脳死に近い状態と宣告された娘と家族の記録映画が公開 (original) (raw)

ドキュメンタリー「帆花」が1月2日より東京・ポレポレ東中野ほか全国で順次公開される。

國友勇吾が監督を務めた本作は、生後すぐに脳死に近い状態と宣告された帆花ちゃんと母親の理佐さん、父親の秀勝さんが過ごす家族の時間に寄り添った作品。「春を告げる町」の監督・島田隆一がプロデューサーを務め、「東京クルド」の編集を担当した秦岳志、「台湾萬歳」の整音を担当した川上拓也がスタッフとして参加し、撮影から10年の歳月を経て完成させた。

本作を鑑賞した宇多丸(RHYMESTER)は「安全圏からお気楽に、『いわゆる美談』として消費できるような作品では、まったくない。むしろ観客は、次々と湧き上がってくる複雑な感情や思考と絶えず格闘し、かつてないほど深く重く、『人が生きるということ、生きているということ』の本質を、己自身に問い直さざるを得なくなるだろう」とコメント。歌人の俵万智は「答えのない映画だ。でも、そもそも、子育てには答えなんかない。言葉は、コミュニケーションを楽にしてくれるけれど、関係を複雑にもする。楽になったり複雑になったりするうちに見失うものも多い。帆花ちゃんとご両親との関係は、究極にシンプルで、だからこそ本質的な問いなのだと思う」と語っている。現在YouTubeでは本作の予告編が公開中だ。

宇多丸(ラッパー / ラジオパーソナリティ)コメント

安全圏からお気楽に、「いわゆる美談」として消費できるような作品では、まったくない。むしろ観客は、次々と湧き上がってくる複雑な感情や思考と絶えず格闘し、かつてないほど深く重く、「人が生きるということ、生きているということ」の本質を、己自身に問い直さざるを得なくなるだろう。その上でなお……何よりも帆花さんの生そのものが放つ力と、それを最大限引き出し受け止めてみせるご夫婦の覚悟、その驚くべき強さと豊かさ、美しさが、我々を圧倒するのだ。

俵万智(歌人)コメント

答えのない映画だ。でも、そもそも、子育てには答えなんかない。言葉は、コミュニケーションを楽にしてくれるけれど、関係を複雑にもする。楽になったり複雑になったりするうちに見失うものも多い。帆花ちゃんとご両親との関係は、究極にシンプルで、だからこそ本質的な問いなのだと思う。

岩崎航(詩人)コメント

帆花さんが家族や縁のある人たちの中にいて生まれる暮らしを見ていると、命は一人で生きるものではないことが染み入るように伝わってきます。揺れながら、慈しみ、そこに一緒に「いる」だけで生まれる幸せもある。人のできるできないを測りすぎる物差しを手放して、多くの方に映画を見てほしいと思います。

一青窈(歌手)コメント

ほのかちゃんを取り囲む世界に触れて
幸せな気持ちを
あなたもこの映画でお裾分けしてもらってくださいませ。
わたしはとてもあたたかな気持ちになりましたよ。

稲葉俊郎(医師、医学博士)コメント

眠りの姿と祈りの姿はよく似ている。帆花さんの家族の生活を見ていると、祈りと命が中心にある。日々訪れるこの暮らしを、新しくかけがえのない日々として聖なるものへと深めながら、わたしたちは暮らせているだろうか。人生は、そうした日々の積み重ねの結果でしかないのだから。

寺尾紗穂(文筆家 / 音楽家)コメント

見えない、聞こえない、動けない、機械がなければ呼吸もできない。それでも彼女が問いかけにわずかに反応を返すことに、成長と共に少しずつ変化していることに、家族は気づいている。生きている意味があるのかという心無い声や、的外れな同情は気づけない。動けない体に、本当は魂が満ちていることに。枯れた木の、根はひそやかに春を待っていることに。

齋藤陽道(写真家)コメント

あなたとわたし、そのふたつの関係をつなぐものは言葉だけなのだとずっと思っていた。だけどぼくも我が子を迎えてみて、それは過ちだったと気づいた。
まだ言葉を発さないはずの彼らに対して、あふれるものがあった。どぼんどぼんと尽きることなくあふれてくるこれは、どこから?
その源は、体温にあった。あなたの体温とわたしの体温をわかちあったときに、関係が始まっていたのだ。
映画「帆花」は、体温を思い出させる。沈黙のままに、あなたとわたしをつないできた大切な人の体温を。

瀬尾夏美(アーティスト)コメント

医療機器の電子音と、帆花さんの呼吸音が歌のように響く、あたたかな家。
彼女の成長を見守る両親と、大切な人たち。
ひとつの家族の日常をそっと見つめる映画を、ともに。

最首悟(和光大学名誉教授)コメント

〈星子が居る〉毎日です。星子45歳母80歳父85歳。星子は無為の人です。いろいろとわからないという思いが暮らしに根付いています。理佐さんの言葉が身に沁みます。
「自分が何をやっているのか、わからないときがある。でも、何か大事なことをしているという確信がある。その確信の実体をつかみたい」。

川内倫子(写真家)コメント

画面のなかで時々映る理佐さんの手は痛々しく荒れていた。対照的に帆花ちゃんの顔はつやつやとして輝いていた。理佐さんの手を見るたび自分の母を思い出した。毎日の水仕事で同じように荒れていたことを。そして帆花ちゃんを見ていると自分の娘と重なった。映画撮影時の彼女と娘は同じ年頃なのだ。
自分は超高齢出産だったのだが、ほぼ同じ年齢で同時期に出産した20年来の友人がいる。その友人と、子どもが生まれてから部屋のなかが明るくなったね、という話をしていたら、ポツリと彼女がつぶやいた。「もうこの太陽がない生活は考えられないなあ」と。わたしたちは知った。子どものいのちがどれくらい周りを明るく照らしてくれているかを。そして思い出した。自分の手が荒れることよりも子どもの世話を優先してくれる親がいることを。
この映画を通して、いのちを見守っていくことの厳しさと、それとともにある美しさを見せてもらえた。

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