たちが『どう関わりながら生きていくのか』についての問い方の暖かさに他ならない」と感想を述べる。俳優の川瀬陽太は、ほたるを「ジャンルや表現の強烈な振幅の只中に身を投げ、常に『空っぽの器』として総てを受け入れてしまう彼女はまだ、底を見せてはくれない」と称賛する。そして映画監督の小林政広は「ジャンルの垣根を飛び越えて、脳天に突き刺さってくる。いやあ、参った。参りました! コロナ禍の中、ソーシャルディスタンスをとりながらの映画鑑賞にも、最適の一本です」とメッセージを寄せた。全9名のコメントは以下に掲載している。

「短篇集 さりゆくもの」は2月20日より東京・K's cinemaほか全国で順次公開。

瀬々敬久(映画監督)コメント

このプロジェクトはとにかく楽しい。
扱っているのは「死」であり、翻っていえば「生きること」だ。
それでも友達の家で8ミリ上映会をわいわい見ている気分に近く、心地いい。
それは、「さりゆくもの」たちへ「遺されたもの」たちが「どう関わりながら生きていくのか」についての問い方の暖かさに他ならない。

川瀬陽太(俳優)コメント

自分が商業映画の俳優を始めて程なく女優・葉月螢と出会った。ほたると名を変えて久しいがその間二十余年、ずっと彼女の事をうまく説明できずにいる。何十回共演したかわからないが、本当にそうなのだ。少し怖くもある。今回の短編集を観て益々惑わされた。ジャンルや表現の強烈な振幅の只中に身を投げ、常に「空っぽの器」として総てを受け入れてしまう彼女はまだ、底を見せてはくれない。

小林政広(映画監督)コメント

いやあ、参った。参りました。ほたるプロデュース「さりゆくもの」は、ほたる自身の監督作を含めて5本の短編が収められているが、どの作品も、個性的で、魅力的。ジャンルの垣根を飛び越えて、脳天に突き刺さってくる。いやあ、参った。参りました! コロナ禍の中、ソーシャルディスタンスをとりながらの映画鑑賞にも、最適の一本です。

港岳彦(脚本家)コメント

みんな去っていくんだよね。見送っているうち、いつのまにか新しい命が背中に追いついて、自分も見送られる側なんだと気づく。愛したり愛されたりしながら、おれもあなたもみんな彼岸へ流されてしまう。この映画を見ながら、そんな儚さをずっと感じていました。

いまおかしんじ(映画監督)コメント

ほたるさんのは、最初音がしなくてびっくりした。小野さやかのは、山田さんとやっちゃうんじゃないかとドキドキした。山内さんのは、ぶら下がったトイレットペーパーが怖かった。小口さんのは、狂ってて笑った。トシキさんのは、櫻井くんに会えて良かった。

常本琢招(映画監督)コメント

「いつか忘れ去られる」。生々しい、映画だった。サイレントで延々続く家族の朝の儀式を、自分もその食卓に参加して体感させられるような…この生々しさは何かに似ている、何だろう?と考えていたらわかった。ピンク映画の「ラッシュ」を見ている時の感覚にそっくりだったのだ。音がつき、アフレコのセリフが入り、映画としての結構が整えられていくにつれ失われる「生々しさ」と「強度」。今はピンクも同録と聞くが、かつてあったその感覚を、ほたる監督は取り戻したかったのか…。

橋口卓明(映画監督)コメント

「短篇集 さりゆくもの」を見て思いました。さりゆくものの世界って地層のようにどんどんとパラレルに折り重なっていくようです。重力に逆らっては生きられない私たちは、積みあがった、さりゆくものの地の上で生きていく。地の上は決して美しいだけの場所には思えないけれど、不確かなその先に悲しみのかすかな光が小さな希望のように見えたような気がしました。

牧村朝子(文筆家)コメント

「八十八ヶ所巡礼」の重要なシーンで流れる音楽を担当したバンド、その名もまた八十八ヶ所巡礼の略称は、「88」。八十八ヶ所巡礼っていう言葉ができた頃、日本に未だアラビア数字は入ってきていなかったはず。なのに。
88 ∞∞
昔の人は、想像しただろうか? 未来の日本に入ってくる異国の数字で、「八十八」をこんなふうに書くだなんて。さりゆくものは、めぐる。向き合い、寄り添い、解き放たれて。

木村文洋(映画監督)コメント

遺志はおそらく、耳をそばたてる者にしか囁かれない。
浴室に沈む死体のように、暴力を忘れ生きる人間の人生の背後に、数重なる耽溺のノイズの底に。遺志は、いつの間にか硬く沈む。囁きが、なにかを喪う覚悟で感覚を凝らさなければ対峙できないとする人生の態度は、恐らく映画のフィルムでなにが映せるのかという問いと、じっと正座し待つほたるの立ち姿に通っているのかもしれない。ただそれはまだどちらかといえば、櫻井拓也の寒空の苛立ちの人生と、小野さやかの、世界の豊穣に出逢う喜びとに、感情移入してしまう自分にとっては、未だ分からない心境なのかもしれない、が…。
大事なひとが戻ってきていないことを、失語で見つめつづけることは、沈めることではない。
映画の無言のはじまりが、竹浪春花の素晴らしすぎる言葉で掘り起こされる瞬間に泣いた。

(c)2020「短篇集 さりゆくもの」製作委員会