ジョージアの映画監督オタール・イオセリアーニが死去 (original) (raw)

ジョージアの映画監督オタール・イオセリアーニが死去、89歳

2023年12月18日 12:52 4

ジョージア出身の映画監督オタール・イオセリアーニが12月17日に死去。89歳だった。現ジョージア首相のイラクリ・ガリバシビリが追悼のコメントを発表している。

1934年2月2日生まれ、旧ソビエト連邦グルジア共和国(現ジョージア)のトビリシ出身のイオセリアーニ。混沌とした社会の不条理を反骨精神とユーモアで笑い飛ばす自由奔放な作風は、世界中の映画ファンを魅了した。死因は明らかになっていないが、現地メディアの報道によると、その死を親族が認めたという。

ガリバシビリは「偉大な映画監督であり、ジョージア芸術の名誉ある人物であり、民衆芸術家であるオタール・イオセリアーニの死を、私は深く悲しんでいます」と哀悼の意を表し、「偉大な監督だけに特有の独自のスタイルがありました。彼の映画は我が国に多くの国際的な評価をもたらしました。家族、映画ファン、友人、同僚の皆さんにお悔やみを申し上げます」とコメントしている。

イオセリアーニはモスクワの全ロシア映画大学の監督科を卒業後、1960年代から編集技師として働き、いくつかのニュース映画を監督。その後、物質的な豊かさを求めて喧嘩を繰り返す若い夫婦を描いた1962年の中編「四月」、ワインの生産をめぐり工場側と対立する若い醸造技師の奮闘を描いた1966年の長編第1作「落葉」は、いずれも旧共産圏の母国では上映禁止の憂き目に遭った。2年後になって初めて「落葉」が西側に紹介され、カンヌ国際映画祭の国際批評家連盟賞と、ジョルジュ・サドゥール賞を受賞。イオセリアーニの名を一躍世界に知らしめた。

歌うつぐみがおりました」「田園詩」を発表後、1979年に故郷を離れ活動の拠点をフランス・パリに移す。1984年から1996年にかけては「月の寵児たち」「そして光ありき」「群盗、第七章」で、ヴェネツィア国際映画祭コンペティション部門の審査員大賞を3度も受賞する快挙を成し遂げた。以降も各国でロングランを記録した「素敵な歌と舟はゆく」を監督。第52回ベルリン国際映画祭で銀熊賞(監督賞)と国際批評家連盟賞をダブル受賞した「月曜日に乾杯!」は、2003年に公開された日本でもスマッシュヒットとなった。

70歳を超えてからも精力的に活動し、主な監督作に、失脚した大臣が人間らしい生活を取り戻すさまを描く「ここに幸あり」、映画監督を主人公に自身の実人生を重ねた半自伝的作品「汽車はふたたび故郷へ」、3つの時代を背景に市井の人々をシニカルに描いた人間賛歌「皆さま、ごきげんよう」がある。日本では今年2月から21本の監督作をデジタルリマスターで一挙上映する特集上映「オタール・イオセリアーニ映画祭 ~ジョージア、そしてパリ~」が開催されたばかりだった。

政党「ジョージアの夢」のSNSに掲載されたオタール・イオセリアーニの追悼文

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