加藤拓也の新作「ほつれる」を絶対に終電を逃さない女がレビュー、スクリーンから流れる“恐ろしいまでのリアリティ” - 映画ナタリー 特集・インタビュー (original) (raw)
「わたし達はおとな」の加藤拓也による2作目の長編映画「ほつれる」が、9月8日に公開される。
本作は、夫との関係が冷え切り、知り合った男性と頻繁に会うようになった綿子を主人公とした物語。恋人の木村は綿子の目の前で事故に遭い、帰らぬ人に。劇中では、変わらぬ日常を過ごしながら、夫や周囲の人々、そして自分自身と向き合っていく綿子の姿が描かれる。門脇麦が綿子役で主演を務めた。
映画ナタリーでは、演劇、ドラマ、映画と多方面で活躍する本作の監督・加藤や、門脇をはじめとするキャストの魅力を紹介。さらに著書「シティガール未満」で知られる、絶対に終電を逃さない女によるレビューで本作の見どころを伝える。2ページ目には、同作に寄せられた吉田羊、広瀬アリス、伊藤沙莉、木竜麻生、中田クルミ、尾崎世界観(クリープハイプ)、石田明(NON STYLE)らの著名人コメントをたっぷり掲載した。
文 / 絶対に終電を逃さない女(レビュー)、尾崎南(コラム)
映画「ほつれる」予告編公開中
次世代を向いた気鋭・加藤拓也が作る世界
本作の監督を務めるのは、大阪府生まれで現在29歳の加藤拓也。舞台、テレビ、映画と多方面で執筆、演出活動をしている。17歳でラジオ・テレビの構成作家を始め、翌年イタリアに渡った加藤。帰国後の2013年に劇団た組。(現在は劇団た組)を立ち上げ、2023年には「ドードーが落下する」で、“演劇界の芥川賞”と称される岸田國士戯曲賞を受賞。既存の価値観をスマートにひっくり返すような作家性と意外性のある演出が魅力で、まさに“次世代を向いた”演出家だ。
映像分野での活躍も目覚ましい。2018年に「平成物語」で初めてドラマ脚本を執筆。ほとんどの大人が“同じ顔”をした不条理な国を舞台にしたドラマ「きれいのくに」では、第10回市川森一脚本賞を受賞した。2022年に「わたし達はおとな」で長編映画監督デビュー。妊娠に気付いた大学生とその恋人がすれ違っていく、容赦のないリアルな描写が話題を呼んだ。加藤が手がける長編映画としては、「ほつれる」が2作目となる。
先日、世界を変える30歳未満の120人を選出する「Forbes JAPAN 30 UNDER 30 2023」に選出された加藤。彼の才能には、世界中から期待が寄せられている。作り手の“センス”を感じる作品が好きな方は今こそ、加藤拓也が生み出す作品の世界に触れてみてほしい。
「ほつれる」場面写真
全シーンに登場する門脇麦と、彼女の日常を作り上げるキャストたち
本作のすべてのシーンに登場する主人公・綿子を演じるのは、「愛の渦」「二重生活」「あのこは貴族」などで知られる門脇麦。2023年にはドラマ「リバーサルオーケストラ」で主演を務め、幅広いジャンルの作品で独特の存在感を発揮してきた。夫と恋人、それぞれへの思いを抱える1人の女性の苦しみや葛藤を、沈黙の中にのぞかせる熱い演技で表現している。
綿子の夫・文則に扮したのは、劇団た組の舞台「綿子はもつれる」にも参加した田村健太郎。舞台では綿子と同居する中学生役で出演し話題を呼んだ彼が、綿子にとって“向き合えない”存在である夫の姿を繊細な演技で体現した。
綿子の恋人・木村役には染谷将太。綿子との間に流れる穏やかな空気感を、持ち前の自然な佇まいで表現した。さらに、綿子の親友・英梨役で黒木華が出演。そのほか、古舘寛治らがキャストに名を連ねた。
緻密に計算された本作の世界観を織りなすキャストたち。登場人物1人ひとりに息を吹き込む俳優たちの演技から目が離せない。
※古舘寛治の舘は舎に官が正式表記
「ほつれる」場面写真
絶対に終電を逃さない女によるレビュー
2人が向かう先は、終わりなのか、それとも新たな関係の始まりなのか
「ほつれる」場面写真
「おはよ」
「そろそろ布団分厚いのに変えてもいいかな」
「そうだよね。こっち持ってきとく」
「ありがとう」
冒頭のシーンでの綿子と文則の会話をこうして文字に起こしてみるとありふれた家族の平和な日常会話にしか聞こえないのだが、私が真っ先に感じ取ったのは、夫婦の間にそこはかとなく流れる冷たく不穏な空気だった。それは「夫婦の関係は冷め切っていた」というあらすじを読んでから鑑賞に臨んだせいではないと思う。スクリーンから「こういう空気」が流れ出しているとしか言いようがないような、恐ろしいまでのリアリティのせいである。
「こういう空気」というのは、中盤で文則が家を買おうと思っていると切り出すシーンでの言葉である。
「こういう空気のままあともう何十年も一緒に生活してくのキツくない?」
文則を演じる田村健太郎といえば、ドラマ「ブラッシュアップライフ」で主人公の妹の夫を演じたことが記憶に新しい。妹が彼氏を連れてくるというのでどんな男なのかと警戒するも、現れたのは拍子抜けするほど極めて善良そうな好青年という、初登場シーンが印象的だった。
対する今作でも、物腰の柔らかい優しい夫……に表面的には見えるのだが、何かが不穏だ。言っていることは正しいし、怒っていないように見えるけど、絶対に怒っている。口調は優しいけれど絶妙な早口に、どうしようもなく心がざわつく。
はっきりしない綿子に対して文則が「いやわかってるでしょ。この空気お互い続けてきたわけなんだから」と畳みかけたように、門脇麦演じる綿子のほうも「こういう空気」の出し方においては負けていない。綿子は「愛の渦」や「二重生活」での門脇麦に通じる、一見おとなしい地味めな女性だが胸の内には大きな感情が渦巻いているような人物に見える。文則の気遣いに対する矢継ぎ早な「ううん大丈夫ありがとう」には心がこもっていないし、家では愛想笑いばかり……と、あれこれ言葉で説明しようとしても伝えきれない、その細やかな表現がこの作品の凄みの一つなのだと、書きながら改めて思う。
「ほつれる」場面写真
冒頭の夫婦の会話のあと、綿子は不倫相手である木村との旅行に出発する。特急列車内で木村を見つけた瞬間の綿子の、文則には見せない柔らかな笑顔からは、木村といる時だけが心休まる時間なのだと伝わってくる。そんな木村が目の前で事故に遭った時、綿子は救急車を呼ぼうとするも、それをきっかけに関係がバレることを恐れてとっさに電話を切り、その場を立ち去ってしまう。瀕死の愛する人を助けることもできず、その人が帰らぬ人となっても、思い切り泣ける場所すら綿子にはない。
綿子を中心とする彼らは、悪人ではないが、善人とも言い難い。木村も既婚者であり、双方の配偶者公認というわけでもない。文則も、前妻との子供のことや過干渉な母親との問題を先送りにしている。さらに木村の父親も、息子との確執に長年向き合おうとしなかった大人気ない人物に思える。
みな、責められても仕方のない点があり、できたはずの行動をしなかった。
しかしそれは多かれ少なかれ、誰の身にも覚えがあるのではないだろうか。
「ほつれる」と聞くと、私はほつれた服を連想する。あ、ほつれているな、と気づいても、ついつい放置してしまい、ほつれた糸が伸びていく、私はそういう人間だ。それは生活や人間関係のあらゆる場面においても通じている気がする。問題解決を先延ばしにし、やめたほうがいいと思っていることを惰性で続けてしまったり、本当は我慢している自分の気持ちに向き合おうとせず、理解のある態度を示してしまったり……。
彼らと同じような立場に置かれたら、正しい行動ができるのか。服のほつれを放置するような些細なことと、本作中で起こる大きな出来事は、地続きなのかもしれない。
ほつれた糸は放っておくと、どんどんほつれていく。時には取り返しのつかないことになる。けれど食い止めて修復することもできるはずだ。
「ほつれる」を辞書で引くと、「とけて乱れる」といった意味もあるらしい。物語が進むにつれて、綿子と文則は次第に感情をむき出しにしてぶつけ合う。そうして2人が向かう先は、終わりなのか、それとも新たな関係の始まりなのか。終わりに思えたことが、往々にして何かの始まりだったりもする。そんな微かな希望をも感じられる映画だった。