岡本真夜が愛でる“オーケストラのような音色”のピアノ (original) (raw)

岡本真夜

愛する楽器 第20回[バックナンバー]

岡本真夜が愛でる“オーケストラのような音色”のピアノ

「私にとって空気のようにずっとそこにいてくれる存在」

2020年5月15日 12:00 3

アーティストがお気に入りの楽器を紹介する本企画。第20回ではピアニストmayo名義でも活動している岡本真夜が、愛用するイタリアのピアノメーカーFAZIOLI(ファツィオリ)のショールームで、ピアノにまつわるエピソードや思いを語ってくれた。

取材・文 / 松永良平 撮影 / 阪本勇

四六時中ピアノを弾いていた学生時代

小学校3年生から高校1年まで、ピアノ教室に通っていました。クラシックが大好きだったので、音楽大学に行くつもりで四六時中弾いてました。朝は学校に行くまで弾いて、帰って来てから弾いて、夕飯食べてまたすぐ弾いて、みたいな。今もそうなんですけど、ピアノがそこにあればずっと弾いている子だったんです。指が勝手に動いちゃうんで(笑)。その頃は祖父母が買ってくれたYAMAHAの中古のアップライトピアノを弾いてました。その頃はSTEINWAY& SONSとかそういう名門メーカーのピアノはあまり知らなくて、とにかく弾ける喜びのほうが大きかった。歌でデビューしてからも、舞台によってピアノのメーカーも種類もそれぞれ違いましたけど、それも正直そんなに気にしてなくて。気にしてないというか、弾き語りのパートでピアノに触れるし、ピアノの音色が出たらもうそれだけで幸せという感じでした。

クラシックピアノをやっていた頃は、ピアニストを目指していたので、自分がいずれ歌の方向に向かって、自分で曲を作るようになることは想像してませんでした。「曲を作ろう」なんて一瞬たりとも思ったこともなかったので、今の私の状況は不思議と言えば不思議です。転機は高校1年のとき。学校から帰ってきてラジオをつけたら、たまたまDREAMS COME TRUEの「未来予想図II」が流れてたんです。私が聴いた時点ではもう歌のエンディングで吉田美和さんがフェイクを入れているパートだったんですけど、それだけでも耳にした瞬間に全身に鳥肌が立つほど感動してしまいました。その日から急に歌が好きになって、翌日ドリカムのCDを買って、まず合わせて歌うようになり、ほかのアーティストも聴き出して、気が付いたらピアノよりも歌ってる時間のほうが多くなっていたんです。

作曲脳とピアノ脳

それからはピアニストではなく、「歌手になりたい!」と思うようになりました。高校時代にドリカムさん、今井美樹さん、中森明菜さんの曲を歌ってデモテープを作って事務所に送ったんです。そしたら、私の声を気に入ってくださって「高校を卒業したら上京しなさい」と言われて。そのあと事務所に入った頃に、スタッフとの何気ない会話の中で「曲作ったら?」なんて軽いノリで言われ、「やったことないけど、ちょっとやってみましょうか」と返事したのが作曲のきっかけでした。頭に浮かんだ鼻歌をランダムにカセットテープに録音して、パズルみたいにつないで曲を作っていったんです。今も曲作りはピアノは使わず、全部鼻歌です。ピアノに向かって構えちゃうと逆に作れないタイプなんです。ピアノ曲はやっぱりピアノを触りながらじゃないとできなくて、歌は鼻歌じゃないとできない。私、作曲脳とピアノ脳が分かれてるみたいですね(笑)。

ピアニストデビューのきっかけは東日本大震災

2016年にピアニストmayoとして改めてピアノでデビューさせていただいたんですが、そのきっかけは2011年3月の東日本大震災だったんです。被災された東北の皆さんのところに歌いに行ったんですが、現地の方々はまだ「がんばれ」みたいな言葉とか、歌の歌詞を受け入れられない状態だという話を聞いて、すごく複雑な思いで東京に帰りました。そのあと、東北のニュースを日々見ている中、リビングでピアノを弾いていたら、ふとメロディができて。それが歌のメロディではなく、ピアノのインストになるようなものだったんです。そのときに、このピアノ曲で、東北の皆さんの心を癒すことができたらと思ったんです。

ピアノって、どんなに強く弾いても優しい音がするし、私も小さい頃からすごくその音に癒されてきたんです。小さい頃の私は、学校で嫌なことがあったとか、つらいことがあったとかをあんまり人に言うタイプじゃなかったんですね。ピアノを弾くことでそういう思いをピアノに聞いてもらっていた、みたいなところがあった。だから私もピアノで皆さんの役に立ちたいという思いが大きくなりました。2014年の春くらいから、ピアニストとしてのデビューを目指して、音大に行けてなかったので、ピアノの先生を探してレッスンと曲作りをずっとしていきました。

その音色はまるでオーケストラ

FAZIOLIのピアノとの出会いは、その頃でした。「そのままの君でいて」(1997年)などのアレンジを担当してくれた十川ともじさんというミュージシャンがいらっしゃるんですけど、十川さんも私がピアニストになりたいという思いを知って応援してくれていたんです。あるとき十川さんから電話がかかってきて、「今度、芝浦にFAZIOLIっていうグランドピアノを見に行くんだけど、一緒に行かない?」と誘ってくれて。その日は、十川さんと私と私のピアノの先生と、もう1人、作曲家の多胡邦夫さんも一緒でした。多胡さんと私はその日が初対面でした。

FAZIOLIは1981年に創立されたイタリアのピアノメーカーで、ほかのブランドに比べるとすごく若いんですけど、最近、徐々に名前も聞くようになってきてるので、私もうれしいです。あの日、初めて弾いた感想をひと言で言うと「オーケストラに聴こえる」でした。たくさんの音が鳴っている感じがあるし、低音もすごくどっしりしてて、高音もすごくキラキラ。自分がうまくなったと錯覚させてくれるというか(笑)。非常に気持ちよくさせてくれるピアノだなって思いました。その日は、お店に十何台もあったFAZIOLIのピアノを全部弾かせてもらいました。その中で一番好きだと思ったピアノをずっと弾いてたら、多胡さんが私のずっと弾いてたそのピアノを、目の前で「買う」って言ったんですよ。

実は多胡さんは群馬にスタジオを作る予定で、そこに置くピアノを探しに来ていたんです。その翌年の春にスタジオができるというので、「じゃあ、スタジオができたら遊びに行っていいですか?」とお願いしました。それからは完成したTAGO STUDIOに、定期的に行ってます。プライベートで1日レンタルして、8時間から10時間くらいはそのFAZIOLIを弾いたり、作曲したり。ピアニストmayoのレコーディングも、いつもそのピアノでやってます。多胡さんにも「いろんな人が来るけど、このピアノを一番よく弾いてるのは岡本さんです」って言われます(笑)。

おばあちゃんになっても

ピアノって同じタッチで弾いても音の響きが違ったり、鍵盤の重さが違ったり、1つひとつが違う。弾かれてきた年数でも音色が変わってきますし。だから歌のコンサートのときもピアノのコンサートのときも、今日会ったピアノと友達になるために、最初にグワーッて弾いて「あ、この子はこういう感じなんだ」と思う。そういうことを最近は楽しんでます。先輩のピアニストさんも同じことを言ってましたね。弾く人によっても違う音色が出ますしね。私も自分にしか出せない音色を確立していけたらいいなとは思います。

ピアノを弾いてるときは、自分が作った曲や知ってる曲を延々と弾くんです。ちょっと休憩しているときにメロディが浮かんだら、そこから曲を作っていったり。あと、今の私の歌のコンサートでも、本番前にメイクする時間があるんですけど、空き時間を逆算して20分くらい空いてたら舞台監督さんに「ちょっとピアノ弾いていいですか?」ってお願いして、「時間ですよ」と止められるまで弾いてます(笑)。ピアノが大好きすぎるんです。おばあちゃんになっても弾いてると思うし、ピアノがないと生きていけなくなっちゃうかな。自分の中では空気のように、ずっと変わらずにそこにいてくれる存在なんです。

岡本真夜(おかもとまよ)プロフィール

1974年生まれ、高知県出身の女性シンガーソングライター。1995年にシングル 「TOMORROW」で歌手デビューを果たす。この曲が連続ドラマ 「セカンド・チャンス」の主題歌に起用され、新人ながら200万枚の大ヒットを記録。女性としての葛藤や喜びが込めれた歌詞、耳なじみのいいポップチューンでリスナーから共感を得ている。ベテラン歌手からアイドルに至るまで、幅広いアーティストへ作品を提供しているほか、エッセイを執筆するなど、さまざまな分野で活躍している。2012年に東日本大震災の復興支援のためにアルバム「Tomorrow」を発表。2016年3月にmayo名義でピアニストとしてデビューし、シンガー岡本真夜、ピアニストmayoとしての活動を展開している。2020年5月にデビュー25周年を迎え、勢力的に活動中。

※動画は現在非公開です。